053 うなぎとまむし
十一月も半ばになると、幕府の要人が大坂へ行くというので新選組もそれに従い下坂した。
山南さんが怪我をした前回からおよそ一月ぶりの大坂だけれど、当然、今回山南さんは一緒に来ていない。
いつもの京屋へつくと、任務時の装備を解いてほっとするのもつかの間、ほとんどの隊士たちが声をかけ合い我先にと町へ繰り出した。
そんな様子を横目で見ていれば、永倉さん原田さん藤堂さんの三人が、一緒に行くか? と声をかけてくれた。
一人ぽつんとしていたので、気を使ってくれたのかもしれない。
ただ、この三人が行くところも、やっぱり遊郭らしい。
さすがにそれはちょっと……ね。
綺麗なお姉さんたちと女子会のように盛り上がれるならまだしも、今の私は男装中。全くもって楽しめる気がしない。
丁重にお断りすれば、察してくれた永倉さんが苦笑しながら納得してくれる。
そんな永倉さんが、原田さんと藤堂さんの背中を押すようにして部屋を出たところで、そういえば……と思い出したように原田さんが振り返った。
「あの噂は本当なのか?」
「あの噂?」
「お前が男色だっていう噂を聞いたぞ?」
「あれ? それ、私じゃなくて土方さんですよ」
あれは確か、九月の上旬に初めて大坂へ来た時のこと。私の保身という大義のため、やむを得ず、土方さんに男色疑惑を被っていただいたわけだけれど。
当然のごとく土方さんには怒られて、人の噂も七十五日と思いながらも、思いのほか広まってしまった噂をそれなりに火消しに努め、疑惑も晴れたとばかり思っていたのに。
そういえば……あれから七十五日くらい経つけれど、まさか、そのせいで次は私になったとか!?
不意に、突き刺さるような視線を感じて慌てて見れば、襖の傍らに立つ土方さんが、鬼のような形相で睨んでいた。
ヤバイ……怒ってる。あれは相当怒っている!
「えっとですね、土方さんも私も違いますからね! 所詮は噂じゃないですか、噂! いい迷惑です」
「何だ、やっぱりそうか」
やっぱりって! そう思っていたなら訊かないでよ!
土方さんに無駄に睨まれたじゃないか!
「と、とにかく、今日はお留守番してますから、また今度誘ってください」
そう言って三人を送り出せば、土方さんも鴻池さんのところへ挨拶に行って来る、と出掛けて行った。
窓枠に腕をのせ、さらにそこへ頭をのせて外を眺めていた。前のこういう時間は、山南さんとお喋りをしたっけ。
あんな事件さえ起こらなければ、今回もまた、一緒に穏やかな時を過ごしていたかもしれないのに。
ゆっくりと目を閉じれば、賑わう町の喧騒も、部屋に残っている隊士たちの会話も、少しずつ遠退いていく。
このまま余計なことは考えず、意識を手放してしまおうか……。
「具合でも悪いんですか~?」
すぐ近くからしたそんな声が、薄れかけていた私の意識を呼び戻した。
腕に頭をのせたまま、ゆっくりと瞼を上げると同時に声のした方を見れば、いつからそこにいたのか、着物の袖も触れてしまいそうなほどの距離に沖田さんが座っていた。
壁に背を預け、顔だけをこちらに向けている。
「……そんなんじゃないです」
具合が悪いわけじゃない。何となく、ただ何となく、油断したらあふれてしまいそうになるだけだ。
「春くんは、色々頑張り過ぎなんです。稽古も隊務も、それこそ洗濯や料理当番だって、常に全力だから疲れるんです。もっと手を抜くことも覚えた方がいいですよ~?」
もしかして、心配してくれている?
沖田さんなりに励ましてくれている気がして、背伸びをするように窓から腕を放した。
同時に、天井へと伸びた腕の先に視線を移せば、笑って私たちを見下ろす井上さんの顔が見えた。
「総司のように、抜き過ぎるのも問題だけどな。総司こそ、少しは春を見習ったらどうだ?」
「嫌だなぁ、源さん。それじゃまるで、僕がいつも手を抜いてるみたいじゃないですか~」
突然矛先を向けられた沖田さんが、わざとらしく口を尖らせてみせるけれど、つき合いの長い井上さんは全く動じる様子もない。
「お前が全力なのは、剣を振るってる時くらいだろう」
「え~、まぁ否定はしませんけど」
さすがは沖田さん、そこはやっぱり否定しないらしい。
二人の気兼ねないやり取りを微笑ましく思いながら、井上さんに向き直り、私も壁に背を向けて座り直す。
ふと、井上さんが心配そうな顔で私を見た。
「春は具合悪いのか? うなぎでも食べに連れてってやろうと思ったんだが、またにしておくか?」
「……え、うなぎ!? 行きます。食べたいです。具合悪くなんかないし、この通り元気ですっ!」
勢いよく返事をしてしまったせいか、二人が同時に吹き出した。
「春くん。とりあえず、落ちつきましょうか~」
「それだけ元気なら大丈夫そうだな」
「はい! 急いで支度します!」
宣言通り急いで支度をして、半ば二人を急かす勢いで宿を出た。
だって、前回の山南さんとの甘味のように、不逞な輩に邪魔をされてはたまったものじゃないもの!
さっそく宿を出たはいいけれど、外はやっぱり寒かった。
十一月の半ばといえど現代に直せば十二月の……いや、やめよう。考えるだけで余計に寒くなる。
はぁ~っと白い息を手に吹きかけながら、井上さんの案内のもと、三人で寒空の下をさらに寒さを煽る川沿いを歩く。
寒い寒いと私もうるさいけれど、隣を見れば、井上さんも沖田さんも同じくらい寒がっている。
「帰りは違う道から帰ろうか……」
そんな井上さんの提案に、私と沖田さんは縮こまりながら頷くのだった。
川沿いを歩いていくと、難波橋付近でうなぎのいい匂いが漂ってきて、危うく私のお腹が反応しそうになった。
どうやら目当てのお店はそこらしく、入るなりさっそく井上さんが注文してくれる。
「まむし三つ頼む」
やったー、まむしー!
……って。マ、マムシ!?
「井上さん。ここってうなぎ屋さんですよね?」
「ん? そうだぞ? いい匂いしてるだろう?」
「そ、そうですよね。うなぎ屋さんですよね……」
でも、マムシ三つって頼まなかった?
マムシって、やっぱりあのマムシ? むしろ、あのマムシしか知らないのだけれど。
「うなぎ屋さんなのに、マムシなんてあるんですか……?」
「そりゃあ、うなぎ屋だからなぁ」
うわー。まるで、うなぎ屋さんにマムシは常識と言わんばかりの口ぶり!
確かにどっちも細長いけれど!
「あの……そもそもマムシって、食べられるんですか?」
「ん? ……ああ! もしかし――ふぐっ」
何かに気がついた様子の井上さんの口を、なぜかニヤニヤと笑う沖田さんが手で塞いだ。
「春くん、知らなかったんですか~? まむしってと~っても美味しいんですよ?」
「そ、そうなんですか? あの、でも、毒とか大丈夫なんですか?」
「あー、それがですね、たま~に毒に殺られて亡くなる人がいるんですよ~。もし死んじゃったら、運がなかったってことで諦めてください」
そう言って、とびっきりの沖田スマイルを寄越してみせた。
無理っ! 何そのロシアンルーレット!
こわっ! 幕末、怖すぎるからっ!
まだ死にたくはないので、今にも鳴りそうなお腹を押さえて断ろうとしたら、いまだ口を塞がれていた井上さんが、真っ赤な顔で沖田さんの手を払いのけた。
「総司ッ! 苦しいぞ! お前は俺を殺す気かっ!?」
「そんなわけないじゃないですか~。ああ、でも、まむしに殺られちゃうかもしれないですね~?」
沖田さんはどこまでも楽しそうだけれど、そんな話を聞いてしまった以上、マムシなんて食べられそうにない。
「井上さん。マムシはやめましょう! ご飯に命はかけられません!」
その瞬間、盛大に吹き出した沖田さんがお腹を抱えて笑い転げた。
な、何がそんなにおかしいんだ……?
「総司……冗談もその辺にしとけ。あんまり春をからかうんじゃない」
「……へ?」
からかわれていた……の?
「まさか、ここまで騙されてくれるとは思いませんでしたよ。春くんは素直で面白いですね~」
「……は? 沖田さん?」
素直と面白いを同列に扱うのもどうかと思うけれど、どうやらまんまと沖田さんの冗談にしてやられたらしい。
ただ単に、京坂ではうな丼のことを“まむし”と呼ぶらしい。
江戸のうな丼とは違い、ご飯とご飯の間にうなぎを挟んで蒸すから間蒸しになったとも、ご飯にまぶすが訛ってまむしになったとも言われているらしい。
そんなまむしを、運ばれてくるなりさっそく口へ運べば、思わず頬が落ちそうになった。
「沖田さん、酷いです。こんなに美味しいもの、危うく食べ損ねるとこだったじゃないですか」
「まぁまぁ、待ってる間のいい暇潰しになったでしょう?」
「暇潰しできたのは、沖田さんだけですからね!」
ニコニコとどこまでも楽しそうな沖田さんに抗議をしつつ、美味しいまむしを堪能するのだった。




