>殺人は場合によっては善行であると考えるタイプの人物
なるほど
善という客観的価値基準と
正義という主観的行動基準と
必要悪という矛盾自体を区別して考えない人物ですね
全部ごっちゃにして
客観的な善の人道主義と主観的な正義の断罪を区分せずに考えてプロパガンダに踊らされるタイプですか
資料としてそこらの考え方を上げると
※コピペ
●
欧米の対立と抗争で正義=Justiceを決めるという考えは
司法制度をJustice Systemと呼びます
裁判で「正義」がどっちかを争う米国の訴訟社会
などが典型的な例で
米国の公式の「正義」とはそういうものです
でも
日本で「司法」を正義制度なんていうのは違和感がありますよね?
この文化の違いを先ず念頭に置いて下さい
さて
対して日本の和を建前とする武家文化では人の信じる信念は「義」であり
「義」が時にぶつかりあい争い
戦い勝つことで自分達の「義」を通すという考え方はあったので
Justiceを「正義」と訳しましたが本来「正義」という考え方はありませんでした
だから古来日本では「勝敗は兵家の常」で
勝った方の「義」と対立して負けた者を「邪」とも「惡」とも呼びませんでした
「惡」とは荒々しく猛々しいという古語の意味が示すように
「獣と変らぬ人間の有様」を指す言葉で「人に害を成す存在」でした
善とはそういった「人に害を成す存在」ではない者で
和の心を持つことでした
そして
「邪」とは邪魔するという言葉が示すようにペテンや混同や
一見正しそうな理屈で「道理」を歪ませ
「善」とは何かという判断を誤魔化し間違わせるもの
だったのです
正しい教育で獣同然の存在から「人」に成るという「人間観」から
「悪」は精神文明を持たない存在という意味で
「和の文化」とはそういう「対立」を否定した
精神文明肯定の意味を持つものなのです
●
しかし「正義」という言葉が使われだした当時
欧米文化はローマ帝国の武家貴族の文化を濃く残していたので
「旧約聖書の裁く神」が説く
「絶対の神」に従う 正義=Justice に対立するモノは 邪悪=Evil で
「惡」とは別の概念でした
それなのに
明治の「欧米型軍国主義国家の建設」のため
このEvilを訳すのに「惡」をあてたことで
「善と悪」という対立しない概念と
「正義=Justice と 邪悪=Evil」という対立の概念は混同されます
●
近代になると
ローマ帝国の文化を否定して市民革命を起こした欧米の商家の文化
では「政教分離」を推し進め、戦争で商売を邪魔されないために
オリエント文明で東洋から伝わったグノーシス主義などの概念をとりいれ
「神の教え」に代わる論理的倫理規範として「理想」を発明します
盲目的に「神に従う正義」は間違いで「理想を護る正義」こそ
真の正義というヒューマニズムの考え方です
これは日本の「善」にも通じる考え方で
「善」=「理想」に極めて近いものです
差があるとすると「理想」は明確な人の発明で
商家のための発明ですが
「善」は農業文明が誕生した前史の時代の農民文化の発明で
「狩猟・放牧民族」の略奪を否定するための概念
つまり歴史にないほど昔に発明された概念であるために
オカルトとして騙られることもあることでしょうか
理想を護ると定義された「真 正義」は
神に従うことと定義された「神 正義」と違い
「和の文化」の要素を持つために
「裁く」事を
新約聖書の「裁くなかれ」という教えと
旧約聖書の「神の裁き」の代行者としてのローマ国教の都合
の矛盾を説明する概念である「必要悪」に分類します
シビリアンコントロールによって「武家貴族」の行いを
「商家」が制限するという目的があり
「軍事行動」は「必要悪」という概念を取り入れ
民主主義は「自由」「平等」「平和」を大義としたわけです
これが政治や歴史や哲学といったものに学生が興味を持っていた第二次安保闘争前の復興と連合国の統治への抵抗の時代なら
そういった歴史観も文学や小説のテーマとして語られて
連合国に征服されて欧米化する環境自体を変えようという若者も多かったのですが
歴史年表の暗記重視や近代史を軽視して「歴史に学ぶ」という歴史学を骨抜きにするような
「受験教育」や「ゆとり教育」に名を借りた「愚民化政策」に近い教育制度と
文芸の衰退を加速する社会の近代欧米化で
「反軍国主義的な考え方」の物語は冷戦終結と同時に消えていきました
※コピペ終わり
そういった歴史をふまえて、このエピソードで語られた善悪を正しく分けて考えると
>大勢を守るためにテロリストを殺す 善 ×
↓
大勢を守るためにテロリストを殺す 必要悪or「神の正義」○
>連続猟奇殺人鬼の犯行も 悪 ×
↓
連続猟奇殺人鬼の犯行も 悪 or 邪悪=Evil ○
>国を守るためにと兵士が敵国の兵士を殺す (主人公が考える良い側の国なら善) ×
↓
国を守るためにと兵士が敵国の兵士を殺す (主人公が考える良い側の国なら必要悪or「神 正義」) ○
という違いがあります
キャラはそれを理解できなくてもいいのですが
作者が理解し「善悪観」を護らないと
意図せずに「善」の理解を邪魔する事になり
「理想なんて必要ないし、善悪は相対的だから考える意味などない」
という誤魔化しの理屈を信じて
「惡」が増えてしまいますので気をつけたいものではありますね。




