㉖第二部 第三章 真田征伐 二節 第一次上田合戦
「なんじゃと、四万の徳川本隊が攻めてくると!
われ等は風前の灯ではないか」
生真面目な伊佐入道が焦るのも無理はない。
上田方の兵力はかき集めるだけ集めても二千五百だ。
…七月二十六日。
八人衆は太郎山の例の場所に集まっていた。
三成派の諜報に出ていた甚八と徳川方を探っていた十蔵も帰って八人がそろっている。
念のために昫と太郎が結界を張っている。
辺り一帯はまだ清海の屁の臭いが染みついていて、この場所には動物さえも近寄らない。
以来この場所で臭さを我慢して密談をしている。
「心配ご無用。
十五年前と同じように徳川を蹴散らしてやろうぞ」
「よく言うな。おぬし、十五年前はまだ十歳。
まだ風太郎をしておったのだろう。
われ等がどれ程苦労したかも知らぬであろうが」
清海の言葉に自動反応するかのように小助がいびる。
「大丈夫でございますぞ。
今回は五十人力の清海入道様がご成人になっておられる。
おまけに猿飛がおるわい」
「猿飛がおまけか?」
望月六郎が割って入った。
「そのおまけ殿は今や甲賀の惣領だ。
甲賀の惣領は人殺しはご法度。
ゆえに戦さには加担できんぞ!」
「そうなのか。
いかん、ではかなりやばいのう」
「やはりな。
清海、おぬし猿飛をあてにしておったな」
「友じゃからな。少しぐらいは良いじゃろう」
望月六郎は厳しい。
「いかん!!
それに猿飛は客人であって、われ等と違い真田の家来ではない」
清海が甘える。
「知恵を貸すぐらいは良いじゃろう、なあ猿飛」
「まあな。
では温故知新と行くか?」
「故きを温ねて新しきを知る、と来たか。
流石は甲賀の惣領」
「確か、季節も同じであったはず。
もうすぐ刈取りじゃ。
その年は百姓衆が泣いたのではないのか?」
…真田の勇名を全国に轟かせた上田合戦は十五年前の事である。
七千の徳川勢をわずか千二百で撃退している。
余程差し迫った事がない限り、稲刈り前に戦さは起こさない。
小助がボソリと言った。
「最も効いたのが石川数正の調略であった…」
「なにいー!
数正が徳川から太閤の元へ突然出奔したのは天下の大事件じゃ!!
家康の宿老であり岡崎城代をしていた、あの石川数正を調略しただと!」
小助の一言に十蔵が過敏に反応した。
「大殿の命令でわしと両六郎がやった最初の大仕事だった。
その石川数正の嫡男の康長が、秀忠軍に加わりわれ等を攻めて来ようとしておる。
四万の大軍の一員としてな」
佐助も含め五人がさらに目を見開いた。
「おっとっと。石川数正の出奔の真相でござるか。
この三好清海入道でさえ知らぬ謎の中の謎ではないか!
小助の悪知恵は生まれながらのものだったらしいのう」
小助は真剣に続ける。
「無論、数正も息子の康長も家康も、真田の調略があった事など全く知らぬ。
数正は徳川を裏切り豊臣の家臣となった。
そして十年前に隣の松本へ加増移封されて来た。
十万石としてな。
数正は七年前に亡くなり康長が継いだ」
「この度の小山評定で豊臣方から徳川方に再び戻った訳だな」
「元の鞘に収まる事になる…。
あの時はさすがの古狸殿も焦りおったぞ」
…石川数正は家康が今川義元の人質になっていた子供の頃から近侍として仕えた。
家康の懐刀として徳川の機密を知り尽くしている最も信頼の厚い人物だった。
…家康はその数正を太閤に引き抜かれた。
徳川が引き抜かれたのは軍事機密だけでない。
家康の嫡男の信康切腹、正室築山殿の暗殺の極秘まで豊臣に知られてしまった。
その前年の十一月まで家康と秀吉は『小牧・長久手の戦い』をして争った。
その頃、つまり第一次上田合戦の折は一触即発の厳しい緊張関係にあったのだ。
「調略の効果は絶大だった。
古狸殿は真田征伐どころではなくなって直ぐに上田から撤兵した」
望月六郎が小助の話を繋ぐ。
「小助が徳川、狸の六郎が豊臣、わしは二人の繋ぎ役で当時十六歳。
まだ品の良い御曹子だった」
十蔵は待ちきれない。
「御曹子はわかっておる。それで?」
「実際は出浦昌相殿配下の真田忍びの手柄じゃ。
大殿は常に豊臣、徳川、上杉、北条に真田忍びを入れ、水面下で地道に気脈を通じていた。
他の者もいろいろと物色していた。
石川数正は徳川と豊臣の間の取次をしておって、両者の板挟みになり孤立ぎみになっていた。
そこで数正に集中する事にした」
十蔵はまだ興奮している。
「思いがけず一番大きな魚が釣れて、やった本人達もぶったまげただろう」
「いかにも。
真田は大殿の大博打で首の皮一枚で繋がった。
あの調略が成功していなかったら一巻の終わりだった。
いくらそれまで徳川方七千を痛い目に遭わせていたが…。
徳川方には五千の援軍が到着寸前だったのだ。
さらにもう五千が出陣する間際だったらしい。
なあ、狸の六郎殿」
「結局、運かも知れぬなあ。
大殿の大胆な智謀には驚かされた。
奇跡だな。
最後まで諦めず手を打ち続けていたからこそ、天が味方してくれたのではないかのう」
小助が理詰めに整理して「温故知新」をしていく。
「さて勝因の二番目はこの難攻不落の上田城だった、とこの小助は見ている。
両六郎はどうじゃ」
「この城がまだ未完成のところで攻められたが、それでも天然の要害を徳川軍は攻めあぐねた。
この場所には地の利がある。
この度は意地でも半年は持たせてやる。なあ、狸殿」
「太閤が金を入れてくれたおかげで、防衛能力は数倍になっておるからのう」
「三番目は百姓衆や城下の衆が力を貸してくれた事」
…昌幸は百姓衆や町民の力を借り、大軍に見せかけて徳川軍に腰を抜かさせた。
城下町に火を放したり、城下には何重にも互い違いの『千鳥掛け柵』を巡らした。
領民が七千の敵に負けないほどの大きな力になった。
「四番目は大殿と真田忍びの権謀術数による戦術じゃ」
…昌幸は挑発を繰り返し、二の丸曲輪まで徳川軍を引き込んだ。
引き込んでおいて昌幸本隊五百が本丸から一気に押し出し逆襲した。
真田を鼻から侮っておった徳川の兵は大混乱を起こし退却しようとした。
ところが巧妙に仕掛けられた柵、池や沼に川を使った水堀、土塁が邪魔をした。
さらに湿地帯に足をとられて、土地感に劣る徳川軍は大軍の弱点を露呈した。
…そこに領民の三千の紙幟に鬨の声。
徳川勢は尻に火をつけられてついに総崩れとなり、神川まで追い詰められた。
神川は大雨で増水していた。
神川の上流に仕掛けてあった堰を一斉に切られ、徳川軍は千人程が流されたという。
「そして五番目じゃ。
砥石城の伏兵三百が信幸様の元、追い詰めた徳川兵を一気に蹴散らした。
徳川の死者千三百人。
真田の死者は四十人」
…信幸は普段は物静かだが、いざとなったら鬼になる。
勇猛果敢なこの攻撃で徳川軍は戦意を喪失した。
「六番目が情報戦だ。
その後も小競り合いをしながら籠城と奇襲で持ち堪えた。
それを支えたのが『豊臣からの援軍の噂』じゃ」
佐助が面白そうに、
「ほほう。豊臣の援軍の噂とな?」
「そうよ。豊臣の協力を得て、大殿は手を替え品を替え『豊臣からの援軍』の噂を撒き散らした。
そして、とどめの一撃となった七番目の一手が石川数正の出奔だった」
…閏八月二日に始まった真田攻めは十一月十一日徳川軍の引き揚げ開始で終わった」
佐助は興味深げな面持ちで、
「よう解った。石川数正の調略には驚かされた。
だが今の話、画竜点睛を欠いておらぬか?」
「・・・・」
「若殿が出て来ぬぞ?
若殿は上杉へ人質に出ておったと聞いておるが?
人質と言っても上杉は若殿を三千石の領主として迎えておる。
若かったとは言え、一歳しか違わぬ信幸様は武功を挙げている。
若殿が何もしなかったのかな?」
小助は両六郎の顔を見ながら、
「むむ。鋭いのう。
堅く口止めされて来た事ゆえに敢えて触れなんだが、止むを得まい。
若殿には後で断わりを入れておくか」
「それで?」
「上杉は援軍五百を出さぬ代わりに若殿を帰した」
「それで?」
「若殿はそのまま豊臣の人質になった。
そして石川数正調略の指揮を取った」
「成る程。
もう少しで龍に眼が入るぞ。
若殿無くして石川数正調略という奇術ができる訳がない。
とは言え、未だ若かったのだから、裏で智恵を付けて助力をしたものが居る筈?」
「ずばり、豊臣への橋渡し役は直江兼続じゃ」
「石川数正の裏切りで得をするのは豊臣と真田、もうひとりは上杉じゃからな。
で、豊臣方は誰かな?」
「石田三成じゃ」
「やはりな。
石田三成、直江兼続、真田信繁、三者の繋がりは十五年前からあったのだな?」
小助が声を潜める。
「若殿は豊臣政権で実は特別待遇を受けていた。
ゆえに陰の実力者であり石田三成の盟友でもある大谷吉継殿の姫を嫁にもらわれた」
「石川数正を寝返らせ、太閤をして上田に援軍を送ると言わしめた石田三成は真田の大恩人という事だな。
ひょっとすると、大谷吉継と言う名将がさらに裏にいたかもしれぬのだな?」
「先の真田攻めでも、豊臣は最後まで真田の面倒をみた。
大殿が下駄を投げたのもわかるじゃろう」
「猿飛、温故知新はこれで良いか」
「良い!」
「さてどうする。二千五百対四万ではのう。
二千五百人全員が清海並みに五十人力であれば勝てるだろうが? のう清海」
「皆がわし並みの五十人力は無理じゃ。
簡単じゃ。遁げるが勝ちじゃ」
忍法の基本は遁げるであったのう、小助。
伊賀焼き討ちの折も遁げるべきであった、と常々言うておったわい」
「確かに。吾等八人衆であればそう出来る。
世間の風聞も気にせず、大谷吉継殿との義理や豊臣への恩返しとかを考えねばな」
「それじゃ。それそれ。
つまらぬ事にこだわるゆえに戦さが無くならんのじゃ。
もっと広く生きねばのう。
皆小さい、小さい。
ン、これぞこの世に極楽浄土をつくる道也。
それで一件落着じゃ。遁げようぞ!」
「大殿や若殿はそうはいくまいよ。
その程度の事は清海の頭でも解るだろう」
…小助は地獄を見ている。
それが常に心に影を差している。
「 それに人間には恨みというものがあるでのう。
わしは正直怖い。
殺戮の後を見た者でないとわかるまいが…。
伊賀の場合には一度目は織田信雄軍八千をやっつけた。
だが二度目は五万の兵で攻められ、女子供、年寄まで三万以上が虐殺された。
今度の上田攻めと似ておると思わぬか?」
清海はめげない。
「猿飛、温故知新を出させたくらいじゃ。
何か方法があるのではないのか?」
「あるだろう。
どんなに死地に追い込まれても、神仏は生き延びる手立てを与えてくれるているはずだ。
われ等は生きるために生命を授かったのだから」
「ふむふむ。それで?」
「小助の『怖れ』を肝に命じた上で、八人が知恵を出せば妙手があるかもしれぬ」
「ふむふむ」
「今までの案の中では『遁げる』のがもっとも妙手。
もしそれができねば、温故知新の話の中には宝が唸っているようにわしは聞いたがな」
伊佐入道は普段のまん丸のニコニコ顔に戻っている。
…「焦らず、われ等のできることをひとつひとつ出し合って見ようではないか」
閏八月二日(9月25日)
十一月十一日(12月31日)