㉗-②第二部 第三章 真田征伐 三節 第二次上田合戦 四
四 奇想天外の策
「いやあ。降参でござる。
我が嫡男と義理の娘の弟御が使者とは痛いところを突かれ申した。
その上、この様な寛大な条件では呑まずばなりますまい」
…九月二日申の刻。
昌幸は会見場所となった国分寺に頭を丸めて現れた。
秀忠は小諸城に着陣するや否や、真田信之と本多忠政を使者に出した。
本多忠政は本多平八郎忠勝の嫡男で小松殿の弟である。
秀忠は上田城を開城すれば好条件で昌幸父子を迎える事を申し入れた。
「領内に立てたる二十の高札通りでござる」
「『敵も味方も一名たりとも殺めぬ』でございますな」
「もう人殺しはこりごりでござる。
さる御仁とも約束いたしたでな」
「あまりにも荒唐無稽でござる。
拙者のような若輩者にはお考えを理解しかねます。
真田の親父様は常々尊敬しておりますが、にわかには信じられませぬな」
「わかるまい。
ゆえに降参と申しておる。
頭もこの通り坊主になり申した。
領民が間違って無礼を働いてはならぬゆえに城内に保護しておるが、なんと六千人でござる。
女子供、年寄りを入れてであるが。
まだまだ増えるであろう。
予想外の数で籠城するにも兵糧が足らぬ」
「では姑殿、明日にも開け渡してくださるか」
「今日にも明け渡したいところじゃ。
だがな、領民も無事帰さねばならぬし、渡す以上塵ひとつ無き様に履き清めておきたい。
礼を失せぬようにの。
ちと待って頂けると有難い。
わしは表裏比興の者などと嫌味な褒め言葉を貰っておるようじゃが、これまでの生涯で約束を違えし事は一度も無い。
のう、源三郎」
昌幸は供を従えてさっさと上田城に帰った。
…「明後日までであったな。時を稼ぐのは」
「いかにも。
後二日もあれば猿飛の立てた作戦の準備が整います。
ご覧なさりませ。
これで兵力、兵站、戦略、戦術がなんとか追いつきまする。
あとは采配を振るう某の用兵でござる」
城内には六千の百姓と町民が入った。
手伝いにならない幼児や年寄は以外と少なかった。
三百人程である。
子供も三歳児くらいからは何がしかの役には立つ。
老人も足腰が立たなくても縄萎えなど仕事は幾らでもあった。
逆に年寄や病人は殿様の役に立つと聞いて活き活きしている。
これだけの民が入城したのには訳がある。
武田信玄の戦さの跡は惨状というより残酷というべきだった。
乱暴狼藉を雑兵らが働いた上に掠奪をする。
食糧金品、牛馬は言うに及ばず、男女を問わず子供まで生捕りにされた。
身代金の取れる者は絞り取り、それ以外は一人につき二貫文ほどで売り飛ばされた。
戦さのため経済が疲弊し、貧しい時代だったのだ。
東の武田、西の島津。
この名前を聞くだけで民達は戦慄を覚えた。
その事を昌幸は肌で知っている。
家康は狼藉掠奪を一切禁じているが、四万もの大軍になれば目は行き届かない。
領民達は怯えていた。
… 二の丸から本丸、小泉曲輪がある西奥にかけて、「安全区域」を信繁が作ってある。
上田城は西ほど安全地帯なのだ。
領民はその区域で保護している。
武士の家族やその従者達の家族、つまり、女子供老人達も明後日の夜からは「安全区域」に入る予定だ。
信繁の想定はそれ以外は戦闘区域とする防衛戦なのだ。
城内で生活している人数は武家を足すと一万三千人を越えた。
一万三千人の運命共同体だ。
本丸の正面入り口の白壁には役割分担が十二枚の大きな障子紙に書かれて貼り出されている。
一、大殿本隊 旗本隊 池田長門守 原出羽守 高梨内規以下五百
二、若殿本隊 一番隊 小山田治左衛門 窪田作之丞 関口角左衛門 以下五百
二番隊 関口忠右衛門 河野清右衛門 青木半左衛門 以下五百
三番隊 三井仁左衛門 大瀬儀八 石井舎人 以下五百
別働隊 堀田作兵衛 田口久左衛門 以下三百
別働隊 飯島市之丞 前島作左衛門 以下二百
三、 兵站隊 奉行 渋沢虎五郎 以下女五百
四、 土塁隊 奉行 洗馬組 与根助 以下八百
五、 逆茂木隊 奉行 田中組 栄作 以下九百
六、 縄隊 奉行 武石組 甚平 以下八百二
七、 火薬隊 奉行 国分寺組 三吉以下九百
八、 水堀隊 奉行 塩田組 六兵衛以下七百
九、 臭水隊 奉行 塩尻組 平七以下二百
十、 兵馬隊 奉行 塩尻組 八助以下三百
十一、家普請隊 奉行 小泉組 権兵衛以下八百
十二、竹茅隊 奉行 浦野組 太一 以下七百
十三、漁猟隊 奉行 塩田組 文太 以下三百
十四、紙隊 奉行 城下組 竹助 以下女二百
十五、紐隊 奉行 城下組 八重 以下女二百
十六、医薬隊 奉行 青柳清庵 以下女五百
六千の百姓、町人は地域毎に十から二十の村を一つの組としてまとめた。
役割を決め庄屋の中の代表者を奉行とした。
得手不得手、特殊技能のある者などは奉行である庄屋に調整を任せて適当な組へ移動させている。
世話のかかる老人や幼児、病人は村単位で面倒を見ている。
渋沢の親父殿は七十四歳だ。
足腰はめっきり衰えたが気力は凛としている。
一戦交えるつもりで入城した。
信繁の床几に座っている。
猩々緋の陣羽織を羽織り、信繁の軍配まで与えられて意気揚々と見事な指揮ぶりだ。
役者になって大見得を切っている気分だ。
「腹が減っては戦さはできぬからな。
炊き出しは戦さの要じゃ。
皆の衆頼みますぞ!」
「兵站奉行」と難しい言葉にしてあるのは親父殿に威厳をつけるためだ。
百姓達にわかり易くするには「炊き出し奉行」で良かったが、伝説の「鬼虎」のお出ましだ。
全軍の士気がグンと上がった。
年寄り達には自信を与えた。
百姓、町人の奉行達には名誉を与えた。
(あの鬼虎様と同じ奉行をさせて頂いておる…!)
親父殿は五百の女軍団を三隊に分けた。
兵站隊は四歳から八十歳までと年齢層は幅広い。
一番隊二百は武家向けの賄いだ。
隊長には小助の妻の雪乃を抜擢した。
一班十人の二十班で構成した。
間者が民に紛れ込んでいるので作戦の話はできない。
雪乃なら作戦展開に応じた対応が以心伝心で取れると親父殿は見ている。
さらに性格が明るいのが良い。
上に立つ者は陽でなくてはならない。
二番隊二百は百姓向けだ。
隊長には百姓の中からお勝という女傑を見いだした。
「飯は米じゃぞう。
充分にあるぞうー。
腹いっぱい食うてもええぞうー。
鬼虎様からのお達しじゃあー、皆の衆!!」
「オオー!!」
清海も負けそうな声で触れ歩きながら、二十人の班長に指示をしていく。
二十人の班長もお勝に負けないくらいの女傑を選んである。
その二十人の女傑がまた大声で触れ歩く。
三番隊は町人と幼児、年寄り、病人、怪我人向けの百人だ。
隊長には城下で薬屋を営む「柳屋」の主人市蔵を当てがい、柳屋全員で補佐をさせている。
一番隊と二番隊で作られた食べ物を分けてもらう。
薬奉行の御殿医青柳清庵の指示を仰いでる。
粥にしたり、特別に滋養のある物を作り足したりして、きめ細かな供給をしている。
考えようによっては無料の施薬院ができた様なものだ。
戦さでどうなるかと思っておったのに、普段の生活よりもずっといい。
無論、米ばかり食べれる訳ではない。
兵糧はもたせなければならない。
大麦、小麦、粟、稗、芋、その他、竹茅奉行隊がついでに採ってくる木の実やきのこなどいろいろだ。
だが腹いっぱい食べさせてくれる。
竹茅奉行隊のもう一つの重要な役目は薬草採りでもあった。
病人の事で相談をすると、見たこともない様な美青年が来て根気良く症状を聞いてくれる。
青年は一度帰ると再び現れて「青柳清庵先生の処方です」と言い、薬を渡し丁寧に治療をして帰る。
穢い膿があっても緩い湯で洗い流して薬を塗ってくれる。
嫌な顔ひとつしない。
「四阿山の神様がお遣わし下されたのじゃ」
「薬師如来様のお使いじゃ」
年寄達は小太郎の後ろ姿に手を合わす。
不思議な事に小太郎が触れた患者はどんどん快方に向かっていく。
こういう噂はあっという間に広がる。
特に女達の間では小太郎の話でもちきりだ。
青柳清庵の薬奉行隊は四つの隊に分けてある。
傷薬を中心とした薬隊。
佐助の作戦に必要な秘薬隊。
包帯等を作る布隊。
負傷者や病人の寝床を確保し看護する看護隊だ。
秘薬隊は小太郎が仕切り、全体は小助の指揮下にある。
一人たりとも命を落としてはならぬ最終の網なので、小助も相当な気の引き締めようだ。
その他の十二奉行は佐助の作戦に基づいて信繁が割り当てた奉行だ。
百姓衆にもわかりやすい奉行名にしてある。
九月四日から作戦開始という命令が出ている。
それまでは土塁奉行隊と水堀奉行隊以外は城内で必要な部品作りの作業をしている。
家普請隊や竹茅奉行隊は「安全区域」居住する入城者の住まい作りだ。
漁猟隊は兵站奉行隊にまわす魚の捕獲作業、という様に仕事内容が解り易い奉行もある。
仮住居は間口一間半、奥行き二間、高さ一間。
間口は三角だ。
入り口、真ん中、奥の中心に三本だけ太い丸太の芯柱がある。
他の材料は竹と茅と縄を中心に頑丈に作られている。
回りには八箇所に杭が打ち込まれ、蔦や藤蔓で編んだ強靭な蔓を張って補強してある。
嵐が来ると言われている…。
強風で飛ばされない事。
浸水して床が濡れないように配慮がされている。
住居と食べ物は武士も町人も百姓も皆同じで差別はない。
何に使われるのかわからない奉行もあるが、九月四日以降のお楽しみと言われている。
信繁の影武者役は両六郎である。
一万人のやる気を引き出すには信繁と昌幸の直接の言葉がけが最も効果がある。
影武者の役割は重要だ。
望月六郎は二つの別働隊五百を率いて砥石城に籠もっている。
砥石城は先の真田攻めの際には信之が守った。
上田城に次ぐ第二の要塞だ。
この城から信之が討って出て、神川に追い込まれた徳川勢を急襲し決定打を与えた。
上田城からは鬼門(東北)の位置にある。
徳川勢にとってはまさに鬼門の城なのだ。
徳川方は影武者の望月六郎を見て、今回は信繁が砥石城に籠もっていると認識している。
海野六郎は土塁奉行を監督している。
その傍ら、城内では信繁と同じ出で立ちで兵站奉行から薬奉行まで百姓、町人達をこまめに回り、「狸化かしの術」に磨きをかけている。
「蛍火の術」用の秘薬を使わなくても、六郎に声をかけられた者は安心して良い事が起きそうな気分になる。
信繁は一番隊の武士五百のみに武装をさせている。
二番隊、三番隊の武士千人は十四の奉行の応援に回して二日分の準備遅れの取り戻しを計っている。
甚八は逆茂木奉行、水堀奉行、魚奉行。
十蔵は縄奉行、火薬奉行、臭水奉行。
三好兄弟が馬奉行、竹茅奉行、家奉行、紙奉行の監督という役割分担だ。
紐奉行は昌幸が直接見ている。
昌幸が考案した木綿の織紐を真田紐と呼んでいる。
強靭な紐ゆえ刀の下げ緒に使っておくと敵の白刃を下げ緒だけで受け止める事が出来る。
なおかつ紐を絡めて奪い取る事も出来るという優れものだ。
…昌幸が感心して信繁と話込んでいる。
「異様な熱気じゃのう」
「この有り様は紛れ込んでいる間者達から秀忠殿の耳に届いておりましょう」
「猿飛の反間作戦じゃな」
「反間作戦もまだ序の口にござる。
東軍は焦っておりましょう。
二千五百と思いきや一万を越しましたぞ」
「一万の兵はこの上田城では四万に相当する事がわかれば腰を抜かすぞ。
何を繰り出されるやら解らぬのも結構堪えるもんじゃ」
「ただでさえ進軍が遅れて苛立っておりましょう」
「家康は早ければ八日には岡崎城着陣らしい。
そうであれば、まともな大将ならば遅くとも七日には妻籠宿辺りに入る段取りをするであろうが」
「十蔵によれば、内府殿はこの城を落とすよう厳命をしておるとの事でござる」
「にしても、秀忠は馬鹿かもしれぬ。
わしの相手をしておるどころではあるまいに。
明日にでも西に向かってくれれば最上であるが、馬鹿が相手ではそうもいくまい」
「ようやく某にも大殿のお考えが解って来ました。
馬鹿で無くてもなかなかわかりませんぞ」
「しかもこの城を甘く見ておる。
大坂城に匹敵する機能を持っておるというに」
「太閤が気まぐれで金を出す訳がありませんからな」
「で、何とかなりそうか?」
「兵糧は充分でござる。
節約すれば半年の籠城は大丈夫。
馬鹿が相手でも長くて後十日の籠城でございましょう」
「腹いっぱい食べさせてやれ」
「まるで祭りでござるな」
「良いではないか。細工は流々であろう」
「仕上げを御覧じろと言いたい気分ではありますが」
「坊主頭で二日という貴重な時間をひねり出したからな」
「大殿のおかげでござる」
「いやいや、八人衆のせいじゃ。
皆、ただ者でないぞ。
いずれも真田の秘宝じゃ。
秘宝ゆえ表には出さぬがな」
「猿飛が来てからその秘宝に一段と磨きがかかりましたな」
「ゆえにこの度の作戦じゃ。
この作戦が成功すればこの国の戦さが変わるかも知れぬ」
「無血戦争でござるか?
奇想天外の策でござる」
…「わしは本気じゃ。猿飛との約束は必ず守るぞ」




