⑲-③ 第二部 第一章 猿飛佐助見参 三節 小太郎 四
四 前田豪太郎信利
少年の名は小太郎という事だけは判った。
どこのの生まれで何歳なのかさえ判らない。
八人衆や幸たちに可愛いがられてすっかり懐いている。
小助と雪乃が良く面倒を見るので、二人が来ると特に顔が華やぐ。
「とりあえず、わし達と一緒に暮らしてみんか?」
小助が聞くと、黙って嬉しそうに首を縦に振った。
「小助様に小太郎様。ぴったりでございますね」
気の早い雪乃はもう自分達の子供のつもりでいる。
三日ほど経って小助が佐助の部屋へやってきた。
「少し判ってきたぞ」
「すまぬな。世話になって」
「そんな事は気にするな。
小太郎は猿飛の縁者でもないし、おぬしとて放っておけず連れて来ただけだろうが」
「小太郎は喋る様になったのか」
「ほんの少しだけな。
だがまだ三日じゃ。
養子に迎えるゆえ、腹を据えて焦らずにやらねばな。
雪乃が喜んでおるのが有り難い」
「すまぬな」
「毎日若殿に呼ばれておるらしいの。
おぬし、若殿の口癖がうつっておるぞ」
「許せ」
佐助は頭を掻いた。
「面白いやつじゃのう。
愛嬌なら良いが、わしの影武者というお役までとるなよ」
「すまぬな」
また、頭を掻いている。
「清海ほどの笑いの才能は磨いておらぬな」
「わしは本当にすまぬと思っておるのだが・・・?」
頭を掻いている佐助の肩に、今度は燕が部屋の中まで飛んで来てとまった。
「よほど若殿から熱心に学んでいるのだな。恐れ入った」
口癖も身体の動きも自然と真似ている。
燕まで懐いている。
「『習う』は『真似る』から始まるというが徹底しておるのう。
吸取り紙のようじゃな」
学ぶ方法を佐助は身体で知っている。
素直さが半端ではない事に、小助はまたしても格の違いを実感した。
燕は窓から空に向かって飛んでいった。
佐助が話を戻す。
「ところで小太郎はどんな事を話したのだ」
「轟々と燃える炎の中を何者かに連れだされた事。
食べ物も碌に与えられなかった事ぐらいかのう。
他の事は喋らない。
思い出したくもないのだろう」
「よほどの虐待を受けながら、子供なりに必死で生き延びてきたのでないか。
おそらくあの子は相当用心深いぞ」
「医術の立場からいうと身体も心も発育不良ではある。
食べる物も食べておらぬ。
普通ならあれだけ虐待を受けておればもっとひねくれるものだが…。
以外といじけてない。
頭は幼いがな」
「誰かから愛情を注いでもらった時期があるという事か。
でなければ、生まれもってよほど芯が強いかだな」
「拐われるまでは実の親に愛情たっぷりに育てられたのだろう、と雪乃が言っておる。
外には出さない内に秘めた気の強さも見て取れる。
芯の強さは一級品であろう」
「小太郎という名も武家のものだな」
「話し方も何となく武家風じゃ。
浮浪児の様な生活をしておったのにどことなく品がある」
「親の贔屓目ではないのか・・・。
しかし、よく考えてみると、傷をしておっても鼠騒動を起こすあたりは並の子ではない。
わしの部屋での寝顔も無邪気そのもだった」
「 悪い事もあるぞ。
あれだけ素直な子が喋らぬという事は腹の中に黒いものがあって、喋らぬのではなく喋れぬのではないかのう。
小太郎なりに苦しんでおるのではないかと見ておる」
「ふむ。一理あるかもしれぬ。
闇烏天鬼と名乗った者は『やがてわしの命を取る』と言って逃げていった」
「闇烏天鬼じゃと!!」
「そうだ」
「闇烏天鬼…?」
「昫があの烏を叩いた時に、普通ではない嫌な感じがしたそうだ。
小太郎の怪我も罠だと言っておった」
「そう名乗ったのであれば陽炎小平太の成れの果てじゃ」
「ほほう、知っておるのだな?」
…伊賀の焼き討ちの折、陽炎小平太は一家全員を織田信雄に皆殺しにされた。
小助は音羽党の駆け出しだったが、小平太は藤林党の腕の良い立派な中忍だった。
当時三十四歳。
その時は役目を受けて小平太も小助も伊賀から外に出ていた。
変を聞きつけて急ぎ帰ってみると、愛妻のお鈴や宝の様に育ててきた五人の子供達、それに父や母、祖父母までが皆殺しにされていた。
五人の子供の中には乳飲み子もいた。
家族愛が人一倍強かった小平太は鬼と化した。
泣きながら呆然として焼け野原の中を何日も彷徨った。
亡骸をようやく探し出し、形にもならない葬いをなんとか済ました。
そして、墓の代わりに据えた石に誓った。
「織田一族を子々孫々に至るまで根絶やしにする」と。
名を闇烏天鬼と改め、伊賀衆からも抜けて「捨て忍」になった。
伊賀の惣領の百地家や評定衆の藤林家をも恨んだ。
忍法の基本たる遁げる道を選ばず、勝てぬ相手に敢えて戦ったからだ。
「復讐というても織田に対しては蟷螂の斧。
そこで悪魔に魂を売ってしまったとも聞いておる」
「悪魔に魂を売る?」
「その悪魔とやらは切支丹の陰に隠れて我が国に紛れ込んで来て、黒魔術というものを操るらしい」
「黒魔術・・・?」
「あの時の小平太は気の毒で可哀想じゃった。
見ておれんかったが力になる事もできんかった。
あの時は、わしとて心の中まで潰れてしもうて自分を見失っておった。
伊賀は皆が同じ目にあったでのう」
「全滅か?」
「命が助かったのはわしのように外のお役をしておった者くらい。
服部党だけは一族を上げて三河と浜松で徳川に仕えておって助かったが。
半蔵様も急ぎ伊賀に戻ったが亡骸を弔うのが精一杯じゃった・・・」
「その闇烏天鬼がわしの命を狙う?
わしは闇烏天鬼となにがしかの縁があるという事になる」
「そうそう、その事よ、猿飛。
身に覚えはないのか?」
「なかった。
が、若殿とお会いしてから、おかしいと思い出した事が一つ二つある」
「やはりそうか。
わしも鳥居峠の山狩り以来、腑に落ちん事がある。
だが、少しだけだが解りかけて来た様な気がする」
「ふむ」
「小太郎は心の深いところに術をかけられておる。
昫殿の言うとおり、天鬼は小太郎に何か仕掛けておる。
今は鎖をかけておるが、外す時が猿飛の命を狙う時かもしれぬ」
「成る程、そうであったか」
「わが子になるなら、天鬼より先に心の鎖をといてやらねばなるまい。
それに天鬼が猿飛の命を狙っておると聞いてはな」
「その鎖は解けぬのか?」
「難しい」
「ほほう」
「術の種類が違うのだ。
小太郎は毎日深夜に起き出して、ぼーっと西の空を見ておるでな。
感じが異様なのだ」
「まずは小太郎の事を知らねばなるまい。
そこで、ひょっとと思い、甲賀の線からも望月六郎に調べてもらっておる。
若殿の動きにも何やら怪しい節があるゆえ若殿には内緒でな」
「甲賀に若殿とな?」
「話は変わるが、おぬし、白狼殿と話ができるのか」
「いかにも。
昫は四阿山の神々から賜ったわしの守り神じゃ。
ゆえに特別な力を持っておる。
わしとは心話ができる。
名を呼ぶ時は昫で良いぞ。
わしの友達でもあるのでな」
「ただ者ではないとは思ったが、猿飛の守り神で友達か…」
それから四日後の朝、小助がまたやって来た。
顔つきが違う。
「六郎が大変な事をつきとめたらしい。
八人衆に急ぎ招集をかける。
極秘ゆえ、吾等以外に漏れぬようにしたい」
「ならば、太郎山が良いだろう。
昫に結界を張ってもらう。
おのおの目立たぬ様、ばらばらに来るとよい。
場所はわしが決めておく。
太郎山に来さえすれば昫が案内する」
「清海と伊佐はどうする?」
「目立つなあ。
あの二人を目立たずして太郎山まで案内する術をわしはまだ持っておらぬ。
とはいえ・・・」
「とはいえ、猿飛の世話役じゃ」
「ふむ。清海の愛馬は巨体だったな?」
「清海の桜木も伊佐の青葉も馬というよりは怪物じゃ。
三好兄弟よりもはるかに目立つぞ」
「よし、それだ!」
巳の刻。
太郎山の頂上近くの林の中に百姓や木こり姿の六人が集まった。
猿ぐつわをかまされた三好兄弟はすでにいる。
三好兄弟は筵で簀巻にされた。
それぞれ荷車に乗せられて麓の破れ寺まで荷物に化けさせられた。
馬子は甚八と十蔵、荷馬は桜木と青葉だ。
簀巻は巨大だったが、民衆の目線は怪物の巨馬にいった。
時間もずらせて一刻前に事は済んでいた。
小助が小声で始める。
「小太郎の事を調べておったら大変な事が判ったとの事じゃ。
六郎から説明してもらう」
望月六郎が切り出した。
「重要極秘案件ゆえ外に漏れぬようにした。
三好兄弟は大声ゆえ、気の毒だが猿ぐつわだ」
「内容はこの小助とて今初めて聞く。
これは八人衆の機密にする。
若殿にも言わん」
六郎は神妙だ。
「結論から言おう。
猿飛と小太郎は双子の兄弟であった。
小太郎が兄、猿飛が弟じゃ」
佐助は驚かない…。
それくらいの修行は積んでいる。
「二人が生まれたのは天正十年六月一日。
京で日そく(日食)のあった日。
本能寺の変の前日じゃ。
父は織田信長公、母は側室の百々(もも)の方」
清海が大きい目玉をさらに大きくしている。
猿ぐつわ越しにウーウー唸り出した。
十蔵が扇子で坊主頭をピシャリと叩く。
「信長公は本能寺で亡くなった事になっておるが、実のところ、生死は定かではない。
百々の方は産後の肥立ちが悪く、二人を産んだ翌々日に亡くなられておる。
生まれたところは安土城の前田邸である」
「ケン、ケン」
雉が近くの草むらで鳴いた。
雉が鳴くくらいだから、どうやら昫の結界は機能していると佐助は思った。
三本足の雉の姿が頭をよぎった。
でしゃばりの勘三郎を想像すると少し気楽になった。
「猿飛、聞いておるのか?
おぬしの左の尻に織田家の家紋である木瓜の花の形をした痣はないか?」
望月六郎の眼差しが鋭い。
「あ、ああ。
木瓜かどうかは知らぬが五弁の花の痣はある。
己れの尻ゆえ、わが目で確かめた訳ではないが」
「やはり」
「五弁の花の痣があると、姉から聞いた事がある」
「あるのだな」
「源氏の間の宴で小太郎の尻の痣の話を耳にしたゆえ、不思議に思った。
そこで翌日昫に聞いて確かめた」
「では間違いない」
もう一人のおっとりした六郎でさえ興奮気味だ。
「猿飛と小助が双子の兄弟で信長公の忘れがたみとは・・・」
「声が大きい。
聞こえぬくらいの声で話せ。
佐助の父君が十五年守り抜いた機密ではないか」
甚八が低い声で制する。
「三好兄弟にも悪いではないか」
そう言った十蔵は口には出さず紙に書き始めた。
自分で言っていたとおり、相当に極端な性格だ。
…如何にして調べしや
以降、全員が筆談となってしまった。
…加賀、越中まで出向きし也
前田利長公とお永の方に直接確認せり
機密は守れておる
猿飛の事は逐次報告を受けておられるとの由
小太郎は前田豪太郎信利也 豪太郎転じて小太郎と推察
…成る程
…小太郎の拐われし時の状況は如何
…小太郎五歳の折放火されたり
以来行方不明也
…小太郎は帰さねばならぬや否や
…聞いておらぬ
…帰さねばなるまい
…しかれども猿飛と一緒ならば安心と仰せ也
小太郎の生存を知り いたく喜ばれたり
…猿飛の情報は何処より前田公に入っておりしや
…蔦屋宗次殿也
甲賀上忍の頭也
…宗次殿には確認せしや
…否
…何故に
…極秘案件ゆえ絶対に漏らさぬ
…筆談止めぬか
小声で良かろう
…可
「ああ、肩が凝った。
わし達の欠点はすぐに悪乗りする事じゃ」
望月六郎がぼやく。
海野六郎が間のびした声で、
「おぬし、良く利長公と会えたのう?」
「わしは若殿の影武者じゃぞ。
小田原攻めの折、若殿は利長公とご一緒されておる。
大坂城や伏見城でもお会いされておるゆえ、真田信繁としてお会いするのは簡単じゃった。
お会いしてからは事が事ゆえ、腹を割って洗いざらいすべてお話した。
わしが影武者である事もな」
「それでもおぬしが本物の若殿の近習かどうか判らぬのではないか?」
「千子村正を持って行った。
猿飛の腰に差しておった技物をな」
「千子村正とな?」
「六郎よ、目は節穴か?金持ちの家で苦労もせずに育ったせいじゃ。
わしは一目で猿飛の腰の物が名刀である事は判っていた。
源氏の間で前田利家公から拝領した事を猿飛から聞き出しておった訳だ」
「同じ六郎でもわしとは出来が違うのう。
大したもんじゃ」
「同じ甲賀であるゆえに小助に頼まれたが、この度は甲賀の線でなく前田公の線から当たった訳じゃ」
「猿飛もそのような名刀を良く貸したのう?」
「そこよ。
わしを信用してあっさリ貸してくれた。
訳は一切聞かずにな」
「して利長公は?」
「村正を見せたら一発であった。
わしの勘はぴたりと当たった。
利長公に若殿への口止めもお願いしておいたぞ」
「成る程。同じ六郎、天晴れ、大手柄じゃ」
甚八も渋い顔で感心している。
「それにしても体格が違い過ぎるゆえ、全く気付かなんだ。
双子とはな」
そのあとも六人が矢継ぎ早に言いたいことを言った。
興奮を抑えながら望月六郎が、
「言われてみれば良く似ておるぞ。
猿飛も知らなんだようじゃのう。
さぞ驚いたであろう」
「全く聞いておらなんだ。
実の父や母の事も、双子の兄がいた事も」
「お永の方の話では猿飛の命を助けるために随分と苦労したらしいぞ。
それも多くの人がな。
危険だらけだったゆえ皆、極秘で動いたそうな」
小助も思案顔で、
「小太郎はどうしたもんかのう?
前田公の元にお返しするか?」
十蔵が、
「豪太郎、信利殿であろう」
甚八は落ち着いてきている。
小助に助言する。
「しばらくは小太郎の方が良いのではないか?
猿飛の弟というのも、まだ言わぬ方が良い。
落ち着くまではそっとしておくのが本人のためだろう」
「そうじゃな。
環境が変わり過ぎるのは酷かもしれぬ。
猿飛とは違ってまだ子供ゆえ、今話すのは刺激が強すぎる。
おまけに、猿飛みたいに大きい上に凄いのが弟と言われても、俄かには受け入れできまい」
「十蔵以上に気性が荒そうな弟ではな」
小助の次に年長の海野六郎が、
「小太郎の気持ちも聞いてやらねばなるまい、小助」
「それに闇烏天鬼の絡みもあるゆえ気が許せぬ。
若殿の動きを見ているとまだ他の絡みもありそうじゃぞ」
どうやら、小助は信繁にかなりの疑念を持っている。
六郎も間延びした物言いに戻って来た。
「われ等もそろそろ大坂と伏見に散らねばならぬ。
散ったら皆が集まる機会はそうはない。
とりあえずこの件は猿飛と小助に任してはいかがであろう?」
小助も腹が決まって来たようだ。
「良いだろう。
六郎には前田公のところにもう一度行ってもらおう。
しばらく小太郎を預かる旨の了解を取っておいた方が良い。
義理を欠いてはならぬでな」
望月六郎が、
「よし、それでは今日はしっかり知恵を出し合って置こうではないか」
…その時、
「ボワーン」
爆音とともに異様な臭いが漂った。
六人の口から一斉に同じ言葉が出た。
「ウッ、ク臭え!!」
「失神するぞ!
「息を止めて逃げろ!」
三十間程息を止めて走った。
「いかん!
着物にまで臭いが染み込んでおる!」
小助は、
「野良着であったのが不幸中の幸であった」
十蔵は怒っている。
「しかし、品のない坊主め!」
海野六郎はにやけながら、
「猿ぐつわで喋れぬゆえ、屁で喋りおった」
「やはり連れてくるのでなかった」
清海を荷車に乗せてきた甚八は責任を感じている。
海野六郎はにやけたままだ。
「わざとではないゆえ勘弁してやれ。
よほど話したかったのじゃろう。
話したいのを我慢しておる内に、特大の一発が口からではなく、尻から出てしもうたようじゃ。
それに三好兄弟はわれ等の兄弟じゃと誰かが言っておったしな」
元の場所で三好兄弟が頭を何度も下げている。
「忍法、天狗の団扇!」
佐助が「天狗の団扇」を両手に持ち、三好兄弟の方を向けて仰いでいる。
突風が吹き草木が大きく靡いた。
「おおっ!着物についていた臭いが取れておる」
十蔵が感心している。
「これで勘弁してやってくれるか」
佐助の言葉に、甚八がほっとしているような顔で、
「故意でないとなれば許してやらねばなるまい」
責任感が相当強いらしい。
笑わないではなく笑えないのかもしれない。
「では!」
佐助が気合いを入れた。
三好兄弟の巨体が宙に浮いて六人のところまで移動した。
猿ぐつわに手足を縛られたまま三好兄弟は呆然としている。
三好兄弟の耳元で甚八と十蔵が囁いている。
「溜まっておったものも出たし、これからは静かになるだろう」
「猿飛の世話役とは猿飛に世話をかけるお役目だったらしいのう」
小助は腑に落ちないようだ。
「猿飛、天狗のうちわは八手の葉か?
八手の葉はこの辺りには生息しておらぬが?」
「ミズナラの葉で代用した。
半分は幻術じゃ。
幻術も使わねばあの屁の臭さは尋常にあらず。
おぬし達の心にまで染み付きそうだったのでな」
「われ等の気待ちに残る臭いも除けてくれたのか?」
「威張れる代物ではないが」
「元が屁のようなものだしな」
「プッ!」
六人の視線が一点に集中した。
小さい音だったが、確かに清海の尻から聞こえたのだ。
笑わない甚八が口元を緩めて十蔵に声をかける。
「器用な尻じゃのう。
今度は笑いおったぞ」
「恐れ入った。屁で笑うとは」
「屁の達人か?」
皆で大笑いしたいところだが必死で堪えるしかない。
「バカアー、バカアー、バカカアー」
いかにも間の抜けた声とともに、雉が鳴いた草むらから勘三郎が西の空へ飛び立った。
極彩色の見事な雉の雄が空中で三本足の烏に姿を変えた。
烏は空から白い糞を落として、三好兄弟の坊主頭のてっぺんに命中させた。
「カア、カア、カアー!!」
(わしが代わりに笑ってやるわい。ヘッ、ヘッ、へ…)
なんとなく、八人衆にはそう聞こえた。
小助が驚いている。
「八咫烏ではないか?」
「すまんな。わしの仲間じゃ。七化けの勘三郎だ」
佐助が頭を掻いている。
「八咫烏は神の使いじゃぞ」
「神出鬼没だ。ところが、ひょうきん者の世話好きでな。
たぶん、わしを心配して出現れたのだろう」
おかげですっかり緊張がほぐれた。
八人衆はそれから一刻の時間をかけて熱のこもった話を充分にした。
小助の事も心配された。
小助にとっては実の親と伊賀衆の仇の子が小太郎なのだ。
毒のある小助が養子にするのはどうにも無理がある。
だが小助は全く問題にしなかった。
「子に罪はない。
わしは仇討ちなどする気もない。
普段から清海に説教されておるからな。
『仕返しをしていたら戦さの世は終わらぬ。それよりも新しい明日をどう生きるかじゃ』とな」
「ウグウグ!!!」
と清海がもがいていたが、上田城に帰るまで猿ぐつわも手足の縄も外されなかった。
佐助はそのまま太郎山の緑の中に残った。
いろいろな想いが雲のように湧いては消えた。
久しぶりに昫と一緒に寝た。
…昫の温もりが懐かしかった。
三十間(55m)




