>小説にテーマはいらないのでしょうか?
>小説にテーマはいらないのでしょうか?
私的には好みの展開なのですが
読解力がないと「自我の確立」とかのテーマは解りづらい読者もいそうですねぇ
昨今のラノベは
「ビジュアル化などのメディアミックス前提で書け」
という出版社の意向のせいか
小説本来の独自表現である
「文章でしか表現できない複雑な心理描写」とか
「形而上の概念や高度な理論的描写」とか
そういった読解力が必要とされる方面にいくと
「解り難い文章で書かれたオモシロくない小説」とレッテルが 貼られがちです
そういう読者は
「娯楽のために読むのだから快楽が得られないモノには意味がない」
と考えているので
「解り難い文章=オモシロくない」というのは
論理的には当然の帰結として、そう声高に主張したりもします。
当然、そういった主張は
「麻薬や性行為で得る類の感覚的な悦び」と「人間的な精神活動がもたらす充足感で得る類の喜び」を混同させるものですから
「糞も味噌も一緒にするような意見」です。
しかし
「クソミソに貶す」という言葉を「滅茶苦茶に酷く貶す」
のと同じ意味で使って、「その二つをまったく同じ意味としか思わないような者」は、混同自体を理解できなくなっています。
それを社会現象として捉えるなら
「愚民化政策による教育の偏重」としか思えない
「安保闘争以後の教育政策」による
米国化された愚民的な意見にも思えます。
「言葉や表現は精神文化そのもの」という考えから
バブル前の冷戦時代までの出版界なら
「出版界には文化の育成という社会的使命がある」
という不文律があって
「社会的な責任感を持って生きる人間」
であることが当然で
「そういった責任を放棄して周囲に配慮しない行為は恥ずべき ものだ」
という風潮も残っていて
「解り難い文章=オモシロくない」
というような個人的感想は
「精神文化を蔑ろにした精神的な未熟」を曝け出すものなので
「声高に叫ぶような意見」でも「主張に足る論理」でもない「恥ずべき意見」
と考える文化人によって表面化はされませんでした。
けれどネット時代によって
それらの意見は急速に「精神的に未熟な子供達」に
常識的な意見なのだと誤解されていきます。
ネット時代の初期には
そういった風潮を正そうとする人も多かったのですが
「悪貨は良貨を駆逐する」ということなのか
「混同や誤解を促進させて民衆を政治的に無力化」する目的を 持った愚民化政策の一環なのか
精神的に未熟であるほど受け入れ辛く
「勉強して精神文化の拠り所である言葉」を学ばないと解り難いからか
多くの場で
「誤解と混同を無くす方向への努力」は実を結ばず
匿名の陰口が許されたネットは「誤魔化しと無責任な意見」がまかり通る魔窟になっていきます。
そして、商業主義に走った出版社が「文化の担い手」である事を放棄し、「情報発信組織の社会的責任」を無視し、「‘ 恥の文化 ’の伝承者」である事を止めた事で、出版業界はマスコミ化して、「メディアミックス」という商業的な流れに乗って「マスコミの一部」として吸収されていきます。
長々と社会の現状分析の前置きしておいて
感想としては平凡なのですが
そういった現状で生まれた
ケータイ小説やこのサイトに代表されるネット小説だと
小説的な展開を面白いと感じられず
それを恥とも思わない「恥知らず」を
「恥を知る日本的感性の精神文化」に傾倒させるのは難しいので
なんとか「もう一工夫した描写」をしたほうがいいかもしれません。
結論としては、テーマの放棄ではなく表現の工夫でテーマを受け入れやすくしたほうがいいという事ですね。
これは決して○○○さんの小説が
「なんかワケわかんない展開でオモシロくなーい」
という意見ではないので
混同や誤解の無いように
長文になってしまいました。
昨今の「長文ウザイ」というのも
「誤魔化しと無責任な意見」を助長させ
「精神文化の破壊と愚民化」を促す感想なので
「長文で申し訳ない」などとは書きたくないので
最後まで読んでいただけたなら幸いです
と締めくくらせてもらいます




