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碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
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㉘-②第二部 第三章 真田征伐 四節 各個撃破 二

 二 刈田


「なりませぬぞ。

 若殿それだけはさせてはならぬ。

 下種(げす)の勘ぐりのたぐいじゃ。

 それは非道でござる。

 大御所の耳に入れば只ではすみませぬ。

 親子の情を振り切り、義理を立てて馳せ参じた者にする扱いではありますまい」

 と、本多正信が諫めたが…。



 …九月五日(10月11日)

 秀忠は全軍を率いて小諸城を出て上田の染谷馬場台に陣を敷いた。

 染谷城は空城になっていた。

 上田城のある西に向かって陣を構えた。


 案内を終えた信之には休む間も無く砥石城の信繁攻略の命令が下った。

 本多正信が慌てて止めに入ったが秀忠は聞く耳を持たない。


 …徳川譜代には先の上田攻めで昌幸親子に煮え湯を飲まされた者も多い。

 眼前に同じ景色を見ると思いも複雑になるのは人情だ。

 秀忠付きの家老の大久保忠隣もその一人だった。

 父の忠世(ただよ)と共に一敗地に塗れている。


 …ここにもう一人鬱屈している人物がいる。

「伊豆守の忠義の程を確かめる良い機会でござる。

 裏切りは真田一族の常套手段でござりますからな」


 上野国(こうずけのくに)(群馬県)大胡(おおご)(前橋市)二万石・牧野康成(まきのやすなり)である。

 戦国武将として幾多の戦歴を持ち脂が乗り切っている。

 三河からの徳川譜代大名だ。


 十五年前の上田攻めでは砥石城から討って出た信之に神川まで追い詰められ、散々叩かれた。

 嫌な過去が心の底で(うごめ)いている。

 不機嫌な秀忠に意見が取り挙げられ調子づいてさらに提案をする。


「刈田戦法はいかがでござろう。

 真田は稲刈りもせず小城に逃げ込んでおる。

 兵站は戦さの要でござる。

 兵糧の大きな補充になりますぞ」


 染谷馬場台から見降ろすと稲が黄金色に色づき始めている。

 もう一息で収穫出来るところだ。


 …この時代の戦さは敵地の稲刈りをして掠奪するのも一つの戦術であった。

 秀吉の天下になってほんの少し豊かになり始めたところである。

 勝った側の雑兵達が掠奪や奴隷狩りをするのは当たり前の飢えた時代だった。


 …元々、戦争は経済が破綻(はたん)した時に起こる憤懣(ふんまん)の爆発である。

「衣食足りて礼節を知る」

 余程残忍な民族か、宗教上の思い込みがない限り、通常は他を侵略はしない。

 …衣食が足りて将来への不安が無ければ・・・。


「刈田などしておる場合でござるまい。

 今日は五日でござる。

 大殿は八日に岡崎に入るやもしれぬというに。

 伊豆守(いずのかみ)が砥石城を落とせばそれで充分。

 砥石城と小諸城に抑えの兵を残して早う西上せねば」

 本多正信が諫言をしたが、秀忠はまたしても聞き入れない。


 秀忠は実戦経験の多い牧野康成の言葉の方が耳に心地よい。

 昨夜の「小童扱い」のせいで、劣等感が鎌首をもたげている…。


「まあ待たれい。

 刈田をするにしても今から準備をしておっては日が暮れて半端になる。

 刈田の最中に砥石城と上田城から攻められたら先の上田攻めの二の舞にならぬとも限らぬ」


 大久保忠隣はいつもの風見鶏を決め込んでいる。


「上田城攻略の初手は砥石城でござる。

 砥石城を伊豆守が首尾良く落とせるかも判らんではないか」

 …空気を読んでいる。

「本多忠政が手勢を貸すというのを伊豆守は断ったと聞く。

 手勢一千だけで出てしもうたというではないか。

 牧野が要らぬ事を言って怒らせたのではあるまいのう」


 牧野康成は何故か自信がある。

「要らぬ事とは言い過ぎでござりましょう」

「伊豆守は怒ったら手がつけられぬらしい。

 しかも相手は左衛門佐(さえもんのすけ)

 伊豆守も伊豆守じゃが、弟の左衛門佐も太閤が一目置いた程の知恵者と聞く。

 どう転ぶものやら…」


「ゆえに左衛門佐の守る砥石城を兄の伊豆守に落とさせるが上策」

「確かに、伊豆守の裏切りも無いとは言い切れぬでな」

「さっさと上田城を血祭りして西上しましょうぞ!」

「まっ、いずれにせよ真田征伐は大殿からの命令じゃ。

 小諸の仙谷秀久(せんごくひでひさ)殿にも直接大殿から書状が届いておると昨夜聞いた。

 真田を落とさずに西上すれば直江兼続の思う壺に嵌る。

 上杉軍五万に留守の江戸が攻められたら何とする」

 大久保忠隣は老獪ぶりを遺憾なく発揮し、牧野康成は主戦論一辺倒だ。


「砥石城の成り行きを見て一度軍議を持って決めるが上策じゃ。

 若殿、それで宜しいな」

 秀忠の返事も聞かず榊原康政がその場を押し切ってしまった。



 …「『どこをついても悪知恵が出る』と言われる本多正信らしからぬ失態じゃのう」

「馬鹿につける薬はないのでな」

「薬が無ければ得意の毒薬を少々盛ると効くかもしれぬぞ」


「わしの失態は認めるが、徳川四天王たる榊原康政殿は何をしておるのやら」

「わしもすまぬとは思うておる」


「平八郎殿の(せがれ)や伊豆守の正論が通らぬのは、大御所の命に固執し目先の功に焦っておるからじゃ。 

 遅産して負けてしもうたら四天王と(おだて)てられても首が無いぞ」


「だから悪知恵を絞り出してくれと言っておるのだ。

 わしの首など幾つでもやるが、徳川の首が危ない。

 おぬしは厚かましく還暦を越して最年長であろう。

 悪知恵でなくても良い。

 年の功で何か策はないのか?」


「それがこの度は何故か湧いてこぬ」

「それはまた不思議な。怪奇現象じゃのう!」

「わしは実戦経験が少ない。

 しっかり足元を見透かされておるような気がしてな。

 どうもいかん。

 わしが右と言えば左という」

「やりにくそうなのはわしにも解る」


「わしの諫言のやり方があからさま過ぎた。

 若殿を(かたく)なにしてしもうたのかもしれぬ。

 若殿は初陣と遅参の恐怖に押しつぶされそうになっておる。

 そのせいで牧野まで舐め回しおって」

「初陣だろうと一番の責任は若殿じゃ。

 真面目なのは良いが苦労が足らぬ。

 われ等の諫言も聞けぬような度量では先が思いやられる。

 一度痛い目に会わねば目が開くまい」


「生きておらねば目は開かぬ。

 格も能力も最上位のおぬしがなんとかしてくれぬか?」

「まず統制を取って差し上げる事が肝要だが、ここまでの行軍で指揮も緩んでおる」

「手綱を引き締めねば、四万の兵が暴走しかねんぞ」

「解っておる。解っておるが・・・」


「大久保忠隣は芯の無い癖者ゆえ何を言っても(ぬか)(くぎ)じゃ。

 上手に立ち回りながら結局は主戦論を(あお)るだろう」

「牧野も私憤に煽られ戦功を狙っておる。

 どちらも己れのためじゃ」


「おぬしの悪知恵とは違い、次元が低過ぎて話にならぬ。

 具合の悪いことに城攻め派の先鋒は土井の倅じゃ」

「若殿と仲が良い小童(こわっぱ)が血気に逸っておるからのう…」


 …土井利勝(どいとしかつ)

 二十八歳で秀忠より六歳上である。

 生まれたばかりの秀忠に七歳から仕えた。

 秀忠、家光に仕え、後に徳川初代の大老となる。



 …信之は手勢一千を率いて砥石城の攻略戦に入った。

 信繁ならぬ望月六郎は五十間くらいまで信之軍が迫ったところで鉄砲と矢で派手に抵抗をする。

 五十間は鉄砲の弾が届くのが精一杯の間合いだ。

 弾薬も矢も火薬奉行隊と竹茅奉行隊がたんまり作ってあるので猛烈に撃ちまくった。


 信之は意図的に狙いを外していると察した。

 阿吽(あうん)の呼吸で弾薬のあるだけ撃ちまくる。

 こちらも狙いは外している。


 どちらの兵も皆顔見知りなのだ。

 信繁が望月六郎である事までは信之でも判ってはいない。


 染谷馬場台から見ている徳川勢は戦闘の激しさに息を飲んで見ている。

「信之危し」と見た本多忠政隊二千が秀忠の許可も取らず砥石城へ突っ込んでいく。

 これを見た諸将三千が後に続いた。


 望月六郎は染谷馬場台からの援軍が出たとの情報を聞くと抵抗を止めた。

 手勢五百と共にさっさと砥石城から出て、本多隊に接触しないように西に迂回して撤退する。

 六文銭の紙幟を三百程立てながら、空の荷車を二十台程入れて軍列を伸ばしている。


 徳川勢は砥石城に籠もっていたのは一千以上と見た。

 堂々と、しかし、迅速に六郎隊は上田城へ逃げ帰っていく。


 砥石城では信之隊が応援に来た忠政隊と共に三千で勝鬨を挙げた。

 八人衆はにんまりとしている。

 信之が砥石城に籠っていれば心置きなく戦える。


 六郎が砥石城で派手に一悶着を起こしている隙に、昌幸本隊五百は密かに虚空蔵山の伊勢崎城に入った。


 虚空蔵山は上田にある二つの虚空蔵山の内の東にある小さい方の山だ。

 佐助が鳥居峠から上田城に入場した時、闇烏天鬼に襲われ小太郎を拾った森が麓にある。

 染谷馬場台からは東北に半里程のところにある。

 信繁本隊が上田城から打って出て徳川軍を追い返した時に、背後から奇襲をかけるには絶好の位置だ。



 …須田宗香(すだそうこう)という堺の商人が一年前から牧野康成に取り入っている。

 鉄砲を安値で調達したり、金子(きんす)の工面や機密情報を適度に流してすっかり重宝がられている。

 康成隊に同行を頼まれ兵站を影で支えている。


 …牧野康成は先の真田攻めで信之に痛い目に遭わされた。

 四十六歳になった今に至るまで己れが己れに期待している程の武功がない。

 それでも二万石の譜代大名になっている。

 家康からの身に余る厚遇を己れの幸せとして噛み締めていれば、やがて運が開けるものなのだが…。

 暗いものが心の底で蜷局(とぐろ)を巻いている。


 …昨夜小諸城内での事である。


「殿、鉄砲が百丁、馬籠宿(まごめじゅく)まで入りました。

 いかがいたしましょうか。

 こちらまで運んでも宜しゅうございますが、たかが真田の小城。

 四万でひねり潰せば二日と持ちますまい」

「鉄砲百丁とな。

 それは吉報じゃ。

 真田攻めはすぐ終わるゆえ間に合うまい。

 馬籠で止め置いて本戦で役に立てようぞ。

 運んでおる途中で真田に掠奪されてもいかん。

 宇都宮からの途上でも荷駄車が二十以上は奪われておる」


「ではそのように」

「ところで軍資金が底をついておってな。

 戦さ支度で借金しまくったでのう」


「結構でございますよ。

 この大戦さで殿が御手柄を上げるのは間違いなし。

 この宗香、殿に賭けておりますからな」

「済まぬのう。

 前祝いに一献どうじゃ。

 今宵はわしに馳走させてくれ」

「ありがとうございます。

 酒と肴は手前どもにお任せを。

 そう言えば、もう直ぐ重陽の節句。

 菊花酒と参りましょう。

 一刻程致しましたら案内に上がります」


 康成は菊の花を愛でながら、気持ち良く「蛍火の術」をしっかり掛けられた。


 …鬼門の砥石城を押さえる事。

 信之兄弟に戦わせて信之に二心のない事を確かめる事。

 刈田をする事。


 …津田宗香は十蔵配下の中忍である。



 …十蔵から宗香への繋ぎの文には「嵐が来る故、稲を濡らす前の刈田也」と補足が付いていた。





1間1.82m、

50間90m

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