⑳第二部 第一章 猿飛佐助見参 四節 御前試合
一 じゃじゃ馬の姫
「猿飛を見てみたい!」
雨音を聴きながら信繁は昌幸と寛いでいる。
「大殿の好奇心は衰えませんな」
「いかんか?」
「では城内で剣術の御前試合を致しましょう。
梅雨も終わりというのになかなか明けませぬ。
若い者は血が鬱屈しておりましょう。
良い気晴らしになります」
「わしも血が鬱屈しておるぞ!
丁度源三郎も帰っておる。
上田対沼田の対抗戦はどうじゃ。
豊臣と徳川の前哨戦じゃ」
「うっ!
悪い冗談ですぞ」
(ちなみに真田源三郎信幸の一歳下の弟が真田源次郎信繁である。
昌幸は字を兄と弟で逆にした)
昌幸は童心に帰りいたずら小僧の顔をしている。
御前試合は六月六日と決まった。
両城内より選ばれた六十四人の勝ち抜き戦となった。
清海が小助に頼んでいる。
「幸さまがどうしても御前試合に出たい、と申されて困っておるんじゃ」
「…にしても、困った姫君じゃのう」
「一度、殿方と試合をして腕を試しとうございます、と申されてな。
どうすりゃ良かろう。
のう小助?」
「清海、そち坊主であろうが。
坊主ならその頭で何か知恵を出したらいかがかな。
まさか、その立派な胴体の上に付いておるのは空のかぼちゃではあるまい」
「これはかぼちゃには非ず。
されど、自慢ではないが、空ではある」
「やはり、空だったか」
「頭を空にするのが坊主の極意。
つまり『無の境地を極めておる』という事じゃな。
空であるから煩悩も無い。
故に御仏の慈愛を受け、すくすくと育ったのでござる。
しかし、煩悩は無いが案も無い」
「それで?」
「そこで、吾等とは違い、ひと癖もふた癖もあリ、人生の機微に通じた小助様の御力に縋っておるのでござる。エヘン」
「よう解った。
清海と話しておると、わしも頭がおかしくなりそうな事が良く解った。
仕方がない。
勿体ぶらず案を出してやろう」
「してその名案とは?」
「簡単じゃ。
わしが出場を辞退して姫を出すのじゃ。
それも当日、土壇場でいきなりな。
無論、大殿にも若殿にも事前には申し上げぬ」
「もし、姫さまがお怪我をされる事でもあれば小助が叱られるぞ」
「何、姫はわしの見るところ結構いけるであろう」
「小助もそう見るか」
「立ち合う相手の方も困るだろうが。
さりとて相手は手を抜く訳にもゆくまい。
故にお怪我をされるやもしれぬ。
しかし、仮にお怪我をされたとて姫が決めた事。
それくらいのお覚悟はあろう」
「それで済むかのう」
「大殿とて愛娘とはいうものの、そんな事でがたがた言うような事ではわしもお仕えしておらぬ」
「成る程。
しかし、小助と両六郎は陰の身ゆえ試合には出れぬのでないのか?」
「確かに。
出れぬし、出る気もない。
が、他の誰かの名前を借りて出場の工作をするくらいの事は朝飯前じゃ」
「さすが小助様じゃ。
悪知恵にかけては天下一でござる」
「姫様が出るという事は・・・。
嫌な予感がする。
出たがり虫の清海も出るのではあるまいな」
「わしが出ねば御前試合に華がないではないか」
「ついでに言っておくが猿飛には到底勝てぬぞ。
負けるとわかっておるのに勝負するとは間抜けじゃのう。
清海、おぬしあれだけ痛い目に遭ってまだ懲りぬのか」
「あの折は油断しておった故やられたのじゃ。
この度はそうはいかぬわい」
…「おぬし、極上の『空け』じゃのう!」
二 小松殿
夏の碧天が信州に広がっている。
六月六日。(7月20日)
長い梅雨が明けた。
昌幸の両側には信幸、信繁兄弟が控え、後ろには河原綱家他、長老達がずらりと並んでいる。
六十四人の中には八人衆が四人入っている。
得物は相手を殺傷する物でなければ木刀でも槍でも棒でも許された。
白刃や金物は禁止である。
時間無制限一本勝負だ。
防具は付けない。
不可効力による怪我は如何ともし難いが、故意の場合は即負けとなり、罰則も与えられる。
勝敗が決した後でも勢い余って打ち込まれる場合もある。
行司役は堀田作兵衛興重と矢沢頼幸が買って出た。
審判には相応の技量が求められる。
気の消耗が激しいので二人が交代で行う。
一回戦は沼田方三十二名、上田方三十二名の対抗戦で初められた。
八人衆は強い。
四人それぞれが持ち味を出して軽々と一回戦を突破した。
この日場内をどよめかせたのは幸と佐助だ。
「東、菊池信尚殿。西、鈴木茂忠殿。代理、真田幸殿」
ざわめきの中、昌幸は扇で自分の首元をポンと叩いて、
「お転婆じゃのう、幸は。
これで勝てば嫁の貰い手が無くなるは」
「大丈夫でござる。
小松殿とて兄上という貰い手がありました故に。
伏見へ残して来たのが惜しまれますな」
寡黙な信幸は弟に茶化されている。
信繁は普段物静かだが兄がいると饒舌になる癖がある。
安心して気が緩むのだろう。
信幸は気にする様子もない。
「菊池はできるぞ!」
菊池信尚。
今年二十五歳。
なかなかの美丈夫である。
気性といい、男振りといい、沼田城内でも評判が高い。
手加減もせず、堂々と幸の薙刀をあしらっている。
しかし、主君の姫君を打ち据える訳にもゆかない。
隙を見て薙刀を打ち落とすつもりだ。
その甘さが菊池の隙を作った。
幸は右脚を引いて薙刀を下段に構えている。
音もなく刃先を地面に降ろした刹那、刃先で砂を抄い上げる。
刃先はそのまま菊池の面前を掠めた。
目に砂が叩き込まれる。
目潰しを喰らったが菊池は第一撃は間一髪で逃れた。
だが、跳んで菊池の背後に回っていた幸の薙刀が二の太刀で見事に菊池の両脚を払った。
「一本!」
幸の勝ちである。
「まるで女牛若丸じゃ」
昌幸が無邪気に笑う。
「砂を使って目潰しとはさすが父上の娘。
信玄公直伝ですな。
たとえ妹とはいえ、某も寝首を掻かれぬ様注意をしませんとなあ」
信繁もいたずら小僧の顔になっている。
さて、佐助の一回戦である。
相手は沼田方の木村隼人介、五尺八寸の大男。
ちなみに、この頃の男は身長がせいぜい五尺二寸。
平均寿命は五十歳であった。
一礼をして構え、間合いを取る。
木村隼人介は三尺六寸の大太刀を使っている。
佐助は三尺である。
六尺の間合いを取ったまま互いにじっとして動かない。
木村は上段、佐助は中段に構えている。
「一分の隙もない。
あれでは隼人介は動けまい。
どう見る、源三郎」
「うーむ。美しい。
邪気がない」
じれた木村が先に動き出した。
右や左に回りながら、籠手、面、突きと仕掛ける。
佐助は脚が根を張った様にどっしり構えたまま動かない。
木村の動きに合わせて体の向きを変えるだけで、剣尖は静かである。
突然大きな気合いとともに隼人介が木刀を振り降ろした。
佐助の圧力に耐えかねたのだ。
ビシッ!
木村の木刀は一撃で地面に叩きつけられた。
「一本!」
堀田作兵衛の手が上がる。
鳥居峠での修行から比べると敵が目の前にいる闘いは問題外だ。
佐助の剣を見て八人衆も唸っている。
昌幸はすっかり試合の中にのめり込んでいる。
「うーむ。凄腕じゃ。
十六歳か?」
「はい。
しかし、まだまだ真の力は隠しておりますぞ」
信繁が答える。
「わしも信玄公に仕え、数々の武将を見て来たが、あの胆力。
引き込まれてしもうたわい。
精錬さは軍神、謙信公を彷彿とさせる。
猿飛を手中に出来れば家康の首を取れるぞ」
「父上、ご冗談もほどほどにして下され!」
根が生真面目な信幸は真剣に怒っている。
正妻の小松殿の耳に入れば収拾がつかなくなる。
幸の二回戦は沼田方の松村伝八郎だ。
背丈は少しだけ幸より高い。
小兵だが、俊敏な見のこなしと太刀さばきでは定評がある。
なかなかの難敵だ。
伝八郎も一回戦の幸の闘い振りは見ている。
(姫はどんな奇策を繰り出して来るやら判らぬ…)
しっかりと腹を据えている。
伝八郎は中段の構えから右脚を引き、左半身となった。
木刀を右下段から体の後ろに引く。
「脇構え」だ。
脇構えは受け身の姿勢に見えるが、相手の出方に応じて対応する、強い攻撃的な構えだ。
「金の構え」ともいう。
左肩に隙を見せ、幸を挑発している。
そこは幸も心得ている。
挑発に乗った振りをして甲高い気合いを上げながら薙刀を振り降ろす。
そのまま七、八合打ち合った。
伝八郎の動きの速さは幸を凌いでいる。
二十合目くらいで幸に隙が出た。
伝八郎は見逃さない。
激しい気合いがかけられ、幸の薙刀は叩き落とされてしまった。
薙刀の柄が折れている。
「一本」と矢沢頼幸が声を上げようとした時、
「まだまだ!」
黄色い声を発して、幸が伝八郎に飛び掛かり組み付いている。
そのまま小内刈りで伝八郎を倒した。
奇策は覚悟はしていたが、柔らかい女の体が抱きついて来て伝八郎は不覚を取った。
倒した勢いに乗って、幸は伝八郎の襟を掴むと絞め技に掛かる。
伝八郎は脆くも落とされた。
「一本!」
頼幸の手が上がる。
御用掛りもしている甚八がすぐに出て来て背中に膝で気合いを入れてやる。
伝八郎は意識を戻した。
「兄上、小松殿がこれを見たら試合に出ると言い出すでしょうな。
案外良い勝負となるやもしれませんぞ」
「源次郎、おぬしもほどほどにせい」
「愉快、愉快。
伝八までやられおった。
稲姫は甘くないぞ。
のう源三郎」
小松殿とは本多平八郎忠勝の長女、稲姫のことだ。
…本多平八郎忠勝。
十三歳で初陣。
以来戦さで闘う事、五十七度。
しかし一度も手傷を負う事なく武功を立てている。
徳川四天王の一人であり、武勇を持って終生家康に奉仕した。
三河武士の誉れと言われ、家康にとっては最も誇るべき忠臣である。
家康は忠勝に幾度も命を救われた。
…家康に 過ぎたるものが 二つ有り 唐の頭と 本多平八…
これは宿敵武田衆が詠んだ和歌である。
ヤクの尾の毛で飾った兜の事を「唐の頭」と呼んだ。
南蛮から手に入いる珍しいもので、当時武将達の間で人気があった。
家康は三方ヶ原の戦いで信玄に打ちのめされた。
命辛々浜松城に逃げ帰った時に、「殿軍」の役を務めたのも忠勝である。
負け戦の殿軍はまず生きて帰れない。
殿軍の役を務める者は己れの死をもって味方を逃す。
忠勝は敵と味方の両陣営の中を割って駒を乗り入れ、武田勢を食い止めて家康を逃がしている。
「生涯一度も傷を受けていない」という事は忠勝の存在そのものが敵将を怖れさせていた証である。
信長は「果実兼備の武士」、秀吉は「日本第一、古今独歩の勇士」と褒め讃えている。
…十年前の天正十五年(1587年)正月の事。
信幸は昌幸に連れられ駿府城へ出頭した。
駿府城では忠勝が稲姫の婿探しをしていた。
家康は諸将の息子を並べて首実験をさせた。
この折、稲姫は父親譲りの気の強さで、なんと平伏している諸将の息子の髷を手で掴んで一人一人の顔を確かめた。
信幸は忍耐強く誠実温和な性格であったが、信幸の番になり髷を掴まれると、
「無礼者、何をするか!!」
と一喝した。
これには昌幸が大喜び、家康まで喜んだ。
当の稲姫はぞっこん信幸に惚れ込んでしまった。
父の平八郎は前々年の第一次上田合戦で信幸の勇敢な武者振りを知っている。
信幸は平八郎にまで気に入られた。
稲姫は惚れたが、信幸は怒っている。
そこで家康は稲姫を一旦自分の養女とし、家康の娘として信幸の元に嫁がせた。
小松殿は家康が婿探しを買って出る程、徳川家中でもしっかり者として有名だった。
強い気性の反面、細やかな心遣いの持ち主でもあった。
信幸に嫁いでからは良妻賢母で徳川家と真田家の関係を常に取り持った。
この人無しに後の真田十三万五千石は有り得ない。
事もあろうに佐助の三回戦の相手は幸だった。
誰もがこの一戦には期待した。
だがこの試合は素人目には面白くなかった。
試合開始早々、佐助の木刀が幸の薙刀を払い飛ばしてしまった。
幸にとってみれば、構えたと思ったら薙刀が手から離れてしまった。
佐助の木刀が蛇のように絡み付いてきたのだ。
全く試合にならなかった。
伝八郎の厳しさに比べ、佐助は激しい声を出すでもなく太刀さばきがしなやかだった。
…佐助様はお優しい。
三 二刀流
城内を沸かせた人物がもう一人いる。
誰あらん、三好清海入道だ。
清海は普段の十八貫の鉄棒の代わりに直径四寸半長さ七尺の丸太を振り回した。
なんなく相手の木刀をへし折っていく。
砕くと言った方が良い。
十蔵は三回戦で清海と当たった。
それまでの清海の戦いぶりを見て、できるだけ木刀を丸太にさわらさせぬように立ち回った。
籠手、胴、と完璧に二度打ち込んだ。
が、その度に清海が勝手な雄叫びをあげる。
「浅い、まだまだ!」
その雄叫びに押されて、行司も「一本」の声が出せない。
審判に苛ついている内に隙が出てしまって木刀を砕かれた。
清海より二つ上で年も近い。
火の名手だけに顔まで真っ赤になって怒り狂っている。
控え席に戻っても、
「堀田作兵衛に負けたようなものじゃ。
真剣であったら、今頃は清海の右手首と胴が離れておる程しっかりと打ち込んだのに!」
「いやいや、あやつ二、三十本矢が刺さっても倒れそうにないぞ」
二つ歳上の甚八が横で呆れている。
小助はその会話を聞きながら、
「幸さまにしても、清海にしても、やり方がちと汚いのう。
あの二人、妙に気が合うと思うたら剣術試合のやり方まで似ておるわい」
「ウワッハッハッハ」
十蔵まで口をそろえて大笑いをしている。
(あっさりしたものだ!)
佐助は心地よく横で話を聞いている。
沼田方にも腕の立つ剣客がいる。
高梨清十郎である。
昌幸の重臣、高梨内規の甥で二十七歳になる。
本多忠勝のとりなしで柳生石舟斎の元で修行を積み、今年戻ったばかりだ。
…柳生石舟斎宗厳。
柳生新陰流の開祖である。
息子、又右衛門宗矩は徳川二代・三代将軍、秀忠・家光の指南役をした。
徳川二百六十四年の基礎作りの貢献者である。
後に起こる大坂夏の陣では、秀忠の命が風前の灯となった時に「七人斬り」で助けている。
石舟斎の剣は戦う為の剣ではない。
戦わぬ為に編み出された剣である。
陰流とは外に現れる「陽」に対して、外に現れない「陰」という意味がある。
抜かずに勝つ。
戦わずして勝つ。
佐助の忍法と同じ哲学が流れている。
故に石舟斎は「無刀取り」の境地に達した。
剣は持たず丸腰で相手の白刃を受け、奪い取る技である。
勝ち上がって来た清十郎が四回戦で伊佐と当たった。
「できるぞ!」
八人衆が息を呑んで見ている。
構えた姿は静かにして全体に大きさを感じさせる。
気の張り具合を総合すれば伊佐と変わらない広がりがある。
伊佐もそれを感じている。
自分の体が遥かに大きいのになんとなく押されている感じなのだ。
伊佐の得物は「長巻」だ。
薙刀に似ているが先に付いているのが刀身なのだ。
六尺の長柄の先に三尺の木の刀身が付いている大長巻を使っている。
長柄と刀身を合わせると九尺(270cm)ある。
清十郎は三尺の木刀だ。
こんな大長巻を振り回されたら容易には相手の中に入れない。
伊佐は長巻の切先を右斜め上に向けた。
右手で握った柄を胸元に引き寄せ「青眼の構え」をとっている。
気迫を跳ね返すように伊佐が先に仕掛けた。
上段に構え直すと豪快な面打ちが繰り出される。
大長巻が場内の空気を天から真っ二つに斬り裂いた。
そこは清十郎。
面打ちを受ける姿が柔らかい。
伊佐は面打ちを受け流されるや否や、左脚を進めると同時に大長巻を反転させる。
石突きが清十郎の喉元に迫る。
巨体にもかかわらず動きが速い。
小兵の松村伝八郎に引けを取らないほど俊敏だ。
面打ちと石突きの連続技で塀際まで追い詰めていく。
「風間繰りの技」だ。
追い詰めた清十郎に止めの一撃。
大長巻が胴に食い込むかと思われた。
清十郎は見透かしている。
跳び上がりざまに一度木刀で受けた瞬間、伊佐の籠手を左、右と豪力で強かに叩く。
両腕を叩かれた伊佐はあっけなく大長巻を落としてしまった。
「一本!! 東、高梨清十郎殿」
「やはりな」
望月六郎が改めて感心している。
「男振りもなかなかではないか。
準決勝では清海とじゃな。
こりゃ見ものじゃ」
甚八は渋い顔に涼しさを浮かべて楽しんでいる。
帰って来た伊佐の腕を見ると、骨こそ折れていないが既にかなり腫れあがっている。
「おお、これではわしの脚より太いぞ」
小助がいじめ始めた。
「おぬし、吾等の医者ではなかったのか?
普通の医者なら介抱してくれるであろう」
「痛いのか。伊佐?」
「いやあ…」
痛い、と言うのが悔しいので、痛い、とは言えない。
「痛いところを突かれた。
とはこの事じゃのう。
ガアッハッハッハ」
清海は能天気な豪傑笑いをしている。
「兄者、奴は凄腕じゃぞ」
「なに、奴はきれい過ぎる。
名が清十郎じゃろう。
きれいなだけでは勝負には勝てぬ。
わしとは二枚か三枚ほどは格が違う」
訳の解らぬ事を言って全く問題にしていない。
自分の名も清海であるのに…。
さていよいよ準決勝だ。
清海は二刀流で現れた。
片手で持てるよう丸太を握るところは削りこんである。
右手には七尺の丸太、左手には三尺六寸の大太刀を持っている。
清海は左の木刀を中断に、右の丸太は上段に構えている。
清十郎は美しい中段の構えだ。
長い試合になった。
清十郎は清海の中へは打ち込めない。
清海の左手の大太刀が邪魔をする。
相手は大食いの怪物だ。
五十合ばかり左手の大太刀で打ち合っても一向に疲れた気配もない。
かたや清十郎はまともな人間だ。
清海が与える打撃の重さは片手でも常人の三倍はある。
五十合も相手をしているうちに清十郎は疲労感を覚え始めた。
清海は左の攻めをしつこく止めない。
百合も打ち合った頃、いきなり清海は清十郎の面に大太刀を投げ付けた。
清十郎は木刀でなんなく払ったと思ったが、同時に右手上段から七尺の丸太が振り降ろされていた。
清十郎の木刀が砕け散った。
「一本!」
清海の戦略勝ちである。
最初から自分の丸太が馬鹿力で当たれば勝ち、と踏んでいる。
臨機応変に二刀流を出してくるところを見るとただの馬鹿でない時もあるらしい。
…佐助と清海との決勝戦となった。
四 秘め事
まだ陽は残っているが篝火が燈された。
篝火が決勝戦の雰囲気が盛り上げる。
「これより決勝戦にて候。
東、三好清海入道殿。西、沢木佐助殿」
中段に構えたまま佐助は動かない。
清海も丸太を右片手上段に構えたまま動かない。
左は素手で佐助との間を測っている。
清海は身体中からこれまでにない気合いを発している。
だが佐助には一分の隙も無い。
先に動いたのは清海だ。
じっとしていると、佐助の気に呑み込まれてしまいそうな圧迫感、というようも恐怖を感じている。
(いかん!)
「オオーッ!」
と本能的に雄叫びを上げる。
気合いを入れ直したのだ。
丸太をブンブン振り回して佐助目指して突進する。
佐助は音もなく塀際まで後退りする。
極まった、と皆が思った。
その刹那、佐助の胸に丸太の「鉄砲突き」が入れられた。
轟音と共にものすごい土埃が舞い上がる。
佐助が潰された、と誰もが思った。
だが潰されていたのは土塀だった。
丸太は清海の両手にしっかり握られたまま、土塀に大きな穴を開けていた。
清海の坊主頭の上には佐助の木刀が悠然と止められている。
佐助は清海の真後ろに立っている。
見ているものは何が起きたのか判らない。
白雲斎から伝えられた「時渡りの術」を使ったのだ。
止まった時間の中で相手との間を詰める技だ。
「一本! 西、沢木佐助殿の勝ち!」
観衆は呆気にとられ静まりかえっている。
異常な雰囲気だ。
負けず嫌いの清海は頭を土塀にゴンゴンぶつけて悔しがっている。
尋常でない気合いを入れていたので、その気合いがなかなか抜けないのだ。
異常な静けさの中に異常な音が鳴り響く。
事の深さがわからない観衆には物足りない気分が漂っている。
それを感じた兄思いの伊佐が大声を張り上げた。
「大殿!只今の勝負、確かに我が兄の負けにござる。
猿飛はなかなかの武士と見ました。
が、兄もああやって悔しがっております。
こうなると我が兄ながら、手がつけられませぬ。
余興に得物無しの力勝負。
つまり相撲を取らせてはいかがでございましょう?」
「うむ。それは一興。
もっとも猿飛が良ければであるが。
猿飛、いかが?」
(…判らないが、何やら別の魂胆が隠れているような感じがする。
面白くない。
おまけに断れぬように仕向けておる。
姑息な!土塀など勝手に壊させたら良いのだ!)
佐助は機嫌が悪い。
持ち前の気の荒さが出て来て、昌幸に向かって見下ろすような物言いをした。
「良いだろう!」
場内、やんやの歓声が上がりやっと元の雰囲気に戻った。
「四半刻、休憩と致す。
仮説の土俵と清海入道のために三人分の廻しを繋がねばならぬのでな」
矢沢頼幸の口上である。
(何!「廻し」じゃと。
廻しまで締めずとも上半身裸で充分であろう。
うむ?
わしの尻の痣を確かめる魂胆でもあるのかな?
当のわしがまだ見ておらぬのにけしからん!)
自分で自分の尻は見れない。
自分の痣が確かめられないので余計に腹が立つ。
佐助の中に残っている癇癪持ちの童の八つ当たりだ。
無論、八人衆がそんな小賢しい手を佐助に使う筈がない。
まして伊佐は悪知恵を元から持ち合わせてない。
仕組んだのは信繁である。
佐助と清海が勝ち残リ、清海が荒れるところまで読んでいた。
そこで御前試合の開始前に伊佐に耳打ちをしてあった。
「もしもの時は、清海の頭を冷やすには相撲を取らせるという手もあるぞ」
信繁は痣の件は知らない。
単に佐助の鍛えられた肉体と強さを昌幸と信幸に自慢したかっただけだったのだが…。
一呼吸置くと場内に静寂が訪れた。
篝火の炎が一段と明るくなった。
焚き木の燃え崩れる音が、沼や内堀の蛙の鳴く音と共に耳に入ってくる。
それほど皆が固唾を飲んで静まりかえっているのだ。
「東、三好清海入道殿。西、沢木佐助殿」
再び呼ばれた両者は廻しを締めて登場した。
佐助の左の尻は丸出しだ。
八人衆の目は当然佐助の左の尻に集中した。
見事な五弁の木瓜の花が咲いていた。
「よいか、睨んで。はっけよい!」
行司役の堀田作兵衛の掛け声に、両者むんずと四つに組む。
清海の体は六尺八寸、五十貫。
丸々と太ってはいるが意外にも身がよく引き締まっている。
全てが筋肉で贅肉はない。
確かに柔な矢が当たっても刺さりそうにない。
佐助は背丈が六尺(182cm)ある上に、筋肉が鋼のように鍛え抜かれている。
信繁の期待通り、裸になると尋常でない修行を積んでいる事が良く判る。
怪物の清海と組合っても何ら遜色を感じない。
今度も両者は組合ったまま動かない。
清海はまたしても動けなかった。
裸で組むと余計に佐助の気が入ってくる。
普段の馬鹿力が全く入らない。
苦し紛れに右から「上手投げ」を出した。
佐助の体が勝手に反応する。
柔術の「跳ね腰」と「空気投げ」が合わせてかかってしまった感じだ。
腰が清海の股の下に入る寸前、先に五十貫の清海の身体が弾かれたように浮き上がった。
そのまま十間も離れている見物席の奥まで飛び込んだ。
これには佐助も驚いた。
どうやら白珠が反応してしまったらしい。
白珠は肌身離さず身につけている。
相撲を取るのに、白珠の入っているお守り袋を首に掛けて出場する訳にもいかない。
そこで廻しの間に締め込んで出場した。
白珠も佐助と同じように虫の居所が悪かったのだ。
この頃になると佐助と白珠はだいぶ気が合うようになっている。
佐助が腹を立てたのが白珠を刺激したようだ。
…哀れなのは門番の西松義之介である。
悪い事をするとすぐ露見してしまう人種がいる。
噂を聞いて誘惑に負けてしまった。
門に鍵を掛け、こっそり相撲見物をしていた。
賭け事が好きでこの日も全部佐助に賭けた。
賭けは大当たりだった…。
飛んでくる清海の巨体を見て脚が竦んでしまった。
その分逃げ遅れた。
肉弾は左の背中を掠る程度しか当たらなかった…。
だが、義之介は三間も飛ばされて地面にうつ伏せに叩きつけられ失神してしまった。
御前試合は無事に終わった…。
とまではいかなかったが上出来だった。
昌幸の屋敷では部屋を締め切って二人が話をしている。
「やはり間違いございませぬか?」
「間違いないと見た。
信長公はわしより一回りほど歳上だ。
それ故、猿飛の歳頃の姿を見た訳ではない。
されど信玄公の命で内情を探りに一度織田家中に潜入したことがある。
あの美形は信長公の忘れ形見に相違ない。
息子達は全部出来損ないだとは聞いておったが…」
…何やら、閃いたらしい。
左の人差し指で鼻の頭を擦っている。
勘が働いた時の昌幸の癖だ。
「白雲斎殿がご自分の申し子を源次郎に預けたと言う事なる」
「預け先は父上かもしれませんぞ。
猿飛は無垢そのもの。
世の穢さも知らねばなりますまい。
であれば、父上が最も適任でござリましょう。
苦労の数では私など赤子のようなもの」
「いや、そんな生やさしい事ではあるまい。
猿飛は侮れぬ。
怖ろしいほど鍛え上げられておる。
この世の不条理や醜さなど教る必要などあるまいて」
「浅知恵でございましたか?」
「自分で学ぶじゃろう。
白雲斎殿は戦さの世を終わらせるために生涯をかけておると聞いておる。
その道の入り口の『門を開ける鍵』が猿飛と言う事ではないのかな?」
「門を開ける鍵でござるか?」
「猿飛をわざわざ源次郎に預けられたのは何故であろうな?」
「そのように考えますと、直江兼続、大谷吉継、柳生宗矩、小早川隆景、高山右近、片倉小十郎…。
某などより優れた智仁勇兼備の名将は他にもおいででござる」
「それよ。敢えて何故、源次郎でなければならなかったのか?」
「うーむ?」
「その鍵と源次郎は何某かの繋がりがあるのではないのか?」
「そう言われると…」
「思い当たる節がある…か?」
「さて、……」
「おぬし、何か口には出来ぬ秘め事があるな?」
五尺二寸(152cm)、五尺八寸(176cm)、三尺(909cm)、三尺六寸(109cm)、六尺(182cm)、十八貫(68kg)
四寸半(13.6cm)、七尺(212cm)
六尺八寸(206cm)、五十貫(188kg)、三間(5.5m)




