109 洛陽動乱④
会所に着くと、負傷して先に運ばれていた隊士が何人かいた。うち二名は見るからにひどい傷を負っていて、意識も朧気で医者が懸命に治療を施している最中だった。
そして、頭に巻いた布に赤い血を滲ませながら横たわる、よく知った姿も発見した。
「藤堂、さん……?」
どうやら意識ははっきりしているようで、私に気がつき身体を起こした。
けれど、そのままこっちへ来ようとしたところを慌ててやってきた医者に制され、私の方から駆け寄った。
「藤堂さん! 大丈夫ですか? 無理しないで横になってください」
「こんなの大したことないよ」
軽く言い捨てる藤堂さんを、聞き捨てならないとばかりに医者が一睨みする。訊けば、かなりの出血があったらしい。
ちゃんと安静にするよう説得すれば、藤堂さんは大きなため息をつきながら横になった。
そして、そっぽを向いたまま呟いた。
「油断した……。こんなはずじゃなかったのに……」
僅かに見えるその顔は、傷が痛むのか負傷したことを悔やんでいるのか、幼くも整った綺麗な顔を歪めている。
そして、ぽつりぽつりと語り出す。
汗でずれた鉢金を直していたところ、隠れていた浪士が突然飛び出してきて額を斬られてしまったらしい。気合いでそのまま戦闘続行しようとするも、なかなか止まらない血が視界を遮り、やむなく戦線離脱となったらしい。
今のところ、意識もはっきりしていて命に別状はないと聞き、少しほっとした。
「池田屋には、会津藩や諸藩の応援も来ていたのでもう大丈夫です。藤堂さんも、今はゆっくり休んでください」
「……わかった」
目を閉じた藤堂さんからは、すぐに寝息が聞こえてきた。
静かにその場を離れ、今度は沖田さんのもとへ向かえば、原田さんに頼んで用意してもらった塩と砂糖の入った水を片手に固まっていた。
「沖田さん、どうかしたんですか? 少しずつでいいんでちゃんと飲んでください。あとはゆっくり休んで――」
「春くん。僕、これ飲めません」
「そんな子供みたいなこと言ってる場合じゃないですからね?」
確かにあまり美味しいものではないけれど。今の沖田さんの状態なら、ただの水より断然こっちの方がいい。
「そんなこと言うなら、春くんも飲んでみてください。春くんが飲めるなら僕もちゃんと飲みますよ」
「だから、そんな子供みたいなこと……」
話の途中で私の口元へと湯飲みを差し出す沖田さんは、熱中症のせいなのか熱が上がったせいなのか、頬を火照らせ瞳を潤ませている。
「わ、わかりましたっ! 私が飲んだら沖田さんもちゃんと飲んでくださいね!?」
沖田さんの場合、このままじゃ本当に飲まなそうなので致し方ない。
何だか毒味でもさせられている気分だけれど。
湯飲みを受け取り、さっそく軽く一口飲もうと口元へ運ぶ……も、口をつける手前で手を止めた。
溶けきらない塩や砂糖が多少浮遊しているのは仕方がないとして……どうして底に真っ白な雪山が……?
まさか、これ全部塩と砂糖!?
「は、原田さん……。塩と砂糖って、どれくらい入れました……?」
「総司にゃ早く元気になって欲しいからな。どっちもケチらずいっぱいいれたぞ? 湯飲みの半分くらいか」
ダメだ……。吹き出しそうになり思わず俯くも、肩の震えまでは隠せそうにない。
状況を理解したらしい沖田さんまで、若干声を上ずらせながら執拗に飲めと勧めてくるせいで、堪えきれずとうとう笑いがこぼれた。
「ふふっ。原田さん、お気持ちはわかりますが、たくさん入れても早く良くなるわけじゃないんです。私、作り直して来ますね」
湯飲みを片手に立ち上がれば、悪い悪い、と原田さんの豪快な笑い声が響く。
会所の隅ですぐに新しいものを作り、一応、一口飲んで確認する。
「これくらいかなぁ……」
美味しいものではないけれど、さっきのよりは遥かにマシなはず……。
湯飲みを持って立ち上がれば、突然ひょいっと誰かに奪われて、そのまま口をつけるなりゴクンと喉を鳴らして一口飲まれた。
「……斎藤さん? あんまり美味しいものじゃないですよ?」
案の定、若干口をすぼめる斎藤さんが、再び私の手に湯飲みを戻しながら言う。
「いや、お前が口をつけたものを、そのまま沖田に渡すのは面白くないだけだ」
「へ?」
どういう意味だろう、と首を傾ける私に向かって、斎藤さんはどこか色っぽく自分の唇を親指で拭ってみせた。
……ま、まさか! 間接キスとかそういうことを言っている!?
そんなこと全く意識していなかったけれど、指摘された途端に何だか妙に恥ずかしくなるじゃないかっ!
「さ、斎藤さん!?」
「早く沖田へ持って行ってやれ」
そう言いつつも、その口は微かに弧を描いている。いつものようにまたからかわれたのだと思いながら、逃げるように沖田さんの元へと戻り湯飲みを差し出した。
「沖田さん、これ飲んでください!」
「美味しくないから嫌です」
「さっきのよりは飲みやすいですよ?」
「飲みやすいだけで、味は一緒なんですよね?」
「でも、分量が違うから――」
「材料は一緒じゃないですか」
ああ、もう!
さっきからうだうだと……子供か? 子供なのかっ!?
体調が悪いのに、無理するのがいけないんだから!
「沖田さん! ちゃんと飲まないなら近藤さんに言いつけますよ!」
「……春くん……酷いです。……わかりました」
え……何? 突然どうしちゃったの!?
瞳を潤ませしゅんとして、まるで怒られて今にも泣き出しそうな子供みたいな……こんな沖田さん見たことがない。
体調がすこぶる悪いから? すこぶる体調が悪い沖田さんは、ちょっと強く出ただけでこんなにもしおらしくなるのか?
ぽかんとする私の手から湯飲みを奪った沖田さんは、そのままゆっくりと口に含み、意を決したようにゴクンと飲んだ。
「あれ……美味しい……」
「え? あー……美味しく感じるってことは、それだけ体調が悪い証拠です。さすがにもう、ちゃんと休んでくださいね」
「仕方ないですね~。じゃあ、もう一杯同じもの作ってください」
さっきの沖田さんは幻か? しおらしく感じたのはあの一瞬だけで、空になった湯飲みを差し出す沖田さんは、すでにいつもの沖田さんだった。
自家製経口補水液を随分と気に入ったらしい沖田さんは、二杯目をゆっくりと飲み干し、ようやく横になったのだった。




