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>制限速度の標識通りに流れを妨げるような速度で走る方が危ない



よく、言われますが客観的に考えると

危ないというより、急ぐ運転をする違反者の邪魔になるというのが正確な

表現です



スピードを出していい広い道ならそもそも車線が多く流れを妨げるから危険という前提に意味がなく

狭い道ならスピードを出すほうが遥かに危険です。


そして制限速度設定がオカシイなら多くの企業が変えるように働きかけてるでしょうから


そうでないなら、それ以上は危険だからという基準で制限速度があるという事でしょう。


そうなると

「危ないから流れを妨げるなという話」は、みんながスピードを出さなければいいだけの話になります。


つまり、この理屈は「危ないという理由」で「危ない事をするな」と言ってるようにみせかけて

理を捻じ曲げて誤魔化し


「危険を承知で急ぐ人間達に合わせるのが正しいのでちょっとくらいの危険は無視しろ」

そう言っている「屁理屈」というやつです。


論理を捻じ曲げて誤魔化す「理屈」の中でも

「少し考えれば直ぐ解る嘘臭くて悪の臭い漂う理屈」だから「屁理屈」とは上手い事をいったものです。


けれど

そういった表の交通ルールとは別のもう一つの「屁理屈」が

あたかも正しい常識であるかのようにまかり通っています。



時は金銭(かね)なり

金銭(かね)は権力なり

長いものには巻かれろ

臭いものにはフタ

触らぬ神に祟りなし


そういう類の


「それが現実だ」という横道を騙るマスコミの世論誘導と

人間の命よりも金銭(かね)儲けが大事と騙る権力者の「非道」

そういうものを押しつける「悪徳」から造られた

「常識」と名づけられた裏ルールです。


裏交通ルールには


ありがちなバラエティで使われる

「赤信号みんなで渡れば怖くない」

というこの類のものから


酷いものには

「人身事故を起こして一生償うくらいなら轢き殺せ」

というような

少しでも良心があれば

一生後悔しそうなものまであり


利己的な甘言に満ちています。


こういう類の「自分を甘やかす嘘」が学生達の間に広がり


「虐待じゃないイジメだよ」

「イジメじゃないよイジってるだけだ」


などという「屁理屈」で集団心理による虐待が起こる問題すら

マスコミは「虐め問題」ではなく「イジメ問題」と表記して誤魔化します。


「学生が団結して歯向かってくるよりマシだから、イジメあう人間を創る教育で社会を造れ」

という「権威主義」が「民主主義」を弾圧する裏ルールがあるからです。


そうして

そういった考えが野放しになって

誰も対策を講じないと


「登校途中の子供の列に高速で自動車が突っ込んでいく事故」


のような悲劇を巻き起こし


「幸せな家庭」という「現実」の「理想」を

壊します。


理想とは遠くにあって敬遠されるものではなく、「ささやかな幸せ」を護るためのものです。


だから理想を人々が敬遠して考えなくなると多くの不幸が「社会をデザインする政治」によって創られます。


自動車社会とその利権が常識となった国家の犠牲

という意味で使われだした


「交通戦争」という言葉が死語となった今も

人は交通事故で戦争並に殺されていきます。


そして裏交通ルールと同じような理屈で

大企業や国家が国外に利権を求めると戦争が起こるのですが


どうも70年代以降は

その類の理屈がオカシイのだと声を上げる人達の運動ではなく


オカシイ理屈を声高に叫んで「本当の危険」から目を逸らさせる

利権団体の活動ばかりがマスコミで取り沙汰されているように思えます。



非現実的な「屁理屈」を騙る人間と

現実的な「理想」を語る人間が


混同されて

どちらも胡散臭い活動のように宣伝され


現実でまかり通る「悪徳」こそが唯一の「現実」であるかのように


理想の反対語は「悪徳」や「非道」や「横道」ではなく

「現実」だと人を騙す理屈が真実であるかのように

広められてきました。



「交通戦争」で一万近い犠牲者を

出しても


それを必要な犠牲と考える社会では


裏交通ルールが必要だと考える人間ほど

自分が犠牲にはなりたくないと考えるのですが


犠牲者が他人であれば見過ごしてしまいます。


そして自分の身に振りかかった時

「どうして私が」「どうして彼(女)が」「どうしてウチの子が」と口にする事になります。


そして


悲劇を招くシステム以外を望む事もせずに気づかぬふりで「無力で哀れな被害者」である事が楽だから「それが現実だ。しかたない」と「自分を甘やかす理屈」に逃げない者は


その悲劇は「誰かに必ず振りかかるはずの不幸」で

自分が悲劇をずっと許し、加担し、黙認した「無邪気で残酷な共犯者」だと気づきます。



そういった「現実」を辛いと思えるか

それとも「無感動」に受け止めるか


無意識に見過ごすのではなく考えないといけないのでしょう


そして自分が手伝えなくても


それが金銭(かね)を失う事だとしても

権力に逆らう事だとしても


長いものだったとしても

臭いものだとしても

祟りがあるものだとしても


金銭(かね)を持つ者に媚び

権力を持つ者に脅えて

巻かれずフタを開け触れる者に悪のレッテルを貼ったり愚か者と蔑むような行いを恥じるなら


「悲劇を容認する理屈」は、それで損をする人間がいたとしても正さねばならないという事を忘れてはいけないのでしょう。


つまりは


恥知らずな人間の意見なのか

そうでないのかを見定めるのは「甘え」ない事。


正しい事をしようとする人間を「甘い」と言うような

「社会に対する責任を放棄した甘えた恥知らず」にならない事なのでしょう。


裏ルールという「権力に押しつけられた常識」

に従う奴隷を「社蓄」と呼んでも「国蓄」という言葉は広まらないのは

「民主主義国家」であるべきと考える人がまだ多いのでしょうが



裏ルールによって

法治主義の「法」を変える事を許せば

それは中世の人治主義という権威主義と変わりません。


利益にのみ目を向ければ「一握りの権力者」が得をして

そのオコボレを配下にまわす事で組織を維持するカーストが造られ

多くの者が不幸になるという歴史から学ばず


利のみを語る論理で常識が造られるのを許せば

利権を巡る争いの中で

人が創った世界を滅ぼせるほどに進歩した技術は人類を滅ぼすでしょう。


それは自分が交通事故で被害を受けないとしても交通事故が必ずどこかで起きているように

私達の子孫が必ず交通事故で死ぬように

いつか起きる必然です。


それでも地球や生命は残るのでしょうが……


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