>「要人暗殺」をテロとするかしないか意見が分かれるところ
「要人暗殺」をテロとするかしないか意見が分かれるところというより
「相手を恐怖させ、恐慌に陥らせ、正常な判断を出来なくさせる」という「テロリズム」の対象がどこなのか
ひいては目的が何なのかで齟齬があったようですね。
日常というなら「無差別テロ」
企業への脅しなら「企業テロ」
政府なら「政治テロ」
そういうふうにテロリズムを分類して考えれば「テロ」という概念は定義しにくいかと思います。
立場により主張は変わり
>「要人暗殺」は、通常の軍事オプションの一つ「不正規戦闘」に該当し、テロには該当しない
これは国際利権の一端を担う日本の政治家が語る
「米国と日本の保守政府の常識」的意見ですね。
先進国家という地球の貴族階級が
無差別に「敵対国家=武装勢力」の「要人=犯罪者」を狙えば「非正規戦闘」とし
相手が自国の「要人」を狙った場合は政府や企業への「テロ」とし
テロリズムの対象が「多国籍企業」や「国策で動く民間企業」の活動妨害なら「無差別テロ」として
自国の軍事活動は「非正規戦闘」であると正当化して差別する。
それは情報戦における「利敵行為の批難」を前提にしたなら
先進国家の軍人や国際利権の一員としては反論のしようのない意見ではあります。
問題は
それ以外の人間には
「非正規戦闘」の目的が敵対組織へ恐怖心を与えるテロリズムだと見る人間もいれば
「無差別テロ」を連合国への経済破壊のための戦闘だと表明するテロリストもいる事で
それらの利権対立を無視した客観的な意見による
テロの定義ができかねる事でしょう。
すべての「暴力原理による強制」を否定できれば
「恐怖で行動を強いる暴力原理による強制=テロリズム」として普遍性を持たせられるのですが
国家にはそれはできません。
なぜなら現代の国際社会は建前と違い
暴力原理で動いているからで
近代国家自体が暴力原理を前提に生まれたので
「テロ=悪」とすれば自己否定になってしまうからです。
欧米が定めた国家の形態は
ローマ帝国の分裂で生まれた欧州の国家群が再統一を目的とした戦争を前提として容を定めていった国家の成り立ちから
恐怖による征服と服従を強いる事を
根底に持つ社会形態です。
そういった社会形態を認めるのなら
「恐怖=テロ」による征服は否定できない国家権力の陰の一面になります。
だからこそ、国家を「暴力装置」と呼ぶ人間がいて
そういった「国家=暴力装置」の常識で育った人間は
戦後日本の平和主義と愚民化政策で政治離れをした人間を区別せずに一纏めに「平和ボケ」と呼ぶのでしょう。
暴力原理こそが人間の本質と考えないなら
「テロ」は否定すべきですが
本音と建前でそれを使い分けねば
共存原理の理想だけでは社会を運営できないのが現実です。
かといって暴力原理を肯定してしまえば
共存原理で成り立つ人間社会はモラルハザードで腐敗し崩壊していきます。
「共存原理=理想」を敬遠したところから始まり
暴力原理を止むなしと認めたところから争いが起こると考えるなら
現代の国際経済は実質的な富の収奪によるゼロサムゲームという暴力原理で動いています。
WIN&WINの関係で同盟して競争原理で他を排し無限の虚構経済を造り、その中で経済をゼロサムゲームでなく見せても
実質的に有限な地球という閉鎖社会では資源は有限で
無限の虚構経済は虚構でしかなく
競争原理とは実質的に暴力原理になります。
そして
国際社会の既得利権組織は不平等なルールを造り
そのルールによるスタート地点を平均化しないハンデ競争で経済格差は深刻になり続ける。
その暴力原理をテロという暴力原理で覆そうとする人間達の利権組織がテロネットワークを造り
中世では国家内で造られたカースト構造が
現代では世界単位で行われ
「先進国の大企業による国際利権」という「寄生階級」が富を独占しているから不平等を正せ
そういう建前で本音では利権の拡大を狙った組織がテロを起こし
それを経済に組み込んでいる軍産複合体が死者や弱者の不幸を糧に儲けるという構図が生まれ
地球が統一社会となれない限り戦争とテロが続く。
テロは間違いなく悪ですが
現在の経済活動が政治的な不平等を基にしたものであるのは事実で
自由と平等と平和を標榜する民主主義国家ならそれを自分たちにとって得だからと見過ごすのも間違いで。
それをしかたないと諦める人間が多くなれば
暴力原理を認める事でモラルハザードが起こり社会は内部から腐敗していき崩壊していく。
そういった矛盾を
世界統一を求めず宇宙も目指さない「現代民主主義社会」は抱え続けています。
その矛盾の解消としての方法は幾つもありますが
一番簡単な方法として
戦争による恐怖での統制を権力が図るという階級闘争にまつわる考え方があります。
その最たるものが権力を握る上層階級による
中層階級と下層階級の「戦争での間引き」という「権力悪」でしょう。
現実でそんな事が起こらないように
なんとか権威主義の暴走に歯止めをかけたいところですが
民主主義は形骸化が激しく
自由も平等も平和も日本の政治は本音では求めなくなり
自分達以外にどんな不利益があろうとかまわないとばかりに
昨今の政治組織は国民の安全や利益ではなく
所属団体の「利権の確保」を第一の目的として動いていますから
どこもかしこも戦前の雰囲気が強くなってきているようです。
軍事活動という必要悪が失敗によって悪に成り下がった時に戦争が起こるなら
戦争を起こすのは愚民化され政治離れした民衆と悪党で
だからこそ悪と悪の争いでしかない現実の戦いでは
常に悪が勝ち
「必要な悪=正義」だったと騙るのでしょう。
この物語の中で主人公が共存原理の理想を護る正義ではないけれど
少なくとも「悪の敵」や「正義の味方」として「必要悪」を成し続けられるのか。
それとも正義を見失って只の「悪」に堕してしまうのか。
魔法学者がデザインする世界は現代社会とどう変わっていくのか変わらないのか。
などと
SF者の友人に薦められてとあるSFアニメを見たせいか
ふと考えてしまいました。