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落花流水、掬うは散華―歴史に名を残さなかった新選組隊士は、未来から来た少女だった―  作者: ゆーちゃ
【 花の章 】―壱―

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140 伊東さんの改名

 十月十五日。

 いよいよ江戸出立のこの日、大泣きをすると思われたおたまちゃんは玄関先でおつねさんと手を繋ぎ、必死に泣くのを堪えていた。

 幼くともさすがは局長の娘。そんな健気な姿に私の方が泣きそうになるけれど、ここで泣いては彼女の我慢が台無しになる。


「おたまちゃん、また遊ぼうね!」


 精一杯の笑顔で告げて、近藤さんたちとともに試衛館をあとにした。

 旧暦の十月はもう冬にあたり、澄んだ空気は冷たく近くの木々もすっかり色づいている。

 木枯らしが道の先で落ちた葉を音を立てて転がしていけば、後ろから聞こえてくるのはおたまちゃんの大きな泣き声だった。


 近藤さんは立ち止まり振り返るけれど、この位置からではもうその姿を見ることも叶わなければ、おたまちゃんが飛び出して来ることもない。

 くぐもった泣き声は、きっと、おつねさんの着物にしがみついているせいだ……。


「近藤さん……」

「あ、いや、すまない。皆が待ってるから先を急ごうか……って、春が泣いたら俺も悲しくなるだろう!」

「ず、ずびば、ぜ……」


 近藤さんの横顔があまりにも寂しそうで、もう我慢の限界だった……。


「ずっと、たまの面倒をみててもらったからな」

「いえ。泣きたいのは、近藤さんなのに。すみません……」

「春が俺の分まで泣いてくれたからな、平気だ」


 そう言って、寂しさを振り切るように豪快に笑う近藤さんが、行くぞ、と私の肩をトンと叩く。

 慌てて涙を拭い、歩き出すその背中を追うのだった。




 品川宿に着くと、釜屋という場所に入った。もともとは立場茶屋といってお茶や食事ができる休息所だったのを、見送りや出迎えの人で繁盛したので本陣のような構えにしたらしい。

 ここでは今回募集した新入隊士や、伊東さん一行と待ち合わせをしている。


 実は伊東さんは、今回上洛するにあたり道場も閉め、実の弟である三木三郎(みき さぶろう)さんや盟友、門人にも声をかけてくれたらしく、彼らも一緒に新選組に入ることになったのだった。

 道場を閉めてまでの加盟に、自らも道場主である近藤さんはいたく感動している様子だった。

 そのおかげもあってか、総勢二十名を超える人数が新たに新選組に加わることになる。


 釜屋にみんな揃うと、藤堂さんのように見送りに来てくれている人たちとしばし別れの宴となった。

 永倉さんや藤堂さんと話をしながら軽く食事をつまんでいれば、ふと、あることに気がついた。


「そういえば、品川ってことは……もしかして帰りは東海道ですか!?」


 中山道は富士山も見えないくらいぐるりと山の中を通ってきたけれど、ここ品川は、時折風に乗って潮の香りがするくらい海に近い。


「おう、そうだぞ。なんだ、春は知らなかったのか?」


 知らなかった!

 行きは中山道、帰りは東海道。一度の旅で両方を経験できるなんて!

 なんだか贅沢をした気分で喜んでいると、伊東さんが報告があるといって立ち上がった。


「私はこの度、新選組に加盟できることを大変嬉しく思っています。この中にはご存知の方もおられると思いますが、私の考えは勤王、一見新選組とは相反する立場だと思う者もいるかもしれません」


 勤王?

 突然出た聞き慣れない単語に、隣にいる永倉さんに訊いてみればこっそり教えてくれた。

 勤王とは、天皇に忠義を尽くすことらしい。

 尊王とは天皇を尊ぶことで、土方さんが前に言っていたようにこの時代の人なら誰でも持っているという思想だけれど、忠義を尽くす相手が天皇であるとは限らない。実際、新選組が忠義を尽くしているのは会津含む幕府だ。


 長州ら過激な尊王思想で攘夷をなそうとする人たちを、尊王攘夷派と呼び取り締まっているけれど、勤王もこの中に含まれるのかもしれない。

 そして伊東さんは、天皇のために忠義を尽くす勤王であると自ら言い、新選組とは相反する立場だとも言う。


 考え方が違うのに、どうして新選組に?

 ごく当たり前の疑問が浮かぶも、伊東さんの演説は続く。


「異国の驚異が迫っている今、反発し合うだけでは何も生まれません。私は、同じ日本人同士で争っている場合ではないと思っています。昨今、しきりに公武合体がうたわれているように、互いに手を取り合うことが大事なのではないでしょうか。どちらも根底には尊王の思想があり、攘夷をしたいという点で繋がっているのだから」


 おお、と歓声が上がり、賛同するように拍手が鳴り響く。近藤さんも笑顔でうんうんと頷き、永倉さん藤堂さんも手を叩いている。

 確かにこの人の言っていることは素晴らしいし、未来から来た私からみてもその通りだと思う。

 けれど、どうしてだろう。何かが引っかかる……。


「それと、私事の報告で大変申し訳ないのですが、この素晴らしい機会に名を改めることに致しました。今年は甲子の年。それに因み伊東大蔵改め、以後、伊東甲子太郎(いとう かしたろう)と名乗ることと致します」


 再び拍手が沸き起こった。その盛り上がりに合わせて私の心臓も早鐘を打ち、歓声をかき消すように耳の奥でうるさくこだまする。


「春? どうしたの、顔色悪いよ?」


 藤堂さんが心配そうな顔で覗き込んでいた。

 大丈夫です……とは言えなかった。全然大丈夫なんかじゃない。口を開けば代わりにこぼれたのは、今さっき聞いたばかりの名前……。


「伊東、甲子太郎……」


 ……知っている。特徴的なこの名前には記憶がある……。

 バカがつくほど新選組大好きな兄が珍しく嫌い、怒ったようにその名を口にしていた人物。

 それが、伊東甲子太郎だ。

 新選組を二分させ、近藤さんの暗殺まで企むも逆に暗殺されたと言っていた。


 変な話、暗殺されたのならそんなに怒らなくてもいいのに、と思ったんだ。

 けれど、兄が怒るのにはちゃんと理由があった。

 いまだ心配そうに覗き込む藤堂さんと目が合うも、思わず逸らしてしまった。


 ……そう、藤堂さん。

 伊東さんが亡くなったすぐそのあとに、藤堂さんも亡くなる――


 伊東さんの死が、藤堂さんの死に関係しているのだと思う。

 伊東甲子太郎が入隊しなければ、藤堂平助は死なずに済んだかもしれない! ……そう声を荒らげた兄の怒りが、漠然とした不安となって胸を埋め尽くす。

 伊東甲子太郎という名前は記憶にあったのに……。まさか、改名後の名前だったなんて。この人が伊東甲子太郎だと知っていれば、入隊なんて大反対したのに!


「春? 伊東さんのこと嫌いなの?」

「……え?」

「随分怖い顔で睨んでるけど」

「い、いえ……」


 藤堂さんの訝しげな視線から逃げるように顔を逸らせば、永倉さんが笑いながら話に加わった。


「伊東さんは江戸にいたってのに、随分と情勢にも明るいようだし話も興味深い。少々綺麗事のようにも聞こえるが、筋は通っているし俺はあの人嫌いじゃないぞ?」


 そう言ってポンと軽く背中を叩かれた。

 そうか……。伊東さんの考えに違和感を覚えたのは、伊東甲子太郎その人だったからだけじゃない。

 永倉さんが言うように、あまりにも綺麗過ぎるからだ。


 幕府側に与する新選組も尊王の思想は持っているし、攘夷をしたいという思いも持っている。だから、そこの部分では確かに繋がっているのかもしれない。

 けれど、誰を中心に攘夷を、政治をするのか。そこが決定的に違う。

 新選組はいわゆる佐幕、徳川家率いる幕府を中心にと考えているし、勤王だと言う伊東さんは天皇を中心にと考えているはず。 


 そんな相反するもの同士が手を取り合う。言っていることは確かに素晴らしいし、平和的で理想的だと思う。

 けれど、池田屋、禁門の変……尊王攘夷派との相容れない対立を、実際にこの目で見てきた今。上手く説明なんてできないけれど、この人の話を鵜呑みにはできない……と直感的に思った。

 何より、“新選組大好きな兄が嫌っていた人物”というのが、素直に受け入れられない大きな理由かもしれない。




 いよいよ出立の時刻となり釜屋を出れば、藤堂さんが私の隣に立つ永倉さんに話しかけた。


「新八さん。春のこと……」

「おう。任せとけって」

「オレの時と違って、人数多いから本当に注意してね」


 確かに、近藤さんたちや新入隊士を合わせれば総勢三十名くらいいる。

 その中で私が女だと知っているのは永倉さんただ一人だ。


「今思えば、お前ら二人きりというのも違う意味で心配だったが……まあ平助だしな」

「ちょっと新八さん、それどういう意味?」

「どうもこうも、お子様同士じゃ間違いも起こらないってことだ。じゃなきゃ、土方さんだって二人だけで送り出したりはしないだろう。何かあった日には、全て知ったうえでそうした土方さんにも責任が生じるからな」


 冗談交じりに笑って話す永倉さんとは対照的に、藤堂さんはみるみるうちに不機嫌になる。

 そんな藤堂さんの頭をポンポンと叩いた永倉さんが、勉強頑張れよ、と言い残して離れていけば、藤堂さんはため息を一つこぼして私に向き直った。


「春、本当に気をつけてね」

「はい。藤堂さんも、勉強頑張ってください」

「うん。わかった」


 ちょうどその時、出立を告げる掛け声が聞こえた。


「じゃあね」


 そう言って、藤堂さんは私の頭をポンポンと撫でるなり背を向けて行ってしまった。

 それを見ていたらしい永倉さんが、再び側へ戻って来ておかしそうに言う。


「平助の奴、春の頭なんか撫でて、お子様扱いされたのがそんなに悔しかったのか?」


 そういうとこがお子様なんだ、と笑っていた。




 京へ向けた旅の途中、お風呂はみんなが寝静まった頃にこっそり永倉さんと二人で抜け出し見張りをお願いする、という単純な方法で乗り切ることにした。

 結果、揃って睡眠時間が大幅に削られるという弊害は起きたけれど、何とかバレずに済みそうだった。


 伊東さんはといえば、暇さえあればみんなの前で自らの考えを述べ、時に熱心に議論し合ったりしていた。

 私も伊東さんの話に耳を傾けたりもしたけれど、知りたいのはどうして新選組を二分するのか、どうして近藤さんの暗殺なんて企てるのか、ただそれだけだった。


 とはいえ、難しい話を連日の睡眠不足の頭で聞くのは危険だった。伊東さんの話は聞けば聞くほど私の記憶違いなんじゃないか……と思えるくらい立派で聞こえがよかったから。

 けれど、どれだけ立派なことを述べようとも、その穏やかな顔の下では全然穏やかじゃないことを考えているんじゃ……と警戒を解くこともできなかった。

 おかげで、あんなに楽しみにしていた東海道も富士山も、ほとんど楽しむ余裕がなかった……。




 特に大きな問題が起きることもなく、十五日に出立した旅路も二十六日には石部宿の小島本陣に到着し、ここが最後の宿泊地となった。

 残す草津、大津を超えればいよいよ三条大橋だ。


 みんなは元気にしているのかとか、一人で広々と寝ていた土方さんに部屋から追い出されたらどうしようとか、このまま伊東さんを屯所に連れて行きたくないとか。考えだしたら悩みや不安は尽きないけれど。

 それでも、明日にはおよそ二月半ぶりの屯所に帰れると思うと、嬉しくて楽しみで仕方がないのだった。

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