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碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
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⑲-② 第二部 第一章 猿飛佐助見参 三節 小太郎 三

 三  末吉(すえきち)


 当代きっての智将からの個人教授が始まった。



 別に頼んだ訳でもない。

 信繁は毎日時間を取り佐助に教えを授けた。

 字の読み方、書物に秘められている深い意味まで根気よく説明してくれる。

 梅雨の中休みのあとの大雨続きのせいだと佐助は思っている。


 信繁は六月早々には伏見城に帰らねばならない。


 京の南端にある伏見は商業の要衝の地だ。

 水運によって大坂と京を結んでいる。

 秀吉が伏見城を造って住まいしたせいで、政治の中心地ともなっていた。


 伏見に帰る頃には梅雨も明けそうだ。

 信繁は大坂城と伏見城に居宅を許されている。

 八人衆も忍び宿や忍び小屋に分かれる予定だ。

 佐助も伏見に付いて来るように勧められている。


 最初の伏見城は平安時代から観月の名所として有名な指月(しづき)山に築城された。

 贅を尽くした大規模な城だった。


 秀吉は三年前の文禄三年に完成を待てずに入城してしまった。

 前年に拾丸(ひろいまる)(秀頼)が生まれたのだ。

 拾丸に大坂城を与えて、秀吉は伏見城で政務を執るつもりだった。

 ところが完成直後の昨年の夏、京と伏見が大地震に襲われた。

 伏見城も倒壊してしまった。


 …縁起が悪い。


 大地震の二日後から大特急で再建に取り掛かった。

 場所は北東に十町(約 1km)ほどしか離れていない木幡(こはた)山である。

 (この木幡山には後に桃の木が植えられ桃山と呼ばれるようになった。

 伏見城の別名は桃山城だ。

「信長と秀吉の時代」を「安土桃山時代」と呼ぶ由縁はこの伏見城と安土城にある)


 この五月のはじめには天守閣が完成した。

 秀吉はすぐに移り住んで(まつりごと)の拠点とした。


 …五月十二日の朝の事だ。


 秀吉が突然信繁を呼び出した。

 思いもよらぬ事を言った。

左衛門佐(さえもんのすけ)伊豆守(いずのかみ)も上田と沼田にちっとなら帰ってもええぞ。

 褒美じゃで。

 喰えぬ親父殿も一緒に頼むでな」


 一月には二度目の朝鮮出兵(慶長の役)が始まり、内外の情勢は緊迫している。

 再建中の伏見城も完成はしていない。

 信繁の仕事は繁忙を極めている。

 仮に上田に帰城するにしても根回しをしておかねばならない。


 石田三成に相談すると、

「なんと奇妙な。

 渡海して戦っておる大名達の家の者は心良く思うまいぞ」

「かといって太閤殿下の言いつけに逆らう訳にも参りますまい」


「明日にはすっかり忘れておられるという事もあるが…?

 殿下のご命令という事を旗印にし、それぞれの正室は人質として残す。

 そうして一旦帰郷するが上策かのう…?」

「にしても不可解でございますな」


 秀吉は翌日もはっきり覚えていた。

 三成を呼び付け、

「黄金に輝く三本足の(からす)が夢枕に現れてな。

『左衛門佐を上田に帰せば拾丸の末は吉』と喋ったんじゃ。

 あれは八咫烏じゃ。

 ということは神のお使いかもしれぬで」

 と言い、

「まだ左衛門佐を返しておらぬか!」

 と叱責したという。


 信繁が上杉の人質から豊臣の人質に鞍替えしたのは天正十三年だった。

 秀吉の元に来て十二年になる。

 秀吉はいち早く卓越した信繁の能力を見抜いた。

 馬廻衆に取り立て、近習として重用した。


 文禄の役には真田家に動員千二百人の命が下った。

 昌幸の工作により七百人に減らした。

 昌幸は朝鮮出兵を迷惑としか思っていない…。

 肥前(ひぜん)(佐賀)の名護屋(なごや)城に参陣はしたが、渡海には至らずに済んだ。


 今度の慶長の役には未だ真田には動員命令が下らない。

 三成が信繁を放せないのだ。

 最も信頼している大谷吉継が重病を患い職務を退いた。

 秀吉は老害の症状が出て久しい。

 最近は悪夢にうなされる事が多く、失禁さえする。

 苦労人の信繁無くして秀吉の世話はできない、と三成は感じている。


 文禄の役以降、武闘派の加藤清正や福島正則達との折会いが悪い。

 その裏に家康の影がちらついているのも三成は気にいらない。


 信繁の兄である真田信幸の後ろには徳川家で絶対的な力を持つ本多忠勝がいる。

 意外な事に、三成と信幸は良く気が合ってお互いに深い信頼感を持っている。

 生真面目者同士なのだ。


 そんな裏事情もあり、信繁は三成にとって欠かせない存在だ。


 …信繁は秀吉の覚えもめでたい。


 指月山の伏見城に秀吉が入城した三年前に、信繁は従五位下(じゅごいげ)左衛門佐に任ぜられた。

 また、大谷吉継(おおたによしつぐ)の娘である(あや)姫を正室に迎えた。

 豊臣姓を許されて、知行も昌幸とは別に一万九千石を与えられている。


 一方信幸も従五位(じゅごいげ)下伊豆守(いずのかみ)、沼田城主となっている。



 …佐助は三十冊の書を未だ読破していない。

 宿舎として宛てがわれた千曲館の佐助の部屋で、寸暇を惜しんでは机の前に座して読書をしている。

 梅雨で鬱陶しいので廊下側は明け放しだ。

 廊下を通り過ぎる者が佐助の読書の姿を見て驚いた。

 座禅の形で手は組まれているのに書がひらりひらりと捲られているのだ。

 白珠(はくじゅ)に意志がある事に気付いてから、修験道の奥義が少し見えて来始めた。

 棚にある本を空中移動で机まで運ぶ事もできるようになった。


 佐助の睡眠時間は二刻(四時間)もあれば充分だ。

 亥の刻前には床に就き、子の刻から丑の刻には城外に出て修行をする。

 大喰らいで良く眠る清海が隣の部屋で起きる頃には、城に戻って素知らぬ顔で書に向かっている。


 飛行の術と潜水の術は少し出来だした。

 白珠とうまく気が合うと五町くらい飛べる事がある。

 高さも五丈くらいは浮かぶところまで来ている。


 潜水の術も面白い。

 白珠を口に咥えて池に潜ると、白珠が水の中にある空気を集めて泡が口の中で溢れだすのだ。

 初めて試した時は驚いた。

 白珠の機嫌が悪い時はやたら泡だらけになったリ、泡が出て来なかったりする。

 昫や大助の方が白珠よりも遥かに付き合い易い。


 水を渡る術はおおむね行けそうな感じがする。

 後は白珠との気の合わせ方次第だ。

 白珠は佐助よりも数段気性が激しい。

 気が荒いものを相手にするのはやりがいがある。

 毎日起きるとワクワクして太朗山に跳んでいく。


 昫は太朗山を根城にした。

 太朗山は上田城の北一里にある高山だ。

 鳥居峠よりは少し低いが高さは三千八百四十尺(1164m)ある。



 昫には気掛かりな事がある…。


 一一一お母様が言ってた。

 天国は甘い花の香りで地獄は暗い腐った死の臭い・・・

 あれは地獄の臭いかもしれない。

 あの烏の臭い…。

 同じ烏でも勘三郎とは全然違う。

 あたしが佐助様に助けてもらった時に追いかけてきた狼たちもあんな臭いだった。


 とにかく佐助様は無茶の天才だ。

 急に何をやるやらわからないのは子供の頃と一緒。

 もうすぐ遠くへも出かけるみたいだから、よほど気を付けて佐助様をお守りしないと。

 違う場所に行けば何か違う事がわかるかもしれないけど。


 ヤミガラスノテンキという烏…。

 嫌な予感がする。

 動物的勘てやつ…。



 上田城に来ても修行の相手は昫だった。

 修行は夜にするので、もともと夜行性の昫にとっては楽だった。

 昫のいる太郎山へ「一っ飛び」とはいかないまでも、十飛びくらいでいけるようになった。

 潜水の術の修行の時は心話で昫を呼び出した。


 心話もかなり上達した。

 上田盆地は千曲川もあり池や沼が多い。

 潜水中に狙われないように毎回場所は変えた。

 昫が見張りをしている間に佐助は潜る。

 昫は見張りをしながらちゃっかり魚を獲っていた。

 佐助の修行が済むと一緒に食べるのが楽しみになっている。


 上田城に来てから七日目を過ぎた頃。

 空から降りてくる佐助を見た者がいるという噂が城内に広がった。

 夜明け前の一番暗い闇に紛れて降りてくるというのだ。

 噂は嘘だ。

 佐助はそんな事はしていない。

 城外に出るとしばらく走る。

 城から充分に離れたところから飛び始める。

 修行の前に術の習得具合を確認するためだ。

 飛行の術の本格的な修行は太朗山でやり、足腰を鍛えるために走って帰る。


「人の世には底知れぬ悪意がある」

 同じ山育ちでも、その事に昫は感づいている。



 …佐助は未だわかっていない。



 

五町(550m)

五丈(15m)

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