105 沖田さんの約束
徐々に日も傾き、そろそろ会所へ向かおうかという頃。
一言お礼が言いたくて、沖田さんの部屋へ寄ってみた。
「沖田さんいますか?」
障子の前で声をかけるも返事がない。
「すみません、開けますよー?」
一応の確認を兼ねて少しだけ開けてみた。
相変わらず余計な物が一切ない、少し寂しくも感じる部屋の片隅には、壁に背をつけ膝を抱えて眠るこの部屋の主がいた。
「沖田さん。そんな寝方してたら風邪引きますよ?」
沖田さんのもとへ歩みより、上下に揺れる肩へと手を伸ばす。
けれど、到達前に静止したのは不自然なほど大きく揺れる肩と、若干荒い寝息が聞こえたから……。
「あれ……春くん?」
沖田さんがおもむろに顔を上げた。
どれくらい寝ていたのか知らないけれど、寝起きのその顔は随分と気だるげに見える。
「あ~、もう日暮れですか。そろそろ支度して向かわないといけませんね」
そう言ってゆっくりと立ち上がる沖田さんを、顔を見ることなく静かに問い詰める。
「沖田さん、ちゃんと言ってくれるって言いましたよね?」
「体調が悪かったらって話ですか?」
何だ、ちゃんと覚えてるじゃん……。
ため息をぐっと堪えゆっくりと振り返れば、観念したのか、ばつが悪そうにする沖田さんを見つめながら大きく頷いてみせる。
「あ~あ、春くんに見つかる前に屯所を出るつもりだったんですけどね~」
「沖田さん!」
そんなの、体調が良くないと認めているのと同じじゃないか!
勢いよく立ち上がると、そのまま沖田さんに近づきおでこに手を伸ばした。また怒らせてしまうかとも思ったけれど、沖田さんは目を逸らすだけで避けることも振り払うこともしなかった。
……熱い。凄く高いというわけではないけれど、もう微熱で済ませるには少し無理がある程度に熱い。
「朝より、少し怠いだけですよ」
誤魔化されると思ったから、素直に認めたことに正直驚いた。
けれど、だったらなおのことこれ以上悪化させるわけにはいかない。
「お布団敷くので今すぐ寝て下さい!」
当然のことを言ったつもりなのに、沖田さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で私を見た。
「何言ってるんです? これから大捕物をしようっていうのに、この僕に寝てろとでも?」
「当然です! 無理をしたら、今より悪化するかもしれないじゃないですか。それに、沖田さんが体調不良を認めるだなんて実は相当――」
「嫌だなぁ~。僕はちゃんと約束を守っただけですよ。だって、約束は守らないといけないでしょう?」
そう言って、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべる沖田さんに、もちろんです、と頷けば、途端に悪戯っ子の笑みに変わる。
「なら、僕は大丈夫ですから放っておいてください。あ、他の人にも内緒にしておいてくださいね」
「なっ……何言ってるんですか!? 体調悪いなら大人しく寝てなきゃダメですよ!」
「あれ~? 僕の頼みをきいてくれるって約束、忘れちゃいました?」
約束……?
まさか、武田さんに襲われた時のことを言っている!?
もちろん覚えてはいるけれど、沖田さんの体調に関してだけは、いくら約束といえど見過ごせるものじゃない。
「約束は約束でしょう? それとも、春くんは約束を守らない人なんですか?」
「そんなことは! ……でも、それとこれとは……」
次の瞬間、明らかに雰囲気の変わった沖田さんが、わざとらしいほどの大きなため息をついた。その顔に、さっきまでの笑顔は一切ない。
「……沖田さん?」
「残念です。春くんが、約束の一つも守れないような人だったとは思いませんでした。そんな人に義理立てする理由は……もうないですよね?」
「義理、立て……? 何のことですか?」
首を傾げる私に、沖田さんは何の表情も浮かべることなく言葉を続ける。
「実は僕、土方さんから聞いて知ってるんです」
「な、何をですか?」
「……春くんの、秘密」
「え……」
あれだけ誰にもバラすなと言っていたくせに、土方さんは沖田さんに話していたの?
何で? どうして?
突然の告白に状況を理解しきれず固まっていると、沖田さんは追い討ちをかけるかのごとく、これでもかというほどの笑顔を向け言い放つ。
「というわけで、今からその秘密を大声で叫びますね」
「え? えっ、ちょ……沖田さん!?」
やっと思考が追いついた私の目の前で、沖田さんは大きく息を吸い、何一つ遠慮することなく叫び始めた。
「春くんはー!! 実はーっ!!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」
「何です?」
「秘密なんてないですからっ! たとえあったとしても、大声で暴露するとかおかしいですから!」
何を考えているの、この人は! いくら冗談でも、やっていいこととダメなことがあるでしょうがっ!
そんな私の焦りなど関係ないとばかりに、沖田さんが再び大きく息を吸い込むのが見えて、慌ててその口を塞いだ。
「わっ、わかりましたっ! 守ります! みんなにも黙ってますから! だからもう、やめてください!!」
あんなに大声で叫ばれたら、屯所にいる人たちの耳に嫌でも聞こえてしまう。
沖田さんは私を殺す気か!? バレたら追い出されるだけじゃ済まなくなりつつあるのに!
土方さんも土方さんだ。いくら試衛館出身の人たちにバレるのは時間の問題だとはいえ、何でわざわざ沖田さんにバラしたりしたのか。
ちょっと考えれば、こうなることくらい想像つきそうなのに。
焦りと怒りがごちゃまぜのまま唇を噛んでいれば、満足そうな声とともに頭をよしよしと撫でられた。
「やっぱり、春くんは素直でいい子ですね」
やっぱりって何、やっぱりって。こんな状況で誉められたって全然嬉しくない。
本当に……人の気も知らないで!
もう、しつこいと思われようが距離をおかれようが関係ない。半ば開き直った心境で頭上の手を払うこともせず、そっぽを向いたまま呟いた。
「せめて、今日一日は側にいさせてください。心配くらいさせてください……」
側にいれば体調の変化にもすぐ気づけるし、沖田さんが無理をしなくてもいいよう、少しくらいは仕事を楽にできるかもしれない。
「春くん。なんだか僕、告白されてるような気分なんですけど……」
「えっ!? あの、違っ……。そういうことじゃないですっ!」
思わず沖田さんを見つめて反論すれば、盛大に吹き出された。
「あはは。冗談ですよ。でも、どうしようかな~?」
現時点で沖田さんの体調が良くないことを知っているのは、おそらく私だけ。それを黙っていろと言うだけでなく、側で心配することすら許してはもらえないの?
「もしダメだって言うなら……本当は体調が悪いこと、ひじ……ううん、近藤さんに言います!」
「ふ~ん。この僕を脅しますか~」
今さら引く気なんてないんだから。
とはいえこうなってしまっては、もうこのまま休むという選択肢はどこにもなくて、これ以上悪化しないようにするしかない。
怯むことなく沖田さんを見つめていたら、またしても盛大に吹き出された。
「相変わらず心配性ですね~。まぁ、ちゃんと約束を守ってくれるならいいですよ。でも、僕の邪魔だけはしないでくださいね。もし邪魔をしたら、うっかり斬っちゃうかもしれませんから」
そ、それは嫌! 沖田さんなりの冗談だと思いつつも、笑っていないその目に黙って頷いた。
すると、いつの間にやら支度を終えていたようで、沖田さんが障子に手をかける。
「置いて行きますよ~?」
「えっ、あっ、待ってください! 急いで支度して来ます!」
「どうしようかな~?」
「玄関で待っててくださいっ!」
そう言い残し、返事も待たずに沖田さんの部屋をあとにした。
部屋へ戻り急いで支度をしていると、今日の作戦でも練っていたのか、それまで筆を走らせていた土方さんが振り向いた。
「もう少しで片づくから、そしたら一緒に行くか?」
「いえ、沖田さんと先に行きます!」
簡潔に告げて部屋を飛び出した。飛び出したところで、沖田さんにバラした理由を訊き忘れたことに気づいたけれど……あとにしよう。
猫のような沖田さんのこと、あまり待たせては、本当に置いていかれてしまう気がするから。
けれど、勢いよく玄関も飛び出してみたものの、そこに沖田さんの姿はなかった。
「嘘……先に行っちゃった?」
それでもまだそう遠くへは行っていないはず……と、すぐに駆け出そうとしたところで後ろから誰かに抱きつかれた。
「隙ありっ」
「きゃっ! って、沖田さん!? 驚かさないでください!」
色々と心臓に悪過ぎる!
慌ててその腕から脱出すれば、玄関に続く廊下を歩く山南さんと山崎さんが、私たちに気がつき見送りに来てくれた。
「二人とも気をつけるんだよ。特に総司。あまり暴れ過ぎないように」
「嫌だなぁ、敬助さん。僕はちゃんと仕事をするだけですよ~?」
竹刀を持つと豹変する沖田さんは、刀を持っても豹変する?
……うん、しそうな気がする。そんなことを考えていたら、山崎さんが私に微笑んだ。
「春さんも、あまり無茶なことはしないでくださいね」
山崎さん。それではまるで、私がいつも無茶をしているみたいに聞こえる……。
苦言を呈す二人に見送られながら、行ってきます、と沖田さんとともに屯所の門をくぐるのだった。




