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落花流水、掬うは散華―歴史に名を残さなかった新選組隊士は、未来から来た少女だった―  作者: ゆーちゃ
【 落の章 】

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027 新見さんの代償とその結末

 土方さんが出掛けてから、どれくらいたっただろうか。

 外はすでに闇に覆われていて、夕餉も寝支度も終わり、いつでも眠れる状態だった。


 いくら秋の夜長といえど、このままさっさと寝てしまえばこの静か過ぎる夜も、目覚めた時にはいつもと変わらない朝になっていると思うのに。

 それでも眠れないのだから仕方がない。諦めて部屋に隣接した縁側に出ると、足を垂らして座り、月でも眺めることにした。

 今日の月は、何だか綺麗だったから。


 そういえば、こんな風にしっかり月を見るのは初めてだった。

 だって、月明かりがこんなにも明るいんだって、そんなことも知らなかったから。

 どこまでも広がるこの空は、百五十年の時を越えても私が知っている空と同じもののはずなのに、まるで知らないものみたい……と月の輪郭をそっと指でなぞった。


「どうして私はここにいるんだろう……」


 ここには、私が知っている人はいても、私を知っている人はいない。

 ここへ来た理由もわからなければ、帰る方法だってわからない。


「帰れるのかな……」


 答えの得られない疑問と不安ばかりが浮かんでは、一つまた一つと、口の端からこぼれ落ちては月の光に溶けていく。

 勝手気ままに揺れていたはずの足は、いつのまにか膝から抱え込まれ、背中ごと小さく丸くなっていた。


「らしくないや……」


 自嘲めいてみるものの、その声はとても小さくて弱々しい。

 本当は、叶うのなら今すぐにでも帰りたい。泣いて喚いてそれで帰れるのなら、形振り構わずすぐにでもそうする。

 けれど、そんなわけなくて……。

 今はただ、生きるため、生かすため。目の前の現実を潔く受け入れて、毎日を必死に過ごしている。

 だからなのかな。少しでも強くなりたいと、余計なことを考えず没頭できる稽古の時間は好きだ。




 不意に、後ろからすーっと襖の開く音がした。

 驚いて肩が跳ねたせいか、堪えていた涙が一筋、頬を伝い落ちた。

 慌てて手の甲で強く拭うのと、随分と聞き慣れてきた低い声が聞こえるのは、ほぼ同時だった。


「まだ起きてたのか……」

「お、おかえりなさい。何だか月が綺麗だったから、お月見です」


 無理やり作った笑顔でゆっくりと振り返れば、そうか、とだけ返す土方さんが、後ろ手で襖を閉めた。


「寒くねぇのか?」


 そう言って、私の側まで来るなり着ていた羽織を脱ぎ、返事も待たずにふわりと肩にかけてくれた。


「……ありがとうございます」


 本当は少し寒かった。

 けれど、この寒さがこれは現実なのだと、夢なんかではないのだと突きつけてくるようで、ただじっと耐えていた。

 背中から伝わる微かに残る土方さんの体温に、何て子供じみた抵抗をしていたのだろうと自嘲しながら、肩口にかかる羽織の端をぎゅっと握りしめた。


「十三夜だな」


 隣に腰を降ろした土方さんが、月を見上げて呟いた。


「お前が来た日は、確か十五夜だったか」

「そういえば、そうですね」

「なら、片見月にならずに済んだな」


 片見月。

 確か、十五夜を見たら次の十三夜も見ないと、片方だけになって縁起が悪いというものだっけ。


「お供え物も何にもないですけどね」


 苦笑しながら隣を見れば、土方さんが月を見上げたまま小さく笑った。

 月明かりに照らされたその横顔は、あまりにも綺麗で思わずじっと見つめていたら、不意に視線が重なった。


「お前……泣いてたのか?」

「え?」


 長い指が私の目元へ伸びてくるのが見えて、慌てて首を左右に振って阻止した。


「なっ……泣いてなんかいません! 何で泣くんですか!?」


 慌てて口を衝いた言葉は、何とも間抜けな響きだった。

 嘘なんて簡単に見抜いてしまうような相手に意表を突かれてしまっては、これ以上隠し通すのは難しい。隠そうとすればするほど、追及されるのは目に見えている。

 潔く白旗を揚げようとしたら、そうか、と納得の言葉を残し、目的地を失った手も、同時に膝の上へと戻っていった。


「……土方さん? 何かあったんですか?」


 夕暮れ時にも似た違和感を覚え、深く考えることはせず疑問を口にした。


 月明かりの下、虫の音を掻き分けるように風が吹き抜けて、ざわざわと草木を揺らす音がやたら耳につく。

 後になって思えば、この時ざわざわと煩かったのは、葉擦れの音だけではなかったのかもしれない。


 土方さんは一度だけまつげを伏せると、すうっと息を吸い込んだ。


「新見が……切腹した」

「……ふぇ?」


 全く予想もしていなかった答えに、素っ頓狂な声が出た。


「せっぷく……? って、切腹!? そんな……何で。それじゃ、亡くなったってことですか? 新見さんが?」


 言葉の意味が上手く理解出来ず、口にすることで朧気な輪郭がはっきりとしていくような、そんな不思議な感覚だった。


「難癖つけては狼藉を働き、隊費だと言い押し借りを繰り返しては豪遊。近藤さんや芹沢さんがいくら注意してもやめなかった。隊規にも反してたからな。それに……長州の奴らとも繋がってやがった」

「っ! ……長州、長州って。同じ日本人じゃないですか!」

「お前っ!」


 長州を庇うような発言が気に入らなかったのか、土方さんが少しだけ声を荒らげた。

 咄嗟に身構えるも、続く言葉はすでに落ちつきを払っていた。


「お前が来たあの日、お前の素性は絶体に口外しないと決めたはずだ。だが、あいつは連中に話したかもしれねぇんだぞ」

「でも、だからって……」


 百五十年も先の未来から来たという嘘みたいな話を信じてくれた土方さんは、私の存在は世の中に混乱を招くと言っていた。

 この激動の時代を掌握したい人たちにとって、私の持つ情報は喉から手が出るほどに欲しくて、それを引き出すためなら、手段を選ばないだろうとも。


 だからこそ、私の素性は隠してここにいるのだけれど。新見さんはそれを、長州側にバラしちゃったかもしれないってことだよね……。


 とはいえ、こんなおとぎ話みたいなこと、人づてに聞いただけで簡単に信じるような人はなかなかいないと思う。

 直接話した新見さんだって、信じているようには見えなかったのに……。


 正直、新見さんのことは好きじゃなかった。そもそも出会いからして最悪で、いきなり刀で斬ろうとしてきたからね、あの人。

 そうじゃなくても、威圧的な態度や平気な顔して悪いことしちゃうところとか……嫌だったし許せなかった。突き飛ばされて怪我だってしたし。

 それでも、ちゃんとお礼は言いたかった。お菓子、美味しかったですって伝えたかった。


 こんな結末だって知っていたら、ちゃんと阻止できたかもしれないのに……。


「新見が死ぬこと知らなかったのか?」


 俯いたままきつく手を握りしめる私に、そう問う土方さんの声音は少しだけ意外そうだった。


「お前なら、新見が死ぬことも知ってるもんだと思ってた」

「……以前にも話しましたが、全員の最期を知っているわけじゃないんです。一部の隊士だけ……いわゆる、幹部と呼ばれるような人たちくらいしか、わからないです。それだって、いつとか具体的なことまで知っているわけじゃなくて……」


 もっと正確には、幹部の中でもさらに一部……。


「幹部か。一応、新見も俺と同じ副長だったんだがな」

「えっ……あっ。そうでした……すみません」

「別に謝らなくていい。副長らしくなかったのは事実だからな」


 新見さんのことは、申し訳ないけれど存在すら知らなかった。

 兄がその名を口にしなかったのか、私が全く記憶していなかったのか、それすら定かじゃない。

 私が新選組について知っていることは、ほんの僅かなうえに片寄りすぎていて、兄の話をちゃんと聞いておけばよかった……と落胆すれば、土方さんがぽつりとこぼした。


「知らねぇ方がいいさ」


 その言葉はやけに引っかかり、ふと、芹沢さんの顔が頭をよぎれば、途端に妙な胸騒ぎまでする。


 私が知っている新選組の局長は、近藤さんだけであること。

 もう一人の局長だといった芹沢さんは、酔って暴れるという日々の悪行が祟って暗殺されてしまうこと。

 そんな記憶の断片でしかなかった点と点が、今、一つに繋がった気がした。

 まだ計画されていないことを願いながら、僅かに痛む頭を押さえ恐る恐る呟いた。


「……芹沢さん、は……」


 聞こえていないならそれでも構わない。それくらい小さな声だった。


「芹沢さんのことは知ってるんだな……」


 血の気がサーっと音をたてて引いていくのがわかった。

 疑念が確信へと変わった瞬間だった。

 戸惑う私を置き去りにして、土方さんは淡々と言葉を吐き出す。


「知ってるなら隠しても仕方ねぇ。下手に隠して邪魔されても困るんでな」

「ま、待ってください! 確かに芹沢さんは乱暴だし、悪いことして人に迷惑もいっぱいかけたかもしれない! だけど……お酒をやめれば変わるかもしれないじゃないですか! それまで待っててもいいじゃないですか!!」


 お酒が入っていない時の芹沢さんは、決して悪いばかりじゃない。

 だから、お酒をやめれば変わるんじゃないかとそう思っていたのに!


「お前が芹沢さんを変えようとしてたのはわかってる。こうならねぇようにしようとしてたんだろう? 確かに酒が入ってない時の芹沢さんは、頼りになる人だとも思うさ」


 そう、お酒を飲んでさえいなければ、強くて豪胆で、とても頼りになる人だ。

 八木さんの小言から笑って逃げるような、そんなお茶目な人だったりもするんだから。


「それにな、芹沢さんには恩もある。こうして俺たちが新選組としてやっていけてるのは、間違いなくあの人のおかげでもあるからな」

「そう思うなら、どうして……」

「このままじゃ、あの人は自分の手で新選組を潰しちまう。もう誰にも止められねぇんだよ。俺にも、お前にも」

「でもっ!」

「これは……上からの命だ」


 そんな……。


 口を開いてもきっと、何で、どうしてしか出てこないだろう。

 だから唇を噛んで手を強く握っていた。涙は出なかった。出ないほどに悔しかった。


 ほんの少し知っている嫌な結末を、私なら変えることができると思っていた。

 全部無駄だったの? 意味のないことだったの?


 不意に、辺りが薄闇に包まれて、あんなに綺麗に輝いていた月が、今は雲に隠れている。

 このまま嫌なものも、全部覆って隠してくれたらいいのに。嫌なものは全部、闇に溶けて消えてしまえばいいのに。


 土方さんは今、どんな顔をしているのか。突然訪れた薄闇の中では、その表情を伺い知ることはできなかった。

 ざわざわと草木の揺れる音だけが、やたら耳についてうるさかった。

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落花流水、掬うは散華 ―閑話集―(10月31日更新)

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