050 初めての死番
どこかピリピリとした雰囲気の中、熱で辛そうな隊士を見上げ、半ば勢いに任せて口を開く。
「死番なら私が代わります。だから、あとのことは気にせず、今日は屯所へ戻って休んで下さい」
「しかし……」
「そんな状態では、いざって時、仲間にも迷惑をかけてしまうかもしれませんよ? 私が責任を持って引き継ぎますから!」
真っ先に斬られる可能性がある死番は、一番死に近い。待ち伏せする方も闇討ちをするくらいだから、殺すつもりで斬りかかってくるはずだ。
それってつまり……心眼がある私には通用しない。
闇討ちだろうと果たし合いだろうと、殺そうとしている時点で私を殺すことはできないのだから……。
……って、何! この中二病前開な感じは! 恥ずかし過ぎるっ!!
とはいえ事実だ。今頃気がついたけれど、死番は、心眼を持っている私が一番適任なんだ。
「それなら、春に任せてもいいか?」
申し訳なさそうに訊いてくる原田さんに、もちろんです、と頷いた。
隊士に肩を借りながら屯所へ帰って行く背中を見送れば、空き家に向き直り、一つ大きな深呼吸をする。
怖くないと言えば嘘になるし、最もらしい理由をつけて勇気を奮い立たせているだけで、どんな理由をつけようと怖いものは怖い。
それでも、誰かが傷つく姿はもう見たくないから。
振り返り原田さんを見つめる。無言で一つ頷き返されたのを確認してから、目の前の扉を開けた。
「新選組です! 中を改めさせていただきます!」
結局のところ、ただの空き家だった。中には誰もおらず、不逞浪士や攘夷志士が隠れていたという痕跡もなかった。
薄暗い空き家を出た瞬間、太陽の刺すような眩しさに目を細めながら、こっそり安堵のため息をこぼす。
視線を感じて振り向けば、藤堂さんと目が合った。一応振り返り後ろを確認するけれど、誰もいない。
「アンタのことだから」
そう言って、苦笑する藤堂さんに同じような笑顔を返す。
藤堂さんはそれ以上何も言わず、不満……とも少し違う、どこか納得のいかないような顔をしている。
「藤堂さん? どうかしましたか?」
「……ねぇ。初めての死番で、それも急遽決まったことなのに怖くないの?」
「それは……正直に言えば怖いです。でも、それ以上に怖いことを知っちゃったので」
笑顔を取り繕いながら、山南さんのことを思い出していた。身近な人の血を流す姿なんて、もう見たくない。
隊士全員の死に様を知っているわけじゃない。知っていたのに救えなかった命もあれば、知らずに散らせてしまった命もある。
私が知らないだけで、死番で亡くなってしまう人がいるかもしれない。だったら、私が入ることで死なずに済む人がいるかもしれない。
知らないのだから仕方がない……そう割りきれるなら、進んでこんな怖い思いもしないで済むのだろうけれど。
未来のことを語るなと言われ口をつぐんだ私は、これ以上、見て見ぬふりなんて出来そうにないから。
それをしたら、私は私でいられなくなるほどの後悔に、押し潰されてしまうような気がするから。
最悪な結末だけは絶対に回避したい。そのために、私は私にできることをする。それだけのこと。
私を見つめる藤堂さんは、やっぱりどこか納得のいかないような顔をしている。気にはなるけれど、今は隊務に戻ることにした。
自分から死番を引き継ぐと言ったのだから、勤めはきちんと果たさないと!
残りの巡察も滞りなく終わり、無事に屯所へと帰って来た。
死番をやったせいなのか、気が高ぶっている感じがまだ抜けそうになく、夕餉までの少しの間、稽古の相手をお願いできないかと声をかけてみた。
いいぞ、と即答する原田さんの横で、藤堂さんが力なく玄関を上がっていく。
「悪いけど、オレは少し寝る。晩飯減る分、体力温存したいし……」
ああ! すっかり忘れていた!
「藤堂さん! やっぱりあの勝負はなかったことにしましょう!」
「何言ってるの。勝負は勝負でしょ。いいよ、次はオレが勝つだけだから」
藤堂さんが、何やら変な対抗心を燃やし始めている!?
そんな藤堂さんに見送られて、原田さんと一緒に稽古場へ向かうけれど。やっぱりどこか、藤堂さんはいつもと違うような気がした。
どこがどうというわけではないけれど……。
* * * * *
部屋に戻ったオレは、とりあえず畳の上に寝転がった。
あのまま稽古につき合ってもよかったけど、巡察中に沸き起こったもやもやした気持ちが晴れず、それらしい理由をつけて逃げて来た。
両腕を枕にして天井を仰ぎ見れば、ついさっき口にしたばかりの言葉が頭に浮かぶ。
「体力温存したいから寝る……か」
随分と子供染みた言い訳に、思わず自嘲の笑みがこぼれた。
そもそも、何で勝負したんだっけ。
一度瞼を伏せ、脳裏に巡察中の春とのやり取りを思い浮かべていく。
左之さんが春を小動物みたいだと言って、オレも二十日鼠みたいだと言ったんだっけ。
ああ、そうか。
そうしたら春が、俺を子犬みたいだと言ったんだ。
何だよ、子犬って。
琴月春。
どこか他のみんなとは雰囲気が違ってて、面白いヤツ。
馬鹿みたいに真っ直ぐで、人を疑うことも知らなくて、世間知らずというか常識知らずというか、物事を知らな過ぎるところもアイツの面白さの一つ。
だけど、大八車に轢かれて記憶を失くしたせいらしいから、そこは同情する。アイツもきっと、色々苦労してきたのかもしれない。
いつもへらへら笑ってて、そんな素振り全然見せないけど。
新見さんの剣をあんな風に避けてみせたくせに、剣術は知らないからと誰よりも稽古に励んだり。
突然巡察に出るようになったかと思えば、進んで死番まで引き受けたり。
オレより小さいくせに、これ以上大きくならなくてもいいと言ってみたり。
オレが呼んでも、一度で気づかなかったり。
いつも、予想の斜め上をいくような面白いヤツ。
今日もアイツは笑ってたけど……。
――正直に言えば怖いです。でも、それ以上に怖いことを知っちゃったので――
どうしてあんなに苦しそうに笑ったんだ?
あんな顔するくらいなら、最初から死番なんて引き受けなければよかったのに。
死番なんて、誰だって最初は怖い。
オレだって最初はそうだったし、今だって、やらなくて済むならやりたくない。面倒だし。
でも、そういうわけにもいかないから、結局はやるんだけど。
死番が嫌で、中には仮病使うヤツだっているくらいなのに。
アイツは笑って乗り越えた。ぎこちないけど笑ってた。苦しそうに笑ってた……。
アイツの死番より怖いモノって何だ?
琴月春。
オレと年もそんなに変わらない。
背だってオレの方が少し高いってだけで、似たような感じだ。
だからなのか?
アイツにだけは負けたくない。
オレのくだらない勝負にまんまとのってくるアイツも、相当な負けず嫌いだと思うけど。
「やっぱり、面白いヤツ」
思い出し笑いしそうになるのを堪えると、このまま少しだけ眠ることにした。
「春。次は絶対負けないよ」




