>テロという手段は許されるものではないが、それしか手段がない者のことが分からないでもない。
>テロという手段は許されるものではないが、それしか手段がない者のことが分からないでもない。
国家による戦争と非国家によるテロとは
本質的には同じものですが権威的には区別されています
そういった現状の中では
よくこういった表現は目にします
戦争やテロといった手段は許されるものではない。
国家であろうとなかろうと暴力による強制は最悪の手段だ。
いつか
そういう意志を持って動く人達が実権を持って国々を動かせるならばいいんですが……
テロについて考えるなら
テロに使われる武器も軍が持つ武器や装備も
多国籍企業の軍事産業や民間企業などの
倫理より利益優先という国際社会構造で動く企業群が製造してるわけですから
マッチポンプ以外の何ものでもないという意見も
ある意味肯ける話です。
「テロや戦争しか手段がない者のことが分からないでもない」
というのは
まさにその企業群にとっては都合のいい主張になります。
マスコミもスポンサーに媚びるので
‘ 理想の反対にあるのは悪徳でその間で現実が揺れ動く ’のではなく
「理想の反対こそが現実で理想など夢物語に過ぎない」というプロパガンダが罷り通っていますから
人々の無意識には
差別意識を必要不可欠で争いこそが人間の本質
という詭弁が刷り込まれます。
けれど科学的に考えるなら
人類という種の生存戦略は弱肉強食の論理の否定による共存での自然の制御であって
弱肉強食の論理を肯定した階級闘争という
動物の本能に根ざした「共食い」の自滅衝動を利用して
一部の人間が欲望を満たすための方法論とは対極を成す方法論です。
この二つの方法論の矛盾を当然と考えることで
文明は歪んでいきます。
かつては「絶対神というフィクション」を倫理の要に置き
科学によって宗教の権威が剥ぎ取られた後は
制約ではなく進歩が人類の本来の在り方とされ
「神というフィクション」の代わりに置かれた
「理想という名の目標」が人の精神文明の進歩と正しい在り方とされました。
けれど功利主義を歪めて
「物質的充足を幸福」とする資本主義が
理想よりも損得が尊重されるべきという風潮を創っていきます。
しかし
当然ながらそれは精神的な進歩とは逆行する行為です。
現代社会の矛盾は
功利主義を歪めた誤魔化しが基となっていますから
共産主義も同じ様な誤魔化しで
平等の精神を剥ぎ取られて全体主義化した社会主義となり
冷戦後は
国家間の集団差別による民族弾圧と反発も戦争やテロリズムとなり
軍産複合体ともいわれるような多くの利権を儲けさせるために
戦争やテロは利用され続けています。
どちらの暴力も許されないのではなく
強い立場の暴力が許され、弱い立場の暴力が許されない矛盾を考えると
この異世界も似たような社会構造になってるのかもしれませんね。




