254 藤堂さんの勝負とその結末③
さっそく紅葉取りを始めるも、時折、どちらからともなく会話の続きをする。
“悪だくみ”なんて言い方で濁しているけれど、お互いなんのことかはわかっていて、それを証明するかのように藤堂さんがはっきりと訊いてきた。
「新選組はさ、伊東さんのことやるつもりなの?」
狙いを定めていた紅葉が、私の手のすぐ横をするりと抜けていった。
そんな様子を見ていたのか、藤堂さんの方を向けば目が合って、どこか申し訳なさそうに苦笑されるけれど、その表情はすぐに悲しさをおびた。
「俺だって元だけど新選組だし。どう考えてどう動くか、ある程度はわかるよ」
そっか。そうだよね……。私よりも、藤堂さんの方がみんなとの付き合いも長いのだから……。
「伊東さんはさ、もちろん反対してるよ。……仮に近藤さんを討ったとして、確かに薩長の信頼は得られるかもしれない。けど、すぐに新選組が全勢力でもって壊滅しにくるだろう、ってね」
そう語って苦笑する通り、おそらくその考えは間違っていない。だって近藤さんが討たれたら、土方さんや沖田さんが黙っているはずないから……。
「春は意外に思うかもしれないけどさ、伊東さんて、ああ見えて実は春と同じなんだよ」
「……え?」
「まだ人を斬ったことないんだって」
「……そうだったんですか」
確かに、それは少し意外だった。目的のためなら、どんな犠牲も厭わない人だと思っていたから……。
「でもオレはさ、それでいいと思ってる。むしろそのままでいて欲しい。だからもし何かあれば……オレは真っ先に駆けつけるつもりでいる」
「何か……って……」
返事の代わりと言わんばかりに、微かな笑みさえ浮かべて凛と立つその姿に、ふと思い出す。
魁先生……。藤堂さんの二つ名を。
そして同時にもたらす胸騒ぎが、このままではだめだと警笛を鳴らしている。
「藤堂さんっ。お願いが――」
私の言葉を遮るように、無言のまま藤堂さんがやって来た。
そして、すっと伸ばした右手で私の耳の上辺りの髪に触れた。
「……藤堂、さん?」
「……オレの勝ち」
「え?」
髪に触れていた手が私の目の前に戻されると、その指先が摘まんでいるのは綺麗な紅葉だった。
「もしかして、私の髪に?」
「うん。まだ地面には落ちてないし、有効でしょ?」
「えっと……そう、ですね……。こうして捕まえたのも、藤堂さんですし……」
ちょっとだけズルい気もするけれど、私自身は全く気づけなかったのだから仕方がない、と納得するも藤堂さんが吹き出した。
「アンタってホントお人好し。悪いヤツに騙されても気づかないよね」
「そんなことないです!」
「そんなことあるよ」
「ないですっ!」
信じてくれないどころか、必死に訴えれば訴えるほど藤堂さんは声まで上げて笑い出す。
「もう! 藤堂さん!」
「わかったわかった。わかったから、はい、コレ」
そう言って、目尻にたまった涙を指で拭いながら私に紅葉を差し出した。
藤堂さんが作ったおまじないの、幸せのお裾分け。
「ありがとうございます……」
「うん」
懐からお守り袋を引き出して、中から小さく折り畳んだ和紙を取り出しそれを開く。挟んでいた一昨年のお裾分けを見るなり、まだ持ってたんだ、と驚かれるけれど、色鮮やかな紅葉も追加すれば藤堂さんが言う。
「二勝一敗、オレの勝ちだね」
「何言ってるんですか。次は私が勝つので、そうしたらまた引き分けです!」
「オレ、勝ち逃げするかもしれないし」
そう言って、藤堂さんは意味深に微笑んだ。それはまるで、来年はないとでも言うみたいに……。
「今のオレはさ、斎藤と違って正真正銘御陵衛士の人間だよ? 今の新選組にとっちゃ、敵になる――」
「藤堂さんっ!」
確かに今、両者の仲は最悪かもしれない。でも私と藤堂さんみたいに、個人同士までそうとは限らない。
だから……。
「藤堂さん……。衛士を抜けて、新選組に戻って来ませんか?」
土方さんだって、藤堂さんを巻き込みたくないと思っている。だからきっと許してくれるはず……。
けれど、肝心の藤堂さんは少しだけ驚いた表情をするだけで、すぐに首を左右に振った。
「それじゃあ……しばらくの間どこか……江戸へ行ってみるとかどうですか……」
「何それ。旅でもして来いってこと?」
さすがに少し強引だったかもしれない……。
呆れたように笑われてしまったけれど、それでもここから離れてさえいれば助かるかもしれない。だから、首を縦に振ってみせたのに……。
「オレは逃げないよ」
どうして笑みさえ浮かべながら、そんな風にはっきりと言うのだろう……。もう藤堂さんだって、今のままでは自分も危険だということをわかっているはずなのに。
どうして笑顔でいられるのか……それはきっと信念とか覚悟とか、今までのみんながそうであったように藤堂さんも……。そう思ったら、色々な想いが形になってあふれてしまい、慌てて視線を下へ逸らせば突然藤堂さんに抱きしめられた。
驚く間もなく、少し焦ったような声が耳のすぐ横から聞こえた。
「ごめん春。オレ、気のきいた慰め方とかわからない……。本当はさ、こんな風に泣かせたくなんかないのに……オレのこと心配して泣いてくれてるんだって思ったら、何ていうか……嬉しい、なんて思って……。って、悪い……これじゃオレ、嫌なヤツだね……」
「そんなことないです。……でも、藤堂さんに何かあったら……嫌なんです。だから……」
どうにか藤堂さんだけでも、この歴史の流れの外へ……。
「……春」
少しの沈黙のあと、微かな迷いを感じさせるその声と一層強まる腕の力が、今なら説得に応じてくれるかもしれない……と私の中に小さな期待を灯した。
……けれど。
「何やってんだろ、オレ……」
そんな少し間の抜けた声とともに、藤堂さんが離れた。
そして、気まずそうにそっぽを向きながらぽつりとこぼす。
「逃げないなんて大見得切ったくせに、こんな簡単に揺らぐなんて格好悪すぎ……」
「そんなこと!」
「それにさ、春のお人好しは今に始まったことじゃないでしょ。誰に対しても同じように心配するってわかってるのにさ……なんかこう……ああダメだ、上手く言えない……」
焦ったようなイラついているような……でもそれだけじゃなさそうで、頬を夕日に染めた横顔は子犬の尻尾のような髪先を揺らしながら、まさに苦悩しているという姿だった。
そんな藤堂さんが、突然投げやりに言い放った。
「……縵面形でもしない?」
「え……?」
「春が勝ったらさ、オレが今持ってるもの全部捨ててもいいよ。それで、江戸でも九州でもどこへでも行く」
「本当ですか!?」
「うん。その代わり……春も一緒に来てよ」
私も……? けれどそれは、私も新選組を離れるということ……。
縵面形にしてもその条件にしても、正直突拍子がなさ過ぎて驚いたけれど、もし私が勝てば、私の提案を呑む代わりに藤堂さんは全てを捨てることになる。仲間も、信念も覚悟も……。
それなら、私だって大切なものを賭けないと平等じゃない。それにこれは、藤堂さんの歴史を変える大きなチャンスかもしれないのだから、受けない理由なんてない。
すでに袂から一文銭を取り出した藤堂さんに、頷いてみせた。
「藤堂さんはどっちにしますか?」
「待って、先に投げるから。ってか、今日のオレってやっぱりどうかしてるや。……でも、たまには天に任せてみるのも悪くないかもね」
そう言って、藤堂さんは自身の真上に向かって真っすぐに弾いた。
紅葉と夕日の赤を背に、普段よりも高く上がった一文銭は、やがて吸い込まれるように藤堂さんの手に戻ってくる。
任せるも何も、コイントスなんて元々運任せ。だからこそ、私にとっても今回の賭けは大博打……。
「どっちにする?」
「私は……表。形にします」
「ちょうどいいね。オレは縵面にするつもりだったから」
じゃあいくよ、とゆっくり指が開かれていけば、そこにあったのはなめらかな面……つまり、藤堂さんの選んだ縵面だった……。
「そんな……」
「……おかしいよね、今、残念とか思ったなんてさ」
「っ! そう思うならっ!」
そう思うなら一緒にどこへだって行くのに、藤堂さんは苦笑しながら首を左右に振った。
それどころか、すでに迷いは吹っ切れたと言わんばかりに、幼くも整った綺麗な顔に清々しいほどの笑顔を浮かべて言い放つ。
「天に任せてこの結果は、目を覚ませってことでしょ。だからオレは、もう迷わない」
「藤堂さん!」
「何?」
私の言いたいことなんてわかっているくせに、笑顔で聞き返す姿に焦りと苛立ちすら覚える。
そのうえ私の言葉も待たず、藤堂さんは悪びれもせず話題を変えた。
「春はさ、オレが新選組にいた時の二つ名覚えてる?」
「……魁先生、ですか」
「そう。じゃあ、その由来も覚えてる?」
覚えている。何でも真っ先に突っ込んで行くから……。
けれど、今はそれを口にしたくなくてそっぽを向いたのに、藤堂さんは勝手に言葉を続ける。
「さっきも言ったけどさ、何かあればオレは真っ先に駆けつけるつもりでいる。だからここで逃げ出すなんてさ、オレらしくないでしょ」
「そんなことないですっ!」
思わず正面に向き直って反論すれば、止まっていたはずの涙が再び頬を流れ藤堂さんが困った表情になる。
けれど、そんなことを気にする余裕もないほど涙も感情もあふれて、止めることなんて出来なかった。
「時にはらしくないことをしたっていいじゃないですか! 嫌なことから逃げたっていいじゃないですか! わざわざ危険な場所に留まらなくたって……生きてさえいれば、何度だってやり直せるんですから! もしもこのまま藤堂さんがっ、ッ……藤堂さんに何かあったら――」
「ごめん」
謝るくらいならここから離れて! お願いだから私の言うことをきいて!!
「でも、ありがと」
そんな言葉がききたいわけじゃないんだってば!!
「藤堂さんッ!!」
「ちょ……春? どうした――」
「このままじゃ本当、にッ――カハッ……」
ああ、まただ……。
痛みも苦しみも恐怖も、どんなに堪えてもやっぱり上手くいかない……。
何も知らない藤堂さんの前で眠りに落ちたら、迷惑をかけてしまうだけなのに……。
ごめんなさいすら言えないまま、真っ赤に敷き詰められた葉の上で意識を手放した――




