>どんな職業の人間にも誇りは必要
>どんな職業の人間にも誇りは必要
商人の誇りとして語られたのは
この場合「個人としてのプライド」に近いものですね。
どちらかというと「矜持」という言葉が近い気がします。
「矜持」とは自負するもので「個人的視点」での在り方。
「誇り」とは名誉であり万民に向けた「客観的視点」での在り方。
経団連の政商と血縁を結び癒着した世襲政治屋が
愚民主義で考える事を嫌う人間を増やし
愚民主義で「責任を嫌わせる利己主義」を「自由」と騙り
金権権威主義で民主主義を衰退させて「公私混同した利権政治」を行い
権威差別で格差社会を造りながら「自分達の利権を安定させる事」を政治の安定と嘘吹き
「景気という金権闘争の結果」が良ければ、下々にも利益があるという「トリクルダウン仮説」を創って公私混同を正当化する嘘の理屈を広め
様々な誤魔化しで、「愚民主義によって創った考える事を嫌う国蓄」に「何が幸せなのかという事」さえ判らなくさせる「人情と人間関係の希薄化」を刷り込む。
そんな「権威に服従した利己的個人主義」全盛の現代の商売人は混同しがちですが
「公私混同を悪とした法治主義」によって国は運営されるべきとされた昔はその二つをかなり明確に分けて考えていました。
だからギルドや座や市などの個人の利権を
領主などの利権が暴力で服従させる事への抵抗も大きかったのでしょう。
現代に残る「革命する権利」というのは
そういった「社会の在り方」を考える上で
「客観的公平性」よりも「利権構造」を優先させた考え方です。
現代では
「武装商人」が傭兵を使って「官僚貴族」と結び
「軍人貴族」を排除した「革命」で
「元貴族資本家」と「政商」と「傭兵」が造った制度が
「民主主義」という建前で「金権主義」を隠した経済を動かしているので
そこらへんが誤魔化されていますが
貨幣制度の本質が「労働力の交換を助ける通貨」という流通の補助システムから
国家利権内での階級を定める権威そのものへと変化し
虚業が実業より増えていき
実業を行う中産階級を争わせる事で
虚業を行う上流階級が富む「国際利権システム」が生れてしまいました。
それが
「商売人の誇り」=「商売人の矜持」という混同が生まれる原因となっている気がします。
国家利権の一部として争いあい勝利する「経済軍人の暴力を称える誉れ」こそ
「商売人の薄汚れた誇り」で「それ以外の在り方など存在しない」なら
「商売人の矜持」という言葉などいらない。
中産階級は
「Win-Win」の取引における同盟で同業他社に勝利する関係で
「ギルド」のような同業他社との共存など馴れ合いで
「同業他社」との関係は敵だから争え。
けれど上流階級の「国際利権」は別で
カルテルを造ってメジャーとして君臨し続けよう。
そういった
「薄汚れた本音」と建前を混同させたのが
「商売人の矜持」という言葉を聞かなくなった原因だとするなら
それは愚民化政策が進行している証拠なのか?
ふと、そんな事を考えてしまいました
「商売人の矜持」──最近、若い人は使ってますか?




