⑫第一部 第三章 第六天魔王 四節 決断
松明を灯し明智軍八千が粛々(しゅくしゅく)と夜の行軍をしている。
…六月一日、夜半の事だ。
傭兵侍の本城惣右衛門(ほんじょうそうえもん)は明智秀満隊の中にあった。
二名の供を従えている。
「敵は本能寺にあり!との事じゃ」
さっきから槍持ちの又蔵がしつこく聞くので丁寧に説明をしてやっている。
又蔵が合点がいかないのも無理もない。
惣右衛門自身も狐につままれたような気分だ。
「殿様、中国の毛利攻めをしてはる羽柴様の援軍と違いますのけえ?」
「徳川様を京の都の本能寺で討つ、とのご命令じゃ」
「徳川様といえば三河の徳川様でっしゃろ?」
「そうじゃ」
又蔵は小荷駄持ちの菊二郎にも聞いている。
「菊公。おめえ、何か知っとるじゃろう」
「へっへっへ。早耳の菊サマやしな」
陽気な菊二郎がおちゃらけをはじめる。
「キク様にキクサマ?
マタ殿がマタぞろキクんかいな?」
「キク! 聞いておるのか?
聞いておらぬのか?」
又蔵が苛つきはじめた。
「そやさかい。ナンもキクサマよ」
又蔵と菊二郎はこうなると迷路に入る。
いつもの展開だ。
最後は気の短い又蔵が菊二郎を完膚無きまでブチのめす事になる。
「やめんか。
本能寺とやらに着く前に、味方同士で喧嘩してどないするンじゃ。
敵は本能寺にあり!じゃ」
惣右衛門が制した時には菊二郎は額に膝蹴りを喰らっていた。
腕力に勝る又蔵が首根っこを右腕で抱え込んでいる。
菊二郎は夜空の星よりも多い星を目の周りや頭の周りで見た。
昼間の雨は上がり、夜空は晴れていた。
「わかった、わかったさかい、洗いざらい吐くさけえ!」
「よーし、全部吐け。全部じゃぞ!
どうも腹の虫がおさまらねえ」
「へえ、又様の仰せの通りでごぜえます。
ほんまは中国攻めをされとる羽柴様の応援じゃったとの事で」
「そこまではわしかて知っとるわい」
「それで京の本能寺とやらで『馬揃え』ちゅうものをするとの事でして。
そのためにあした本能寺に寄るよう信長様からのご命令で」
「いつもやるあれか」
「そうですねン。
信長様は出陣の時にはわし達の仕度に手抜きがないか、いつも確かめはるンですワ」
「それがなんで敵は本能寺にあり! なんじゃ?」
「そこですワ。
ところが三河の徳川様が信長様を京の本能寺で不意討ちをする事がわかったンじゃと」
「なんじゃと?」
「ほいでですな。
明智様に「急いで信長様をお護りに行け」というご命令が出たンですと。
羽柴様の応援のために準備万端整っておいででしたさかいな」
「という事は?」
「という事は、本能寺の敵というのは?」
「やっぱり三河の徳川様かいな。菊公?」
「そういう事ドス」
「なんやけったいな話やなあ」
「又蔵、やっぱりおめえもそう思うかえ?」
「思うわいな。
ところで、なんで菊がそんなことまで知っとんや?」
「ようゆうわ。
全部吐けえと言われたんで全部吐いたんじゃろが。
もう、勘弁してや。
吐いた本人のわしかて、ようわからんさけえ」
「明智のお殿様はお優しいお方らしい。
騙されてはったらえらい事やで。 なあ、殿様」
「 岡目八目というからな、菊よ」
「オカメハチモクウ?」
「ことわざじゃ。
碁のたとえ話での。
実際に碁を打っている者は自分の状況が解りにくい。
わきから見ておる者の方が八目も先まで手を見越すという。
当事者は何をやって良いのか見えにくいものじゃ。
菊や又の勘が当たっておるかも知れぬぞ」
「うひゃー!
又蔵のかかあは蜂も食うんか?」
「なんやて?」
「オカメハチモクウ!
おかめが蜂も食うんやろ!」
「このあほんだら。
おめえ、痛い目に会わんとまともなことが言えんのか」
「えへへ。難しい事は偉いさんにお任せしまヒョ!
わてら、雇われた雑兵は稼ぐだけ稼いだらええとせんとな」
「それもそうや」
「新月やさかい、道が暗うて難義やけどな。
もう二刻もしたら東の空が白んできて歩くのも楽になる。
我慢してや」
菊二郎はおちゃらけをやめてご機嫌とりに回った。
又蔵は槍の先に違和感を感じた。
暗闇の中に黒いものが止まっている。
「烏や!」
菊二郎も気付く。
「三本も足があるで!」
菊二郎は夜目が効く。
又蔵が松明で照らす。
「うひゃー!
八咫烏様や!!」
いつの間にやら、大きな烏が槍の先にとまっていたのだ。
勘三郎は羽音も立てず、京に向かって飛び去った。
「カアー、カアー、カアー!」
「カラス三声や。明けの烏や!!」
又蔵が震えている。
神妙にかしこまっている。
「わしは熊野、それも那智勝浦の生まれなんじゃ。
八咫烏様は神武天皇をお導きになった烏じゃ!
夜明けを告げ、人をお導き下さる賢い鳥とも聞いておる!!」
「うひゃー!」
菊二郎が腰を抜かしている。
「や、槍の穂鞘が…!」
穂鞘が黄金色にほのかに輝いている…。
それから四半刻、三人はおし黙って行軍した。
又蔵は震える手で槍の柄を握り締めている。
馬上から惣右衛門が、
「ここは老の坂。
ここを過ぎれば丹波の国から山城の国に入るぞ!」
「そういうたら今は夏至の頃やで。
夜明けはもうじきぞ、菊公」
「そやな、又公。
夜明けは早いし、日の暮れるのは遅い。
今日は長い一日になるかも知れへんで…!」
…その前日の二十九日早暁。
豪雨をおして光秀は愛宕山を出た。
亀山城本丸で五宿老と光秀父子、長老の東六郎兵衛行澄の八名で密議をした。
光秀は五つの書簡を青畳の上に並べ、経過を説明した上で意見を求めた。
「裏の裏の裏の裏か・・・」
娘婿の明智左馬助秀満のつぶやきから始まった軍議は真っ二つに割れた。
辰の下刻(午前九時)から始めたが収まる気配がない。
…ふーむ。
さすが織田家中随一の知将、明智殿の家臣団じゃ。
どなたも大名ができそうな器ではないか。
忍びのわしの知らぬ事までよく知っておるし、この先の読みも深い。
さあこの先はどうなるかの?
聞いておるのは面白いが…早く決めてくれんかのう。
半蔵様ヘの繋ぎ役の隼の吉丸は忸怩たる思いじゃろうて…。
本丸の床下の柱に添って竹が一本。
土の中から伸びている。
竹は床の中まで入っている。
土の中で気を殺して聞き耳を立てているのは伊賀の中忍、菊二郎だった。
軍議は熱を帯び一刻半続いた。
長老の行澄がまとめにかかる。
「いつまでも軍議という訳にもいかぬ。
時の猶予がない。
明日の申の刻には出陣じゃぞ。
利三様はいかに?」
「わしは言える立場にない。
意見を言うには元親殿とわしは親し過ぎる」
「では光慶様はいかに?」
左馬助が光慶に振った。
利三と光慶は発言をしていなかった。
明智十兵衛光慶。
若干十五歳。
四歳上の珠は細川忠興に嫁いでいる。
生来無口だが眼光は鋭い。
じっと大人達の発言を聞いていたが初めて口を開いた。
「光慶はお屋形様を邪と見る。
『第六天魔王』などと豪語するお方の裏には何かがあると見た」
座に静寂が訪れた。
光慶の小声が透る。
「我ら一党の事はさておき、このまま野放しでは日本の国が危うかろう。
我ら武門は戦さのためにあるのではない。
民の平安を護るためにある」
胆力を言葉に感じる。
「三河様に組するを持ってよしとする!」
(よし!吉丸へ急いで繋ぎじゃ!!)
…菊二郎は穴の中で拳を握り締めた。
一刻(2時期)、四半刻(30分)




