第9話 策という名の愚考
ぼくがキツキさんにとってもらった作戦は簡単だ。
それは一言で言ってしまえば――陣取り。
キツキさんがぼくの所持している武装や呪具を確認したのは、別に暇つぶしでもなければ戯れでもない。単純に戦力確認だ。
そして、そのことをぼくは十分に理解し、その必要生を即座に省いていた。つまり、ぼくは予めいくつかの呪具をキツキさんに渡していた。
あの時点で想定出来る、戦場や状況、パターン、考えられた中で策定したいくつかの作戦と必要な小道具。
ぼくではなく、キツキさんが持つことでより様々な使いようが出来るようになる呪具。
では、ぼくはいつキツキさんに指示を送っていたのか。いつ、ぼくはその策定した作戦を伝えることが出来たのか。
車内であらかじめ伝えてあった?
――いや、違う。その全てを言うだけの時間はない。
ましてや言うだけでなく、それを完璧に相手に理解させるのは非常に困難だ。
では、そもそも伝えたのではなく長きに渡る、いや……『永き』に渡る戦闘経験キツキさんに、その実行する作戦を任せた?
――それも違う、それだとぼくがタイミングを合わせられない。
ぼくがどの作戦を実行するのかを理解していること、それはキツキさんの実行する作戦状況に合わせての援護射撃を効果的にする、そのための大きな要素だ。
いつ、どこで、どれくらい相手の気を削ぐか。
段階的に行う中でそのタイミングが外れることがあってはならない。
キツキさんはその経験が豊富過ぎて、ぼくではその一つ一つに合わせられないのだ。
そして、なによりもキツキさんはそれを『許さない』。
あくまで今回の件はぼくが自ら言い出したものであり、キツキさんは成り行き上それに付き合っているに過ぎない。
ぼくが主体として動かないのであれば、キツキさんはなにもしない。ぼくを連れて事務所へ帰るだけだ。
キツキさんはそういう厳しさを含めて公平なのだ。それは冷徹なまでに、と評することも出来るだろうが、そもそもキツキさんには見知らぬ他人を気に掛ける義理はないのだから、十分に心が広いと言えると思う。
さて、結局その答えはなんなのか、と言えばそれは少々反則的な手段だと言える。
ぼくはそもそも指示を『送っていない』のだ。でも、その意思と意図は伝わっている。
――ぼくの意思とは無関係に。
だが、だからこそ、ぼくの援護射撃に的確に合ったタイミングでキツキさんは行動出来たのだ。
そう、それは確かに反則だとも言える。
*
我、今では夕卦キツキを名乗るモノは腕を振るう。
力任せに、一切の技量を必要としないその一撃をぶつける。ただ叩きつけるように、叩き割るようにして、その巨大な獣の塊に向けて撃つ。
それはうちにとって児戯に等しいものだった。
相手はたかだか、送り犬ごとき。人間の狼への敬意と畏怖、山道での得体の知れない視線と言うありもしない幻想に抱かれた妄想の産物。
あくまで生物と言うものの型にはめられたそれは、不壊でもなければ不死でもない。
ただ、そういうモノの特徴として殺しても、滅することは出来ないと言うのが問題だった。元が形のないモノであり、ただそれに型を与えただけである以上、その大元である存在が消えない限りは消滅しえないのだ。
もっともそれがきちんとした一定の人格を得ているものならば、それは一度壊わしてしまえば元通り再編することがない。
つまり、もしもこの目の前にいる大神アスカと言う少女を『模したモノ』を、我がこの手で破壊してしまえば、二度と同じ人格のモノは現れない。
似たモノが現れてたとしても、それがどんなに類似していても、それはもう別のモノなのだ。
間違いなく、目の前にいる人の形をしたコレに関して言えば、二つとない存在なのだった。
例えこのモノがどこかの誰かから分化したモノであっても、どこかの誰かの不完全な複製品のようなモノであっても、日の光を浴びた本体から伸びた影のようなモノであっても――全く同様の存在はいない。
だが、我の車が復元できなくなれば新しく買うように。目の前のコレにも替えはあるのだ。同じものはない、けど替えは利く。
この世に存在するモノはだいたいそうだ。
人間も同じものはない、けど替えは利く。
……遠野の面白いところはそれを理解し認め、人間と言う存在に諦めて絶望している癖に、それでもなお人間を辞めていないところだろう。
そう、この者はまだ人間を辞めていない。いつでも辞められるその場所のにいるのにも関わらず、辞めてしまいたいなんて一欠けらも思っていない。
なぜ、ここまで我はそれを断言できるのか。
……今も伝わってくるからだ。
遠野、と言う子供は頭がどこかおかしい。
あの巫月から数多くの呪具を受け取り、さらに自身の手でさらに使える呪物を掻き集め、いくつものそれらを常に保持し、呪具同士の効力が打ち消さぬように計算尽くされた形で使用し、自らの安全を確保し続けているこの人間は異常だ。
そこまでして自分の安全を確保している癖に平然と、自分の命を天秤の上に載せて見せる。賭け札の一枚として使い、たいして価値も見出していない配当金をせしめようとしている。
今この時も、である。
もし、我が殺す気になればこの子供は死ぬのだ。
なにせ、この者の首筋には我の牙が埋め込んであるのだから。
そう、実はこの者が自ら掻き集めた呪物の中には、この『夕卦キツキの牙』すらも含まれているのだ。
遠野は自らが使う道具を、ちっぽけな鞄に入れて持ち歩く。その中の一つにこの夕卦キツキの牙はあった。
今、この者はその牙を自ら首筋に抉り込むように埋め突き刺し、その上から絆創膏を貼っていい加減に固定しているのだ。
だからこそ、この者の意思は我に伝わる。この者の『今』考えること思うこと感じること、今なにをして、今心臓がどれほど動き血が流れているか、手に取るようにわかる。
そして同時に、我がこの者を操ろうと思えばそれは容易く叶う。ただの人間に過ぎぬ、遠野を操るメリットは置いておいても、それは可能だ。殺すこともまた容易い。
心臓を止めるように念じるだけで、我の牙は遠野の心臓を潰すだろう。
この人間は自分の今あるすべてが他者に暴かれること、その生殺与奪の権利を握られることにほとんど恐怖を抱いていない。
それも人外のモノに、だ。
我を信用している、と言う面がないわけではない。それでも状況によっては、我が自ら敵に回る可能性を認識している。その時には自分が確実に死ぬことも。
いや、仮に信用していたとしても、自分のすべてを他者に知られることに忌避を覚えないのはなんだ?
正直、牙を人間ごときに預けたのは気まぐれだった。
本来、自分の身体の一部を渡すことは、弱みを握らせることに他ならぬ愚策だ。それでも巫月のような者にならまだしも、我がただの人間にそれを渡したところで、問題にならぬと思ったのもまた事実。
不用意と言えば不用意。
だが、それもおもしろいと思ったのだ。これをこのただの人間がどう利用するのか、それに純粋な興味を抱いた。
実際渡してみれば、おもしろい、どころの話ではない。到底笑えなどせぬ。
たかだか、我に自分の考えを読ませたい、などと言うわけのわからぬ理由でこの者は、自らに牙を打ち込んだのだ。そんな愚かで狂った真似をする人間が他にどこにいよう?
……何の力の持たぬ癖に、狩人に名を連ねるだけのことはある。人の身で、そのちっぽけな個人が人外を狩る身に置くこと自体が、考えるまでもなく愚かにして異常なことで、どこかが狂っていて歪んでいなければ出来ぬことなのだから。
そこまでして、この者が我に示した指示はとても単純明快なものだった。
要は陣取り、なるほどその通りだ。
遠野は我にこの敵の本拠地、巣の敷地内に、言わば敵の保有する結界内に結界を創り出すことを考えたのだ。
車内で与えられた道具は、ダーツのような形をした金属製の鋭く尖った杭、その羽のような部分には水晶が装飾されている。それに結界を張るための呪符をでたらめにも巻きつけたもの。
本来の一切を一切無視をすることを前提とした呪具。便宜上、遠野はコレを『結界針』と呼んでいるが、コレを敷地の角、四方へと打ち込むことで結界を張るための補助としようと言うのだ。
馬鹿なことを考える、はっきり言って幼稚だ。
しかし、可能。それも成功させればこの送り犬の群れは結果内から除外される。
その本質が領域、結界による影響を受けやすいものなのだ。
結界の中に結界を張る、その愚考を我は認め、こうして実行しようとしている。その代わり、一切、遠野の身を護ることは放棄して、だ。
遠野の作戦はそれを前提にしなければ成り立たぬ。
我は異形の群れに踊りこむ、我はこの策に乗った。
遠野と言う者の、その価値を見定めるために。
我は結界を張るためのもう一つの策を組み込むべく自ら実行した、それは殺戮を広げる順。時計回りに敵の血肉を自らの足跡として、その形作られる円を自身の領土として主張する。
敵の血で染め上げた地を占有する、それは古来より行われてきたこと。
支配のための一つの作法、作業。
その中で一定の間隔で持って、四隅に結界針を打ち込んでいく。
作法を無視した呪具を、むりやり儀式と言う形に整える。
それは死の舞踏を踏むように、同時にそんな繊細さのない荒々しき戦いを表すように。
……遠野は策を実行せずとも、それで殲滅可能ならばそれで良しとしていた。
それが叶わず、と判断して遠野は口を開く。
「……あまりいい光景じゃないな、そうは思わない?」
敵の将に向け、寝惚けているかのようなたわごとを。
怪物を殺せぬ、錆びきった鉛の弾丸を撃ち込むかののように。
我の戦闘稼動時間は短い。
なにせ、我はずっと人の血を直接獲ることほぼ絶っているのだ。
間接に間接を繋げたようのものが、毎日の糧。
だからこそ、全力は出せぬ。
長くは戦えぬ。
最強であっても最大ではない、我に出来ることは我が身に着けているものの、その性質を書き換えることくらいだ。
所有権、支配権を持つ意思持たぬ物体の性質を作り変える。それ以外は少々、骨が折れる。こうして、なにかの補助がなければ術を使うことも難しい。
それを知っている、遠野の弾丸は強力。
「あなたは幽霊を信じますか」
「――え?」
相手の予期せぬ言葉を選び、作られる思考の空白。
同時に僅かに動きの波に作られる、間隔。
我が結界針を打ち込むのは、その隙間。
我はそのタイミングを事前に知り、合わせる。
行き当たりばったりのような遠野の会話は、無造作に見えて実は一定のリズムがある。
その一定のリズムに無理やり相手を引きずり込む、その理解不能な狂言回し。
「でも、ぼくだって……好きでそう思っているわけじゃない、そういう話。出来るからって、そうしているからって、それが好きなわけじゃないんだ」
自らが信じてもいないことを、自身に信じ込ませ、次には忘れてみせる。
嘘をつくのではなく、真実を言うのでもなく、その場その場で自分の本音を造り出す。
そこには黒も白もなく、灰色と言う色さえもない。明るくも暗くもなく、透明ですらない。
目に見えない、使い古され錆び付いた鉛の弾丸。
相手が何かにすがろうとすればするほどに、それは強力な呪いとなる。
苛烈にして壮絶、百を犠牲にして一を与えようとする、凄まじい攻め。我は大神アスカと言う少女の姿を模した、このモノの力量に内心驚嘆し、賞賛を送っていた。
浮かぶ笑みは自然と湧き上がるもの、強者となりうる器に出会えたことに対する喜び、それとこの時代には物珍しいものに対する興味深さ。それも今はない。
もはや、目の前に群れる狼ども知略と戦術を尽くした戦いは存在しない。
「今だけ、……だから。そうすれば――」
「……君を助けに来た」
ほら、また鈍くなる。
それを残念に思うも、もし同じように猛攻が続いていれば、我の力は完全に尽き失われていたに違いない。
敵を軽くいなし、行われる袖に隠された結界針を打ち込むだけの作業。
もう打ち込む終えた、あとは華やかな終幕を飾るだけ。
その布石を、もう遠野も我も終えている。
退屈な戯曲は終わる。
さあ、今観客は動きを止める。
「いいかい、よく聞いてね?」
遠野がなにを言うのか、それがどんな結果となるのか。
我にはわかる、その言葉がどんなに異常かを。ふざけたものなのかを。
「ぼくは君を助けに来たと言ったんだ、大神アスカじゃなくて君を」
遠野はそう言ってにこり、と笑ってみせる。
周囲を埋め尽くす観客達が、その動きを止め我を仰ぎ見る。
そして……。
「チェックメイトだね、ねえ、キツキさん」
我は儀式を完成させる。
ここに宣言する、ここは我の支配域だと。
「失せろっ、この地は我が貰い受けたりっ!」
それと同時に、敷地内にいた送り犬達が全て消し飛んだ。
*
もう見える範囲に犬は一匹もいない。
残っているのは、送り犬を操った本体とも言うべき、彼女が居るだけだ。
犬がいたと言う痕跡、その舞い散った血肉の後すら消えている。
「思ったより簡単にいったねっ?」
そう軽やかにキツキさんが言うのに、ぼくは思わず吹き出す。
「またまた、なに言ってるんですか。実は結構、ギリだったでしょう?」
「ん~、いやいやうちはもっとキツイと思ってたよっ。遠野っちがなにもしてくれなかったらアウトだったね」
くれなかったら……って、キツキさんはまた思ってもいないことを。
ぼくの笑いは苦笑へと変化する。
「ぼくはなにもしてませんよ、楽しく愉快におしゃべりしてただけで」
「それが一番のファインプレーだと思うけどねっ、たぶん他の誰にも出来ないと思うよっ」
ぼくらが会話をしている中で、一歩づつ踏み込んでくる大神アスカの姿をした彼女。
「……なにをしたの?」
その目にあるのは、もはや驚愕の色ではなく敵意と憎しみ。
ぼくはさっきまでと同じように返す。
「ちょっとしたサプライズ。驚いたかな?」
彼女はぼくの言葉を無視する。
「……わたしを騙したの?」
ぼくは上着で隠してあった、首筋の絆創膏を剥がし牙を引き抜いた。
痛みに顔をしかめることなく、ぼくは彼女へと近づきながら、その牙を胸のポケットへとしまう。
牙のそのぞんざいな扱いに、キツキさんが複雑そうな表情をした。
「違うよ。ぼくは大神アスカじゃなくて、君を助けに来たんだよ」
「わけのわからないことを言って……わたしは大神アスカでしょう。いいから本当のことを言ったら?」
「そうやって人を疑わずにはいられないのは、君自身が嘘に塗れているからかな」
「……なにを」
「一つ、君は純粋に大神アスカなのか?」
「――っ!?」
さっきまでいた、あの犬達。
あれがすべて、大神アスカの一部なのか?
それを操る彼女は大神アスカだけから生まれ出でた存在なのか?
「いったい、あれだけの犬はどこから連れて来たんだろうね?」
「なにを言っているんだい? 遠野っち、あれは狼に対する恐怖や畏怖と言った感情の産物。歩いている時に、ありもしない監視されているような視線を感じると言う妄想。そんなものの集合物だよ?」
キツキさんがぼくの言葉に反応する。
本気で困惑しているかのような声色、いやいやそれって演技じゃなくてマジなんですかね?
牙でぼくの思考を全部読んでたわけじゃないんですか?
「この時代にそんなものがあるわけないじゃないですか。妖怪や怪異は生きているんですよ、時代とともに変化し続けると言う意味でね。
この時代に狼へのそんな感情は残ってませんよ、もう絶滅したんですから。そういう感情が化石として残ってて、どこかから掘り起こしてきたんならまだしもね」
「じゃあ、遠野っちはアレはなんだって言うのかなっ?」
「さあ? だからそれを聞いてるんじゃないですか。ねえ、あんな大所帯どこから君は引っ張ってきたの?」
目の前にいる彼女は答えない。
あくまで沈黙を保ち続ける。
「ねえ、遠野っち。この娘、どうするの?」
「いや、だから保護しましょうよ」
「本気でっ!?」
「え? ……ああ、もちろん大神さんも保護しに行きますけど」
「そうじゃなくてっ!?」
なんだよ、もううるさいな。
……いったいなにがそんなに気に入らないんだ。
その時、背後から放たれた聞き覚えのある声。
いや、聞き慣れた声。
「おいおい。……無様だな、人狼」
その声はいつものような軽い調子でなく……。
乱暴でぶっきらぼうな中に、親しみを感じるものではなく。
それでも、間違いなくその人は……。
「赤霧先輩?」
「あ? ああ、なんだ。お前か、遠野」
そう、そこには学生服の上から暗緑色のコートを羽織る、赤霧先輩がいた。
その手には、抜き身の魔剣『血汐閖咲』。
眼差しは完全に狩人として、刃を振るう時の眼。
「相変わらず、ひどい顔ですね先輩。今日は誰を狩る気ですか」
いつ現れたのか、わからない。
平然と唐突に現れた、狩人。
「お前みたいな雑魚を相手する気はねえよ、遠野」
「……じゃあ残りは必然的に女の子になりますけど?」
「ふん、よっぽどその方が健康的じゃねえか。もっともどっちも人間じゃねえけどな、なあ人狼? なあ、吸血鬼?」
そう侮蔑するような口調で、赤霧先輩はキツキさんと『彼女』に向けて言った。
『彼女』からは困惑が、キツキさんからは怒気が伝わってくる。
「ずいぶんでかい口を叩くねっ、出来損ないっ! ……言い直すなら今のうちだけど?」
「吸血鬼如きが、調子に乗るな。お前はただの獲物に過ぎない」
キツキさんは赤霧先輩に向かって踏み出す。
そしてぼくは説得を諦める、相手が何であったとしても、もうキツキさんは止まらない。
この誇り高く主観と感情を持って裁く公平を自らに課す、魔術の化身は決して例外を許さない。
「……二度目だ。死ぬまでの僅かな間だが覚えておくといい、我をこの眼の前で『吸血鬼』と呼んだ人間を一人たりとも生かしたことがない」
「血を啜らない吸血鬼が笑わせてくれるな、今のお前にどれほどのことが出来るってんだ。弾丸のない拳銃、罪人を処刑しない断頭台みたいなもんだろ?」
「使い物にならぬ処刑刀ほどではないな、穢れた血。汚れた朱が我に届くとでも」
あの、もうぼくが空気ですね。
どうでもいいんで、専門用語を織り交ぜたっぽい会話はやめてくれませんか。とりあえず通訳を要求します。
ぼくはため息をつく。
「んじゃ、ここは任せますよ、キツキさん」
「ああ、任せてもらっていいよっ。すぐに終わらせるけどねっ」
またまた強がっちゃって。
今のキツキさんに赤霧先輩のスペックは無理でしょう?
「援軍は呼んどきますよ、一応ね」
「……ハミちゃんかな?」
「そしたら下手すると、ここにいる全員で殺し合いじゃないですか。それはゴメンですね」
「まあ、任せるよ。いらないと思うけどっ」
「ええ、任せられましたよ。一番相応しい相手を呼んでおきます」
それだけを言ってぼくは彼女に向き直る。
「で、君はどうするの。ぼくに大人しく付いてきてくれる?」
「それは出来ない、言うまでもないと思うけど?」
「だよねぇ、じゃあどうする気」
「遠野は確かにこの敷地内での、『庭』での優位性は得たみたいだけど、でも……」
そう言って彼女は、送り犬へと姿を変える。
《――わたしの家の中は変わらず、わたしの領地なんだよ?》
走っていく、一匹の犬。
もちろん行き先は、大神家宅。
彼女は玄関の戸をすり抜けるようにして消えていく。
「そりゃ、そうだろうね。そこまではこっちだって所有権を主張で出来ないさ」
こっちはいわば、相手の城を包囲して兵糧攻めしている間みたいなもんだ。
優位っちゃ優位。でも、城はまだ落ちてない。
なのに相手には援軍が来てしまったから、戦線の維持は危うい。
「まあ、追うしかないんだけど」
どっちにしても、キツキさんは他人の家に無断で侵入できないんだから、おいていく予定だったし丁度いい。
ぼくは大神家の玄関へと向かう。
鍵は……かかっていない。
ぼくはノブをひねり、扉を開けた。
「遠野っち!」
キツキさんが背中を見せたまま、赤霧先輩に対峙しつつ声をかけてきた。
ぼくは足を止める。
「なんです?」
「最後に一つ」
「はい」
なんだろう、アドバイスだろうか?
「擬人化には無限の可能性がある! そう、うちは信じてるっ!」
返答の代わりに、ぼくは玄関の扉を叩きつけるようにして閉じた。
……すこしキツキさんは痛い目をみたらいいと思う。