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血塗れ竜と食人姫  作者: 九尾珠
本編
21/35

第21話 激突



 ビビス公爵からの指令は、非常にシンプルなものだった。

 

 ――アマツ・コミナトを消す前に。

 ――奴が居なくなったら抑える者がいない血塗れ竜を。

 ――殺す。

 

 そのための手段は問わないとされた。

 血塗れ竜の戦闘能力は侮れないが――不意を打てばどうにでもなる。

 そう思い、“暗殺侍女”は確実に隙を突ける手段を模索した。

 まず最初に浮かんだのは寝込みを襲うことだが――これは却下。

 気配を断って暗殺する術は身に付けているが、それはあくまで常人に対してのものである。

 ビビス公爵が怪物姉妹を手に入れた際、警告としてセツノ・ヒトヒラを軽く脅そうとしたが、就寝中だったはずの怪物妹は、ティーの襲撃をあっさり看破し、難なく撃退してみせた。

 一定以上の能力を持つ者にとって、寝込みを襲われるのはたいした脅威ではないことを知った。

 強さの種類にもよるのだろうが――血塗れ竜の特殊性から考えて、寝込みを襲うのは確実とは思えない。

 通常の不意打ち程度では殺せそうもない、というのがティーとミシアの結論である。

 

 では、どうするか。

 

 思いついたのが、精神的な動揺を狙い、その隙を突くことだ。

 血塗れ竜の戦闘能力は確かに飛び抜けてはいるが、精神的な強さは皆無といってもいいだろう。

 彼女が付き人にご執心であることは周知の事実である。

 手品師との試合で右腕を負傷したのも、食人姫とのいざこざで動揺していたからのようだ。

 これを利用しない手はなかった。

 

 ユウキ・メイラーを寝取るか殺害するのが確実かもしれなかったが。

 彼は食人姫のお気に入りでもあるし、銀の甲冑とも距離が近い。

 直接狙うのは難しかったため、他の人間を有効活用することにした。

 

 食人姫に、寝取らせる。

 

 食人姫の方の積極性などから考えても、これが一番確実だった。

 元付き人が寝取られた様を見せつけ、動揺した隙を突いて殺す。

 食人姫を焚きつけその気にさせるのがミシアの役目。

 血塗れ竜を現場に連れて行き、隙を突いて殺すのが自分の役割。

 

 扉をノックする寸前、中から伝わってきた睦み事の気配より、ティーは成功を確信していた。

 

 しかし。

 

 空気が歪んでいた。

 まるで空間がねじ曲げられたかの如く。

 2人の少女を中心に、部屋が修羅場に変わっている。

 

 呼吸をすることすらままならない。

 手足どころか指先を動かしただけで殺されそうだ。

 でも――動かなければ。

 することは簡単だ。今まで自分が幾度となく実行してきたこと。

 相手の意識の裏に滑り込み、死角から急所を一突きする。

 ただ、それだけ。

 武器はある。技術もある。経験もある。

 

 ――なのに。

 

“暗殺侍女”とまで称えられたはずのティーは、まるで彫像のように固まっていた。

 

(怖い……怖い……怖い、怖い怖い怖い……っ!)

 かちかちと奥歯が鳴ってしまうのを止められない。

 今まで己がくぐってきた修羅場なんて、今この状況に比べれば、遊戯場としか思えない。

 武器を取り出す?

 攻撃する?

 ――1歩近付く?

 

 無理だ。

 

 自分たちは、血塗れ竜を甘く見ていた。

 ――否、血塗れ竜だけではない。

 それに対面する食人姫も――自分たちが思っていた以上の存在である。

 アマツ・コミナトを消した後、憂いとなるのは血塗れ竜だけではない。

 食人姫、アトリ――こいつも、制御不能としか思えない。

 

 この2人のどちらかを殺す――そんなこと、不可能だ。

 こいつらは、確実に、人間の枠から外れている。

 戦って、敵を殺す。

 その暴力性は、どんな軍隊ですら及ばない。

 相手を殺すことに特化された存在。

 

 つまり、怪物だ。


 睨み合っているのは竜と鬼。

 どちらも人間などではなく。

 近付けば、きっと殺される。

 その片割れを殺そうとしてただなんて、自分の愚かさに涙が出る。

 

 思い上がっていた。

 殺すのなんて不可能だ。

 任務なんて知ったことか。

 この場を生き延びたら、辺境に逃げ、片田舎でのんびり暮らしてやる。

 

 だから、かみさま、おねがいです。

 わたしを、ここから、ぶじにかえしてください。

 

 失禁しそうな――否、既にしてしまっている恐怖の中。

 暗殺侍女の片割れは、奥歯を鳴らしながら、神に祈った。

 

 

 がしり、と。

 細い腕が、ティーの胸ぐらを掴んだ。

 

 

 血塗れ竜に掴まれた。

 それが、自分の死が確定した瞬間だと気付いたのは、バラバラにされた後だった。

 

 肉の弾ける音と。

 バラバラになって宙を併走する、己の体。

 

 向かっていく先には――口を開けた、食人姫。

 

 

 ……神様は非情だなあ。

 そう思った次の瞬間。

 ティーの頭部は噛み砕かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――危ないなあ。ユウキさんに当たっちゃったらどうするつもり?」

 バリバリとメイドだった肉片を噛み砕きながら、アトリは呑気そうにそう言った。

「うるさい、だまれ」

 対する白の声は硬く、そこには敵意しか感じられなかった。

 

「ユウキさんは私の大切な人なんだから、傷つけたら許さないよ――絶対に」

「ユウキから離れろ」

「えー。折角繋がることができたんだから、もう離れたくないなあ」

「離れろ」

「それよりー。男と女がえっちなことしてるところに踏み込むなんて、無粋じゃない? 出てきなさいよ」

「離れろっ!」

 

 白の叫びに。

 仕方ないなあ、とベッドから降りるアトリ。

 

「ユウキさん、ごめんね? このお邪魔虫を喰い殺したら、あとでいっぱいいっぱい、続きしよ」

 白の乱入に気付いて呆然としていたユウキに、アトリは片目をつぶって謝った。

 裸のまま、白と相対する。

 鎧以上の防御力を誇るアトリとしては、服なんてあってもなくても同じようなものだ。

 終わった後、すぐにユウキと続きをすることを考えれば、着てない方が都合いいくらいである。

  

「ユウキ」

 一瞬。

 白がアトリから視線を外し、呆然としているユウキを見る。

「こいつ殺したら、帰ってきて」

 それだけ言うと、後はただ、アトリのみを見つめていた。

 

 食人姫はどこを喰うか見定めて。

 血塗れ竜はどこを破壊するか観察している。

 

 空気は刃物のように緊張を帯びていき、動いただけで切り刻まれそうな鋭さとなる。

 もう、誰にも止められない。第三者が見たら、そう断言するだろう。

 狭い部屋。

 向かい合う怪物2匹。


 殺し合いが――始まる。

 

 触れて破壊するか喰って破壊するかの違いはあるが。

 両者とも、近づけなければ始まらない。

 互いの歩みに気負いはなく。

 ただ、相手を殺すためだけに、普通に歩いて距離を詰める。

 

 

 接触まで、あと数歩。

 

 

 そこでようやく、声が出た。

 

「――2人とも、止まりなさい!」

 

 ユウキの声だった。

 薬で意識は曖昧だが、それを雑巾のように引き絞って、制止の声を捻り出した。

 でも――2人は止まらない。

 

 ユウキは2人にとってはご褒美のようなものである。

 手に入れたい、という欲求こそ強まるが、止まろうなんて考えは欠片も浮かんでこないだろう。

 

 

 朦朧とした頭で、ユウキは必死に考える。

 このままでは2人が殺し合ってしまう。

 そんなの絶対に見たくはない。

 試合として仕方なく、ならともかく、現状はそんなの関係ない。

 どうしてこうなってしまったのだろう?

 何が悪いのだろうか。誰が悪いのだろうか。

  

 そんなの簡単だ。

 悪いのは、どう考えても自分じゃないか。

  

 じゃあ、どうすればいいのか。

 何をすれば、2人を止められ、罪滅ぼしができるのだろうか。

 

 ――そんなの、簡単だ。

 

 

 

 

 

 

 もうすぐ。

 もうすぐで、食人姫に手が届く。

 手が届いたら、まずそこを破壊しよう。

 口にだけは注意して、他の場所を念入りに。

 体が丈夫なのは、よく見ればわかる。

 以前の自分だったら、上手く壊せなかったかもしれないけど――今の自分なら、難なく破壊できる。

 だから、もうすぐ。

 

 

 あと少し。

 あと少しで、血塗れ竜に口が届く。

 近付いたら、まずは食べられるところから食べてしまおう。

 端っこからでも喰っていけば、そのうち勝手に死んでくれる。

 別に、手足が破壊されても構わない。

 一度だけ、急所に食いつくことさえできれば、大抵の人間は脆いから、簡単に死んでくれるだろう。

 苦痛には慣れている。手足が千切れた程度の痛みで――私はかぶりつくのを止めはしない。

 だから、あと少し。

 

 

 互いが、相手しか見ていなかった。

 だから、その瞬間まで気付けなかった。

 

 

 血塗れ竜と食人姫。

 もう互いが触れ合えそうな距離まで近付いていたその狭間に。

 何者かが、割り込んできた。

 2人を突き飛ばそうと、両手が伸ばされる。

 

 

 目の前に障害物が現れた。

 両者の認識はこの程度。

 とにかく相手を殺すことにのみ集中していたので。

 邪魔なものは排除するだけだった。

 

 

 いつも通り。向かってくる力を利用し、ねじ曲げ千切り飛ばした。

 

 いつも通り。首を巡らせ、強靱な顎と歯で簡単に食い千切った。

 

 

 そして。

 両腕を失った乱入者が、悲鳴を上げた。

 そこでようやく――2人は、“誰”が割り込んできたのか、わかった。

 

 

「――ユウキッ!?」「――ユウキさんっ!?」

 2人の叫びが部屋に響く。

 白は己の左手に残る感触を。

 アトリは己の口の中にある肉片を。

 すぐには、受け入れられなかった。

 

 ユウキの腕を千切ってしまった。

 ユウキさんの腕を食べてしまった。

 

 2匹の怪物は、その事実に現実を見失いかけた。

 

 

「……囚人同士の……私闘は、厳禁です」

 

 

 ユウキの掠れた声。

 それが、2人を現実に帰らせた。

「ユウキ! ごめんなさい! ごめんなさい!」

「××××ッ!? 血が! 血が止まらないよっ!?」

「――ね、根元を押さえて! 身体を起こしてっ!」

「う、うん!」

 断面から溢れる鮮血に慌てる2人。

 このままでは、ユウキが死んでしまう。

 それは、2人を恐慌寸前にまで追いつめる。

 

 白が止血方法を知っていたのが幸いだった。

 観察能力に優れ、半ば本能的に止血方法を知っていた白は、即座に実践しアトリに指示する。

 アトリも反発している場合じゃないことはわかっているので、素直に白の指示に従う。

 殺し合おうとしていた2人が、奇妙な連携を見せていた。

 

 

 

 やがて。

 両腕の先端こそ失ったものの。

 完全に止血されて、ユウキはベッドの上に横たわっていた。

 とにかく血を止める方法しか知らない2人は、ユウキがこれ以上出血しないように、左右それぞれの腕を持ち上げていた。

 自分たちは素人だというのははっきりと理解している。

 落ち着いたら、すぐに人を呼んで、ちゃんとした治療を受けさせなければ。

 白もアトリも、示し合わせたわけでもないのに、そう考えていた。

 

 

 

 

 

「ユウキ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 白は、ひたすら謝っていた。

 難しい言葉を考えるより、とにかくユウキに謝りたかった。

 あんなに会いたかったのに。会って愛してほしかったのに。

 自分は、なんてことをしてしまったのか。

 腕が無くなる痛みはよくわかっている。それをユウキに与えてしまった。

 嫌われて当然だが――それでも、嫌われたくなかった。だから、ひたすら、謝り続ける。

 すぐ近くに食人姫がいるのも気にしない。ユウキに謝るのが最優先だった。

 隙を突かれて喰い殺されるのであれば、それはそれで仕方ない。

 

 ――囚人同士の私闘は厳禁です。

 

 ユウキには絶対に嫌われたくなかったから。

 言いつけを破るつもりなんて、欠片もなかった。

 

 

 

 

 

「……なんかなあ」

 ぼんやりと、アトリは溜息を吐いた。

 思うのは、ユウキのこと。

 ――普通、あそこで飛び込むか?

 自分も血塗れ竜も異常で、その間に飛び込んで無事に済むだなんて、どう考えてもありえない。

 事実、今こうして、両腕を失ってしまっている。

 これでも運がいい方だと思う。最悪、死んでしまってもおかしくなかった。

 だというのに――飛び込んできた。

 己の体を顧みず。

 私と血塗れ竜の衝突を防ぐためだけに。

 きっと、ユウキにとって、血塗れ竜と食人姫は、どちらも大事な存在で。

 2人を、守りたかったのだろう。だから、こんなことをした。

 ……不謹慎だとはわかっている。でも、それでも。

 

 ますます、好きになってしまった。

 

 血塗れ竜との決着は後回しだ。

 今はただ、この愛しい人の無事だけを祈ろう。

 

 

 

 

 

 


 血塗れ竜と食人姫。

 衝突するかと思われた2人だが、なんとかそれは回避された。

 短くなった両腕の先端を大事そうに抱える2人の少女を見て、ユウキ・メイラーは安堵の溜息を吐いた。

 腕からは間断なく激痛が伝わってくるが、こんなのは自業自得である。

 白にはもっと早く謝っておけばよかったのに。

 アトリにはもっと誠実に接していればよかったのに。

 自分の心地よさを優先して、ずるずるとここまで引きずってきた自分が悪い。

 

 とりあえず、これで一段落。

 気絶してもおかしくない激痛に晒されながら、しかし2人のためにも考えるのを止めることなんてできなかった。

 2人が再びぶつかり合わないように、何か良い方法を考えなければ――

 

 

 そう、思った瞬間。

 

 

 轟音。

 

 

 空気がびりびりと震えていた。

 油燈が揺れ、テーブルの上のコップが倒れた。

 建物が倒壊したかのような轟音に、3人が目を白黒させる。

「じ、地震ですかね?」

 掠れた声で、ユウキが呟く。

 アトリもそう思ったのか、呆然としながら頷いた。

 

 しかし。

 ――白だけは、頷かなかった。

 

「…………」

 険しい表情で、音のした方向を見据えている。

 と。

 再び、轟音が鳴り響いた。

 ……心なし、先程より大きな音がした。

 それから、何度も何度も音が響く。

 そのたびに空気は揺れ、ユウキは傷口へ伝わる振動に歯を食いしばる。

 音はどんどん大きくなってきている。

 まるで、音源が近付いてきているかのように――

 

 

「……信じられない」

 再び轟音。やはり、近付いてきている。

「し、白? この音に、心当たりが?」

 轟音。まるで、建物の一部が破壊されたかのように。

「……生きてた」

 轟音。やはり、移動している。もう、すぐ近くから――

 

「あいつ、生きてた」

 

 白がそう呟いた、次の瞬間。

 

 轟音と共に、個室の壁が破壊される。

 ユウキは響く振動に激痛の悲鳴を上げ、アトリは破片からユウキを庇った。

 白は、ベッドから離れ、破壊された壁へ向き直る。

 

 砕けた石壁。

 粉塵が舞い、その奥で、何かが動いた。

 

 

 ゆうきさん

 みつけた

 

 

 見覚えのある黒髪が、揺れていた。



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