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血塗れ竜と食人姫  作者: 九尾珠
本編
6/35

第6話 ビビス


 

 ――連れてこられたのは、東棟の端の部屋。

 囚人部屋のように殺風景な部屋ではなく、広々として豪奢な意匠の部屋だった。

 来賓者をもてなすための場所なのだろう。

 そしておそらくは――東棟(女子棟)の特産物を使って、“もてなす”ための場所。

 気を遣って消臭しているのだろうが、私の鋭敏な嗅覚は、えたニオイを嗅ぎ取ってしまう。

 さて。

 こんな所に呼び出したくせに。

 呼び出した本人の姿は、見当たらなかった。

 

「ビビス公爵はまもなく到着します。失礼の無いよう座っていなさい」

 

“銀の甲冑”が、部屋の中央の椅子を指した。

 そこに背筋を伸ばして座っていろ、ということか。

 素直に言われたことを聞くのは、何故だか妙に癪に障るが、ここで暴れても得はない。

 渋々と、豪華な椅子に腰掛ける。

 扉を背にする形なので少々落ち着かないが、まあ話の流れ的に、扉から突然襲撃者が現れるということもないと思う。ので、そのままぼんやり待つことにした。

 

 

 思い起こすのは、先程のやりとり。

 血塗れ竜が、こちらに向けていた、あの目。

 一つの意思が明確に込められた、ある意味純粋な瞳だった。

 

 ――ユウキに近づくな。

 

 笑いたくなってしまう。

 王者の滑稽さにではない。

 その願いは、むしろ自分のものだということに。

 

 

 控え室での、あの光景は、ハラワタが煮えくり返るのに充分だった。

 ユウキさんの足の間に腰を下ろし、ごろごろごろごろ発情期の雌猫のように擦り寄るあの様。

 10秒に一回は己の体を彼に擦り付け、あまつさえ幾度と無く頭を撫でられているではないか。

 あんなに優しそうに、柔らかく。

 髪を撫でられている間の血塗れ竜はまさに至福といった様子で、羨ましさに奥歯が砕けそうだった。

 王者は特別待遇だとは聞いていたが、特別すぎて殺意すら覚えた。

 

 しかし。

 

 自分が王者になることができたら、アレをそのままそっくりいただけるのだ。

 ユウキさんの胸の中に収まって、頭を撫でられる自分を空想する。

 

 …………えへ。

 

 おっといけない。涎を垂らしてしまった。

 感触を想像するだけで、とてつもない多幸感である。

 最初は、話の通じる暇つぶし相手――ってだけだったのに。

 日を重ねる毎に、彼の人となりは、私の琴線に幾度となく触れてしまった。

 現状に絶望しているのに、優しさを捨て切れていないところとか。

 どんな相手でも、素直に応対してくれるところとか。

 頭はいいのに、隠し事が下手なところとか。

 どんなことでも、受け止めてくれるところとか。

 気付いたときには、既に好きになっていた。

 

 彼と一緒にいたい。

 彼に甘えてみたい。

 彼と触れ合いたい。

 そして何より。

 彼を、手に入れたい。

 

 そのためにはどうすればいいか、考えた。

 結論は――至ってシンプル。

 私が、血塗れ竜になればいい。

 今の王者が居座る場所こそが、私の求めているモノなのだから。

 

 

 

 

 

「――変な顔をするのを止めなさい。

 ビビス公爵がもうじき来ますよ」

 

 銀の甲冑の声で、我に返る。

 思索にふけりすぎて、だらしない顔を晒していたらしい。

 慌てて表情を引き締めて、呼び出し主の到着を静かに待つ。

 

 ビビス公爵。

 私を、ここに連れてきた人。

 目論見が外れて私が勝ってしまい、さぞかし腹を立てていることだろう。

 呼び出した目的は何だろうか。

 こんな場所に呼び出すということは、私のことを犯すつもりなのだろうか。

 ――否。あの中年親父は不能である。

 私が最初にあいつの城に連れられたとき、それなりに整った容貌の私を前にしても、欠片も色めいた視線を寄越さなかった。

 後で話に聞いたところ、ビビス公爵は性的に不能で、代わりに人間が殺し合うところを見るのが大好きらしい。

 故に、帝都の闘技場にちょくちょく己の領地の囚人を送り込み、殺される様を見て興奮するとのこと。

 

 ……闘技場の囚人じゃ無理だから、兵士に殺させるつもりだろうか?

 

 しかし、私としては、囚人も兵士も大差ない。

 この国に来てから、私のことを殺せそうな奴といったら――せいぜい血塗れ竜くらいしか目にしてない。

 今この部屋で待機している兵士連中も、束になったところで驚異にすらならない。

 ただ――私のすぐ側にいる、銀の甲冑。

 こいつだけは、わからない。

 強いとは、思う。少なくとも弱くはないはずだ。

 しかし、実力を計れない。

 大抵の相手なら、噛み殺す様子を鮮明に想像できる。

 それはあの血塗れ竜ですら変わらない。奴の喉笛を食い千切るプランは少ないが立てられる。

 それが、この銀色だけは不可能だ。

 私がこいつに勝てる状況が想像できない。殺される気はしないが、勝てるかどうかもわからない。

 実力が、読めない。

 この、銀の甲冑だけが、不安要素だった。

 

 

 ――と。

 背後の扉が、開く気配。

「来ているな。まったく、よくも私の顔を潰してくれたものだ」

 聞き覚えのある、ビビス公爵の声。

 しかし、その声は――内容とは裏腹に、嬉しくて飛び跳ねているかのようだった。

 

 

 

 趣味の悪い高級そうな服を纏った中年親父が、正面の豪奢なソファーに腰を下ろす。

 ふん、と鼻息を吹いた後、私のことを見下ろすような表情で、

「まずは、私の顔を潰した罰だ。――セツノ」

「はい」

 刹那。

 

 がつん、と。

 横っ面を強打された。

 

「――ッ!? あぎっ!」

 あっさりと吹っ飛ばされて、10足以上離れた壁にぶち当たる。

 何よ今のは!?

 私は少なからず警戒していた。

 なのに、当たる直前まで、攻撃を全く察知できなかった。

 銀の甲冑がすぐに近くにいたから、気を付けていたはずなのに。

 とにかく――まずは立ち上がって、体勢を整えなければ。

 

「……あ、れ……?」

 

 ぐわんぐわん、と視界が揺れていた。

 脳がぐちゃぐちゃにかき回されている。やばい。このままじゃ戦えない。

 揺れる視界で、必死に対象を探し出す。

 ――いた。

 私が座っていた椅子の真横に、黒装束の女が立っていた。

 あいつに、殴られたのか。

 私の五感は常人のそれを上回る――が、それでも感知できなかった。

 

「安心しろ。罰はこれで終わりだ。――戻れ、セツノ」

「はい」

 中年親父の声が響くと同時、黒装束の女の姿は、かき消えた。

 衝撃でくらくらしていることを差し引いても、女の動きは私には捉えられないものだった。

 

「さて。異国の娘よ。まずは名前を聞こうか。

 私の領地にいた頃では、結局聞けず終いだったからな」

 言葉が通じなかったのだから当たり前だ――と、言おうとしたが。

 ぐるぐる回る視界が気持ち悪く、うまく言葉を紡げなかった。

「彼女の名前はアトリです、公爵」

 銀の甲冑が口を開く。……何故知ってる? 私の名前は、先程までユウキさんしか知らなかったはずなのに。

 

 

「そうか。では、アトリよ。

 お前にはこれから、闘技場で活躍してもらう」

「……は?」

「私のお気に入りを喰い殺してくれたのだ。

 ――お前が、代わりを務めるのが筋だろう?」

 にやにやと脂ぎった笑みを晒しながら、中年親父はそう言った。

 全然筋ではない気もするが、闘技場で戦うことに異論はない。

「しかし……今の様子を見ると、それほど期待はできなさそうだがな」

 いきなり殴らせておいて、なんて言い草だろう。

 とはいえ、逆らってもいいことはなさそうなので、代わりに口の中のものを吐き出した。

 

 からん、と。

 手甲の一部が床に転がる。

 

「何だそれは? ……!? セツノ! 右手を見せてみろ!」

「……はい」

 再び、黒装束が表れた。その表情には、悔しげなものが滲んでいる。

 黒装束――セツノとやらの手をしげしげと眺めた後、中年親父は満足そうな笑みを浮かべた。

 

「それではアトリよ。これからお前の生活は、私が保証しよう。

 勝ち続ける限り、お前の望みのもそれなりに配慮しよう。

 好きなものをくれてやる。だから代わりに――相手を喰い殺せ。いいな?」

 中年親父の目には、ギラギラとした興奮の炎が燃えていた。

 ……なるほど。先程の私の戦いが、こいつの琴線に触れてしまったらしい。

「……別にいいけど」

 まあ、食事の量を増やしてもらえれば充分だ。

「ただ、な」

「?」

「私は、お前がどの程度強いのかよくわからん。

 中堅どころを倒したといっても、まぐれだったのなら期待はずれだ。どうせなら、今の王者に近づいて欲しい」

 ……王者、ねえ。

 可笑しくて、つい笑いそうになった。

 わたしは――それになるつもりなのに。

 

 

「だから、お前の強さを見せてみろ。

 ちょうどいいところに、化物姉妹が手に入ったところだ。

 ――お前にはこの、セツノと戦ってもらう」

 

 姉妹?

 ということは、もう一人……?

 

「姉のユメカは、現王者の血塗れ竜と戦うことが決まっている。

 今宵、血塗れ竜が負ければ話は流れるが――そうはなるまい」

 

 へえ。

 それじゃあ、つまり。

 

「私と血塗れ竜の、戦いぶりを、比べたい、と?」

「そういうことだ。まあ、セツノもユメカも、私が見る限りでは、良い勝負をすると思うがな。

 ――そういうことだ、セツノ。

 お前かユメカ、どちらかが勝った場合は、お前の村の要望を聞き入れよう」

「はい」

 

 頷いたセツノの視線は……まっすぐ、私を射抜いていた。

 うわあ。今から殺す気満々だねえ。さっきの血塗れ竜を思い出しちゃうよ。

 事情はよくわからないけど――この状況、利用しない手はないだろう。

 向こうから条件を出してきているので、こちらも交換条件を出せば受け入れられる可能性は高い。

 

 

「その代わり、こっちも条件を一つだけ。

 私がそこの黒いのを食べたら――ひとり、ある監視員を私の所に通わせて欲しい」

 

 

「なんだ、そんなことか。

 構わんぞ。お前が勝ったら、その監視員とやらをお前専属にしてやろう」

 

 今度こそ。

 笑いを堪えきれなかった。

 

 

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