059 文久三年、煤払い②
近藤さんの部屋を出ると、廊下の向こうから藤堂さんがやって来た。
「あ、いた。もし手が空いてるなら手伝って欲しいって、源さんが呼んでるよ」
私? それとも沖田さん?
振り返るけれど……あれ、いない。
正面に向き直れば、藤堂さんが笑っている。
「アンタのことだから」
「あのっ、そうじゃなくて。今まで沖田さんも一緒だったんですけど……」
「総司さんなら、とっくに向こうへ行ったよ?」
そう言って、私の後ろの方を指さした。
とうとう逃げられたかっ!
藤堂さんと台所へ行くと、額にうっすらと汗を浮かべる井上さんがいた。
「おっ、春。悪いんだが、これ握るの手伝ってくれないか?」
井上さんが指をさす先には、大量に炊けたご飯がある。
「これ全部ですか!?」
「今日は一日かかりそうだろう? 簡単につまめる方がいいと思ってな。ほら、平助も手伝ってくれ」
というわけで、三人でおにぎり作りに取りかかる。
せっせと握ってお皿に並べていけば、井上さんが感心したように言う。
「やっぱり春は上手だな。形が綺麗だ」
私のお皿をチラリと見る藤堂さんが、負けじと口を開く。
「握った数ならオレの方が多いけどね」
「確かに大量に作らなきゃいけないですし、もうちょっと早く握った方がいいですよね」
「じゃあさ、今からたくさん握った方が勝ちね」
またしても、藤堂さんの独断で勝負になってしまった。今回は、おにぎり早握り対決らしい。
手早くおにぎりを握っていきながら、ずっと気になっていたことを訊いてみる。
「藤堂さんて、勝負するの好きですよね?」
「そう? 何かさ、春にだけは負けたくないって思うんだよね」
「な……変な対抗心燃やすのやめてください!」
結局、数は藤堂さんが若干多かったけれど、形は私の方が綺麗ということで、井上さんの判定で引き分けとなった。
さっそく、おにぎりを藤堂さんと一緒に広間へ運べば、永倉さん原田さん率いる畳叩き班が真っ先に飛びついた。
「やっぱ、働いたあとの飯はうめーな!」
「何言ってんだ、左之。まだ終わってないぞ」
「細かいこと気にしねーで、新八も食えって」
「ま、腹が減っては戦はできぬ! だな」
そんな会話を聞いていた藤堂さんが、笑顔で割って入る。
「働かざる者食うべからず。そう言えば、八木さんが母屋の畳もよろしくって言ってたよ」
途端に落胆の色を滲ませる畳叩き班。普段からお世話になっている八木さんの頼みなら、無視するわけにはいかないもんね。
丁度手も空いたし何か手伝うことはないかと申し出れば、原田さんが藤堂さんの首を脇に挟んだ。
「うわっ、ちょっと、左之さん!?」
「こっちは平助もらってくから大丈夫だ。それより、あっちで障子の張り替え手伝ってやってくれ」
「げっ。オレこっち!?」
抵抗する藤堂さんを無視して原田さんが指さしていたのは、広間の反対側で障子を張り替えている斎藤さんたちだった。
さっそく斎藤さんもとへ行き、声をかける。
「お疲れ様です。おにぎり用意してあるんで、あとで食べてくださいね」
「ああ。ありがとう」
「手が空いてるので手伝いますね」
斎藤さんに倣い、すでに紙が取り払われた障子の桟を雑巾で拭いていった。
雑巾が汚れれば庭へ行き、洗い用に置いてある水が張った木桶に雑巾を突っ込むけれど。蛇口を捻ればお湯が出る……わけもなく、水は井戸から汲み上げるから冷たい。
かじかんだ手を解すように閉じたり開いたりしていたら、雑巾を洗いに来た斎藤さんが、心配そうに声をかけてくれた。
「大丈夫か?」
「……はい、大丈夫です。冷たいだけです……」
こういう作業をしていると、つくづく思う。当たり前だと思っていたことが、実は凄く恵まれていたことなのだと。
冷えきった手を擦り合わせていると、貸してみろ、と斎藤さんが手を出した。お言葉に甘えて雑巾を渡そうとするも、斎藤さんが掴んだのは雑巾を持ったままの私の手で、そのまま包み込むように握られた。
「あ、あの、斎藤さん?」
「冷えてるな。こうすれば少しは温まるだろう?」
そう言うなり、今度は私の指先に、はぁ~っと息を吹きかける。
「顔が赤いがどうした? 風邪でも引いたか?」
「へ? い、いえ? その……」
ろくに返事もできずにいれば、驚く間もなくコツンとおでことおでこがぶつかった。
「なっ……さ、さっ、斎藤さんっ!」
近いからっ!
その場で身体を仰け反らせば、何でもないことのように斎藤さんが言い放つ。
「雑巾を持った手で触れては汚れるからな」
「だ、だからって、びっくりするじゃないですかっ!」
「それだけ元気なら、風邪ではなさそうだな」
絶対わざとだこれっ!
案の定、斎藤さんはニヤリと意地悪な笑みを浮かべてから、満足したように私の手を解放するのだった。
障子紙の張り替えもそろそろ終わりが見えてきた頃。他に終わっていないところがあれば手伝おうと、屯所の中を歩いていた。
ふと足を止め見上げた空は、随分と日も傾き、うっすらと朱色に染まり始めている。掃除を終えた隊士たちが集まり始めているのか、中庭の方が少し騒がしかった。
不意に、風が私の髪を揺らしていけば、その冷たさに思わず身震いした。十二月十三日とはいえ、現代ならきっともう一月。そろそろ雪が降ってもおかしくない。
早く炬燵に入りたい……。
はぁ~、と手に息を吹きかけ擦り合わせれば、朝まではなかったガサガサとした感触に、両方の掌を広げて見た。
「だいぶ荒れちゃったな……」
稽古をするようになってから、掌の皮も少しは厚くなったと思っていたけれど、冷たい水の雑巾絞りには耐えられなかったらしい。
はぁー、と今度は白いため息がこぼれた。
「春さん、どうしたんですか?」
声のした方へ向き直ると、山崎さんが立っていた。
答えるよりも前に私の手荒れに気づいた山崎さんが、随分と心配した様子で側へ来るなり私の手を取った。
「大丈夫ですか?」
「ただの手荒れだから大丈夫ですよ。ほっとけばすぐ治ります」
「ちょっと待っていてください」
そう言い残してどこかへ行ってしまったけれど、すぐに戻って来た山崎さんの手には大きめの貝が握られていて、それが膏薬だと気づく私はだいぶこの時代の生活にも慣れてきたのかな……と思うのだった。
「肌荒れによく効く薬です。手を出してください」
「ありがとうございます。でも、自分で塗れますよ?」
「いえ、私にやらせてください」
わざわざ薬まで持って来てくれたので、ここは山崎さんの好意に甘えることにした。
並んで縁側に座れば、薬を塗りながら掌をマッサージまでしてくれて、凄く気持ちがいい。
「こうやって揉みほぐすと、今日の疲れも少しは取れるような気がしませんか?」
「はいっ。凄く気持ちいいです。ずっとこうされてると寝ちゃいそうなくらい」
そう言うと、いつもの眩しいくらいに優しい笑顔が返ってきた。
「疲れた時は遠慮なく言ってください。春さんは凄く頑張っているから、私にもこれくらいのお手伝いはさせてください」
「私なんてまだまだです。でも、ありがとうございます」
しばらく掌をマッサージしてもらっていると、今までどこに行っていたのか、ひょっこりと沖田さんが姿を現した。
「あっ。春くんこんな所にいた! ……って、丞さんと手なんか握り合って何してるんです? もしかして春くん、やっぱり男色だったんですか?」
「なっ、違いますよ! 薬を塗ってもらってただけです! って、やっぱりって何ですか、やっぱりって!」
「だって、男色疑惑の流れた土方さんと一緒の部屋で寝起きしてるじゃないですか~」
「私も土方さんも本当に違いますからね!?」
「あはは、冗談ですよ~。春くんはからかうと本当に面白いです」
「なっ!」
「土方さんが男色じゃないのは知ってますよ。伊達に長いつき合いじゃないですからね~。そんなことより、みんな中庭に集まってるので、お二人も早く来てくださいね。鬼の副長が、本物の鬼になっちゃいますよ~」
言うだけ言って、さっさと行ってしまった。
あれだけ長い会話をしておきながら、要点は一言だったような?
ひとまず山崎さんと中庭へ向かうけれど、ふと、沖田さんの台詞を思い出し慌てて山崎さんを見上げた。
「あのっ、山崎さん。私、男色じゃないですからね?」
山崎さんはまだ入隊して間もないのに、変な誤解をされるのは嫌だ。
「安心してください、わかってますよ。そもそも春さんは女性だから、男色にはなれませんよ」
「あ、それもそうですね」
おかしくて笑いながら中庭へ行くと、土方さんに睨まれた。
「お前らおせぇぞ。まぁいい、これで全員揃ったな」
みんな口々に、誰だ、誰だ? と顔を見合わせている。いったい何のことだろうと思いながら、少し遠巻きに様子を見ていた。
「ここはやっぱり、局長の近藤さんじゃないですか~?」
沖田さんがそう言うと、みんな納得したように近藤さんを取り囲む。
「別に俺じゃなくてもいいんだぞ?」
そう言いながらも、近藤さんはどこか嬉しそうな顔をしている。次の瞬間、なぜか近藤さんは宙を待っていた。
……胴上げ? 何で!?
不思議そうに見ていたのがバレたのか、隣にやって来た井上さんがこっそり教えてくれた。
どうやら煤払いが終わると、こうして胴上げをするらしい。理由は井上さんも知らないらしく、ただ、昔から当たり前のようにそうしてきたのだと。
近藤さんが終われば、次は誰だ? と、まるで獲物を探すかのような雰囲気が漂う。
「やっぱり副長でしょう」
沖田さんの楽しげな声を合図に、今度は土方さんが囲まれた。
「お、俺はいい! 総司、てめぇ!」
必死に逃げようとしていたけれど、丸腰なうえに多勢に無勢。問答無用で宙を舞う。
それを見た沖田さんが、ケラケラと指をさして笑っている。
思わず一緒になって笑っていれば、やっと解放されたらしい土方さんが、次はあいつだ! と指をさして指名した。
副長直々に指名されるなんてかわいそうに。誰だろうと、指の先を確認するべく後ろを振り返るけれど。
……あれ? 誰もいない。
正面へ向き直れば、隊士たちの視線が私に突き刺さっている。
「ま、まさか……」
身の危険を感じて後ずさるも、気づけば私も宙を舞っていた……。
大人の本気の胴上げって、想像以上に高く舞って結構怖いからねっ!
眼下に見える土方さんがニヤリと笑っていて、笑った仕返しのつもりか! と思うのだった。




