165 桜の季節へ
山南さんの葬儀は切腹をした翌日、二月二十四日に行われた。
優しく親切だったその人柄を証明するように、葬儀には新選組以外の人もたくさん集まり、誰もがその死を惜しんだ。
近藤さんも土方さんも沖田さんも……私も、みんなが悲しみの涙を流してお別れした。
山南さんが葬られたのは、屯所の近くにある光縁寺だった。ここの山門の瓦には、山南さんの家紋と同じ“丸に右離れ三つ葉立葵”というものがあって、それが縁でここの住職とも親しくなり、今までにも切腹した隊士を埋葬してもらうことがあったからだ。
光縁寺からの帰り道、みんないつもより俯きがちで、隣を歩く土方さんも顔だけはちゃんと前を向いているけれど、視線はずっと下の方にあった。
私も顔だけは上げていようと空を見上げれば、昨日同様よく晴れた青色が広がっていて、時折吹く風も暖かく春の訪れを感じさせてくれる。
……けれど、視界に入った桜にあるのは、やっぱりまだ薄紅色の蕾だった。
数日後、西本願寺の北集会所と太鼓楼を屯所として使わせてもらえることが決まった。
北集会所は大きな建物で、すぐに小部屋をたくさん作るなどの改造が行われ、現在使っている道場“文武館”も移築するらしい。
引っ越し予定日も三月十日頃に決まれば、隊務の傍ら準備にも追われ、あっという間に引っ越しの前日になった。
部屋で細かな荷物をまとめていれば、戻って来た土方さんが屯所の門へ行けと言った。私を訪ねて人が来ているのだと。
一旦手を止め向かえば沖田さんもいて、その正面には旅装束の明里さんもいた。
私を訪ねて来た人とは明里さんなのか、会釈をすれば深々と頭を下げられた。
「お二人には、ほんまに感謝しとります」
思わず首を傾げてしまった。
感謝されることなんて何一つなく、むしろ、山南さんを助けられなかったこと……謝らなければいけないくらいなのに。
明里さんは、私たちのおかげでよりを戻すことができたのだと嬉しそうに微笑んで、それから……と沖田さんの顔を見た。
「敬助はんを送ってくれたのは、沖田はんやと聞きました。沖田はんのことは弟みたいに大事や言うとったさかい、きっと喜んでる思います」
「はい。僕も敬助さん直々に大役を任せてもらえて……よかったです」
そう言って微笑み合う二人は、どちらも私なんかより遥かに悲しい思いをしているのに、ただただ強い人たちだ思った。
「お二人には、お礼を言うときたかったんどす。敬助はんとちゃんと向き合えたからこそ、うちは今こうしていられる。前を向くことができる。ほんまおおきに」
再び深々とお辞儀をした明里さんが笑顔を残して歩き出せば、近くに控えていた同じく旅装束の隊士がともに歩き出す。
“明里さんを落籍させ故郷へ送り届けて欲しい”という山南さんの望みが叶えられ、このまま故郷へ帰るらしい。
小さくなる背中を見送りながら、沖田さんに訊いてみた。
「明里さんは感謝してくれましたが……本当によかったんでしょうか」
「茶番劇のことですか?」
「自分で茶番劇って言っちゃうんですね」
思わず吹き出しそうになるけれど、私たちが二人のよりを戻したりしなければ、こんな辛い別れにはならなかったかもしれない。
恋人との今生の別れだなんて、いくら恋をしたことがない私といえど、考えただけで胸が苦しくなるから……。
「明里さんのあの笑顔が、答えなんじゃないですか?」
「笑顔が……?」
「相手を想う気持ちに変わりはなかったんです。それなのに、突然訃報だけを聞かされたとしたら、あんな顔はできないと思いますよ」
そっか……。そう、なのかな……。
明里さんの目はまだ少し赤く腫れていたけれど、浮かべた笑顔は作り物なんかじゃなく本当に綺麗だった。嘘偽りない、本物の笑顔だった。
だから沖田さんが言うように、これでよかったのかもしれない。そう思うことにした。
明里さんの姿が見えなくなると、後ろから声がした。
「お前ら、少しつき合え」
そうぶっきらぼうに言い捨てたのは土方さんで、私たちの返事も待たずに横をすり抜け立ち止まる。
仕方がないですね~、と肩を竦める沖田さんに促され、支度をしてから一緒にその背中を追うのだった。
着いた先は嵐山だった。
三月の上旬。新暦に直せばきっと四月の上旬で、至る所で桜が開花し、場所によってはここの桜同様散り始めていたりする。
吸い寄せられるように桜の木に近づけば、後方にいる沖田さんが土方さんに問いかけた。
「お花見ですか〜?」
「まぁな。今年は花見してる余裕がねぇからな」
屯所の移転、そして、下旬には隊士を募集するため再び江戸へ下ることが決まっていて、その準備にも取りかからなければならない。
今回は土方さんが行くようで、私の同行もすでに決定しているらしい。
またあの距離を歩くと思うとため息が出そうになるけれど、久しぶりに藤堂さんやおたまちゃんにも会えると思えば楽しみだった。
そういえば、藤堂さんにはもう山南さんのことを伝えたのだろうか。
文を出してもすぐに届くわけじゃないし、下旬には江戸へ行くことも決まっている。なんとなく、土方さんが自分の口で伝えるような気がする。
山南さんが亡くなってからおそよ半月が経ち、みんなの気持ちもだいぶ落ちつきつつはあるけれど。
広間で食事をする時、山南さんが座っていた場所はいまだぽかんと空席のままだったり。局長がみんなの前に立つ時、隣に立つのは副長だけで反対側が空いていたり……。
まだ、ふとした瞬間に喪失感を突きつけられる。
不意に、一陣の風が目の前の桜を音を立てながら散らしていった。
幻想的で美しい光景。
けれど、刹那的な美しさは同時に儚すぎて、はらはらと涙まで落としていく。
「こんなに綺麗なのに、どうしてすぐ散っちゃうんですかね……」
隣に並んだ沖田さんが無言のまま右手を桜に差し出せば、花びらが一つ、ひらひらとその掌に舞い落ちた。
同時に、後ろから土方さんの呟きが聞こえる。
「馬鹿みてぇに咲き誇ってりゃいいのにな」
掌を閉じた沖田さんが、でも……と右手を天に掲げて開放した。
「刹那だからこそ、惹きつけられるのかもしれませんね」
桜の花が咲き誇るのは、一年のうちでもほんの一瞬だけ。その一瞬を終えたら跡形もなく散ってしまい、パッと見ただけでは桜の木だとも気づきにくい。
それでも、次の年にはまた咲き誇る……。
そうだ。季節は巡るのだと山南さんも言っていたっけ。そして、始まりの季節と同じ名を持つ私の笑顔は、みんなを暖かく照らすのだと言ってくれた。
正直、山南さんは私をかいかぶりすぎだと思う。
けれど、山南さんがくれた言葉は、擽ったくも私に勇気をくれる。
少し雑に涙を拭って笑顔を作ると、隣の沖田さんと後ろに佇む土方さんの顔を順に見た。
「じゃあ私たちも、バカみたいにこれでもかってくらい咲き誇ってやりませんか?」
悔やんだって悔やみきれないし、無力さに打ちのめされそうになることもあるけれど。
悲しい結末なんかいらないし、大人しく歴史をただ眺めるつもりもない。
それでも、こんな風に抗えきれないことがまたあるのだとしたら、私もみんなと一緒に精一杯咲いていたい。
「まさか、春くんに慰められる日が来るなんてね〜」
沖田さんが吹き出せば、土方さんまでどこか呆れ顔で私の目の前にやって来る。
「泣くか笑うかどっちかにしろ」
そう言って、軽くデコピンした手で私の目元を拭っていくのだった。
それからしばし桜を見たあとで、土方さんが切り出した。
「明日から新しい屯所だって、報告に行くか」
誰に、なんて訊かなくても、私も沖田さんもわかっている。揃って頷けば、あることを思い出し慌てて手拭いを取り出した。
「すみません、山南さんにお土産を持って行きたいです」
そう伝えてしゃがみ込み、絨毯のように無数に散らばる桜の花びらを拾い集めた。
何となく察してくれたらしい沖田さんも拾い始めれば、土方さんも何も訊かずに手拭いを取り出しその場にしゃがみ込む。
それぞれの手拭いいっぱいに花びらを包んで嵐山をあとにすれば、そのまま光縁寺へと向かった。
光縁寺に着くと、ちょうど山門から出て来た近藤さんが、頭の後ろを掻きながら小さな笑窪を作った。
「いよいよ明日だからな、報告して来た」
「ああ。俺たちも今から行ってくる」
近藤さんの肩をポンと叩く土方さんに続いて、私たちも山門をくぐる。
建てられたばかりの綺麗な墓石の前にはたくさんの花が供えられていて、誰からともなく手を合わせれば土方さんが呟いた。
「明日、西本願寺に移転する……ってのは、今、近藤さんから聞いたか。……まぁ、そういう事だ」
「敬助さんの分も、僕がちゃんと土方さんを見張っておきますよ〜」
「おい、総司。てめぇって奴は……」
そんな二人のやり取りのあと、私も山南さんに向かって話かける。
「満開の桜……やっぱり山南さんと一緒に見たいと思って、持って来ました」
ゆっくりと手拭いを開けば、土方さんと沖田さんもそれぞれ手にした手拭いを開く。
「せーので、全部桜吹雪にしませんか?」
二人が頷いたのを確認してから、山南さんの墓石に視線を戻した。
「山南さん、ちゃんと見ててくださいね。……せーのっ!」
揃って空を仰ぎ見た。
青い空と真新しい墓石。
その間をひらひらとたくさんの桜の花びらが舞い散る様は、幻想的でとても綺麗だった。




