131 過去と未来②
どれくらい泣いていたのだろう。短い時間だったかもしれないし、長かったかもしれない。
どちらにしろ、土方さんはずっと大泣きする私を黙って抱きしめてくれていた。
「……土方さん。もう、大丈――」
「お前の大丈夫は当てにならねぇと言っただろうが」
そう言って、笑いながら目尻に残った涙を拭ってくれる。デコピンする時とは打って変わって優しい手つきで、何だか妙にそわそわして落ちつかない。
いまだ腕の中にいるのだと思ったら、尚更心臓が暴れだして慌てて土方さんの胸を押し返した。
視界が開けると同時にその片隅に見えたのは、私たちの回りを避けるようにして歩く参拝者が、ちらちらと遠巻きにこちらを見ているという光景だった。
こんなところで大泣きしていたのだから仕方がない……と肩を竦めれば、土方さんも苦笑した。
「傍から見りゃ、男同士で抱き合ってたようなもんだからな」
うん? 男同士?
……そうだった。今更だけれど、男の格好をしているんだった……。
私はともかく、こんなところを知り合いにでも見られた日には、土方さんの男色疑惑が再熱しかねない。
こんなに気を使ってもらったのに、私のせいでそれは申し訳なさすぎる!
「えっと、きっと父と子の親子の抱擁とかに見え――」
「おい、ちょっと待て」
「……へ?」
さっきまでの優しい雰囲気が一変、一瞬にして緊張感に包まれた。
「お前は、さっきの情景を父と子に例えるつもりか?」
「そ、それはほら。バラガキだった土方さんだからこそ、道を外しかけた子供の軌道修正もお手のも――」
「父と子に例えるつもりか?」
「……え?」
何だかもの凄く睨まれているのだけれど!
「父と子に例えるつもりか?」
な、何っ!? 男色と勘違いされるよりはマシだと思うのだけれど!
詰め寄られ身構えれば、今度は怒鳴り出した。
「もういい! だからお前は餓鬼なんだ、馬鹿野郎!」
どういうわけか、めちゃくちゃ痛いデコピンまで飛んでくるのだった。
北野天満宮をあとにする頃には、だいぶ機嫌も直ったらしい土方さんの提案でご飯を食べて帰ることになった。
食事の乗った御膳が並べられると、土方さんがさっそく箸を取る。
「半分食べるのがやっとだと山崎が心配してたぞ。無理はしなくていいが、食えるだけは食え」
こうした食事らしい食事は久しぶりで、ゆっくり少しずつ箸を進めていけば、突然、土方さんが呟いた。
「悪かったな」
「何がですか?」
「追い詰められて自棄になってるとは思っていたが、ここまでとは思わず手をあげちまって。もっと早くに気づいてやれなくてすまなかった」
「あ、あれは……」
完全に八つ当たりで、今思えば叩かれて当然な態度だ。
「私こそすみません」
「いや、すまなかった」
そこからはお互い無言で、土方さんは先に食事を終えても、私が食べ終わるまで急かすことなく待ってくれていたのだった。
店を出て屯所へと帰る途中、隣を歩く土方さんが唐突に訊いてきた。
「総司の入れ知恵か?」
「何がですか?」
「人が傷つくのを怖れるお前が、突然戦に積極的になった理由だ」
新選組を守るため、傷つけようとする敵は倒せばいいと、そう思ったんだっけ。結局、それすらもできなかったけれど……。
刀を振るえなければ新選組にいることはできないのに、原田さんたちを傷つけた敵、ぼろぼろの身体で殺してくれとすがってきた敵……あんな状況下でさえ私には――
思わず立ち止まれば、土方さんも一歩先で足を止めた。
「俺はな、目的や思想は単純であるべきだと思ってる。だからこそ、あいつの考え方は物騒だが否定はしねぇ。何よりあいつ自身で出した答えだ。そしてそれを貫いてる。お前が心の底から同調してるなら止めはしねぇが、そうじゃないならやめておけ」
「でもっ……」
中途半端に追い払うだけじゃ、また牙を向くかもしれない。その時に何かあったら、後悔してもしきれない。
振り返った土方さんが、真っすぐに私を見つめてきた。
「お前が目指す場所は何だ?」
「私が目指す場所?」
私はただ新選組を、みんなを守りたい。死に行く人たちを救いたい……。
けれどそのためには――
「例え目的地が同じだろうと、そこまでの道のりは人それぞれだ。どんな道を通ろうと、目指す場所さえ見失わなけりゃいずれ辿り着ける。だから、誰かと同じである必要はねぇんだよ」
「でも……」
「お前は生きてきた時代も環境も俺たちとは違う。無理して俺たちに合わせるなんざ、それまでお前が培ってきもんを否定することになる。いつだったか、人は斬らねぇと俺に言い切ったあの時のお前はいい目をしてた。あれは誰に言われたわけでもねぇ、自分自身で出した答えじゃなかったのか?」
初めて人に真剣を向けたあの日。
誰も傷つけたくない、傷ついて欲しくはなくて、人を斬るつもりはないのだと伝えたんだっけ。
……そうだ。私が刀を抜くのは斬るためではなく守るため。
そんな甘っちょろい覚悟でも、土方さんは私らしいと認めてくれたんだった。
それでもやっぱり人に刀を向けるのは怖くて、でもそうしなければ、最悪の結末になってしまうことが多くて。
徐々に薄れていく罪悪感も、慣れへの恐怖心も、新選組を救うための力になると受け入れた。
そして、人を斬る。それさえも慣れだと言い聞かせて振り上げたけれど。
もう、認めるしかないのかな……。
「泣きてぇなら泣いていいぞ」
「……え?」
いつの間にか俯いていた顔をあげると、伸びてきた手が頬に触れ、親指で目元をこすられた。
「何だ、気づいてねぇのか?」
土方さんの顔はいつになく穏やかな笑みを浮かべていて、気づけば浮かんだまま、溢れるままを言葉にしていた。
もともと新選組のことは興味もなくて、私にとっては昔話のような、遠い過去の人たちでしかなかったこと。
だけど今、私は過去にいて目の前にはその人たちがいる。遠い日に亡くなったはずの人たちが、目の前で生きている。
そんな人たちとお互いに名前を呼び合い、存在すら認め合うのに……私だけがその最期を知っていて、守りたい、救いたいと思ったこと。
未来から来た私にならできると思ったんだ。私にしかできないことだと。
だけどそのための術を手にしても、知らないことが多すぎる私には何も守れず、誰も救えなくて……立ちはだかる敵は全て排除してしまうしかなくなった。
それなのに、いざその時になって嫌というほど思い知らされたんだ……。
私に人は斬れない、と――
その瞬間、言葉同様止めどなく涙が溢れ、滲む視界の向こうで土方さんが優しく笑った。
「お前みたいな奴はな、我慢なんざ逆効果だと気づけ。泣くでも怒るでもいい、全部吐き出しちまえ。それで答えが出る出ねぇは別だが、吐き出してすっきりすりゃ視界も開けるだろう。そうすりゃ、また前を向けるだろう?」
そういえば、芹沢さんの葬儀の日にも似たようなことを言われたっけ。最後には必ず前を向けと。
あの日以来、ちゃんと前を向けていたのかな?
もう一度ここから、前を向いて歩けるのかな?
人を斬れないと認めてしまった今、託された芹沢さんの願いも私の想いも貫けるだろうか。
恐る恐る、腰に差さる刀の柄に触れてみた。
そんな私の不安などお見通しと言わんばかりに、土方さんが手を重ねてくる。
「お前は何でもかんでも一人で背負込もうとすんじゃねぇ。俺が……俺たちがいるんだ。不安で足がすくむならこの手を引いてやる。いつまでも俯いてるなら無理やり引っ張ってってやるさ」
きっと久々過ぎてぎこちなかったけれど、それでも勝手にこぼれる笑顔のまま顔を上げた。
「……はいっ!」
「泣くか笑うかどっちかにしろ」
そう言って、土方さんは笑いながら目尻にたまった涙をそっと拭ってくれるのだった。
私にとってここは百五十年以上も前の過去。その事実は変わらないし、変えることはできないけれど。
ここがどこであろうと、いつであろうと、この瞬間は今であることに変わりはないから。
屁理屈でも何でもいい。ここに生きる人たちと同じ、今を生きると決めた私の明日は未来だ。
そこに待ち受けるのは嬉しいこと、楽しいことだけじゃない。悲しいこともきっとたくさんある。
それでも、居場所なんかないと思っていたこの時代にも、私の名前を呼び、存在を認めてくれる人たちがいる。
泣いて弱音を吐いても、こうして見捨てずに手を引いてくれる人がいる。
だから――
先のわからない未来だからこそ、いくらでも変えられる。そう信じることにしたんだ。




