>我が儘 >綺麗
相対的で客観的視点を持たないと
あたりまえすぎて普段は意識しないのですが
私達の周りの世界は、科学的に考えると、常識や社会も含めて
全て、人間達が創りあげたり造ってきたもので
もとからそうであったものなど、手つかずの自然だけです。
つまり、現実とは人工物と人造の《共同幻想》の集合体です。
それは周りに流されない誰か達の意志と行動によって
少しずつ変えられていくもので
良くも悪くも絶対不変のものではありません。
前文の序説にも書いたように
主人公は
この異世界では、影響力が大きすぎて革命的な
周囲にとっては「《共同幻想》を破壊する《災害》」であるというキャラです。
主人公の一人称は存在せず周囲の印象だけの描写ですので
人によって主人公の見え方は違うと思います。
何人かの方に読んで貰っての感想は
不器用な馬鹿
現実的な論理派ヒューマニスト
愛すべきお人好し
全ての自由を尊ぶ究極の自由人
という感じでした。
一般に流布した
我が儘で綺麗という感想は
自由人とヒューマニストという部分を
ネガティブと観念的とに捉えた印象で
我が儘と自由の違いは、他者の自由を尊べるかどうか。
欲望や金銭や様々な価値観を絶対とする
欲望の奴隷であったり
金銭の奴隷であったり
正義や信教の奴隷であったりしない存在かどうかでしょう。
そして
ヒューマニストと綺麗な人間の違いは
醜いものを受け入れて汚れに対処して
綺麗なものを護ろうとするのか
それとも
醜いものを見ようともせずに
闇雲に醜いもの汚いものを否定するか。
拙作中序章Scene2の掃除の話に例えると
汚れたモノを見つけてキチンと清掃をしようとする人間と
汚れなど見たくもないと汚れたモノを丸ごと捨ててしまう人間と
その二つの違いでしょうか。
前者は汚れたモノをちゃんと見て
水洗いしていいのかとか
洗剤は何を使えばいいのかとか
どうしたらモノが壊れたりダメになったりしないのかとか
キチンと考えて清掃を正確な方法で実行する人間です。
ホントウはそう対処するのが当然の事だけれど
心が健康でないと
楽しさは感じらても喜びは感じられず
悦に入れても満たされなくなってしまい
汚れたモノを綺麗にするのは面倒くさいと感じてしまうために
現代社会では後者のような刹那的な生き方をするものも少なくありません。
それは、責任を取らない‘ 甘え ’から来る怠惰が酷くなったものだったり
何も考えずに権威に従うだけでいいと信じる‘ 甘え ’から来る傲慢が強くなったものだったり
理由は様々ですが、綺麗なものしか認めないという権威に従うのが
キチンと考えようとしない‘ 甘え ’であるように
汚さを認めて権力を求めるためだけに生きる事も‘ 甘え ’でしかなく
不幸をばら撒くという意味では同じ事で、理想論しか観ないか、方法論しか観ないかの違いでしかありません。
理想論とは目標を定めるための論理で、方法論とは物事を実現させるための論理です。
あたりまえですが、どちらが欠けても不幸がふりかかります。
例えるなら
「宇宙船地球号」を理想論なしで目的地を定めずに進めれば、取り返しのつかない危険な場所に進めてしまい
方法論なしでただ最短距離を直進していても事故を起こしてしまうという事ですね。
我が儘なのか自由なのか──つまり、欲望なのか理想なのか
綺麗さを望むのか汚れを落そうとするのか──つまり、願望なのか方法なのか
主人公はどっちだと思いました?




