195 年越し、慶応二年へ
十二月二十九日、大晦日。
どうやら今年も小の月で終わるらしい。
大の月ですらない十二月や、三十一日じゃない大晦日に驚くこともあったけれど、さすがに三度目ともなればもう慣れた。
夜になれば例年通り宴が始まり、一年を締めくくる挨拶を終えた近藤さんは、幹部だけが持つことを許されている休息所と呼ばれる別宅へ引き上げていった。休息所では、お妾さんが待っているらしい。
こうして無事に帰ってきたとはいえ、二ヶ月近くも危険な出張をしていたのだから、年越しくらいは大切な人とゆっくり過ごしてもバチは当たらな……い?
近藤さんはすでに結婚していて、江戸には奥さんのおつねさんと愛娘のおたまちゃんもいる。
……いいのだろうか。
といっても、この時代では妾を囲うことは男の甲斐性という風潮がある。つまり、それだけの財力があるということになるらしい。
そもそも妾とは、既婚男性が妻の他に生活の面倒などをみている女性のことで、不倫とは違って隠すような存在ではなく妻公認だったりもする。おまけに、職業としても成り立っているという。
一人の妾を複数の男性が割り勘で囲う“安囲い”というものまであり、鉢合わせしないよう、男性たちはスケジュールを組んで女性の元へ通うのだとか。
仕事なのでちゃんとお給金も支払われ、下女奉公なんかより遥かに高給だったりするらしい。
もちろん、遊女や芸者が身請けされて妾になることもある。
近藤さんのお妾さんはお孝さんといって、元は大坂の遊郭で御幸太夫として働いていた人だ。
その前は太夫でありお孝さんの姉でもある深雪太夫を囲っていたけれど、一年ほどで病にかかり亡くなってしまった。
不倫とは違う。公認されている。仕事だったりもする。
……そうは言っても、妻の立場からすれば複雑だと思う。だからなのか、普通、妾は別宅に住まわせ一緒に生活をすることはないらしい。
あっ。近藤さんの養父であり、天然理心流三代目の周斎先生は、妻とお妾さんと一緒に暮らしていたっけ……?
何はともあれ、価値観なんて時代によってかなり違ったりするものだし、深く考えるのはやめておこう……。
ちなみに、だいぶお腹も大きくなってきたおまさちゃんが家で待っている原田さんも、便乗するように自宅へと帰って行ったのだった。
それでも、今年は隊士が増えたおかげか随分と賑やかで、年越しそばも食べればみんなと一緒にお酒も飲む。
次に目を開けると、どういうわけか朝になっていた。
……おかしい。久しぶりに飲んだせいということにしておくも、またしても土方さんが部屋まで運んでくれたらしく、初日の出を前に新年早々初雷と初デコピンを見ることになってしまったのだった。
今年も山際から顔を出す太陽に向かってみんなで手を合わせれば、例年通りこのまま恵方参りにも行くことになった。
そういえば、一昨年は恵方参りをよく知らなかったせいで沖田さんにからかわれ、その翌年は、事前に情報を入手したにもかかわらず、肝心の道がわからず結局からかわれた。
つまり……沖田さんが今年もからかってくるのは明らかなのに、すっかり対策を忘れていた……。
近くにいた背の高い斎藤さんの背中にこっそり隠れてみるも、斎藤さんはすっと横へ一歩ずれた。慌てて大きな一歩で再び隠れるも、またしても横へずれる……。
何度かそんなことを繰り返したあと、隠れると同時に両腕を掴んで移動を阻止すれば、口の端を上げた斎藤さんが首だけで振り返った。
「熱烈だな」
「へ?」
「そんなに俺の側を離れたくないのか?」
「なっ。違いますっ!」
咄嗟に腕を開放するも、声を上げてしまったせいで沖田さんに見つかった。
斎藤さんの背中越しに見えるにこにことした顔が、かくれんぼですか〜? などと言い放つ。
「見つかってるぞ?」
「さ、斎藤さん!?」
誰のせいだ、誰の!
文句を言おうにも、微かに揺れる肩の向こうからは沖田さんがやってくる。
もう、なるようになれ!
「春くん。今年は丙ですね〜」
「そ、そうですね!」
てっきりそこから訊かれると思っていただけに、内心ほっとしながら相槌を打つ。
とはいえ、丙がどの方角かなんて知らないし!
「じゃあ、春くんのおすすめはどこですか〜?」
「お、オススメですか……?」
はい、と答えるその顔は、隙きあらばからかう気満々の笑顔を浮かべている。
無意味な抵抗はやめてさっさと白旗を上げようと思うも、あることに気がついた。
「ここでいいんじゃないですか?」
「え?」
「だって、ここもお寺じゃないですか……」
開き直ったとはいえ、新年早々テンションの下がることを言った自覚はある。
あるから……揃いも揃って可哀想な物を見るような目を向けるのはやめて欲しいのだけれど!
「春……寒いのはわかるけど横着し過ぎじゃない?」
そう言って藤堂さんが吹き出せば、固まっていた井上さんが慌ててフォローに入る。
「ほ、ほら、屯所からみたら本殿の位置は恵方から外れるだろう? だから他を考えようか。総司も、あんまり春をいじめるんじゃない」
「酷いなぁ、まだいじめてないですよ〜?」
酷くなんかない。だいたい、まだってどういうことだ。
私の視線に満面の笑みを返す沖田さんが、ぐるりとみんなを見た。
「それじゃあ、伏見の稲荷神社へ行きましょうか〜」
どうやら最初からそこへ行くつもりだったようで、わざとらしく頭をぽんぽんと撫でられた。
沖田さんめっ!
半刻ほど歩けば、伏見にある稲荷神社についた。ここには千本鳥居があるらしい。
広い境内を進み、まずはお賽銭を投げ手を合わせた。みんなのこと、自分のこと、願い事ならたくさんある。思いつくまま片っ端から心の中で唱えていけば、突然、横から頭を小突かれた。
「少ねぇ賽銭で欲張るんじゃねぇ」
見れば、土方さんが私を見下ろし笑っていた。
これまた例年通り? どうやらまた成長していないらしい……。
行くぞ、という土方さんについていけば、千本鳥居の前についた。
高さ二メートルほどの朱色の鳥居が、横二列に並び長く続いている。
「これって、本当に千本もあるんですかね?」
「馬鹿。数えられねぇくらい沢山って意味だ」
「なるほど」
長い鳥居の先をじっと見つめれば、知ってるか? と土方さんが訊いてくる。
「鳥居ってのは、現世と常世を隔てる境界、結界みたいなもんらしい」
「……え?」
「これだけあんだ。ここを抜けた先は、どこか知らねぇ場所に出るかもしれねぇな?」
「そ、そんなわけ――」
「確かめに行くか」
「えっ、ちょ……待ってくださいっ!」
そんなこと言うだけ言って置いていくとか!
さっさと鳥居の中へ入っていく土方さんを追いかけその隣に並べば、ほんの少しだけ歩調が遅くなった気がした。
鳥居は二〇センチにも満たない狭い間隔で無数に並べられ、隙間から射し込む光が色褪せた朱色を所々明るく浮かび上がらせている。
言葉を発することも躊躇うほどに神秘的で幻想的な光景は、一歩、また一歩と進むごとに全神経が研ぎ澄まされ、同時に俗世から遠ざかるような不思議な感覚がする。
不意に、吹き抜けた風の音に思わず土方さんの袖を掴めば、小さく吹き出され目が合った。
「怖ぇのか」
「べ、別にそんなんじゃないです、大丈夫です」
「なら離せよ。大丈夫、なんだろ?」
にやりとするその顔は、きっと全部お見通し。意地悪だ……。
何だか悔しくて、視線を外すと同時に指先もすっと離せば、仕方がねぇな、と再び笑われた。
次の瞬間、冷えた空気に晒された私の手は、土方さんの手に包まれた。
「餓鬼みてぇに、また夜中に付き合わされても面倒だからな」
「ガ、ガキじゃないです!」
年も明けたし、数えならもう二十一になったんだから!
それでも……私の訴えを笑ってあしらう土方さんの手は存外温かくて、振り解くには惜しいからそのまま歩くことにした。
「お前の手、あったけぇな」
「土方さんも温かいですよ」
「そうか」
強く握られたのは手だけなのに、なんだか心臓までぎゅうっとする。
途端に早る鼓動が耳奥でこだませば、俯いた視線は足元ばかりを映すから、気づけば出口はもうすぐそこだった。
鳥居の先に見える四角い景色はこの世のそれでほっとするけれど、同時に、違う世界が見たかったわけでもないのに妙な寂しさが込み上げる。
そうして最後の鳥居をくぐり終えれば、思いのほか参拝客が多かったことに今さら気づいた。
ちらちらとそれら視線を集めていることにも気がつけば、瞬時に原因も理解する。慌てて手を振り解くのは、ほぼ同時だった。
「正月くらい、女物の着物でも着てくりゃよかったじゃねぇか」
「お、大勢で参拝しに来てるのにいいんですか!?」
「あ? ……馬鹿か! いいわけねぇだろう!」
どっちなのさ!?
私のせいで男色に間違われちゃったのは、ちょっとだけ不憫に思うけれど!
こうなったら、鳥居で怖がらせてくれた仕返しも含め、夜中に目が覚めたらまた厠までご同行願うことにする!
何やかんやと今年の恵方参りを終え屯所へ戻れば、こちらも恒例となっているお雑煮をさっそくいただいた。
外から帰ったばかりの冷えた身体には、味噌仕立ての美味しい汁が身も心も温めてくれる。
今回、京で初めてお正月を迎える江戸から来た隊士たちの中には、以前の私たちのように、丸餅で味噌仕立てのお雑煮に驚く人もいる。そんな人たちに便乗するように、土方さんがわざとらしく私に視線を寄越した。
「仕方ねぇ。次は俺も行くか」
「本当ですか!? なら、次こそ角餅でお願いします!」
「馬鹿野郎! お前も一緒に行くんだよっ!」
あ……やっぱり?
それでも、まだ随分先の次の餅つきが今から待ち遠しく感じるのだった。




