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>再生したいという想い


>再生したいという想い



物語で生死や時空を超越しない理由は幾つかありますが


どの物語の場合でも絶対に覆せない疑念に

生き返った存在と死んだ存在は同一なのか?

変えられる前の過去の世界はどうなったのか?


というものがあります。


この物語の場合は生死ですが

過去を変えてハッピーエンドという類の物語でも

自己中心的な幸せ以外に目を向ければ浮かぶ疑問です。


とあるSFで

完全な記憶と肉体がコピーできるようになった未来


人はコピーした肉体をストックして

記憶と人格データを毎日コピーして

事故で死んだ人間の再生をしているという話がありました。


その話の一人称主人公ですが

「死んだと思われて再生され」複数になり

「違法再生で自分が知らない間にコピーされ」と

色々あって一人が生き残ります。


そして思うのです

今の自分は「どこでどう再生された自分」で「本当に自分が思っている自分自身」なのか?



冥界が「記憶と人格データ」をストックする場所としたら


誰かにとって都合のいい「再生された人々」は元の人間なのか?


そんなのはどっちでもいい


そう言い切れる人間にとって

「再生したい誰か」とは

自分に都合のいいだけの存在なのでしょう。


そう考えれば生死を覆す行いは

主人公が最悪の屑か命について考えない馬鹿と示す事なので


物語で多くの主人公は死を受け入れ

生の価値を学んで成長する選択をするのでしょう。


それを漠然と感じる読者や、利己的な幸せ以外に目を向けて客観的に自分を見る読者は

もやもやとしたものを感じるでしょうし


御都合主義を無条件に嫌う人間は嫌悪するでしょうし



物語に娯楽以外の価値を求める人は

利己主義的御都合主義で退廃的だと批判する展開ですね。


 欲望を満たす事=幸福なのか?


 麻薬で得た幸福感に死ぬまで浸り続ける事が幸福ではないように


「幸福なハッピーエンド」と

「主人公達が幸福を感じるエンディング」は同じなのか?


 物語というのは作者の考え方を表すものですので

 

 作者さんの目指すハッピーエンドはどうなのか?


などとふと考えてしまいました

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