㉓第二部 第二章 如意宝珠 三節 寂滅
一 十七年目の真実
ーーー其方が生まれた時の事を伝えておく。
今までは秘さねばならなかった。
今は伝えねばならぬ時となった。
ーーー拙者からお伝え申そう。
天水が口を開いた。
ーーー今から十七年前の六月の朔日。
日そくが起こっていた未の下刻。
惣領は安土城の前田屋敷で双子の弟御としてお生まれになった。
信長公と側室の百々の方様の御子として。
仔細については、前田利長公のお話を望月六郎殿を通して既にお聞きとの事。
お聞きになったお話はすべて事実でござる。
ご誕生に際しては甲賀衆が深く関わっておりまする。
当時拙者は前田利家公にお仕えしておりました。
鳥居峠に隠棲された佐脇良之様はかつての主でございます。
利長公は、越前府中より当時九歳の永姫様を連れて前日の二十九日に安土城に到着されたばかりでした。
信長公からの急な呼び出しでした。
永姫様は前年の十二月に僅か八歳でお輿入れなされたばかり。
父君はまだ幼い姫様の御顔を突然ご覧になりたくなったのだと思われます。
今になって思うと“虫の知らせ”だったのかもしれません。
信長公は永姫様にお会いになると直ぐに本能寺へお立ちになった。
利長公ご夫婦の警護には表のお役には中忍の亀井八右衛門を勤めさせました。
影からのお役はヨモギでございます。
八右衛門はまつ様の従兄弟の篠原長重殿の養子となり、篠原一孝という名前で利長公の側近として仕えておりました。
八右衛門は数年後に良之様の義理のご長女を娶り、前田家の重臣として仕えております。
良之様の実のご長女は志乃様でございます。
志乃様は五歳の時に鳥居峠の良之様の元へ拙者がお送り致しました。
義理のご長女と申した方は志乃様の身代わりでござる。
まつ様がお世話をされていた孤児の娘達の中から、身代わりになって頂くために利家公の養女として引きとられたお方でござる。
さて前田邸での密議の結果、双子である事はその時前田邸にいた関係者のみの極秘とする事と決まりました。
本能寺の信長公には 「未の下刻に男子御誕生」の事のみを八右衛門が早馬でお伝え致しました。
信長公はご自分も日そくの時にお生まれゆえに、大層お喜びであったと聞いております。
日そくの時に生まれた御子は特別の力を授かると申されて。
お生まれになった弟御には大きな命の危険がありました。
双子である事。
さらに、安土城の大手道を挟んで前田邸の西隣りには羽柴邸が、羽柴邸の上には徳川邸がござった。
機密が漏れてもいかず、その夜のうちに弟御は鳥居峠の良之様の元に預ける事になりました。
生まれたばかりの乳飲み子をお届けする役を授かったのがヨモギでございます。
お預かりするには女手が必要でした。
ヨモギは甲賀衆の楓を娶り夫婦となりました。
ヨモギ夫婦は途中、貰い乳をしたり山羊の乳を手に入れたりしながら、鳥居峠の良之様の元に惣領をお届けしました。
鳥居峠では十歳になられた志乃様と佐平様がその後ずっとお世話をされました。
惣領のご誕生の翌日、家康公をもてなす大茶会に参加されるため本能寺に向かわれていた利長公は、訃報を瀬田の唐橋の手前で聞き安土城に戻られた。
利長公はその時二十一歳。
留守居役の蒲生賢秀殿と安土城を守るべく動かれた。
しかし、蒲生殿には統率力なく兵達は浮足だち逃亡する者も多く、結局安土城を放棄された。
利長様ご一行は一旦故郷である尾張の荒子へ逃げ、その後越前にお帰りになられた。
兄君の豪太郎様もご一緒に越前まで逃げのびられた次第です。
ーーーそうでござったか。
心の中でもやもやしていたものが晴れた。
多くの方にご苦労をおかけしてかたじけない。
ヨモギ殿も亀井殿も忍びの技を教えて貰うただけでなく、赤子の時から世話になっておったとは。
ーーーヨモギ夫婦は今も仲睦まじく幸せに暮らしております。
亀井八右衛門に至っては鳥居峠での修行の指導に行くために、強引に利長公から一年間の暇を取り付けました。
それ程懐かしがっておった。
ーーーもったいない事でござる。
…して、父信長の消息はご存じないか?
二 合鏡の術
…天正十年六月二日(1582年6月21日)の漆黒の闇の中に時を戻す。
信長と四人の小姓は朝からずっと潜んでいる。
本能寺の北西側に隣接して燃えた仕舞屋から六つ目の町屋の地下室だ。
三つ目の町屋から四つ目の町屋に繋がる地下道には途中に分岐が作られてある。
彌助は真直ぐ北に進み、妙覚寺に近い町屋の方に出た。
信長達五人はその分岐点で右に曲がった。
そこに至るまでの分岐点では、殿を努めた力丸と虎丸が抜け道の両側に用意してあった土嚢を積み上げ、さらに天井の土を崩して両方の抜け道を丹念に塞いだ。
最後の三十間は這わなければ通れないほど狭い穴だった。
そこまで慎重に脱出路は用意されていた。
六つ目の町屋は彌助が使った町屋よりはるか東にある。
彌助が囚われて彌助の脱出経路から遡られる危険も想定の内だ。
町人に変装する準備もしてあるが、そんな姑息な手を使う気など信長にはさらさらない。
「お屋形様、深手でございますぞ」
「不覚を取った。
命に関わるほどのものに非ず。
おぬし等も結構な手傷ではないか。
ここには薬も備えてあるゆえ手当てをするが良い。
血は溢してはおらぬな」
森力丸がしっかりとした声で答える。
「落としたものは全て拭き取って参りました」
この町屋は小山三之助が町人を装い小間物屋を商っている。
信長の供回り衆だ。
長かった一日が暮れ、日付けが変わった丑の刻。
三之助が地下に降りてきて囁く。
「もう大丈夫にござります。
明智軍は日暮れに引き上げました。
それ以降、他の動きはございませぬ。
お指図通り馬を五頭、半町先に用意しております。
拙者が安土城に走り、留守居役の蒲生様にお知らせして大軍をこちらまで寄越す策が安全かと」
森乱丸が三之助の耳に口を当てる。
「いや、今はどなたも信用できぬ。
蒲生様の御手配では不安がある」
「いかにも。敵は明智殿ゆえに侮れませぬな。
援軍が安土からこちらに着く間に敵に後をつけられる事も。
某とて、一人では途中で討ち取られる危険も考えられます」
乱丸は、
「我らは手傷は負うておりますが、幸いにも新月の闇夜でござる。
楔帷子も着込み黒装束ゆえ、闇に紛れて一気に安土城へ駆け込みまする」
五頭の馬はは京の街を出るまでは息を潜めるようにした。
家並みが無くなるや否や、鞭が入り疾風のように安土城に向かった。
瀬田の唐橋の五町程手前にさしかかった頃…。
行く手の東の空に何かがある。
白いぼんやりした物が浮かんでいる。
「ドウ、ドウ、ドウ」
馬を止める。
白い物は地上スレスレまで降りてきた。
大地に立っているようでもあり浮んでいるようでもある。
「ここまでじゃ!」
大音声とともに青白い稲妻のような光が放たれた。
光に射られた五人は雷に打たれたかのように、目の前が真っ白になり全身が痺れ上がった。
五人同時に鞍から地上に落ちた。
すでに意識はない。
五人の首の後ろあたりから黒い霧のようなものがスーッと抜け出る。
黒い霧のようなものは集まってひとつになると形を変えながら暗黒の空を南西に消えた。
ーーーわしの心の中に残っておるものを其方達の心に映した。
…心話のひとつで合鏡の術という。
三 その先
薄暗い庵の中に灯が揺らいだ
遠くで梟が鳴いている
安らかな気持ちに包まれて五体が心地よい
怒り、恐れ、焦りのような暗い感情がない
清々しく心の中で揺れているちいさな光
そうだ我が子が生まれたのだ
ーーー目覚めたようじゃの。
ここは大峰山じゃ。
わしは六千年を超えて生き延びてきた一族の長老達を束ねる者である。
われ等は特殊な力をその昔より引き継いで来た。
其方はわしと同じ一族の一人である。
これまでの所業は目にあまるゆえ、わしが引き取る事となった。
これ以上無辜の人々の生命を奪う事はやめて貰わねばならぬ。
其方はどこで道を踏み違えたのかのう。
第六天魔王などと嘯き、天皇をも見下ろし、挙句の果てには神仏をも怖れぬ愚か者よ。
生まれ持ちし力に奢りしゆえか。
魔界に魅入られしゆえか。
『其の者が奪いし生命を其の者の命で贖わさせよ!』
『奢り高ぶりて心の隙間に魔界を入れし者に目に物を見させよ!』
長老たちの声である。
其方の業火により、未来を奪われ死者となりし何千何万の骸の声かもしれぬ
「・・・・・・」
ーーー死をもって償う事は求めぬ。
生による償いを求めよう。
虐殺を繰り返してここまで来た其方とて『生きとし生けるもの』なれば。
六千年前、今よりはるかに進んだ文明が一日にして滅びた。
その謎を解く鍵を其方の中に見つけたい。
重き荷を背負い、新たなる明日を行き続けよ!
「・・・・・・」
ーーー裏切りたる者は明智だけに非ず。
羽柴も徳川も切支丹も天皇家も既に心は離れておる。
其方を裏切らせた張本人は其方自身である。
人の心を踏み躙り、約定をいとも易々と反故にし、焼討ちをしては女子供まで容赦なく殺した。
謀略を駆使して人を欺く『天下布武』で世が治まる訳があるまい。
『出来損ない』が唐入りして明まで治めるじゃと。
片腹痛い。
世を治め得る者は『信と愛』に生き、『徳』を備えたる者である。
「・・・・・・」
ーーー身体の傷だけでなく心の傷も癒やすが良い。
先人がこの大峰山で修行せしは何のためであったのか。
来し方行く末を見つめ直してみてはいかがかな。
心を鎮めてな。
「・・・・・・」
ーーー 二日前の日そくの刻。
其方の息子達が誕生した。
…同じ一族の者達である。
双子の兄弟に吾等のその先を委ねたい。
四 新しき扉
ーーー上忍の修行の師こそ其方の実の父、信長公である。
ーーー修験道の厳しい修行でしたが心が温もるような一年でした。
宇宙の深淵に触れ、第七の軸の入り口を教えられたように思われます。
ひと言も言葉を交えずお別れ致したが…。
ーーー今もお元気じゃ。
さらに高い境地に入られておる。
世の行く末をしっかり見守っておられる。
其方や小太郎殿の事も父親として広い心で見守っておられるぞ。
森乱丸殿他四人の小姓衆は仏門や修験道などそれぞれ新たな道を歩んでおる。
天水が御守り袋を出して来た。
ーーー父君よりお預かりしておりました。
木瓜紋の御守り袋だ。
ーーー物心が付いた時には既に首に掛けられておいでだったとの事でござる。
ーーー中を見てみるがよい。
白珠である。
ーーー白珠も碧玉も一つだけに非ず。
かと言っていくつもある訳ではないが。
二つだけかもしれぬ。
「形有りて無きもの」ゆえに
ーーー「形有りて無きもの」でございますか?
ーーーそう。「形有りて無きもの」じゃ。
やがて解る時が来よう。
如意宝珠はそれぞれに個性があるゆえ、力も微妙に異なると聞いておる。
この白珠を持つにふさわしい人物はやがて現れる。
白珠を持つ者はその白珠にふさわしい心を持つ者でなければならぬ。
道を踏み外す事は許されぬ。
十七年前、わしが其方の父を救わなければ、父君はこの白珠に成敗されておったであろう。
四半刻程白雲斎は目を閉じた。
夜明けが近いのか、杜鵑が遠くで鳴き始めた。
ーーー時が参った。
息を引き取りしのち、夜が明ける前に荼毘に付してくれるかの。
生き抜いて生き抜くのじゃ。
骨ひとつ灰ひとつ残さぬまでに。
忍という字は刃の下に心と書く。
忍びの者とは真剣に生きる者也。
真剣に生きるからこそ、どのような辛い目にあっても耐え忍ぶ事が出来る。
今は戦乱の世、天寿をまっとうする事は難しいと思うであろう。
太古からの伝えによれば、大地裂け、大波押し寄せ、すべてが水底深く沈んだ時があったという。
だが、われ等は生き抜いて来た。
六千年、いや一万年かもしぬ時を超えて。
その証が白珠と碧玉也。
三百五十三代磊無有よ。
幾多の艱難辛苦が其方を待ち受けておるだろう。
だが生き抜け。
生き抜いてわしを超えるのじゃ。
霊性の高い文明が滅んだのにはそれなりの理由が有る。
それを乗り越えるのじゃ。
六千年の太古に戻るに非ず。
さらに新しき扉を開け…。
…四人は横たわる白雲斎を囲みただ涙を流している。
頬を伝わる涙は止まらない。
一刻の後、白雲斎は荼毘に付された。
…骨ひとつ、灰ひとつ残さなかった。
日そく(日食)




