>善人も悪人もただの人間
>善人も悪人もただの人間
>どんな動機と背景があっても、殺しは殺しでしかない
>大勢を守るためにテロリストを殺すのも、連続猟奇殺人鬼の犯行も、国を守るためにと兵士が敵国の兵士を殺すのも、同じ殺人
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>一見良い言葉だが、実際には人間にとって最悪の考え方
>何故なら、等しく人間を下の存在であると認識しているからこそ出来る思考だからだ。
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これは○○○○○が人格神だから
「偉ぶっていて気に入らない」という感情論であっても
「絶対の正義で裁く旧約聖書の神」のように
カルトな最悪の考え方とはいえないでしょう
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善悪というものが最初から存在するのではなく
「人が人の為に創った精神文明の発明」であると考えれば
善も悪も人以外の動物には関係のない話です
そうでないと否定する事は「人とは神が造った道具」や「人とは神に操られる人形」といった考え方を肯定し
「人が創った精神文明」を否定する事になるからです
「言葉という精神文明の発明で知識を共有し継承する事で共存して生きていくという人類の生存戦略」を否定するなら
人は太古の時代と同じ「毛無の猿」として生きて
言葉も持たず物質文明すら持てない動物の一種として生きるしかないのですから
「行き過ぎた物質文明」は否定できても
「神=自然」に抗って
理性と知性で成り立つ「言葉と概念という発明」を積み重ねる
精神文明も「物質文明」も否定はできません
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まあ
そういったものが全て「全知全能の神」に与えられたという世界観なら別ですが
この物語はそうではないでしょうから
人間が創ったものに無関心であるから○○○○○というやつは
人にとっては「人を道具として扱う最悪の存在」と考えての
描写なのでしょうが
征服型資本主義軍事国家の典型的な考えである
「命は等しくただの資源」と貶めて考える
○○○○○は最悪ではあっても
人道主義の考え方の基本である
「命はただの資源ではなく等しく大事なもの」という考え方はそれとは逆の正しい考え方なので
「命を単なる権力が利用する価値とは考えない生命の尊厳」と
「個人の社会にとっての必要性から算出する資源的価値の差」
そこらを混同させて騙らない表現で
理想を護る「正義」
悪に抗するための暴力である「必要悪」
他者を否定するカルト思考の「唯一悪」
「唯一悪」にならないための無限の「善」を分けて
天動説の上と下を善悪で例える「善悪二元論」でなく
地動説の上と下を善悪で例える「客観的善悪相対論」を肯定し
客観的に判断すべき善悪を主観的利害と混同させた
「善悪など個々人の判断が全てだから存在しない」
という詭弁に騙されずに
表現するなら
↓
「善人も悪人も関係ないんだよ。どんな動機や背景があっても関係ない。人が生きようが死のうがどうでもいい。俺達が大勢を守るためにテロリストを殺すのも、連続猟奇殺人鬼の犯行も、国を守るためにと兵士が敵国の兵士を殺すのも、同じく興味がない。○○○○○は転生さえ続けられればいいんだから」
“ 命は大事なもの ”と考えて、殺しは殺しだから必要悪になる事はあっても決して正義ではないし、ましてや善ではないとして、殺しは殺しだからいけないと考えるのと、一見同じ様に見えるけど、○○○○○の考えは、人間にとって最悪の考え方である。
何故なら、等しく人間を“ 転生を行うための資源 ”としてしか見てないからこそ出来る、人間性を無視した非人道的な思考だからだ。
とかのほうが表現として正確な気がします
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ちなみに
「客観的善悪相対論」だと
上=善は宇宙へ向かう天で無限
下=悪は地球の中心で唯一
という三次元の図式で善悪を見る考え方で
相対的な立ち居地で見て
地球の裏側の人間視点だと自分とは一見逆の考え方に見えても
地の底へ向かって落ちていくのを妨げるベクトルを持つなら
それも善であるとして
「立ち場」や「常識」や「損得」とは別の
相対的視点で「善悪」を見る事で
「唯一絶対の神の正義による断罪と裁き」という
「魔女狩り」を肯定するような腐敗した
ローマ国教の考え方を否定した科学的視点による善悪のアプローチです




