>正義が行われ悪が罰せられる
「理不尽を正す」というような使われ方で
よく使われるフレーズですが
これには作為があるような気がしますねぇ
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アメリカや聖書宗教の文化でいう「Justice=正義」は
ローマ国教で編集された旧約聖書の「裁き罰する神」の影響で「悪を罰する行為」と考えられがちですが
悪を罰するという行為は
「必要悪」であって「正義」ではないと考えるのが
多くの多神教の宗教哲学であり正義観です
この違いは文化人類学的には
ローマ帝国や同じ価値観を持つアメリカのような「軍事国家の文化」が「戦争の理由」として「正義」を利用したせいだと言われています
「正当防衛の殺人」は「正義」ではなく「必要悪」であるために罰を免れますが
これは「免責」であって「殺人」=「正義」とはどんな時でもならないという近代の法の考え方のように
文明の進んだ近代では
客観的な「正義」は本来の「悪から人を護る」という本来の意味で語られる事も多いですが
「武家」の文化が強い地域で育つ人間は
「義」を持って戦い合う事で「強いほうが正しい」と主張する
「弱肉強食が正義」という考え方から抜け出られずに
「護る事」と「罰する事」を混同させて
「必要悪」をも「正義」と名付けます
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アメリカや日本でも「愚民化政策」を推し進める一派は
今でも「必要悪」を自分達の利権と権力確保の為に利用し
「ただの悪事」を「必要悪」と偽る事で
「絶対の必要悪などない」という事実を「絶対の正義などない」などと騙らせます
けれど「正義」と「必要悪」をキチンと分けて考えるなら
「正義」は人間社会があるかぎり何処でも行われていて
「悪」と「悪」や
「悪」と「必要悪」や
「必要悪」と「必要悪」同士がぶつかる事で起こる争いが
いつも誰かを護ろうとする人々の「正義」を脅かすのでしょう
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「理不尽を正す」のとはそういう意味で違う
「正義が行われ悪が罰せられる」というセットの一言には
ラブ&ピースこそが「正義」と語る「理想」
弱肉強食と欲望を満たす事が「正義」と騙る「悪徳」
その狭間に「現実」がある事を否定して
「悪徳=現実」と騙り
「理想」の反対語は「現実」と人に信じ込ませる誤魔化し
そういったものを感じますねぇ
まあ
だからどうというわけではないのですが(笑)




