表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
碧と白の珠玉   作者: 真緑 稔
14/84

⑭第一部 第四章 本能寺の変 二節 誕生

 元気な産声が続いて二度上がった。



 安土城三の丸御殿のすぐ下にある前田屋敷からだ。

 双子の男子である。

 百々(もも)の方は信長の側室の中では最も若い。

 正室の濃姫や側室達と共に三の丸に住まいしていた。

 臨月に入った三日前から縁の深い前田邸に移っている。


 …六月一日、未の下刻。


 予定よりも早い急な出産にてんてこ舞いをした。

 前田邸にいたのは利家の嫡男利長と正室永姫だった。

 永姫は信長の四女である。

 前の年の九月に利長と婚約、十二月に輿入れしたばかりだ。

 利長二十一才、永姫未だ九才。

 父の利家は能登二十一万石領主、利長は越前府中三万三千石領主である。


 利家と利長は柴田勝家と共に上杉景勝の越中(現富山県)魚津城攻めをしていた。

 戦況はもうひと押しというところまで詰めていたところに、

 …永姫を連れて京見物をせよ」

 との命令が信長から利長に突然下った。

 利長夫婦は昨日安土城に着いたばかりだ。


 信長は愛娘の帰りを首を長くして待っていた。

 面会を済ませると、早々に本能寺へ立った。

「本能寺は日帰りできる。

 利長殿は明後日の大茶会に来られるが良い。

 三河殿も呼んである。

 お永は旅の疲れもあろう。

 里帰りと思うて母じゃとゆるりとするがよい」


 利長も里帰りの気分だ。

 安土には天主築城前の十五才から住んでいた。

 信長には幼少より可愛いがられて育ったので恐怖心はない。

 むしろ実父の利家の方が恐いくらいだ。

 百々の方とは幼馴染で妹のように思っている。

 本能寺の信長に早馬を出したのは利長だった。


 早馬を出す前に老臣の心は不安を覚えた。

 杉田義熾すぎたよしおきが険しい顔で言う。

「殿ここはご一考を」

「確かに。熟慮がいるな。

 相談出来る者を集めてくれ。爺の裁量に任せる」

「時間がありませぬゆえ急ぎましょうぞ」

「いかにも。さりとて焦りは禁物じゃ。

 父上より拝領した「松風」を飛ばせば、本能寺までなら一刻もかからぬ。

 お屋形様がおやすみになる前に着けばなんとかなる」


 杉田義熾が集めたのは篠原一孝しのはらかずたか、永姫、乳母のいと、そして、百々の乳母となって十八年になる千代の四人だけだった。

 篠原一孝はまつの従兄弟(いとこ)の子である。

 口が堅く律儀者だ。

 利家の信頼が厚く利長の側近を務めている。

 歳は利長よりひとつ上だ。

 いとは永姫が生まれた時からの乳母で、濃姫の見立てゆえ間違いがない。

 千代もまつの遠縁で人柄が良い。



「少ないの、爺!?」

 利長が年寄りの行動の早さに驚いている…。


「これでも多いぐらいじゃ。

 多いと時間がかかる上に秘め事が漏れる。

 三人よれば文殊の知恵でござろう。

 男三人女三人の六人ゆえ、その倍じゃ」

「よし。ではやるぞ。軍議と心得られよ。

 時間は一刻までぞ。爺、進めてくれ」

「男子が授かったのは目出度い事でござります。

 問題は双子についてお屋形様がどう思われるかでござる。

 二つの心配がござる」


 義熾の心配は…

 ・ひとつは双子は世継ぎ問題の種になる事。

 ・ひとつは畜生腹で縁起が悪いと忌み嫌う風習がある事。

 だった。

 迷信を嫌う信長ゆえ問題はないと思うが、油断がならない。


「双子の内の一人を他家に出したり、命を取る家もある。

 お屋形様へのお知らせはそれを踏まえてからと思いましてな。

 皆様のお知恵を是非お貸しくだされ」

「では早速私の考えを申します。

 最初の事はだいじょうぶでございましょう。

 長兄の信忠が嫡男である事は既に父上が決めております。

 さらに、この子達の上には兄が十一人もいます。

 残念ながら皆凡庸と聞いておりますが…。

 とりあえずは信忠の身の上にもしもの事がない限り、世継ぎの事は問題ございませぬ」

 永姫はさらりと言ってのけた。

 九才の姫とは思えない発言である。

 居合わせた者は当たり前のように聞いている。

「そのもしもがあればどうされる。

 明日の事はわからぬ世ですぞ。

 廃嫡とて珍しい事ではござらぬ」

 篠原一孝も手厳しい。

 義熾が大口を叩いただけあって人選は万全のようだ。


「ところで百々の具合は如何でござるか?」

 乳母の千代が厳しい顔つきで、

「心配でございます。

 難産のうえ双子でございましたので」

「悪いのか?」

「お子を一度はしっかり抱いてご覧になりました。

 その後は眠っておいでです。

 今はそっとしてあげるのが良いと思われます」

「話せる容態ではないのだな。

 では我らだけで決める。

 元気になってから百々にわしから話をしよう」


 一孝は違う心配をしていた。

「双子でどちらも男子。それも赤子じゃ。

 見分けらるのか?」

 千代の顔が一瞬だけ華やいだ。

「はい。不思議な事でございます。

 先にお生まれの若様には左のお尻に五弁の花のような痣があります。

 後からお生まれの若様は右のお尻に同じ痣が…」

「なんとそれは織田家の木瓜紋(もっこうもん)ではないのか?

 右が兄、左が弟となられる訳か」

 お永がつぶらな目を見開いた。

「父上の子にふさわしいおのこかもしれませぬ。

 なんとしても二人ともお助けくださいませ。利長様」

「ならばなおの事、これからいかなる手を打つかをとくと考えねばなるまい」

 それから六人が知恵を出し合って濃い話をした。


 結論はは安全策と決まった。

 本能寺への知らせは双子については触れない。

 弟はとりあえず前田家の荒子城へ逃す。

 信長の反応を見ながら、利長が改めてご対面させると決まった。

 直ちに利長の愛馬「松風」が用意された。

 一孝が使者を買って出て、一目散に本能寺に走った。


「大丈夫じゃ、爺。

 わしは餓鬼の頃から何度もお屋形様には叩かれておる。

 少々叱られてもなんでもないわ。

 ましてお永という強い味方がおる。

 兎に角、当面は秘め事を漏らさぬ事じゃ」

「若殿、漏らさぬためには噂にならぬ配慮がいりますぞ。

 東隣は羽柴様。

 その上は徳川様ですからな」

「確かに」

「弟ごの脱出は明朝では遅くはござらぬか。

 かといって我らが動くと怪しまれる」

「爺の言うとうりじゃ。

 生まれたばかりの赤子は動かしとうはないが…。

 漏れてもいかぬ。はて?」



 密談をしている部屋の襖が音も無く開いた。

 ボロ着の百姓が座っている。

 沈黙をしたままだ。

 百姓の口から言葉が出るまでに時を要した。

「甲賀の忍びでヨ、ヨモギと申します。

 蔦屋宗次の命令を受け、御一行様の警固を…影でさせていただいております。

 そ、その御用はわし達がお引き受けします」

「 宗次殿とな…。

 宗次殿とは良之叔父に仕えておられた板倉孫十郎殿であったな。

 幼い頃よう遊んでもろうた。

 武術も教わったぞ。懐かしいのう」


 良之と宗次の話題が出て、ようやく義熾の言葉にも安堵感が見え出した。

「そうでござる。

 板倉孫十郎様は佐脇良之様にお仕えでしたな。

 織田家中では『槍はお父上、刀は良之様』でござったが三方ヶ原で討ち死なされた。

 潔い武士の鏡のようなお方じゃった」

「実は…。叔父上は信州鳥居峠の隠れ里に生きておいでである。

 よし。鳥居峠の叔父上が一番安全じゃ。

 ヨモギ殿とやら、おぬしにお屋形様のお子を託す。

 おぬしの顔は信用できる顔じゃ。

 よろしいか?皆様方」

「長旅となれば女手が無くてなりますまい。

 乳はどうなされます?」

 いとは気乗りがしないらしい。

 薄汚い百姓姿のヨモギに天下人の御子を渡す気にはなれない。

「無理からぬ事じゃ。

『案ずるより産むが易し』とはこのことじゃ。

 のうヨモギ殿」

 利長はヨモギをすっかり気に入ってしまったようだ。

 人遁の術にはまっている。


「そういう事でしたら……。

 甲賀の郷に一度帰り準備を致します。

 段取りをして亥の刻までには、こ…こちらに戻りますだ」

 いとは不安でしようがない。

「乳の出るおなごがおりますのか?」

「できれば乳の出るおなごと思いますだが…。

 まずは信用できる者が肝腎かと。

 乳のでないおなごの場合には、わしが道中の先々で山羊か牛の乳を手に入れますだ。

 子の刻にはこちらを発ちましょう。

 お子にご無理が…いかぬよう、ゆっくりと中山道を鳥居峠へ向かいますだ」

「それで良い。

 山羊の乳も牛の乳も滋養があると聞く。

 お屋形様ならばお気にもされまい。

 このような火急の時は軍資金がものを言う。

 出立の際にとりあえず二百両を用意しておこう。

 百両はヨモギ殿に百両は叔父上に。

 途中の宿場や民の家で乳の出る女子がおれば分けてもらうのも一策。

 これでいとの心配も少しは減るだろう」

「かしこまりました。

 ところで利長様は明日本能寺においででっしゃろ。

 くれぐれもお気をつけなせえませ。

 不穏な動きがありますで。

 その事で甲賀の郷はほとんど出払っておりますだ」

「よし。確かに聞いた。では頼むぞ、ヨモギ殿」



 …甲賀の郷ではヨモギがうろたえている。

「な、なんですと!

 か、楓がわしの嫁なるですと。

 勘助様、無茶じゃ」

「おぬし、まだ顔に出る癖が直らぬのう。

 真っ赤じゃぞ」

「そんな急な・・・」

「ウブじゃのう。修行が足りぬな。

 何があるかわからぬという心構えが忍びの基本ではなかったかのう」

「 赤子を連れておるのは普通は若いめおとであろう。

 乳の出るおなごで今このお役に使える者はおらぬ。

 このたびは大役じゃ。

 この際ほんとの夫婦になってしまえ」

「・・・」

「心配いらぬ。楓もまんざらではないはずじゃ」

「か、か、・・・・・?」

「祝言は落ち着いてからあげれば良い。

 実は親御同志ではとうの昔に話がついておる。

 知らぬはおぬしと楓の二人だけじゃ。

 楓は今は京におる。

 繋ぎを取り、わしがすべての事情を説明する。

 納得させ旅の準備もさせて、子の刻前には必ず前田屋敷に行かせる。

 それで良いな」

「・・・・・・」



 …ヨモギは修行が足りていない事を心の底から反省した。







一刻(2時間)

亥の刻(午後10時)

二百両(現在の五千万円)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ