7.悪夢の中
ミノリはサイファにつれられて、青山さんの夢の中へ入って来た。そこでは悪夢に涙を流すいじめっ子の少女がいた。
そうしてサイファが運転するオープンカーがミノリを乗せて進んで行くと、次第に空が曇り、何だか息苦しくなって来た。
街路樹は葉を茂らせているがどことなく生気がない。
家々も作りやデザインはいいのだがどこか精彩に欠ける。
何だかホラー映画のワンシーンみたいだな。ミノリがそう思っているとクルマが止まった。
「ここからは歩きになるわ。でも気を付けて。ここは青山さんの夢のエリア。あなたの想像力はここでは働かないから」
「ええ!?それ先に言って欲しかった」
「うーん、そうか。ごめんなさい。わたしたち夢見蛇では常識なの忘れていたわ。
私たち夢見蛇もあなたたち『ゆめつみ』も、他の『ゆめつみ』の夢の中へ入る事が出来るの。でも、そこでは入って来た『ゆめつみ』の力は入った世界に対しては働かなくなる。自分に対しては有効だけれどね」
「自分に対して、って?」
「例えば、着ている服を変えたり、姿を見えなくしたり、そのくらいが限度になるわ」
「そうか、どうやって青山さんに会いに行くのかと思ったら、姿を消して行けるんだ」
「その通り」
クルマから降りると、サイファはミノリを降りたクルマを見てもらうように言い、手でミノリに目隠しをした。
「いい?ワン、ツー、スリー!」そうしてサイファがパッと目隠しを取ると、クルマが消えていた。
「ええ!どこやっちゃったの?」
「これ」サイファは一枚のカードをミノリに見せた。
そこには今まで乗って来たオープンカーが描かれていた。
「すごい!クルマをこんな風にしまえておけたら渋滞とかなくなるのに!」
「これも他の『ゆめつみ』のアイデアよ。いつになるか分からないけれど、いつか実現できるようになるかもしれないわ。さぁ、行きましょう」
住宅街はミノリが知っている実世界とおなじ町並みだった。
サイファは迷うことなく一件の家の前にやって来た。
玄関口には『青山』と書かれた表札が下がっている。
「イヤなら出て行け!」家の中から男の人の怒鳴り声らしき声が、二人の所まで聞こえて来た。
すでに家の中では騒動が起きている様子。青山さんが悪夢の中にいるのが分かる。
「あんたさえいなければ!」応戦しているらしい女の人の声がヒステリックに響く。
二人は気まずそうに顔を見合わせる。
「行こう。青山さんを助けなくちゃ」ミノリはそっと玄関を開けて中に入って行く。サイファは、夢見蛇の姿に戻り、ミノリの肩に乗ると、ミノリの髪の中に姿を隠した。
人間てこんな風になれるものなのね…。騒動の渦中にあるダイニングに足を踏み入れ、惨状を目の当たりにしたミノリの印象である。
髪を振り乱し顔を真っ赤にしている男の人は、多分青山さんのお父さんだろう。一方の女の人は、頬が赤く腫れ、鬼の様に目を吊り上げていた。
青山さんー青山加代子は、ダイニングの隅で、両親の諍いを、泣きながら止めようとしていた。
「なかなかにヒドいわね。まだマシな方だけれど」隠れている髪の中からサイファがささやいた。
「これでマシなの?」
サイファは悲しげにうなずいた。
「もっとヒドいのって、後で見せてもらえる?」
「そうね…。ミノリがもうちょっとお姉さんになって、人間の世界のことをもう少し知るようになったら、機会を設けて見せてあげる」そういうサイファは、厳めしい貌付きだった。
「わたしがまだ子供だから?」
「夢見蛇から観たら、あなたたち人間の言う『大人』とか『子供』という言葉は、まるで意味はないわ。悲しい現実を突きつけられても耐えられるほど心が強いかどうかが問題なの。あなたはまだ、見せて上げられるほど、強くはない。
そんな人に、わたしの知っているものを見せてしまうと必ず悪夢の元になってしまう」
「そっか。夢見蛇からすれば、そんな夢見てもらいたくないものね」
「そういうこと。今だって、かなりエネルギー吸い取られてるところ。
あっ、わたしちょっと席はずすわよ」サイファはそう言うと、どこかへするりと消えて行った。
ほとんど間を置かず、どこかで悲鳴が聞こえた。
程なく肩に何かが擦り寄る感じがしたので見下ろすと、夢見蛇姿のサイファだった。つぶらな瞳が意気揚々とミノリを見上げる。「このコの夢に取り付いていた夢魔を退治してきたわ。
もう大丈夫。ここからはあなたの仕事よ?」
「うん…」ミノリは、正直なところ自信がなかった。例え泣いているとはいえ、相手は学校で自分を徹底的にいじめ倒しているのだから。
けれど、「もうやめて…」とかすれた涙声をあげる青島さんの目は、前に青山さんにいじめられた後、お手洗いの鏡に映った自分の顔を思い出させた。
「ねえ、サイファ。これ、夢なの?」
「現実にあったことをもう一度体験しているのかもしれないわね。色々な所がリアルだから」サイファはささやき声でそっと答えた。
-わたしのお父さんとお母さんがこんなことになったら、わたしに止められるかな?
ミノリはぞっとした。ひょっとしたら、何か運が悪かったら、わたしと青山さんの立場が逆になっていることもあったかもしれない…。
「青山さん!」ミノリはつとめて明るく声をかけた。こんなの観ているのもイヤだし、例えそれがいつも自分にちょっかいをかけてくるイヤな相手だとしても、こんなの放っておけない。
「大島…さん…」顔を上げた青山さんは、学校での威圧的な雰囲気が何かの冗談に思えるほど、哀れな様子だった。