㉘-①第二部 第三章 真田征伐 四節 各個撃破 一
一 前夜
「今日こそが要の日なり。
皆の衆! どうかお力をお貸し下され!
生き残ろうぞ!」
信繁本人が人頭指揮を執って檄を飛ばした。
…九月四日(10月10日)早暁。
土塁奉行隊、逆茂木奉行隊、縄奉行隊、水堀奉行隊、馬奉行隊、竹茅奉行隊、家奉行隊の中から選ばれた屈強な二千、二番隊と三番隊の武士一千、計三千人が大手門から惣構の中に出て作業を始めた。
佐助と望月六郎以外の八人衆も総出である。
それぞれに指揮を取っている。
…上田盆地は南側に千曲川、北に太郎山、東は烏帽子山の裾野に囲まれた三角形の大水濠地帯だ。
その大水濠地帯の中に東西二つの河岸段丘の台地がある。
東側が染谷馬場台であり、半里離れた西側の台地に上田城下がある。
秀忠軍は東の染谷馬場台に陣を張る予定であるとの情報が入っている。
神川は染谷馬場の台地の東端、つまり小諸側を鳥居峠から千曲川に流れ込んでいる。
西側の台地にある上田城は北側と西側は川幅の広い矢出沢川と蛭沢川の自然の外堀で守られ、南側は千曲川の支流がつくった尼が淵の断崖で守られている。
自然の守りが盤石なので上田城は東側からしか攻めれない。
昌幸は弱点である東側の防御のために、蛭沢川と点在する沼を巧みに利用して外堀を作った。
北の矢出沢川から流れを人工的に引き込み南の尼が淵に落とし込んだのが東の外堀だ。
この東の外堀の中央やや南に大手門を配してある。
大手門の内側が惣構だ。
中には武家屋敷や商家もある。
大手門から二の丸の水堀までの距離は西に七町も取り、東側からの攻めに対して分厚い縦深陣の作りにしてある。
二の丸から西奥まではさらに六町あるので東西は十三町ある。
小城に見えるが南北と西の守りは水濠のおかげで不要だ。
外堀から本丸までの距離では東西に二十町(2.2km)もある。
弱点の東側の守りに関しては大坂城と同じ備えの能力を持つ要塞なのだ。
備えは東面だけで良いのだから二千五百の兵でも一万の兵が四面に分かれて守るのと同等である。
民百姓が入城して真田の兵と合わせて一万になれば四万の秀忠軍と互角以上に渡り合えると、信繁は踏んでいる。
大手門から入ると二の丸に向かう大手道の南側には六十五間四方の御屋形屋敷、北側には二の丸の水堀に接して「御作事館」と呼ばれる御屋形と同規模の館を配している。
それぞれに水堀を廻らせた惣構の中の二大防御拠点だ。
さらに北の外堀から御屋形屋敷の水堀まで南北に横断道と土塁を造った。
惣構の中央に一本の防衛戦が引かれているのだ。
この南北の横断道が惣構を東と西に分けていて、西構え、東構えと呼んでいる。
東構えには商家があるが西構えは武家屋敷だけである。
二の丸と御屋形との間には五十間四方の土塀で囲まれた居館がある。
南側は尼が渕の断崖に面しているので「千曲館」と呼ばれている。
佐助や三好兄弟、筧十蔵もここに寝泊りしている。
大手道を二の丸前まで進んでくると五十間四方の袋溜まりになった広場に突き当たる。
この袋溜まりが曲者である。
正面には二の丸の水堀、右手に御作事館の水堀、左手が千曲館で囲まれ、後ろには御屋形屋敷の水堀の西北部分の角が突き出ている。
逃げ場のない広場だ。
さらに二の丸の正門を守るように水堀が弧を描いて、御作事館の水堀から二の丸の水堀の南隅に斜めに流れ込んでいる。
侵入した敵が二の丸に入り込むのは構造上だけでも難しい。
この袋溜まりでうろうろしていると四面から鉄砲で討ち取られる。
当時の種子島の射程距離は三十間だ。
着弾可能距離は五十間だが四十間になると的にも当たらないうえ弾の勢いが弱る。
当たっても鎧や草摺り、皮胴に弾かれてしまう。
五十間四方という広さもよく計算してある。
この袋溜まりは「千曲溜まり」と呼んでいる。
二の丸の奥に本丸がある。
本丸は最も立派な水堀を持ち石垣に囲まれ、要所に櫓を配してある。
水堀は幅が十五間から十八間、深さは二間から四間、水深は五尺から二間ある。
内側は土塁もしくは石垣を持つ土塀で囲まれている。
二の丸の西隣に小泉曲輪があり、その西には常福寺がある。
入城した住民の居住区は最も安全なこの区域に作られている。
常福寺は西の外堀に当たる矢出沢川に接して建てある。
外堀の外側には城下町がある。
城下町の中にも沼があり城下の道を複雑にしている。
城外町の外縁部には十四の神社・仏閣を配している。
十四の内十二が東面の守りのために造られたものだ。
全ては神社・仏閣の仮面を被った出城の機能を兼ねている。
上田城は先の真田征伐の折には未完成ながら七千の徳川軍を破った。
十五年の歳月と秀吉の資金により、今やその時とは比べものにならない重厚な要塞と化している。
まともな戦術家は大砲無くしてこの城を落とそうとは考えない。
長征する秀忠軍には大砲の装備は無い。
信繁は六千の百姓町人と五千の武家の女子供老人を二の丸曲輪と本丸、小泉曲輪、常福寺、俄造りの住居に入れ、「安全区域」として最終防御線を張ってある。
今夜からは惣構内に住む女子供老人もすべて「安全区域」に移す。
徳川勢を惣構に引き摺り込んで闘う作戦なのだ。
最終防御線には昨日までに逆茂木を三重に組み終わっている。
五百の別働隊は砥石城にすでに入っている。
作業が終わり次第、昌幸本隊五百が御屋形屋敷と御作事館の拠点に入り、二千の信繁本隊を千曲館、惣構の武家屋敷や商家、十四の神社・仏閣に配備し臨戦態勢をとる。
有難い事に一千五百の志願兵が百姓の中から出た。
信繁本隊に分散して配属するつもりだ。
惣構内では「千鳥掛け柵」が至るところに幾重にも作られている。
大手道と直角に置かれている柵は通常の物だ。
大手道に並行して設置されている柵は高さが五尺あり、片側が二段になった土塁の上に組まれている。
水堀の土塁の上には逆茂木が組まれ、水深の浅い所は水堀の中に逆茂木が埋め込まれている。
竹と縄と凧糸、真田紐や埋め火を始め、いろいろな仕掛けが施されている。
仕掛けが済んだ後は最終防御線から惣構に出る事は禁止になる。
うっかり仕掛けに掛かると命が危険だからである。
…惣構の中の作業が済んだ者達は順に大手門から城外に出て来る。
東の外堀の内側はしっかりとした石垣と土塀で守られている。
しかし大部分が自然の沼と川なので幅や水深に弱点のあるところもある。
「ここまでやったのだからもうひと頑張りしてもらおうか!」
影武者の海野六郎が大声で呼びかける。
「オー!!」
「ようございますとも、皆で生き延びましょうぞ!」
民衆も乗りに乗っている。
弱点になると思われる数カ所に高さ一丈の土塁を築いた。
土を掘った後に出来る仕寄道は味方側に作り空堀の代わりにした。
敵側には巨大な逆茂木を三重に組み、土塁の上にも組んでいる。
逆茂木の高さは一間ある。
延八十間程の作業で南の尼が淵から北の矢出沢川まで南北に九町の強靭な防御線が出来上がった。
東面の守りがより完璧に封鎖されることで、 この防衛線から西側はどの方角からも近寄ることが出来なくなる。
東の染谷馬場台の染谷城から神社・仏閣のある城下町の外れまでが西に九町。
これが防衛の最前線であり第一の防御線だ。
そこから城下町を通り、強化した東の外堀までがさらに西に四町。
ここに第二の防御線がある。
秀忠軍の陣構えの位置を確認した海野六郎はそこに補強工事を行なった。
補強工事のせいで秀忠軍は大手門を破らなければ、第二の防御線から西へは進めなくなった。
これが今回の作戦の詰めの作業となった。
第二の防御線から二の丸の最終防衛線までさらに西に七町。
第一の防御線から最終防御線までは十一町の縦深陣が完成した。
第二の防御線が完成すると城内全員に動員がかけられた。
第二の防御線より西側は安全になったので、そこに栽培されていた稲も含めた全ての作物の収穫作業をした。
…上田城の動きはすぐに小諸城の秀忠の耳に入っている。
お互い情報は筒抜けだ。
どう見ても城を明け渡すような雰囲気ではない。
三回使者を送ったが帰って来ない。
「拉致が空かぬ。殺されておるやも知れぬ」
秀忠は夕方になって、殺される心配のない信之と本多忠政を再び使者に出した。
昌幸は大手門前で原出羽守と高梨内規の重臣二人に待ち受けさせていた。
大手門に最も近い日輪寺に酒と肴を用意している。
「若いのう。ちと待てぬのか?」
城外への出入り口は外堀の大手門以外には無い。
他は完璧に封鎖されている。
「惣構の中は千鳥掛け柵や埋め火やらでいっぱいでござる。
源次郎の仕掛けのせいで足を踏み入れると危ない状況じゃ。
受け入れた六千の民をうっかり出せぬのじゃ。
死人や怪我人が出たら元も子もないでの。
掃除をするゆえ時をくれと申したであろう」
忠政が、
「三回も使者を送りましたが?」
「下戸を寄越されたようじゃ。
下戸ならそう言うてくれれば良いものを。のう出羽守」
「そうでござる。
酒を進めねば良かった。
しかし、正確に言えば下戸ではござらぬ。
一升は呑まれたでのう」
「・・・・・」
高梨内規も嵩に懸かる。
「三升呑んだ御使者もおいででござったぞ。
六人とも奥で高いびきでござる。
呑気で結構でござるな。
降参するゆえ戦さも無い。
泊まられても良いの。
連れて帰られるか?」
「・・・・・・」
「一昨日も申した通り、わしは金輪際、人殺しはやめた。
故に酒と肴でもてなしたところがこれじゃ。
源三郎、おぬしはいける口じゃ、一献どうじゃ」
「どうやら話は無駄ですな。
帰りますぞ。
使者は酔いが冷めたら返して下され。参ろうか、忠政殿」
…早々に小諸城に引き上げた信之は秀忠に報告した。
「まず使者でござるが…。
酒を一升どころか三升も呑んだ者もおって、六人が六人高いびきでござった」
横では忠政が苛ついた表情で信之の報告が終わるのを待っている。
「あまりに馬鹿馬鹿しいゆえ見て確かめる気も起こらなんだ。
帰られたら直接本人達から聞かれるが良かろう」
忠政にも姉の小松殿と同じ血が流れている。
一気に捲したてる。
「わしはこんなつまらぬ使者をする為にここにおる訳ではござらぬぞ。
わっぱの使いでもあるまいに。
姑殿は闘う気はない。
されど、ちと時をくれと言う事でござる。
つまり、引き延ばすつもりでござる」
一呼吸入れると、落ち着くどころか怒りが増して怒鳴り声に近くなった。
「一昨日も申し上げた通りにござる。
煮ても焼いても食えぬ大狸殿を相手に、いたずらに時を費やしていては大御所よりも到着が遅れますぞ。
わしと真田殿の隊だけでも先に出て道を清めておきたいくらいじゃ」
さらに大声で、
「もしも遅参した時にはご重鎮方にはそれ相応のお覚悟がありましょうな。
われ等四万は徳川譜代で固めた精鋭の部隊ですぞ!!」
忠政が言いたい事を言って席を立つところに六人が雁首を並べて帰って来た。
秀忠の顔色を見て六人も蒼白になっている。
日輪寺で会見し、茶の湯のもてなしを受けた。
気分が良くなり酒まで馳走になって一升は呑んだ。
肝腎の話はせぬまま眠ってしまった、という事だった。
「上田の大狸に化かされたのでござるよ。
無理もござらぬ。
わが父ながら厄介でしてな。
わしも歯が立たちませぬ」
座が緊迫感で満ちている。
「もう一度申し上げますが、今上田城にはその父とて敵わぬ御仁がおります。
もっと厄介ですぞ」
信之は外様の立場をわきまえて、六人をそれとなくいたわってやっている。
忠政は旗本で苦労知らずの一本気だ。
榊原康政がやんわりと秀忠を説得しようとするのを抑えて、
「さっさと陣を引き払い明日には美濃へ立ちましょうぞ。
わっぱではござらぬでな!!」
最後の一言が余計だった。
元来温和で生真面目な秀忠が気にしている弱点を突いてしまったのだ。
「真田征伐は大殿の御命令じゃ。
明朝上田に陣を構える。
伊豆守殿ご案内くださるか」
「どうしてもと仰せであれば致しましょうぞ。
親子兄弟に分かれての戦さゆえ、つまらぬの勘ぐりをする者もおりますからな」
「では、明朝は決戦じゃ」
「ご決断の前にご重鎮方と熟慮されるのもよろしきかと。
くどいようですが、もう一度皆様に警告しておきますぞ」
信之に気合いが入ると他を寄せ付けない雰囲気になる。
「今上田城には某など到底及びもつかぬ御仁がおります。
あの父が本気で『人殺しは金輪際せぬ』と言い出だすくらいに操られるておりますからな」
「・・・・・」
忠政が三の矢を放つ。
「上田方は二千五百ではありませぬ。
一万と見ても足らぬかも知れぬ。
上田城の一万の兵は籠城すると四万以上の力を持つと先代の服部半蔵殿から聞いた事がある。
そこへ左衛門佐が諸々の謀りごとをしておる。
何を仕掛けてくるやら判らぬ男でござる。
状況は我等が圧倒的に不利でござる」
「何を言うか無礼な!!」
大久保忠隣が口を挟む。
「黙らっしゃい!!
我等は遅くとも三日で落とさねばならず、敵は勝たずとも良い、負けねば良いのですからな。
雀蜂の巣に手を出すようなものでござる。
太閤はそこを見越して中山道の守りのために上田城に大金を注ぎ込んだのですぞ!!」
「むむっ!」
「大久保殿!大袈裟とお思いなら攻めて見たら良い。
責任を取る覚悟がお有りならば」
忠政は止めまで刺してしまった
使者を接待した茶の湯には「蛍火の術」の秘薬が処方されていた。
酒を五号呑んだあたりから眠り薬が、信之達が帰るとすぐに眠気ざましの気付け薬が処方されていた。
いずれも小太郎の秘薬である。
…小太郎の薬は良く効く。天性のもののようだ。
1里4km、半里2km
1町109m、4町440m、7町760m、11町1.2km、13町1.4km、20町2.2km
1間1.82m、2間3.64m、15間27m、30間55m、40間73m、50間90m、60間109m(1町)、65間118m、80間146m
1尺30cm、5尺1.5m、6尺1.82m(1間)
1丈3m
1升1.8リットル