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銀の弾丸なんてない  作者: 裃 左右
第二章 感染拡大
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第4話 送り犬という名の送り狼

なんだろう、遠野くんが巫月所長ルートを確立しつつあるような?

さらに一層、ドロドロしてきます。


 毎日のように母は父を罵った。

 気が付くと、それがわたしの家の日常風景だった。


「またあの女の所でしょう、わたしにはわかってるんですからねっ!」

「違うと言っているだろう! ……きみはなぜ僕が信じられないんだ」


 父は仕事が生き甲斐だ、というような人物でとても真面目な人だった。

それでいて、人当たりがよくとても気遣いの出来る人で、上司だけでなく部下をも立てることの出来る人物として、多くの人に信頼されていた。


 少なくとも、わたしの目にはそう映った。


 家にはたくさんの人が来た。

仕事に関わる人が大半だったが、そのほとんどが父を友人として慕っていたように思う。

年齢や所属、と言った立場に関わらず。上司に当たる人ですら、部下というよりは幾分年の離れた友人のように接していた。


 それは今考えてみればすごいことだな、とそう思える。でも、当時のわたしにはそれが当たり前だった。


 でもそれが問題だった。

たくさんの人が来ていた、その中には男の人もいれば、女の人もいた。それはわたしにとって当たり前のことだったが、母にとってはそうではなかった。


 ……母はその中の一人と、父が浮気をしているのだと思っていた。


 そう思うようになったきっかけはわからない。


 その女性は父の部下であり、大学の恩師の娘にも当たる人で、仕事の面では父の優秀な 補佐を務めていた。

同時に、女であるわたしから見ても綺麗な人だった。

父は色々な人から相談を受けるような人柄であったので、当然、その女性からも相談を受けていた。

 この時、彼女が父をどう思っていたのかは子供過ぎたわたしにはわからない。

 少なくとも、父にはそんなつもりはなかった。



 ……なかった。

 母が一方的な嫉妬をするが故に、父は彼女の相談を母がいない場所で受けるようなった。


 わたしは知っていた、父は嫉妬深い母といることが大きな負担に、苦しみになっていたことを。


 わたしは……それがなにを意味するかを理解していなかった、ただなにも感じずにそれを見ていた。それがどんな未来を生むのかわたしには想像なんてできなかった。


 だって、それはわたしにとって日常だった。だれもそれが問題だなんて言わなかったから。

 

 未来なんて想像できるはずもない、未来を想像するのは未来があると経験から知っているから出来ること。過去が存在しない、幼い子供には出来るはずもない。

 なによりも、わたしにとってそんな家庭が当たり前だったんだから。


 なにも壊れるものなんてないと、そう思ってた。


 なにかが壊れた過去なんて……なかったんだから。



 *



「それは『送り犬』だね、間違いない」


 携帯の向こう側から聞こえてきたのは、そんな自信満々な巫月所長の声。

 ぼくはその声を聞いて、どこか安心していた。


「……送り犬ですか」


 脱力しそうになる自分を抑えて、なんとか声を絞り出す。


 ぼくは自分のアパートに帰ってからも、未だその周囲を犬達が囲んでいるような気配を感じていた。

それらにどう対応するべきか、巫月所長に伺いを立てるためにこうして連絡したのだった。


 送り犬、まったく聞いたことがないな。妖怪か、なにかだろうか。


「聞き覚えがない、ね。まあそうだろうな、なら『送り狼』はどうかな」

「ああ、それならわかりますよ。女の子を親切そうに家まで送り届けておきながら、ちょっと口では言えないような企みをしてる人のことですよね?」

「……もうすこし、なんだ。 ……他の言い回しはなかったのかね?」

「なにか変なところでも?」

「いや、いい。さらにその言葉にはもう一つ意味があって、主には山道などで食らう隙を伺いながら付けねらう狼のことを言った」


 なるほど、山中ではないにしろ、アレはそういうものだろう。ぼくが出くわした、いや、今なお監視している獣の群れは。


「でも、あれですよ。 送り『犬』であって狼じゃないですから」

「まあ、聞け。 送り犬自体、地方によっては単純に狼とも呼ばれる。時には山犬と呼ばれることもあった」

「山犬ですか、それって確か野生化したペットの犬ですよね? もしくは野犬全般をそう呼ぶ……んじゃなかったですか?」

「元は違う、それは後の人間の解釈だよ。 元は別のものを指す」

「つまり、実在する犬の種類だってことですか」

「いや、もういない、既に滅びているよ。 山犬とは、本来は日本狼を指すものだからね。本当は別物だとする説もあるんだが、今回はややこしくなるからはぶかせてもらおう」

「それ、ようするに自分に都合よく情報を編集しようとしてませんか?」

「失礼だな、そうでない可能性を示唆する材料を並べる時間が惜しいだけだ。 どうしても気になるなら自分で調べるといい」

「……気が向いたらそうします」


 永久に気が向かない自信がぼくにはある。

 いいじゃん、日常使わないよ? そんな知識。


「日本狼が既に絶滅したことは当然知っているね? そのせいで生態系が崩れてしまったんだがそれはまあいい。重要なのはその習性だよ」

「習性?」

「ああ、日本狼には自分のテリトリーに入ったものを監視する習性がある。 また、特に自分より確実に弱い子供や女性、老人を襲う。 家畜を襲う際にも、当然ながら弱った対象を狙う。 これは、日本狼に限ったことではないけどね」

「襲う隙があるものを襲うのは、狩猟を行う動物にとって当然のことだと?」

「そう、要するに送り犬の性質は日本狼そのままなんだよ。 原型になっているどころじゃない。 他には、旅人を護ってくれるとか、家まで見送られた後に草鞋を片方投げてよこすと山に帰ると言われるが……」

「あっ、それ。……スニーカーでいいですかね?」

「後から付けられたこじ付けだろう、と私は思う」

「…………」

「自分の身に着けていたものを、身代わりとして使うのはありがちな話だね。 効果はあるよ、素養のある人間がきちんと作法にのっとれば。 才能皆無のキミには無理だけど。ちなみに草履だけじゃなく、塩や食べ物の場合もある。

 動物が塩を舐めることは珍しくないし、塩は魔除けの意味もあるから付け加えられた流れはわかるね。 それがわかるだけに、ただのこじつけ感が一層強い。 あと、食べ物で気をそらすのはわかるが、逆効果だろうな。 どう考えても餌がもらえると癖になるだろう? 

 人間に対する狼の恐怖心もなくなり舐められる、一層被害は最終的に増すことが予測される」

「ぼくにどうしろと!」

「……使い込んだ私物でもくれてやれ、多少はマシになるんじゃないか? 帰らないだろうし、味を占めること間違いなしだが」

「所長はぼくをどうしたいんだ!?」


 もしかして、ぼくを殺したいんじゃないだろうか。

……なんかしたかな、身に覚えはないと思う、思いたい、思おう、思わずにはいられない。


「うう、まるでストーカーにでも悩まされているみたいですよ。 まさか、ぼくがこんな目に遭うなんて」

「『ストーカー』ね、言い得て妙だな。 二重に出歩くもの、との符号を考えると二重身も、自分自身と言う名のストーカーのようなものだと考えられるじゃないか。 自分自身から人は決して逃げられないわけだが……なんだか笑えるね?」

「笑えねえよ!」

「つまり、キミはあれかな。 『ストーカー』に『スニーカー』をくれてやろうとしたのか。……ずいぶんと身体を張ってるなキミは」

「相手を喜ばせようとした訳じゃない!」


 この人、ぼくを徹底的になぶるつもりなのか?

 ぼくもかなり性格が悪いことを自負しているけれど、サディストじゃないことだけは胸を張りたい。心の底から。


「ん、でも、所長。 所長の言からすると、送り犬の正体は日本狼ってことですよね?」

「ああ、そうだ」

「でも、今現実に妖怪だかなんだか知りませんが、こうしてぼくの住んでいるアパートを包囲してますよ? 間違いなく存在しているんです」

「現実に、ね。おそらく、キミ以外の人間には一切脅威はないどころか、認識することすら一部を除いて不可能だろうがな。 それを現実に存在する、と言っていいものかな? あくまで今のところは、になってしまうのが問題なのだけど、ね」

「それって……どういうことです」

「そうだな、おんぶお化けの正体は知っているか」

「……山に捨てられた小判でしたっけ?」

「絵本で読んだのか? 微笑ましい限りだが、オバリヨン、おいがかり、その正体は時に狐やら狸やら神の試しになるわけだけどね。 あれは科学的に説明するとなにになるんだろうね?」

「科学的にって……今そういう事態ですか?」


 今はどう考えても科学的にも現実的にも、説明の利くような状況じゃない。

 だが、ぼくの言葉を巫月所長は無視し、話を続けた。


「いいか。 考えるんだ、その現象だけを切り離して考えろ、突然身体がなにかが重く圧し掛かったかのように重くなり、身体に力が入らなくなり動けなくなる。ひどい時にはその重みに耐え切れなくなり、徐々に呼吸が出来なくなり、死んでいく。 これはなんだ?」

「……なんだ、って言われても」


 とりあえず、ぼくは所長に付き合ってみる。現状、差し迫った危機はなさそうなのは間違いないのだ。外にいる連中がドアや窓を破ろうとしない限りは。

 とにかく、そういう状況で考えられるのは……。


「病気とか、なにかの発作ですかね?」

「そうだな、それもある。 そして怪異の舞台となることの多い山の中でなら、ガスが考えられる」

「ガス?」

「そう、ガスだよ。 手足のしびれ、全身の重さ、呼吸困難、死。ちょっとしたくぼみがあれば日本各地ありえる話だ。なにせ、火山の上に国があるようなものだしね。

 病気やらなにやら、そんな目に見えないようなもの、当時の人間がどう感じたか、説明の付かない事態を自分にどう納得させるか。 理解するのはそう難しくないだろう?」


 確かにありえない話ではないだろうけど。


「それが今とどう繋がるんです?」

「結局ね、怪異なんてものはその大半が存在しないんだ。 だってそうだろう、元になったものはもう滅びてすらいる。キミだけが見えて感じているだけなのかもしれない」

「でも、実際にいますし。 ぼくらはそれらと何度も戦ってきています」

「そうだね、我々は怪物や怪異と対峙する立場にある。 だけど、覚えていてほしい。 元々はそんなものはいなかった、人間が作り出してしまったという可能性があることをね」

「……それはいったい?」

「キミが対峙したことがあるのは、そうだな。『非生命体(ノーライフ)』『食屍鬼(グール)』『喰人鬼(オーガ)』『二重身(ドッペルゲンガー)』『悪霊(ゴースト)』。 あとは異能者に魔術師、……他うちの所員ぐらいかな」

「そうですかね」


 自信はないがだいたいはそんなものだろう、細かく言い出せばきりがないけど。


「で、それに人間が関わっていないものは?」

「……ないですね」


 例外があるとすれば、最初から人間じゃない異種族と呼ぶべき存在くらいだ。それも戦ったことなど今のところない。


「そう、根本的にそうなんだよ。 断言してもいい、人間さえいなければこの世の大半の怪異や妖怪は存在しない。 存在しないものに力はない。 後に残るのは自然現象と異種族、一部の神くらいだ。 元々が人間から始まっているんだよ」

「……つまり今のこの状況は人為的なモノだと?」

「その通りだ、人間が作った器によって起きている事態だ。 送り犬など、この世に存在し得ないのだからな」


 根本的な解決にはならないけど、状況は把握した。 

 これは人間の仕業だ。


 そして、おおよその事態の予測も出来た。自分がだいぶ落ち着いたのを感じる。

 身を守るくらいなら、どうにか出来る程度の事態だと、そう冷静に認識できる。隙さえ見せなければ、十分に生き残ることが出来る。恐怖に飲み込まれずにいられる。

 現状を把握するというだけで、人間はだいぶ理性的になれるのだ。


「……にしても所長は頼りになりますね、有難いですよ」


 もし、所長に連絡が繋がらなかったら、朝までガタガタ震えながらお祈りしてるぐらいしか出来なかったかもしれない。ああ、夕飯を食べるくらいは出来たか。

 我ながら、意外と余裕があるな。


「まあ、そこまで言ってくれるなら、もうすこし夕飯のおかずはマシなものにしてくれないか? 今日の煮付けは美味い不味い以前に味が薄すぎる」

「いきなり駄目だし!?」

「あと、『携帯電話が嫌いだ、可能なら解約したい』と常々キミは言っていたが、失くすと死ぬことになるということを自覚したほうがいい」

「さらに駄目だし!?」


 ……おかずまだ食べてないのに、美味しくないことが判明した。

味見したときはそこそこ大丈夫だったのにな、味見したときと味が違うのはなんだろう、タイミングが悪いのかな。


 でも、まあ、携帯電話が嫌いなのは仕方がないだろう、とぼくは思う。四六時中不特定多数の人間に拘束されている気分になるのだ。

 いつ誰から連絡が来るのかわからない状況、って言うのはどうもリラックスできない。


「って言うか、携帯ないとぼく死ぬんですか?」

「キミが外部との連絡なしに生延びることは不可能だと思え。 キミ自身はなんら特別な力も戦闘技術、生存技術も持たないただの人なのだから」


 それは自覚していたことだ。

 ぼくのいる場所はぼくにとって危険すぎる。ぼくが関わるものも、普通の人間であるぼくには分不相応なぐらいに強烈な出来事ばかりだ。


「……それは仕方ないですよねぇ。 まぁ、このバイトを続けている間は、ですからね」


 ずっとこの仕事で生きていくわけじゃない。

 そのうち、どっかに進学でも就職でもするだろうし。


「いや、もう辞めたところで手遅れだろう。 キミはこちら側に関わりすぎた、キミが何をしようとこういった事態に巻き込まれ続けることになる」

「……聞いてませんよ、それ」

「『怪物と戦う者は、その戦いで自らも怪物になることのないように気をつけなくてはならない。 キミが深淵を覗く時、深淵もまたキミを覗いているのだ』だよ?

 ニーチェを知らないのかね、キミは。 一度でも非日常に触れてしまえば、それに触れたものも非日常の一部となる。 既にキミはそれ以外の人間からしてみれば、十分に非日常であり非現実だよ。 キミがそこに存在しているという時点で、周囲を危険にさらしているということを自覚したまえ」

「このタイミングでそれですか?」


 そういう重要そうな話は、もっといいタイミングがあると思うんだが。

 これ、かなり衝撃的な話だよ? 自分も怪物となんら変わりない、って言われるのはさ。


「私とて好きで言っているんじゃない、ただキミは自分がどんな場所に立っているのかと言う自覚が足りなさ過ぎる。 キミはいつ死んでもおかしくないんだ」

「自覚はありませんけど、覚悟はしてますよ。 初めてこちら側に踏み込もうとしたその瞬間からね」

「そんなつまらない覚悟はするな!」

「……自分が死ぬ気はないですよ、そうならないようにと所長が努力して下さっていることは知ってます。 ……本気で感謝してるんですからね?」


 臆病者のぼくが、この街を平然と歩けるのはそのためだ。

 無防備のまま所長はぼくをお使いに出している訳じゃない。だからぼくがそうそう死ぬことはない。それだけの用意はされている。

 

 問題は、ぼく自身に生存力と戦闘力が皆無と言う一点くらいだ。


「それに言ってるでしょう、ぼくは普通の人間なんだって。 ぼくは自分が普通の人間であるためにならどんな努力も惜しみませんよ、その覚悟です」


 逆に言えば、そのためなら自らが死ぬことも厭わないってことを所長は理解している。

 だからこそ、所長は怒っているわけなのだが。


「……最悪の場合はまた連絡しろ」

「連絡ってその時には手遅れでは? 声ぐらいしか届きませんよ?」

「それで十分だ、たいていはな」


 声さえ届けば、距離など容易に無視できるとそういうのだろうか?

 それは反則だよ、なんなんだ、この人。


「でも、あれじゃないです? こういうのって怪奇現象に巻き込まれている間、電話がなぜか掛からないってパターンじゃないですか?」

「そのときはあれだな」

「……あれですか?」

「潔く、行いが悪かったと諦めろ」

「いきなりそれですか!?」


 いやいやいや、今ぼくのことをすごく心配していた風味だったじゃないですか!?


「もうすこし、労りってものを……」


 ふと、窓を見た。

 その正体の糸口に触れて、犬の群れに気が向いたこと。

完全に安心しきって、自分が安全ラインの内側に入ったと確信したからこそ、現在の状況を再び把握しようとしたから。心理的にはそういうことなんだろう。


 だからぼくは、気がついた。

 なぜか、ぼくは今まで気がついていなかった、ということに。


「――うわっ」

「どうした! 遠野、なにがあった!?」

「……いえ、なんでもありません」

「いいから言え。なにがあった?」

「……窓に張り付いていただけですよ」

「なにがだ?」

「……女の子が」


 ある学校の制服を着た女の子だった。

 ただ人間じゃないことはわかる。眼球のあるはずの部分がただのくぼみであるかのように、深い闇に覆われているから。

 伽藍どうの二つの穴がなんの感情も訴えることなく、ぼくを見つめるようにして窓に張り付いていたのだ。


「『女の子が窓に張り付いていただけ』ね、それが『なんでもない』と。 意外に余裕があるんじゃないのか?」

「口だけですよ」

「今もいるのか?」

「いますね」


 まるでぼくの声が聞こえていないかのようだ、こうして目の前で自分のことを話されているはずなのに、なんら反応がない。

 ピクリとも動きはしない。

 瞬き、をするはずもない。目などなくただ穴が空いているだけなのだから。


「まったく動かないんで、まるでそういう作り物のオブジェがあるだけみたいな気分ですよ。良い気分ではないですけどね」

「本当に余裕があるものだ」

「口だけですって」

「まったく、あちこちで女に声をかけているからそんな目に遭うんだ。 今度はどこの女だ?」

「やめて下さい! まるでぼくがそういうことを、いつもしているみたいじゃないですか!」

「違うとでも?」


 違うよ、違う。断じて違う。

 確かに今日もほぼ初対面の女の子に声をかけたけど、実質死人だから!


「死んでいようが生きていまいが、女には違いないだろう?」

「それはそうですね、じゃなくて、いつもいつも声をかけてる訳じゃないということが言いたいのであって……」


 その次の瞬間だった、冷水のような声で目を覚めさせられたのは。


「……それで?」


 所長は問うたのだった、今までにないほどの強い口調で。

 ぼくはその問いの意味を……既に知っている。


「それで、とは?」

「なぜ最初から言おうとしなかった、もし強く触れられないのなら隠そう、そう思ったからか? 出来れば言いたくなかったと?」

「所長、ぼくは……」


 見透かされているどころじゃない、この人。最初から全てを知っている。


「わかっているぞ、遠野。 その女、いやその『女の子』は誰だ?」

「……所長、ぼくはどうしたらいいんですか?」

「一切、この事件に関わるな。 その家から出るな、送り犬は家に侵入してくることは基本的にはない、だが怪異の中には家人に招かれることで侵入を果たすモノもいる。 絶対にソレを自分から入れるな」

「……自分から入れるなんて」


 ありえない、そう続けようとする言葉を遮り所長は言葉を連ねる。


「いいか、遠野。 他人の住んでいる家というのは、それ自体が結界だ。 人間であるキミとて、他者の家には入りづらいだろう? 本来、結界とはそういうものだ。文化的、社会的礼儀、習慣、しきたりから発生したモノだ。 それを最大限に活かせ」

「はあ、結界って言ったって……」

「いいから気を抜くな! いいか。 不用意に電話にも出るな。 電話はありとあらゆる魔術を通しうる最大級の媒体だ。 これは空間と空間を繋ぐ『魔法』だ、魔術なんて目じゃない。 どんなに強固な結界を作り上げようが、術者は対象と電話が繋がれば十分に呪殺し侵入を果たせる。 悪霊や式神、使い魔を容易に送れるんだぞ? これは現存するいかなる魔術よりも、簡単で強力だ」

「……電話ってそこまで凄いんですか」


 逆に言えば、電話さえ繋がれば巫月所長は力を発揮できると言うことか。

 なるほど、自信満々に声さえ届けばどうにでもなると言うわけだ。

 例え、ぼくが外部から閉じ込められた場所にいたとしても、巫月所長に電話さえ繋がればたやすく状況を打破できるわけだ。


「――これはいいことを聞きました」

「っ遠野!?」

「これはちょっと状況を上方修正ですね、ありがとうございます。所長、お陰でだいぶ動ける目処が立ちました」

「ふざけるな、そんなつもりで言ったんじゃ……」

「では、所長。また明日」

「なっ……」


 ぼくは通話を切り、マナーモードへと変える。

 電源を落としてもいいけど、それだといざって言う時に繋がらないからな。

 所長も甘いよな、電話が繋がることの効果を、その意味をあえてぼくに言わなかったのはこうなることを予測したからだろうに。

あの人、結構正確に相手のことを把握してるからな。

 

 でも、所長は言わずにはいられなかった。

 ぼくが所長以外の誰かからの電話に出てしまう可能性を考えた。それどころか、他の誰かに電話をかけてしまう可能性すらあると察知してしまったから。

 それによって、事態が悪化する可能性をまでも考えてしまったから。


 本当に頭の回転が速いことだ、所長の欠点はそこだ。

 頭の回転が速すぎて、余計なことまで話してしまう。


ぼくは魔術やオカルトにはほとんど知識を持たないけれど、その知識が自分の安全のために利用できるものだと言う程度には把握しているし、応用も出来る程度には理解もある。


 現実に起こっているならそれを現実とし、たやすく常識を捨てられる。

それが現実主義者だ。フツーの人間の順応性だ。ソレが出来ないのは極端な常識主義者だろう。


「でも、どちらにしたって……」


 夜に動くのは危険過ぎるな。どうあっても、向こう側の支配域(フィールド)だ。

 とりあえず、朝までがたがた震えてますかね。夕飯でも食べながら。


 たいして長い時間でもない。

巫月所長の様子からして家の中にさえいれば、眠っても問題なさそうだしね。


 ぼくは臆病者だ、でも安全性を保証されてまで怖がるのは臆病者でなく、現実をみていないだけだろう。

 ぼくはぼくを見つめる、その女の子を見る。


「なるべく早く行かないと拙そうだしね」


 朝まで体力を温存しておこう、ぼくはそう心に決めた。


 その女の子の右腕が血で真っ赤に染まっていたから。

 真っ赤な手跡の付いた窓を、その血が滴り落ちるその光景を見て、状況が確実に悪化していることをぼくは知ったのだから。

 このままにしては、おけなかった。


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