193 慶応元年、煤払い
暦はとうとう今年最後の月、十二月になった。
“師走”という名に相応しいくらい忙しいのは、主に局長代理を務める土方さんだけれど。
そんな土方さん曰く、薩摩藩の動きが怪しいらしい。
表立って何かをしているというわけではないけれど、水面下で何やらこそこそしているのではないか? ……と、幕府もその動向を気にしているとかいないとか。
歴史に詳しくはないけれど、長州側からしたら薩摩藩は会津藩と同じくらい憎っくき敵だろう。去年の禁門の変では、会津と一緒になって長州勢を追い払った側なのだから。
けれど、手を取り共に戦ったはずの薩摩と会津の両藩でさえ、ここのところはあまり仲がよろしくないという。
相変わらず、そう簡単に“みんな仲良く”とはいかないらしい。
近藤さんたちが出張中のまま迎えた十三日は、煤払いの日。
西本願寺では初となる煤払いに、朝から気合いを入れつつもギリギリまで炬燵に潜っていたら、土方さんに容赦なく炬燵布団を引き剥がされた。
「ちょ! 寒いじゃないですか!」
「うるせぇ。とっとと出ろ。今日中に終わらなかったら、非番だろうがお前だけ明日も掃除させるぞ」
どういう嫌がらせ! こんな寒い中、非番を返上してまで大掃除なんてしたくない!
ところで……。
「西本願寺のお坊さんたちも、やっぱり煤払いしてるんですかね?」
「そりゃ、坊主共も今日ばかりは読経じゃなく煤を払ってるだろうよ」
「なら、ついでにこっちも手伝ってくれたり――」
「来るわけねぇだろう」
そうだよね。境内に砲音が響くことはなくなったけれど、いまだ迷惑な存在であることに変わりはないだろうし。
仕方なく手拭いを頭巾にして襷掛けもしていると、土方さんが勝ち誇ったような顔で見てきた。
「総司に伝えとけ。来るだけ無駄だとな」
何かと思えば豊玉発句集の話らしい。思えば去年、句集の奪い合いに巻き込まれとんだとばっちりを受けたっけ。
今年は沖田さんの襲来に備え部屋から出ないというので、ここの掃除は任せることにした。
部屋をあとにすれば、外廊下を雑巾がけするべくさっそく準備に取りかかる。不意に、目の前を沖田さんが通り過ぎた。
手ぶらで襷掛けすらしていないけれど、もしかしてサボり!?
慌てて引き止めると、自分の部屋はもう終わったという。こういう時、物が少ない沖田さんの部屋はちょっとだけ羨ましく思う。
「あ〜あ。こっそり行くつもりだったんですけどね〜」
「こ、こっそり……?」
目の前を堂々と通って行ったような?
「見つかってしまったので、これはもう連れていくしかありませんね〜」
「一応訊きますけど……どこへ行くつもりだったんですか?」
何やら企んでいそうなその笑顔は、嫌な予感しかしない。
案の定、私を巻き込む気まんまんの顔が、奪還しに行きますよ〜、などと言い放った。
沖田さんの口から奪還と聞いて浮かぶのは一つ……。
とはいえ、今回はすでに伝言を預かっている。
こうなることを予見していた土方さんの伝言とともに、すでに万全の警戒態勢にも入っていることを告げれば、沖田さんはさらに笑みを深くした。
「それじゃあ、春くんが土方さんを部屋の外に連れ出してください」
「なっ……」
そんなことをした日には、私にまで雷が落ちる。おまけに、掃除も終わらなければ翌日へ持ち越しとなってしまう。
ここは何としても阻止せねば!
「あっ……そうだ! 雑巾がけレースしませんか?」
普段から子供たちとも遊ぶことが大好きな沖田さんのこと、遊び感覚での掃除なら興味を持ってくれるはず。
身体も温まるし、楽しみながら廊下も綺麗になって良いことづくめ! ……と、確信しながら返事を待つも、目の前の顔は不思議そうに首を傾げた。
「れえす?」
「え? あっ! かけっこです、かけっこ! 雑巾がけしながらですけど」
慌てて言い直すも、沖田さんはわざとらしくよしよしと撫でてくる。きっと、大八車に轢かれて頭をぶつけたせいだとでも思っているに違いない。
沖田さんめっ!
何はともあれ、句集の奪い合いに巻き込まれるよりはマシ。
いいですよ〜、と乗り気な沖田さんの気が変わる前にさっそく始めようとすれば、いつからそこにいたのか後ろから藤堂さんの声がした。
「へー。面白そうだね」
「藤堂さんも一緒にやりますか?」
「うん。でも、春には負けないよ」
さっそく対抗心を燃やされるも、急遽、勝者には甘味をご馳走するということになった。褒美が甘味とあっては沖田さんも本気でかかってくるだろうし、私だって負けたくない。
それぞれの想いを胸に、絞った雑巾を持って横一列に並んだ。
「じゃあ、向こうの端まで行ったら折り返して、最初にここへ戻ってきた人が勝ちですからね」
二人が頷くのを確認すると、視線を前へと戻す。元々身体を動かすことは得意だし、剣術と違ってこれくらいなら負ける気がしない。
「行きますよ。位置について……よーい、ドンッ!」
勢いよく飛び出せば、単独首位で折り返した。……って、二人はその場から動かないどころか笑い転げている!?
今のどこに爆笑要素が……? 一旦スタート位置に戻るも、二人はおかしそうに言う。
「用意、はわかったんですけど……どうして丼なんです?」
「春、まさかもうお腹空いたの? 源さんに頼んで昼は丼物にしてもらう?」
……違う。その丼じゃない……。
話し合いの結果、掛け声は“ドン”ではなく“始め”となった。
仕切り直して勝負を再開するも、さすがは剣客……いや、健脚集団。江戸まで平気で歩いて行っちゃうような人たちなだけあって、足腰が強い。
いい勝負をするも、僅差で勝利したのは沖田さんだった。
褒美は沖田さんに決まったけれど、その後も掃除ついでに雑巾がけレースをしていれば、いつの間にか人だかりが出来ていた。
それどころか、次は誰が勝つだの勝手に予想までし始めている。
「お前ら何やってんだ?」
人混みをかき分けるようにして現れたのは永倉さんで、その後ろから、何やら棒のような物を手にした原田さんまで現れた。
「平助。お前途中でいなくなったと思ったら、こんな所で油売ってやがったのかー」
「左之さんよく見てよ。ちゃんと床拭いてるでしょ」
どうやら藤堂さんは、今年も畳叩き班だったらしい。
遊びながらとはいえここまで手伝ってもらったのは事実。フォローしようと立ち上がるも、沖田さんの方が早かった。
「僕らだけじゃそろそろ飽きてきたので、左之さんもはい、どーぞ」
そう言って原田さんの手に雑巾を乗せると、藤堂さんまで便乗するように永倉さんに雑巾を押し付けた。
同じように私も交代を募ってみれば、意外にも立候補者が多数いて、誰が一番早いかを競うことになった。
言い出しっぺの私がスターターを務めながら、数人のグループごとに勝者を決めていく。
一回戦の勝者が二回戦、三回戦へと勝ち進む頃、今年は襖を張り替えていたという斎藤さんが隣にやって来た。
「斎藤さんも参加しますか?」
「いや。俺はただ、お前が呼ぶから来ただけだ」
「……へ?」
特別誰かを呼んだ覚えはないけれど……と思い切り首を傾げれば、斎藤さんが訊いてくる。
「俺の名は?」
「斎藤さん」
「下の名」
「えっと……一さん」
「今日だけで、何度その名を口にしたんだろうな」
「……はい?」
いや、待って。まさか……。
“よーい、始め!”のことを言っている!?
ようやく合点がいけば、にやりと口の端をつりあげる斎藤さんが頬を撫でてきた。
「安心しろ。お前が望むなら、いつでも側にいてやるぞ?」
「なっ……さ、斎藤さんっ!」
違うから。漢字にしたら全然違うからっ!
そんなこと言われたら、スターターの続きがやりにくいっ!
私が払うより先に手は離れたけれど、そこまで計算済みと言わんばかりにくくっと喉を鳴らして笑う姿が余計に腹立たしい!
続きはそんな斎藤さんに押しつけようとするも、騒がしかったはずの廊下が急に静まり返った。
みんなのどこか怯えたような視線が私の後方へと向いていることに気づくと同時に、すぐ後ろから声がした。
「おい、お前らうるせぇぞ! ……って、何だ? ここだけやけに綺麗になってるじゃねぇか」
振り返ると、そこに立っていたのは土方さんだった。
サボっていたと誤解されたくはないので、慌てて弁解する。
「ちゃんと大掃除してたんですよ! みんなが手伝ってくれたので、見ての通りピッカピカです!」
嘘はついていない。ほんの少し楽しみながら掃除をしていただけであって、サボっていたわけじゃない。……たぶん。
随分やる気があるな、と感心する土方さんが、眉間に皺を刻んだまま笑っていない目で微笑んだ。
「で、当然他の所は終わってるんだろうな?」
「ほ、他の所……?」
どうなんだ? 私は最初からここにいたので知らないぞ……。
視線を前方に戻し訊ねるようにぐるりと見渡すも、あからさまに全員から目を逸らされた。あげく、潮が引くようにみんなさーっと消えて行く……。
気がつけば、この場に残るは私と土方さんの二人だけ。おまけにもの凄く鋭い視線が後頭部に突き刺さっている……。
おい、という声に恐る恐る振り返れば、避ける間もなくデコピンが飛んできた。
ちゃんと雑巾がけはしていたのに!
おでこを押さえながら反論しようと思うも、あることに気がついた。
「あのー、土方さん?」
「何だ?」
「部屋へ戻らなくていいんですか? さっきまでここにいた沖田さんまでいなくなってますが……」
「何っ!」
慌てて戻る土方さんについていけば、案の定、部屋へ入るなり怒声が響き渡った。
「おい、総司!」
「あれ。困りますね〜、春くん。もう少し引き止めておいてくれないと〜」
「お、沖田さんっ!?」
「てめぇら!」
私は違うからっ! 前回も今回も濡れ衣だから!
誤解を解く間もなく沖田さんがそそくさと部屋を出ていけば、残るはまたしても土方さんと私の二人きり。どういうわけか、部屋もかなり散らかっている。
むしろ、どうすればあの短時間でここまで散らかすことが出来るのか不思議で仕方ない。
結局、有無も言わさぬ無言の圧力に負け部屋の片づけもすれば、何とか今日中に煤払いを終えることが出来た。
気づけば夕刻。
恒例のシメをするべく一足先に部屋を出ると、疲れた身体を解すようにうんと伸びをした。
そういえば、煤払いのあとは決まって山崎さんがマッサージをしてくれたっけ。今年は受けられないのを少し残念に思っていると、土方さんが横を抜けていった。
そして、やけに綺麗になった廊下を先に行く背中が、射し込む夕日に照らされながら意地悪な顔で振り向いた。
「行かねぇのか? 遅れたら胴上げ指名してやるぞ」
「なっ……そしたら私も土方さんを推薦しますからね!」
「断固拒否する」
「私だって遠慮します!」
けれど……句集探しを出来なかった腹いせとばかりに沖田さんが土方さんを推薦し、そこに巻き込まれる形で私も宙を舞うのだった……。
沖田さんめっ!
いつもお読みいただきありがとうございます!
更新があいてしまいすみませんでした。
それと……。
こっそりと応募していた第8回ネット小説大賞ですが、一次選考通過しておりました!
読んでくださる皆様のおかげだと思っております。本当にありがとうございます。
これからも、「落花流水、掬うは散華」を、どうぞよろしくお願い致します!




