098 沖田さんの微熱
眠い……。
もう少しだけこのまま布団にくるまっていたいけれど、土方さんの声は徐々に苛立たしさが増している……。
さすがにこれ以上寝たふりを続けるのは無理そうで、仕方なく少しだけ顔を出してみた。
「あと少しだけ……」
「はぁ!? いい加減、起きろ!」
「ちょっ! 私の布団~っ!」
容赦なく布団をはがした土方さんが、ニヤリと私を見下ろしている。
お、鬼かっ!
土方さんの視線を横目にのろのろと布団をたたみ終えれば、顔を洗って目を覚まそうと井戸へ向かうのだった。
「ふぅ。すっきり!」
これで目も覚める。と思ったのもつかの間、手拭いで顔を拭いている最中にあくびが出た。
連日の忙しさに疲れは溜まっていく一方で、正直、何をしようと眠いものは眠い。
何とか眠気を誤魔化しながら広間へ向かうも、途中、とうとう堪えきれずに口が開いた……と同時に、後ろから誰かに抱きつかれ、あくびが大口をあけたまま中途半端に止まる。
「ふぁ!?」
な、何っ!? というか誰っ!?
抜け出そうともがいていると、頭上からケラケラと楽しげな笑い声が降ってきた。
「沖田さん!?」
「お~、正解です」
「は、離してもらえますか?」
「護身術の訓練ですよ~。これくらい対処できないようじゃ、また襲われても知りませんよ?」
「なっ!」
私の反応を面白がる沖田さんは、わざとらしく耳元に顔を寄せて囁いた。
「大きなあくびでしたね、春くんも寝不足ですか?」
く、擽ったい……。おまけに見られていたとあっては、そっちもそっちで恥ずかしい。
「す、少しです! ……って、沖田さんもですか?」
「ええ。暑くてじめじめしてるせいか寝付きがよくなくて。昨日は特に寝汗も酷かったですし」
「なるほど……」
確かに梅雨っぽい気候ではあるけれど。
でも……珍しく昨夜から今朝にかけては、ずっと布団にくるまっていたいと思うくらいには、比較的過ごしやすかった。
まぁ、感じ方は人それぞれ……って、あれ?
何となく、沖田さんの触れている背中がじんわりと熱い気がする。
寝汗が酷かったとも言っていたし、もしかして……。
「沖田さん……風邪でも引きましたか?」
「ん~。まぁ、言われてみれば少し身体が重い気もしますけど、大したことないですよ~」
自覚症状あり?
けれど沖田さんの場合、風邪だって侮れない。まさかだけれど、労咳が発症してしまったなんてことはないよね……!?
沖田さんの腕の中で勢いよく振り返ると、すぐ近くで私を見下ろす驚いた顔には目もくれず、盛大に嫌な鼓動を刻み始める心臓を押さえながらそのおでこに手を当てた。
少し熱い気がする。……微熱?
けれど井戸水を触ったばかりだから、私の手が冷たいだけ?
一度離した掌を自分のおでこにも当てて比べてみるけれど、やっぱり少し熱い?
わかんない……体温計でもないと、わかんないよ!
「急に怖い顔してどうしたんです? 大丈夫ですよ」
いつの間にか離れていた沖田さんの両腕を掴みながら、思いつくままの質問を投げかけた。
「咳は? 咳が出るとか痰が出て血が混じってるとか熱が続くとか怠いとか、まさか……血を吐いたりは!?」
私の心配など露知らず、沖田さんは堪えきれないとばかりに吹き出した。
「あはは、突然どうしたんですか~? 咳とか血を吐くとか、それじゃまるで、僕が労咳みたいじゃないですか」
「えっ!? あっ、いや、その……」
「相変わらず春くんは心配性ですね。でも、労咳でも風邪でもないので安心してください。ちょっと疲れが溜まってるだけですよ」
「本当、ですか?」
「うん。春くんこそ大丈夫ですか? 怖い夢でも見ちゃったんですか~?」
よしよしと私の頭を撫でた沖田さんは、何事もなかったように広間へと入って行った。
思わず取り乱してしまったけれど、冷静に考えてみれば、もし血を吐いていたりしたらそれはもう末期の症状に近いはず。あんな風に普通に歩いたり食事をしたりは、もっと困難だろう。
そうすると、やっぱり風邪の初期症状なのかな。
労咳の初期症状も風邪と似ていると聞いたことがあるけれど……今ここでそれを確認する手段はないし、できたところで私には治せない。できるのは、発症させなようにすることだけだ。
だからこそ、ただの疲労や風邪であったとしても、養生してもらうのが一番!
急いで広間へ行って沖田さんの隣に陣取ると、好き嫌いも多くて食の細い沖田さんに、あれこれ食べるよう勧めた。
しばらくして、遅れてやって来た土方さんが私の隣に腰を下ろした。
「土方さん! 沖田さんを養生させてください!」
「は? いきなり何だ?」
土方さんは、お箸で摘まんだ沢庵を口元でお預け食らってしまい、もの凄く不機嫌そうな返事だけれど、そのままゆっくり腕を下ろすと、私を通り越して沖田さんを見た。
「総司、具合でも悪いのか?」
一緒になって沖田さんを見つめれば、おもむろに自分のお膳から沢庵を摘まみ上げ、ポリポリとわざとらしいほどの音を立ててから土方さんに向かって微笑んだ。
「いいえ~、どこかの土方さんが仕事をたんまり寄越すから、疲れてるだけですよ~」
「……ほう。そりゃあ大変だな」
「その人、血も涙もない鬼だから仕方ないんですけどね~。春くんも、そう思いませんか?」
「えっ!?」
そこで私に振るっ!?
土方さんの鋭い視線が私に向いた隙に、沖田さんは身を乗り出すなり土方さんのお膳に箸を伸ばし、沢庵を摘まみ上げた。
「おい、総司! てめぇ、何勝手に俺の沢庵取ってやがる!」
「ああ、すみません。それじゃあ、貰っていいですか~?」
「やらねぇよ! って、もう、てめぇの口ん中じゃねぇかっ!」
「あれ~? あ、本当だ~。じゃあ、これで春くんも同罪っと」
沖田さんは土方さんのお膳へと再び箸を伸ばし、沢庵を一切れ私の小皿へと素早く移動させた。
お、沖田さんめっ!
「おい、総司!」
二人はいっつもこうだ。端から見ている分には面白いけれど、巻き込まれてとばっちりを食うのは割に合わないんだから。
って、今回は面白いで済ませるわけにはいかないんだった!
慌てて土方さんに向き直ると、再び沢庵に箸を伸ばしているところだった。
タイミング悪っ! けれども事は急を要するのです!
「土方さん! 沖田さん少し熱があるみたいなんです!」
「んあ?」
小さく舌打ちをした土方さんは、お箸を置いて酷く面倒くさそうに立ち上がるけれど、沖田さんの後ろへ立つなり掌をそっと眼下のおでこにあてがった。
「確かに少し熱いか?」
「普段と大して変わりませんよ」
自分のおでこと比較を始める土方さんの手を気にすることなく、マイペースに食事を続ける沖田さんの言葉に納得しかける土方さんの袖を慌てて引っぱった。
「そんなことないですっ! 若干熱いですよ!」
「熱いったって微熱だろ?」
「なっ、微熱だって熱ですよ!? 沖田さんは微熱でも休まなきゃダメなんです!」
力説する私のおでこに、突然、土方さんの掌があてがわれた。
「っ!?」
「お前も総司と大して変わらねぇぞ? 具合悪いのか?」
「い、いえ、全く! って、私は平熱が高めなんです!」
「そうかよ。まぁ、飯も食ってそんだけギャーギャー騒げんだから大丈夫だろ」
「いや、私じゃなくて沖田さんのことですから! そもそも、ギャーギャー騒いでなんかいませんから!」
危うく話が刷り変わりそうになるのを修正する間に、土方さんは自分のお膳の前へ戻り、沖田さんは御馳走様でした、と手を合わせて立ち上がる。
「さて、汗水垂らして、血反吐を吐くほど働くとしますか~」
なっ! それはダメ!
沖田さんの場合、洒落にならないからやめて!
広間を出ていく沖田さんに向かって、土方さんはやっとありつけた沢庵を口に入れる手前で呟いた。
「総司。本当にヤバかったらちゃんと言え」
土方さんも、何だかんだでちゃんと沖田さんの体調を気にしてくれているのだと、ホッとしたと同時にちょっぴり暖かい気持ちになった……のもつかの間。沖田さんは首だけで振り返りニッコリと微笑んだ。
「当然じゃないですか~。その時は、僕の分までしっかり働いてくださいね? 土方さん」
「ふん。ぶっ倒れるまで働いてきやがれ」
「はいは~い」
どうしていつもこう……どっちも素直じゃないのか!
何て思わず笑みをこぼすと、ポリポリと美味しそうに沢庵を頬張る土方さんのお膳に、まだ手をつけていない私の沢庵の小皿を移動させ、手を合わせてから沖田さんを追いかけた。
「沖田さん」
「何です~?」
「ちゃんと休んでくださいね」
「大丈夫ですよ」
いや、あなたの場合は大丈夫じゃ済まなくなるかもしれないから!
後ろ姿に向かって必死に訴えていたら、沖田さんの部屋の前まで来てしまった。
途中に見えた大部屋では、体調を崩し寝込んでいる人が何人もいた。連日の忙しさに梅雨独特のじめじめした気候。屈強な男揃いとはいえ、体力にだって限界はあるからね……。
自室へ入った沖田さんは、適当な返事を寄越しながらなぜか浴衣の帯をほどき始めた。
「えっ!? ちょ!」
「春くん? 何で後ろ向いてるんです?」
「何でって……むしろ、何でいきなり脱ぐんですか!?」
「着替えるからですよ」
ああ、そっか、そうだよね……。
沖田さんが着ていたのは、寝間着変わりの浴衣だったもんね。
家族の前でも平気で着替える兄がいるし、夏になれば海やプールで水着の男性は当たり前のように上半身裸だし、見たことがないわけじゃないけれど!
それでもね、土方さんが着替える時だって後ろを向いて見ないようにしているわけで!
だって……“脱ぐ”という動作にドキドキするというか何というか……って、私は変態かっ!
「と、とにかく! 無理だけは絶対にしないでくださいねっ!」
それだけ告げると、後ろ手で閉めた障子の向こうからは、何とも沖田さんらしい適当な返事が聞こえるのだった。




