>儒教とかいうその素晴らしい思想が足枷になってあの体たらくですからね >腐敗は無くすことは不可能
※コピペ
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人類が数万年前の猿と変わらない生活をした時代。
哺乳動物の一種である霊長目ヒト科ヒト属という動物」は「群れで生きている」だけで
キツネザル類、オナガザル類、類人猿と同じような生存戦略をとっていました。
しかし
大脳新皮質と呼ばれる部分の発達と言語による経験則の共有化により
「自然淘汰に従わず獣としては生きずに、自然環境を集団連携で改造して生きること」を生存戦略として選び
「人」は文明社会を築いていきます。
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そして
「狩猟文明」で生まれた「掟」といった概念を
「群れの統率という本能」と区別する必要が生じた「農業文明」の初期に
善 = 共存する意志、「人間」の生存戦略を肯定する生き方
悪 = 自分や自分達さえ得をすればいい「損得を第一に考える生き方」
邪悪 = 愚かさと悪の結合、「生物の自滅本能である“ 共食い ”や“ 同種の殺害 ”」を肯定する獣
必要悪= 「権力という悪」による邪悪の排除システム
※コピペ終わり
といった概念が育ち
「原始共産制」ともいう「共存」の時代
その概念が思想へと変化していったのは想像に難くありません。
「暴力による社会支配システム」の時代へと変わり
「支配」が、皆の生活を「支」え、公平に「配」るという意味から抑圧と従属を強制する征服の意味に変わっていった時代に生まれたのが
孔子の思想です。
孔子の思想は
彼が創始者ではなく
もともとあった古代の共存思想を封建国家向けに歪めた思想ですから
中国のその後も当然と言えば当然でしょう。
更に朱子学となると
その本質を失わせ歪めたものだけを残したものですから……
墨子などに至っては近代まで
その存在も消されかけていましたから
軍人の為の国家とそれを支える文化が続いた数千年が
如何に人類に闘争の正当化を含めた擬似的な動物的価値観の概念。
俗に言う「弱肉強食」を広げたかが解ります。
その呪縛の最たるものが
農耕文化の古代神を悪魔に
その祭祀を魔女へと貶めた聖書宗教を利用した
「宗教権威による権力の絶対的正当性」でしょう。
そういった世界観から生まれたのが
数千年前に神が創った世界で
その歴史は常に一方向に流れ
神の定めた正しい方向に収束する。
つまりは
文明の発展方向は一つで他の可能性はなかった。
という「最後の審判」的思想です。
これが正しいという根拠はどこにもありませんが
文化による擬似的マインドコントロールで
それを受け入れている人は多いようです。
マインドコントロールという技術は
悪用するものがほとんどですが
聖書宗教的な絶対性を否定して
客観性と相対性を持った道徳教育で
「権力に都合のよい人間」である事を否定する
「人類の生存戦略に則った人間」を作ることはできるはずです。
「手榴弾で自爆テロをする子供」を育てられるなら
「人に見られながら排泄する事と同じくらいに、腐る事を嫌悪する子供」も育てられるはずです。
それには「聖書宗教型テロ組織」がやっているような
乳幼児期の義務教育が必要なので
現代社会での実現は簡単ではないでしょうが
情報化社会の今ならば可能でしょう。
もっとも
現状の社会では抵抗も多いですが
そういったユートピアもののSFもありましたね。
相対的で客観的視点を持たないと
あたりまえすぎて普段は意識しないのですが
科学的に考えると
私達の周りの世界は常識や社会も含めて
全て人間達が創りあげたり造ってきたもので
もとからそうであったものなど、手つかずの自然だけです。
つまり
現実とは人工物と人造の《共同幻想》の集合体です。
それは周りに流されない誰か達の意志と行動によって
少しずつ変えられていくもので
良くも悪くも絶対不変のものではありません。
猿同然の生活をしていた人間が
ここまで来た事を考えれば
現代の人間の価値観や在り方を
生存戦略として選んだ
「自然淘汰に従わず獣としては生きずに、自然環境を集団連携で改造して生きること」に沿って
精神文明を進歩させて「人間」という存在そのものを変化させるのも可能でしょう。
まあ
現代の人間
特にマスコミや創作物からのマインドコントロールで
聖書宗教型の倫理を無意識に刷り込まれた人間は
そういった方向性に
人間が別の不気味な存在に変わってしまう
という恐怖感を持つようです。
そういう現代の人間の精神性が変わらないのか
変わっていくのかは判りませんが
「人間」を見限らずに
可能性はあると信じたいものです。




