141 二月半ぶりの屯所
翌日、石部宿を出てから草津、大津を越え、日暮れ前には京へ入った。
歩き疲れていても、見慣れた景色が近づくにつれ自然と速足になる。鴨川が見えてくる頃、前方を歩く黒ずくめの集団の中に沖田さんらしき背中を見つけ、思わず駆け出した。
私が呼ぶよりも先に気づいた沖田さんが、足を止め振り返る。
「あれ、春くん? あ、そうか。今戻ったんですね。おかえりなさい」
「はい! ただいま戻りました!」
置いてきてしまった近藤さんたちも合流すれば、沖田さんが真っ先に駆け寄った。
「おお、総司か。今戻った。屯所の様子はどうだ? 変わりないか?」
「局長代理の土方さんが、いつも以上にうるさかったくらいですよ〜」
いつもの冗談かと思いきや、巡察隊がどっと吹き出したのであながち嘘というわけでもないらしい。
「そうかそうか。ならば、早く戻らんとな」
「先に戻って近藤さんの帰りを伝えてきます。ほら、春くん、行きますよ~」
そう言うなり、沖田さんは私の手を取り走り出す。
「えっ、沖田さん? 巡察は!?」
「もう屯所に戻るところだったんです。あ、他の人たちは近藤さんの護衛をしながら帰って来てくださいね~」
私も今戻って来たばかりなのに! ……と思うものの、早く帰りたい気持ちに負け一緒に走るのだった。
屯所へ着くと、玄関のところに原田さんがいた。
「おっ、春。久しぶりじゃねーか。今戻ったのか?」
「はい! ただいま戻りました! あ、近藤さんたちももうすぐ到着します」
「そうか。なら、これやる。春も甘いもん好きだっただろ?」
そう言って、手にしていた包みを半ば強引に押しつけると、近藤さんの帰還をみんなにも知らせて来る、と言い残して行ってしまった。
「あ〜あ、今日も僕が狙ってたのに、春くんに先を越されちゃいましたか〜」
どこか残念そうに沖田さんが包みを覗き込むけれど……今日も?
訊けば、ここ最近の原田さんはよく甘味を買って来ては、今みたいに人に配っているらしい。非番の日なんかは、甘いものが好きな沖田さんを店まで連れ出し奢ってくれるのだとか。
そう言えば、原田さんは甘いものが得意じゃないと自分で言っていたっけ。
それなのに、好きでもないものをわざわざ買って配り歩いたり奢ったり……それも結構な頻度だという。
「もしかして原田さん、何かやらかしてお詫びでもしてるんですか?」
包みを覗き込んでいた沖田さんが、わざとらしく肩からズッコケる仕草をした。
何かおかしなことを言っただろうか……。
「今度、左之さんが誘ってくれた時に春くんも一緒に行きましょうか」
「甘味屋にですか?」
「うん。行けばきっとわかりますよ」
どういうこと? 気になるけれど、甘味屋に行けば謎が解けるうえに甘いものも食べられる。おまけに原田さんの奢りかもしれないというので、楽しみにしておくことにした。
そのまま揃って土方さんの部屋へ向かえば、沖田さんが声もかけずに目の前の襖を勢いよく開けた。
「おい、総司! 勝手に入ってくんじゃねぇ!」
間髪入れずに飛んできた怒鳴り声に、少しびっくりしつつも凄く懐かしく感じてしまった。
というか、土方さんはいまだ文机と向き合ったままなのに、沖田さんだとわかるあたりさすがすぎる。まぁ、この部屋の襖を平気な顔でいきなり開けるのなんて、沖田さんくらいだけれど。
どうやら文句がいい足りないのか、不機嫌な背中はため息を一つつきながら筆を置き、身体ごと私たちの方へ向き直った。
「ったく、お前は何度言ったらわか……だあ? ……お前っ!」
「え、あ、はいっ。えっと……ただいま戻りました!」
突然目が合って驚いたけれど、部屋の中に入れば土方さんも立ち上がり私の前までやって来た。
「よく、無事に帰って来た」
「はい! お守りもありましたし、文まで書かれればさすがに……」
思い出したように小さく吹き出した土方さんは、さっきまでとは打って変わって優しい笑顔を浮かべながら、どこか嬉しそうに私の頭を撫でた。
「なら、あとでお礼参りも行かねぇとな」
「お、お礼参り……? 誰かに仕返しでもするんですか?」
「……あのなぁ。無事に旅を終えましたって報告とお礼に行くんだよ」
なるほど。言われてみればそういうことか。
いつもだったら呆れられてデコピンまで飛んできそうなのに、どういうわけか再び頭を撫でられるのだった。
「あの〜。お守りとかお礼参りとか盛り上がってるところ悪いんですけど、近藤さんを出迎えなくていいんですか~? もうそろそろ屯所にも着く頃ですよ」
つまらなそうに割って入ったのは、巡察装備もそのままに炬燵へ入ってくつろぐ沖田さんだった。
「あっ、炬燵!」
「おう。そろそろお前が戻って来る頃だと思ってな。用意しておいたんだ」
「ありがとうございます!」
そっか。確かにめっきり寒くなったし、もうそんな時期なんだ。
今すぐにでも中に入って温まりたいけれど、そろそろ近藤さんが着くので出迎えないと。
「総司、琴月、行くぞ」
そう言って部屋を出ていこうとする土方さんを追いかけようとするも、沖田さんに呼び止められた。
「春くんは出迎えてもらう方の立場なんですから、行かなくてもいいんじゃないですか〜?」
言われてみればそうだった……と思わず納得しそうになるけれど、先に戻っているのだから局長を出迎えるくらいはした方がいい気もする。
「沖田さんも一緒に行きましょう」
「僕はもう、さっき出迎えたのでここにいます」
まるで炬燵を抱え込むように突っ伏していて、本当に行く気がないらしい。
もしかして、幕末でも炬燵はダメ人間を製造してしまうのだろうか。そんなことを思っていれば、土方さんが沖田さんの首根っこを掴んだ。
「いいから行くぞ!」
「ええ〜、僕の炬燵が〜」
「お前のじゃねぇ!」
そんな賑やかなやり取りを懐かしく思いながら、三人で玄関へと向かうのだった。
この日の夜、広間では伊東さん含む新入隊士らの挨拶が行われた。
今回の募集で集まった二十数名を合わせるとおよそ七十名にもなり、広間も随分と狭く感じるようになった。
伊東さんは釜屋でした時のような話をここでもしていて、容姿端麗な姿と穏やかなその口調も相まって、人を惹きつけるのが本当に上手い。
「伊東さんに惚れたか?」
「ひゃっ!?」
吐息がかかるほど近くで聞こえた声に、小さな悲鳴をあげながら耳を押さえた。
同時に、私の前に座っていた山南さんが口元で人差し指を立てながら振り返る。
「琴月君、静かに。伊東さんはなかなかいい話をしているよ」
「は、はい。すみません……」
……って、私のせいじゃないのに!
隣でくくっと喉を鳴らして笑う斎藤さんを睨み、小声で反論する。
「斎藤さんのせいですよ!」
「お前が食い入るように伊東さんを見ていたからな。俺はただ、惚れたのか? と訊いただけだが」
「は!? そんなわけないじゃないですかっ!」
思わず声に力がこもれば、しんと静まり返った部屋でみんなの視線が集まる。
「す、すみません……何でもないです」
慌てて頭を下げれば、隣では斎藤さんが肩を小刻みに揺らしているのだった。
挨拶や紹介が終わり部屋へ戻ってさっそく炬燵に入れば、少し遅れて土方さんも来た。
くつろぐ間もなく襖の向こうから声がかかり、江戸へ一緒に行っていた尾形さんもやって来た。
尾形さんは私に視線を寄越すも、土方さんが遮るように口を開く。
「こいつのことは気にしなくていい、ご苦労だったな。帰ってそうそうで悪いが……」
そう言って座るように促すと、尾形さんから江戸での報告が始まった。
内容は主に、伊東さんに関することだった。その出自や生い立ち、いったいいつの間にそんなに調べ上げたんだ、と驚くくらい詳しかった。
報告を聞き終えた土方さんが、苦い顔をしながら腕を組む。
「なかなか癖のある奴が来やがったな」
「今後はどうしますか?」
「悪いがそのまま続けてくれ。あとで他の奴もつけさせる」
「承知しました」
尾形さんが丁寧に一礼して部屋を出て行ったあと、文机の前に腰を下ろした土方さんが、私を見て疑問を察したように話し出す。
「紹介してくれた平助には悪いが、尾形に伊東さんの身辺調査に当たらせてたんだ」
「なるほど……。じゃあ土方さんは、伊東さんが入る前から怪しいと思ってたってことですか?」
「まぁな。って、何にやにやしてんだ?」
そんなつもりはなくて慌てて頬を両手で押さえれば、土方さんが身体ごと私に向き直りにやりとする。
「お前、伊東さんのこと嫌いなのか?」
「正直……好き、ではないです。……だってあの人は、いずれ新選組を二分して――っ!?」
突然土方さんの手が伸びてきたかと思えば、その指が私の唇に触れた。驚いて目を見開くも、土方さんも驚いたような顔で呟く。
「二分……か」
いまだ口元には指があって声を出せない。代わりに小さく頷けば、土方さんが鼻で笑った。
「させるかよ。お前の知ってる歴史を辿ってるつもりはねぇと言っただろう。考えても見ろ、お前がここにいる時点でその歴史とやらも変わってるかもしれねぇんだ」
確かにその可能性もあるけれど。新選組や歴史に詳しくない私には、それを確かめることはできそうにない。
ようやく指が離れると、それより……と顎を掬われた。無理やり上向かされれば、意地悪な表情をした土方さんと目が合った。
「江戸に行ってる間に副長命令を忘れたか? 先の事は口にするなと言ったはずだ」
「それ、は……」
「いいか、次はねぇぞ」
「でもっ……」
「今度俺の前で口にしやがったら、その口無理やり塞いでやる。文句は言わせねぇ」
無理やりって……今さっきだって指を当てて無理やり止めたばかりなのに。
まさか、今度は息ができないくらい掌全体で押さえて塞ぐとか!?
次の瞬間、開放されると同時に土方さんが吹き出した。
「お前のことだ、どうせ色気も何もねぇ想像してんだろう。だからお前は餓鬼なんだ」
馬鹿野郎、と呆れながらも笑顔で私のおでこを弾くなり、肩を揺らして文机に向き直る。
何だかそれすらも懐かしく感じてしまい、文句の一つも言いそびれたままこっそり笑みをこぼすのだった。




