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>昨今の脳発達へのアプローチといいますか、療育に疑問を覚えてモヤモヤします



モヤモヤですか



「脳の発達」などという抽象的な話というか


「どういう方向への発達」かを細分化せずに


一緒くたにして発達の一言で済ますと本質を見失う話に思えますので

そういうところからモヤモヤがきてるのかもしれませんね。


「右脳と左脳」「言語野と感覚野」「大脳新皮質の辺縁系抑制」

などそういった物質面でシナプス発達として考えるのと


精神面というか「深層心理」を形作り

「嗜好」や「理性と情緒のバランス」や「自我の強さ」という

人が自分ではどうしようもできない人格の根源部分の育成を心理学的に考えるのと



全てを一緒にして「脳の発達」と考えると誤解が生じそうなので


遺伝子や環境で個人差のある話でなく

全体的な「教育」という面でモヤモヤの原因を考えてみます。




ゼロ歳児教育の問題点は色々ありそうですが


教育とは社会への適応を促すものなので


やはり

「どういう社会であるべきか」が根本にあるように思えます。



ですから

キツイ言葉でいうなら「ゼロ歳児飼育」になってしまわないようにしないといけないというのは確かでしょうね。



ただ、昨今では「格差社会」とか「社畜」などという言葉が流行るくらい民主主義が衰退して


「資本権威階級主義」が横行するのを多くの人間が、しかたないと諦め許し、それでいいのだと加担し推進しています。



 戦後から安倍内閣へと血縁継承される保守派と呼ばれる権威主義者達の利権が、国際的な金融軍事利権の一部として活動し


独占禁止法や労働基準法を、改正や派遣法で骨抜きにして


結果、核家族化に、共働きに、24時間営業に、派遣社員に、リストラに、個人情報保護に、ブラック企業にゼロ歳保育と社会を変えていったからです。



 労働団体は実質的に無力化され、60年代のSFで語られたディストピアが生れつつあります。



 個人主義の毒で個別化され

あるいはプライバシーの名目で

人と人の繋がりを切り離されても「諦め許し」


家族の絆さえ利権の継承や利益のためにあると考える人間を増やして「加担し推進」しなければいけないほど


「富や力」は求め続けねばならないのか?



そう問う事すら「理想と敬遠され」「時代遅れと無視され」「愚直と蔑まれ」るようなマスコミによる情報操作とマインドコントロールで


情報の波に埋もれ流されている「情報化社会」の現代。



 「個別」のケージで「24時間」配られる大量生産の餌を詰め込み、働くだけの人間を「社蓄」というなら


その子供達も「資本権威階級主義社会の家畜」として育って当然というのが


「ゼロ歳保育」の名を借りた「飼育」なのでしょう。



「ゼロ歳児教育」というならば、ゼロ歳児の親の教育時間の確保と育成されたゼロ歳児専門教育者による指導がセットでなければならないのに


そんなものは「理想と敬遠され」


「資本権威階級主義」のための「ゼロ歳保育」を推進するなら

それは「飼育」で


子供に「家畜として肥え太る事が幸福」という価値観を刷り込む事で


その後に来るのは「資本主義ファシズム」によるディストピアの完成なのではと、ふと考えてしまいました。




 戦後、貨幣発行権がGHQにより奪われ


政府から日銀に


つまり

 「封建権威階級主義」の政府から「資本権威階級主義」の国際金融資本へと


引き継がれると同時に「親米保守派」の利権が造られました。


 国際金融資本利権の権威を担保とした証券が貨幣となり

その保有量で階級を決める時代となっても


60年代までは

 「実質的な平等で自由な競争社会」を望んだ人間が

民主主義を護っていましたが


 それもそういった人々の

逝去や没落や利権圧力への迎合で消えていきます。


 やがて愚民化政策のマインドコントロールで成長した「資本権威階級主義」を信奉する子供達が


「ゼロサムゲームの虚構経済という貨幣利権闘争」に参入していき


「虚構化され管理されたた不平等なイカサマ競争」によるバブルとその崩壊と格差社会化といった一連の流れを引き起こしました。


 そういうディストピア化を望む人間が増えていったのを止める事ができなかったけれど


それでも、希望を棄てて、人間なんてそんなものと見限る事はできません。



ディストピアは多くの物語で語られるように

「生物の自滅本能をシミュレートした闘争原理社会」で

それ故に世界のディストピア化は「人類の滅びの始まり」なのでしょうから。



それらの話を一言で


「社会を変えないと子供の教育は正常に行えない」

などとは個人レベルでは言いきれないでしょう。



子供を手から離さずに育てられる金銭的余裕があっても、拝金主義にならないような


人の心を思いやれる親がついて愛情を与えながら教育すればいいのですから。


けれどそうでない「多くの場合」なら


人の繋がりが希薄な社会では


情報化社会で刷り込まれるマインドコントロールに近いものも考えると


「スクールカースト」や「イジメ」と無縁な

子供達の正常な発育は望めない気がします。



そしてそういった親の割合は

格差社会とよばれる現代金権カースト社会ではそう多くはないでしょうから


社会全体で考えるなら


やはり現在の状況は「日本社会のディストピア化の促進」なのでしょう。


そういった事にきづいている無意識下の心理が


モヤモヤの原因となっているのでは?


そう想像したのですが……少し穿ちすぎでしょうか?





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