>現状で私が信頼出来るのはお金だけです。
この台詞は
少し老齢の元経営者っぽくはないですね
金銭
つまり貨幣価値は証券としての利用価値で絶対的なものでは
ありません
中世の封建主義時代でも
金属としての物資価値に発行する権力組織の価値を加えたものにすぎません
現代だと紙幣などただの紙切れですので
完全に証券としての利用価値しかありません
公務員とかなら
「信用すべきものを自分で選ばない甘え」
で盲目的に権威に従って生きるのも許されます
だから
現実を見ない「甘え」を棄てられないなら
金銭という国家が発行する信用証券は
信頼するしかなくなります
だが
企業経営となると
それを理解しないですむのは零細企業レベルです
人を使う立場で責任を持って
ある程度の経営戦略を練るなら
「金銭とは利用すべき道具」という価値観が必要です
なぜなら
「貨幣も物資も価値は変動する」
からです
つまり
「お金は利用すべきもので信頼すべきものではない」
それを知らなければ
「信用すべき相手とも判断されない」
そういう共通認識が人を使う立場の人間にはあります
なぜかというと
金銭を信頼するということは
金銭に依存するということだからです
そういった現実を見ない人間になってしまえば
まともな経営戦略など練れず
「金銭を適切に利用する」事も
「有能な部下や取引相手の信用も得られない」わけです
要は
「現実主義の人たらし」という設定に
「金銭に依存する甘え」は似合わないと思えるのです
「現実主義」という言葉を
権力機構が創り出した権威という幻想や
物資に変らぬ価値があり続けるという幻想を信じる人間の意味で使う人間もいます
けれど
それらは全て「人が創り出した価値」で「人が造り出した物資です」
変らぬ価値はないし、変らない物資もない
金銭とは労働力の互換システムであり、同時に資本権威主義組織の内での権力の度合いを表す指標でしかありません
つまりは、金銭とはただのツール以上のものではない
信頼すべきは、何時だって人間で、信用すべきも、人間で
道具は使いこなす物で、頼る物ではないと考える
それが現実で
洞窟で暮らす猿同然の原始人からここまで進歩した文明は
今ある全ての価値観も物資もない状態から
「人を信頼して道具を利用する」という人類の生存戦略で進歩してきた
それがオカルトを排除した現代の「現実認識」です
「道具を信頼する甘え」に縋るような人間なら
「現実主義者」にも「人たらし」にもなれないという事ですね




