2xxx年、ハヤブサ翔ぶ -Introduction
――人類は滅亡した。我々はロスタイムを生きている。
そう言ったのは誰だったのか。いまやテレビも、ラジオも、インターネットもないこの世界では、そんなことを調べるのにもひどく手間がかかる。
ここ百年の間に進んだ第三次産業革命によって、人類は機械によるオートメーション工場と、「賢い」電子機器たちに頼りきりの生活を行っていた。
そして五十年の間に渡って、奇跡的にも各国の協調がなされ、まるで一つの国の地域のように、それぞれが得意とする産業によって成長し、それを皆に分配していた。
人類は、実に平穏な、最後の蜜月を送っていた。
2xxx年。予想外の電磁パルスが地球を襲った。
それは太陽フレアの影響ではないか、などと言われることもあるが、本当のことは解らない。
結果として、多くの電子機器は損傷し、また、連続する磁気嵐は、通信機器の機能を奪い去った。
人類は文明を失った。
その当時に流行ったのが、人類は滅亡した。という言葉だ。
実際に、大規模停電や電子機器の故障に伴う物流の停止といった事柄、その後の混乱によって多くの人間が命を落とした。
そして、情報の断裂は思いのほか人類を脅かしていた。だから、そこから先は人類なんて大きなものは解らない。
「大崩壊」の後に生まれた僕たちは、僕たちの周りに居る人間しか知らないし、「良くても」隣の国のことしか知らない。
いや、この場合は「悪くても」と言い換えるべきか。
じりじりと数を減らす人口。統計なんて信用できる数字がないから、実際にはどれだけの被害だったのかすらわからない。
それでも、生きている人間たちはどうにかして生活を取り戻そうと努力をしていた。
電子機器にあきらめをつけ、アナクロな道具に頼るようにして。昔のように、そう、二十世紀の生活だったが、どうにか僕たちは生活を取り戻し始めていた。
飛行機が飛んできたときの事はよく覚えている。
僕はそのときにまだ子供だったが、しばらくその新聞を大事に取っておいたものだ。
二発のプロペラで飛ぶ、ちょっと不格好で大柄な機体。
大きく描かれた星は、隣の国のマークだった。
人類は滅びていなかった。
それからは何が起こったのかはよく覚えていない。
子供の頃の僕には難しい言葉がささやかれるようになり始めたからだ。
だから、これは後から知ったことだが、初めて飛行機が来た数日後に、また飛行機が海を渡ってきたらしい。
それに乗っていたのは向こうの国の要人で、初めは交渉を進めに来ていた。
何処で何を間違えたのだろう。
いつしか、国と国の関係は張り詰めたものになっていた。
どちらの国も、復興の中でじりじりと滅亡に近づいていた。
安定し始めて増える人口、増えない食料、増える消費、増えない物資――
――あるいは必然だったのかもしれない。
僕が「学校」を出たときには、戦争という声が世の中には溢れていた。
あるいは新聞に、あるいは取り留めもない噂に。その中で、僕はこの国でできたばかりの空軍に進んだ。
そして今。
「大崩壊」以来、この国で作られた初めての実用戦闘機の一機。その前に僕は立っている。
三翔一発の二重反転プロペラ、その軸からカウル、機体から翼に至るまでが曲線でできた実に優美な機体だ。
パソコンなんて便利なものがないから図面を紙に引いて、その多くを手作業で作られたこの航空機は、さながら工芸品のようでもある。
大崩壊から先、電子装備は使えないことから、レーダーやミサイル、通信機などという物はないため、戦闘機としての装備は二十ミリ機関砲と七・六二ミリ機関銃が二門ずつとさながら二十世紀半ばのようなものである。
しかし、エンジンはジェットエンジン……偶に同軍内ですら質問されるのだが、ターボブロップはプロペラがあってもジェットエンジンだ。空力特性についても、そのころと比べれば進歩した知識はある。
ターボジェットやターボファンについては、計画段階で却下されている。通信すらできない状態で超音速戦闘機など正気の沙汰ではないからだ。迎撃機は計画されているらしい。こうして、最新技術で出来たプロペラを持つ戦闘機が生まれたのだ。
そして、この機体には二十世紀半ばに作られたレシプロ戦闘機の名前が、それにあやかってつけられた。
――ハヤブサ、と。
つづきますん