>二人は似ている
自分の不幸に囚われて周囲を妬むア●ィ
「自らの不幸を嘆いて自分を哀れむな」
と言いながらも共感してしまい
ついつい自分の不幸を語ってしまう主人公
主人公とア●ィはそういう意味で似ているのでしょうねぇ。
理想を綺麗事といって否定しながらも
そういったものなしに生きていけない自分の弱さを知って
自分の弱さに苛立ちながら生きるのなら
自分の弱さを哀れみ弱さに甘え理想を否定し続けるか
自分の弱さを否定して力を求め理想を否定し続けるか
あるいは
自分の弱さを認めて克服し理想を肯定しようとするか
自分の弱さを認めず強い人のようにふるまい理想を肯定しようとするか
いつまでも
その4つの間で迷い続けるのかでしょう。
何も考えず全てを諦めて目先の欲望だけを追って
ただの動物として生きるのではなく
人という社会的動物として社会に対して何かを求めるのなら
理想を護らなければ世界は簡単に不幸にあふれてしまいます。
太古の昔に洞窟で生まれた言葉も持たない毛無の猿も
現代の人間も肉体的には同じホモ・サピエンスという動物でしかないのだからそれは当然でしょう。
けれど
人類の生存戦略として自ら理想を創った人間は
理想を否定して動物としての欲望で動く人間が社会を支配するようになっても
理想を「神の意志」と名付けたり。
更に「神」を利用して動物としての欲望を満たす人間が表れても
「その他大勢のための
自由や平等や平和や敬愛といった共存の理想」で
自然に抗って生きる生存戦略によって繁栄してきました。
「神は死んだ」という言葉に象徴されるように
実体を持って世界に干渉をする神を迷信とする時代になっても
理想が人の生存戦略である以上
人はそれを否定しては滅びを迎える事になります。
「自分一人くらい」、「何故自分一人が」と考えるような
「その他大勢のための理想」を否定した弱い人間が増え続ける中で
「その他大勢のための理想」を護ろうとする強さを持つ事は難しいけれど
「その他大勢のための理想」なしに人は幸福になれない以上、抗い続けるしかありません。
けれど
「その他大勢のための理想」を否定し
人同士争い戦いあって欲望を満たす事を幸福だと自分を誤魔化し
理想を否定して生きる人間達の方法論で現代社会は動いています。
それは滅びの道ではあっても滅びが目に見えるまで誤魔化し続けようと
愚民化政策という方法論で我欲を満たす人間達に騙され
“ 理想という生存へ向かう道 ”と“ 悪徳という滅びへ向かう道 ”の狭間に現実がある事を知らず
「理想の反対に現実がある」という言葉を信じてしまうなら
“ 麻薬に溺れる人間がラリった時に得るような物質的な偽りの幸福感 ”に溺れながら滅びるか
そういった偽りの幸福感の依存者がふりまく不幸の中で滅びるかしかありません。
それを知って
“ 損得よりも大切なもの ”として「その他大勢のための理想」を護る人間によって社会は存続しています
物質文明のみを信奉して、理想を護るための精神文明を否定し
誤魔化しと暴力による搾取によって社会に寄生する権力者が造った歴史の果て
からやってきた主人公
魔法というオカルト文明によって「理想が神ではない世界」となった異世界に住むア●ィ
二人がこれからどうなっていくのか楽しみですね




