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001 桜吹雪のその中で

 ――平成三十一年、三月下旬。


 桜の季節を迎えた京都は、たくさんの観光客で賑わっていた。

 かくいう私も、今月高校を卒業したばかりで来月からは大学生。新生活前の貴重な充電期間を利用してやって来たクチの一人。

 といっても、本来この京都旅行は兄が彼女と行くはずだったもの。残念ながら直前で別れてしまったらしく、“キャンセルだけはしたくない!”という理由から、急遽、予定の空いていた私がつき合うことになっただけのこと。


 宿泊予定のホテルでチェックインを済ませれば、必要最低限の荷物が入った小さなバッグを肩から斜めに掛け、休むまもなく兄と共にホテルを出る。


「それじゃ、俺はヒーローたちが過ごした思い出の地へ行って来る!」

「はいはーい、いってらっしゃい」

「せっかくだし、(はる)も一緒に行くか?」


 私の返事なんてわかりきっているはずなのに、そこまで頭が回らないほど浮かれているらしい。恋人と別れたばかりの人には見えないけれど……まぁ、元気ならそれはそれでいいのかな。

 というわけで、いつも通り聞こえなかったことにして、夕食の時間まで新選組史跡巡りに行くという兄を、ひらひらと手を振って送り出した。


 “京都=新選組”

 昔から新選組が大好きな兄と違って、私にそんな図式は成り立たない。だから、せっかくでも何でもないし、そもそも好きでもなければ嫌いでもない。はっきり言って興味がない。


 私がここへ来た理由はただ一つ。バッグから取り出したスマホを見れば、そこに表示された時間はもうじきおやつ時。

 ロックを解除して、新幹線の中で見ていスイーツ特集のページを再び開く。画面いっぱいに映し出されたのは、美味しそうだと目をつけておいた大福の画像だった。

 ここから歩きでは結構かかるみたいだけれど、お腹を空かせて食べればなおさら美味しいと思うから。


「まずは、ここを目指しますか」


 スマホをバッグにしまうと、スイーツ巡り一番目となるお店を目指して大通りを直進する。

 途中、京都独特の雰囲気漂う裏道も行けば、同じところをグルグル回るような不思議な感覚に襲われたりもしたけれど……これも旅の醍醐味、と己の勘を信じて突き進んだ。




 まだ三月の下旬だというのに随分と暖かくて、黒のスキニーパンツに白のふわりとしたチュニック。その上には淡いブルーのスプリングコートを羽織り、まだ一度も染めたことのない長い髪は下ろしてみた。

 足元はヒールでも履いて大人っぽさも演出したいところだけれど、童顔に背の低さも相まって、中学生が背伸びをしているようにしか見えないのは自覚済み。

 けれど、歩き回ることを考えたら、ハイカットのグレーのスニーカーで正解かな。


 交差点の赤信号に足を止めると、雲一つない空に浮かぶ太陽がやけに眩しくて、軽く目を閉じた。

 ほんの少し研ぎ澄まされた聴覚が、“新選組”という単語を含む、女性特有の黄色い声を拾った。


 新選組、ね。

 兄もよく言っている。格好良い、憧れる、俺のヒーローだって。

 いや、もう大学三年生になるというのに、“新選組は俺のヒーロー”などと平気で宣うのもどうかと思うけれど……。


 そういえば、事あるごとに新選組英雄譚を聞かされてきたわりには、ここまで全く洗脳されることもなかったっけ。

 ……なんて、右から左でちゃんと聞いていないからだけれど。

 それに、聞く耳を持たないのは兄も同じ。興味がないと言っているのに、いつだって一方的に熱く語っているのだから。


 それでもただ一つ、不思議に思うことがあった。


 新選組が兄にとってのヒーローだとしても、普通ヒーローと言えば正義であり、正義は必ず最後に勝つ。それが定石のはず。

 けれども兄の語るヒーローたちは、そのほとんどが若くして命を落とす。あげく戊辰戦争だったかな。それで最後は賊軍……つまりは敵となり、新選組そのものも失くなってしまったと言っていた気がする。


 ヒーローなのにどうして?

 それが不思議で仕方なかった。


 だからなのかな……。

 私の記憶の片隅に残るのは、ヒーローたちが活躍したという出来事よりも、その散り様の方だった。




 信号が青になっていることに気づき、慌てて歩きだした。

 直後、音を立てて吹き抜ける風に再び足を止められて、なびく髪を両手で押さえて凌ぎつつ、俯けた顔を僅かに上げたその時。

 視界に飛び込んできたのは先ほどと変わらない青色の信号、そして、目の前を無数に飛び交う白色……桜吹雪だった。


「綺麗……」


 突如広がった目の前の幻想的な光景に、私の視界以外の感覚は一瞬にして奪われた。

 街の賑わいも、人々の会話も、木々を揺らす風も……そこにあるはずの音の全てが消失した。


 だから、気がつかなかったのかな……。


 一瞬だけ私を喧騒の世界に呼び戻したのは、タイヤが擦れる耳障りなブレーキ音と、その先に向けられた人々の悲鳴。

 次の瞬間、再び世界から音が失われると、私は宙を舞っていた――


 ゆっくり、ゆっくりと。

 果てしないほど、ゆっくりと。


 桜吹雪の先にある信号は変わらず青いままなのに、眼下には大きく目を見開き、恐ろしいものでも見るような表情でハンドルを握りしめる運転手。


 そんな顔で見ないでよ。

 ……って、あぁ、そっか。

 私、車に轢かれちゃったのか。


 青い空と無数に飛び交う白。

 その中をゆっくり、ゆっくりと舞う私は、この桜吹雪を構成する花びらの一つなんじゃないかとさえ思える。


 もしかして、このまま死んじゃったりするのだろうか。

 生まれてからのこの十八年間、がむしゃらに生きてきたとは言えないし、恋だってまだしたことがない。

 ただ漠然と日々を過ごしてきたと言われたら、否定のしようもないくらい。


 それでも、来月からは私も大学生になる。

 将来の夢だってちゃんと見つけたいし、それに向かって必死に生きてみたい。

 月並みだけれど、恋だってしたい。


 それに、大福だってまだ食べてないんだから!

 ……って、こんな時まで食い気とかっ。


 ちゃんと突っ込みまで入れた自分に呆れつつも、案外冷静でいられるものなんだって苦笑すれば、普段とは違うやけに落ちついた自分に感心さえする。

 ついてないなぁ……と心の中でぼやきながら、目の前に広がる花びらに手を伸ばした。

 地面に落ちる前にキャッチ出来ると、願い事が叶うというジンクスがあったっけ。


 もう少し。

 あと、少し……。


 伸ばす指先に、ほんの微かに花びらが触れた気がした。


 けれど、それを確かめることは許されず、ただゆっくりと過ぎ行くだけの音を失くした世界は、暗幕を下すかのごとく闇に染まっていく。

 同時に、私の意識も深く、深く落ちていった――

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