扉を開けたら異世界
その日、わたしは母親に頼まれて客室の掃除をしていた。一通り掃除して、そうだ、クローゼットの中も綺麗にしなくちゃ、とクローゼットを開けた。
目の前に異世界が広がっていた。
艶のある石畳には赤い絨毯が敷かれ、頭上には眩しく輝くシャンデリア。仮装行列のようにドレスを着た女性達と腰に剣を差した貴族っぽい男性達。
中でも一際目を引く美しい金髪の男性がわたしに向かって笑いかける。
差し伸べられる手を見つめながら、わたしは――
ぱたん
無言でクローゼットを閉めた。
何とも言えない沈黙が落ちる。いや、大丈夫だ。わたしは何も見なかった、うん。
それから三日たった今日、母親から掃除について小言を頂戴した。どうやらクローゼットまできちんと掃除しないといけないらしい。
久し振りに訪問する祖父母の為だと言われれば返す言葉は無い。
しかし、わたしは悩んでいる。
目の前には件のクローゼット。片手にははたき。
しかし、嫌な予感をひしひしと感じる。
開けるべきか、開けざるべきか……結論は、まだ出ない。
*****
思い切って開けたらまた異世界だった。ドアの向こうでたくさんの人が騒いでいる。
夢とか幻覚じゃなかったのかー、と呆然としていると、音をたてる勢いでドアを押さえられた。うおっ!? と見ると、ドアのすぐ側に居た騎士っぽい男性がドアを押さえてこちらに手を伸ばそうとしている。
こ、怖い、怖いよ! なんか目、充血してるし鼻息荒いし!
はたきで顔をはたいて、ドアから手を放した瞬間を狙ってなんとかドアを閉めた。良かった、無事に済んだ。しかし危険だな……異世界、恐るべし。
……母親に話したところ、怒られてしまった。
どうやら、嘘をついていると思われたらしい。
母はわたしを何歳だと思っているのだろう。大学生にもなってこんな嘘をつくわけがないというのに。
普段の行い? 馬鹿な、わたしは品行方正だ。たぶん。
しかし、どうしたことか。
祖父母が来るのは一週間後。それまでになんとかしなくては。悩んでふと思いついた。母親はクローゼットを開けても大丈夫だった。ならば、わたし以外に開けてもらえばいいのでは?
良い考えを思いついた。
わたしは早速弟に助けを求め、高校二年の弟、翔はぶつくさ言いながらも客室に来てくれた。
「はあ? クローゼットを開けろって……頭大丈夫かよ、ねーちゃん」
いいからお願い、と頼みこんで開けてもらった。うん、普通に開いた。古ぼけたクローゼットだ。
弟が怪訝げに見るのを無視してクローゼットの前に立つ。
すると、またしてもクローゼットの向こうは異世界へと変わった。
「ねーちゃん!?」
今度はなんと三人がかりだった。兵士らしき二人がドアを押さえ、甲冑を着こんだ男性がわたしに手を伸ばす。あわや、というところでわたしを助けてくれたのは弟だった。
後ろからわたしを引き寄せてクローゼットから離してくれたのだ。
わたしがクローゼットから離れたとたん、光溢れる眩しい異世界は消え失せ、ただのクローゼットへと変わった。
「……なんなんだよ、今の」
弟の言葉に、わたしはただ首を竦めるばかりだった。
*****
クローゼットは弟が代わりに掃除してくれた。ありがたやありがたや。
さてこれで何の問題も無い、と思っていたら大間違いだった。
トイレを開けたら異世界だった。とっさに手に持っていた替えのトイレットペーパー十二ロールを投げつけて無事だった。トイレットペーパーが犠牲になってしまった……また買いにいかなくては。
しかし、その後からはどのドアを開けても異世界に繋がるようになってしまった。非常に困った。
「一度閉めたら元に戻るとはいえ、確かに厄介だけど……本当に行くのかよ、ねーちゃん」
うん。行く、とわたしは頷いた。
このままじゃあ不便で仕方ないので、いったいわたしに何の用があるのか、異世界に行って聞いてみることにしたのだ。
それを話すと、翔は難しい顔をして自分もついていくと言い出した。ええ? 危ないよ。
「危ないのはねーちゃんだろ。女一人でわけのわかんねーとこ行かせらんねーし。いいから準備しろよ」
うーん……心強いけど、いいのかなあ?
「俺がいいってんだからいいんだよ。ほら、早くしろよ」
はいはい。……翔。
「ん?」
ありがとね。
「……うっせーよ」
照れた弟ににまにましつつ、わたしは最低限必要な物を鞄に詰め、準備した。もしかして、すぐには帰れないかもしれないからね、お泊まりグッズは必需品です。念のために防犯グッズも入れておいた。
さて、行きますか。
「よし、こっちの準備はいいぞ」
なんで消火器構えてるの?
「武器だよ、一応。いきなり斬り掛かってこられたらやばいだろ」
それは確かに……でも、消火器……
「慣れない金属バットとか振り回すよりはマシだろ。さ、開けろよ」
うーん、まあね。
わたしはまだちょっと違和感を感じながらも自分の部屋のドアを開いた。
「巫女様! 巫女様、どうか話を聞いて下さい!」
「待て、近寄るな!」
ドアを開けると、いきなり大勢の人に呼び掛けられた。あの金髪美形の男性も、甲冑姿の男性もいる。若い女の子もいた。
わたしが何か答える前に、弟は消火器を構えて取り囲む人々を威嚇した。悲鳴を上げる女の子、ざわめく男性陣、剣を抜く兵士達。うわわ、なんか一瞬でカオスに!
待って! 話を聞くから皆静かにして!
わたしが両手を上げて皆に呼び掛けると、ようやく辺りは静かになった。
「……初めまして、異界の巫女よ。私の名はエルゼル。この国の国主です」
金髪美形さんが兵士や騎士を制して一歩前に進み出ながら言った。こくしゅ、王様みたいなものかな。ええと、わたしは花梨。藤木 花梨と言います。あの、わたしがドアを開けるとここに繋がるのって、あなた方が何かしたからですか?
「はい。それも含めて全てお話します。……その、それをおさめてもらえますか? 私共を信用できない気持ちはわかりますが、兵には剣を抜かぬように命じますから」
金髪美形、エルゼルさんが消火器を見ながら頼みこむ。翔、いいよね?
「……ちょっとでも変な真似したらぶちまけるからな」
翔は騎士や兵士を警戒しながらも消火器を下ろし、わたし達は豪華な応接室へと通された。
*****
話を聞いた後、わたしは左手首をばっさり切られて血を流していた。いや、これだとなんか物騒だな。えーと。……献血活動?
話を聞いたところ、この国の人達がわたしを必死に呼ぼうとしていたのは、守護龍のためだった。龍です。龍。見せてもらったらすごく可愛かった。まだ子供らしくて、わたしでも抱き上げられるくらいの大きさで、ふわふわしていた。ドラゴンって感じではなかったけど、神秘的で可愛かった。
その龍が病気になっちゃって、なんとか治そうと試行錯誤した結果、わたしが特効薬に選ばれたらしい。
龍と同質のオーラが、とか、純潔な女性の血が龍の持つ力を補充し、とかなんとか言っていたけど、半分くらいしかわかんなかった。それに、弟の前でまさか純潔とかばらされるなんて!
「ねーちゃん……部活の先輩でいいなら男紹介しよーか?」
哀れみに満ちた目で見られ、うっさいわね! と怒鳴ったわたしは悪くない。うん。
「この程度で大丈夫です。ありがとうございます」
わたしの血が必要って事で、手首切って杯……ゴブレットって言うのかな、それに半分ほど貯めたところでオッケーが出た。魔法らしき何かで手首を治してもらうと、傷痕すら残ってなかった。軽く貧血気味だけど、それは我慢しよう。
あの可愛い龍ちゃんが元気になるためだからね。
「カリン様、本当にありがとうございました。それに、むりやりこちらに呼ぼうとして誠に申し訳ありませんでした」
いいよ、エルゼルさん達も必死だったんだしね。
「お優しい方ですね……。カリン様、今回の件、感謝と謝罪をこめてお礼をしたいと思っています。是非お受け取り下さい」
ええ? いーよいーよ。別に、そんなの。
「何くれんの?」
こら、翔!
「ふふ。いえ、すみません。――東にある離宮を差し上げます。敷地には湖もありますから、避暑にはもってこいの場所ですよ」
「別荘か。でも、こっちの世界のを貰ってもなー」
うん、もう来れないもんね。
「いえ、カリン様が望めばいつでもおいでになられますよ」
え?
「どういう事だよ。なんでねーちゃんが望めばこっちに来れるんだ?」
「カリン様はもう我が国の守護龍と絆を結んでおいでです。カリン様が望めば守護龍は叶えようとするでしょうから」
そうなんだ。いつでも来れるのか。
わたしと弟はいろいろ話あったけど、下手に財宝を貰うよりいいかという事になった。金銀財宝を貰っても、換金が難しそうだからね。
「それに、拠点があれば、色々見て回れるしな」
そうだね。異世界旅行、わくわくするね!
「いつでもいらして下さい。お待ちしています。――ですが、その前に」
エルゼルさんは微笑みながら、ぱちん、と指を鳴らした。え? と驚くわたし達を侍女や侍従が取り囲む。
「お、おい。エルゼル、これなんだよ。何しようってんだよ」
「いえ、たいした事じゃないですよ。今から守護龍回復の祝いで祭りが開催されるので、あなた方にはその主賓としてパレードに参加していただくだけです」
「はあ!?」
ええ!?
「さあ、皆。よろしく」
「ふ、ふざけるなよエルゼル! うわ、ひっぱるな!」
ひええー!!
*****
わたし達は目一杯飾りたてられてパレードに引っ張り出された。騎士に周囲を守られて、御輿に乗って街を練り歩く。
そう、御輿である。剣と魔法のファンタジーな世界なのに、何故か御輿。おかげで高いし怖いし、ひーっ、揺らさないで!!
そんなこんなで、パレードが終わる頃には二人ともぐったりとしてしまった。
うう、疲れた……
「お疲れ様です。後はパーティーだけですので……」
「カリーン!」
エルゼルさんに案内されてパーティー会場の大広間に行こうとしたら、大声でわたしの名前を呼びながら子供が突進してきた。
誰?
「僕だよ、守護龍のセイファだよ!」
えっ、セイファ? うわあ、人間の姿にもなれるんだね!
「うん。カリン、僕を助けてくれてありがとう! また来てね!」
うん、治って良かったね。また来るからね。
「絶対だよ! 約束の印をつけるから、しゃがんで!」
こう?
「セイファ様、それは……!」
なんだか焦った様子でエルゼルさんが止めようとしたけど、それより早くセイファはしゃがみこんだわたしの額に口付けた。あらまあ。
「えへへ、これでどこに居てもカリンのことがわかるよ!」
不穏な言葉に、ん? と首をかしげていると、エルゼルさんが溜め息まじりに呟くのが聞こえてきた。
「……龍の額への口付けは、婚姻の証です。まさか異世界の巫女をお選びになるとは」
婚姻の、証?
「……良かったな、ねーちゃん。嫁き遅れの心配はなさそーだな」
え? え?
「えへへー。カリンは僕のお嫁さんだよ!」
にこにこと笑うセイファと、頭を抱えるエルゼルと、引きつった笑みを浮かべる弟に囲まれて、わたしはひたすら固まっていた。
扉を開けたら異世界で。
異世界に行ったら龍を助ける事になり、龍を助けてあげたら嫁にされました。
……なんて、お断りですから!!
その後、異世界に来る度にわたしを嫁にしようとするセイファとの攻防が巻き起こる事になったけど、それ以外は楽しくやっている。
一年後、成龍となったセイファに驚く羽目になるのだけど、この時はまだなんとかなると楽観的に考えていたのだった。
おしまい。