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銀の弾丸なんてない  作者: 裃 左右
第二章 感染拡大
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第3話 呟きという名の独り言

 なんとなく、ぼくは呟いた。


「どうも最近、最後の一線ぎりぎりで生きている気がするなぁ」


 所長は少し考えるそぶりを見せて、ぼくの独り言にわざわざ返答してくれる。


「……特にここ一月、キミが最前線に直接立っていた記憶はないが?」

「ええ、まあ、そうなんですけどね」


 あくまで雑用、ないしは後方支援要員としてしか狩りの時には動いていない。

もしも、ぼくが直接戦うような時があるとすれば、それはもううちが負けているってことだ。


 まあ、ぼくの場合戦うって言うか、逃げるか黙って食われてやるくらいしか出来ないんだけど。


 ああ。割合、危ない連中との交渉やら取引には頻繁に矢面に出てるか。

今のところ、怪我一つ負ったことはないけど。


 でもなぜかな、あちこちで死亡と言う不吉な響きの言葉から始まるフラグ的ななにかを、順調に立てている気がするのは。


 ……気のせいにしておこう。


「所長。そろそろ、ぼく帰ろうかと思うんですけど」

「ああ、いいぞ。ご苦労だったな」

「ご苦労って、掃除と買出しぐらいしかしてませんけどね」


 調理は自分の晩飯にもなっているので、ぼくの中ではノーカウントだ。

 ぼくは上着を羽織ながら、事務所内を見渡す。

 つい少し前に、赤霧先輩がなぜか唐突に黙ったまま出て行ったので、あとはぼくと所長しかない。ぼくが帰れば所長は一人。


「……本当に大丈夫です?」

「当たり前だ、子供じゃないんだぞ」

「お米は研がなきゃいけないんですよ、水を入れなきゃならないんですよ?」

「……キミは私をなんだと思っているんだ?」


 機械オンチ、もしくは世間知らず。

 炊飯器を一日目で壊したことをぼくは忘れていない。個人的には通販とネットオークションを、所長が利用出来ていることが驚きだ。

 おおむね、バカ高い家具を購入することにしか使われてないけど。


「キミは忘れているのか、キミが来る前にも私はきちんと生活していたことを」


 きちんと、ね。ここの地区のゴミだしの曜日も知らなかったくせに。


「じゃあ聞きますけど、お茶とコーヒー淹れられます?」

「出来ないはずあるかっ!」

「あ、ティーパックはなしですよ?」

「私の評価はそこまで低いのか!?」


 オーブン機能が付いた電子レンジを、三日目で壊したことをぼくは忘れはしない。

壊すぐらいならぼくにくれればよかったのに。

 あれ、専用の容器を使えば煮物だって作れるんだよ? 炊飯器だって、パンや飲茶が作れる優れものだったのに!


「……なにを怒っているのかは知らないが、ここにあるものは私の私的な財源で買ったものだからな。 あくまで、事務所ではなく私個人のものだ。 そもそも事務所自体……」

「いやまあ、所長が通販好きなのは知ってますけど」

「誰もそんな話はしてない」


 通販番組の商品紹介でなにを見ても、「それは得だな」しか言わないんだもんな。

珍しく買った家電製品もそういう理由で買ったものだと思われる。


 所長が事務所になぜか直接届けさせない主義なので、ぼくの家に搬送されぼくが事務所まで運び込むと言う、疲れる経緯を経たのだが。


「でもいいですよ、べつに。 メーカー保障で無料修理・交換だったのに『壊れるからもう置かない』と言ったことも、べつにいいですよ」

「怒ってるよな? なにに怒ってるのかはわからないんだが?」

「怒ってませんよ、調理器具使うのは所長じゃなくてぼくなのに、なんて思ってませんから。使う気ないなら最初から買うなよ、期待させんな。 とか思ってませんから」

「嘘は嫌いだと言っていたその口でなにを言ってるんだね、キミは!?」

「嘘じゃないですから……怒ってるんじゃなくて、怨んでるだけですから」

「それはどう違うんだ!」

「字が違いますよ。 それはそうと怒と怨って微妙に字が似てますよね?」

「微妙に会話にならない!?」


 会話にならないのはこっちだよ、まったく。

 さすがに捨てるよう言った時には我慢できずに、修理と交換するようメーカー側に即座に連絡し、事務所に置くようにたっぷりと心を込めて説得したけども。


本当にこの人は物の大切さを判っていない。

 ああ、他に不満と言えば……。


「個人的にはもうちょいキッチンを広くして欲しかったのですが」

「会話にならないかと思えば、いきなり改築要求か」

「あと、欲を言えば蒸気で汚れを落とすワイパーが欲しいですね。二つほど」

「確実に一つは自宅に置く気だね?」

「やっぱりぼくがお米を研いで、タイマーセットしておきますから」

「話の変わり身が早すぎる!?」

「ご飯はちゃんと食べてくださいよ、『ああ忘れてた』なんて言わないように」

「……善処しよう」


 この間、丸々、作ったおかずと炊いたご飯が残ってたときは本気で切れかけたからな。

炊かれたご飯が保温のせいで悲しいくらいに、固くなっていた光景は涙なしでは語れないよ? ご飯が炊けたら、まずはかき混ぜないといけないんだよ!


 世の中には食べたくても食べられない人がいるんだから、食べ物は粗末にしないで頂きたいですね。

 具体的には目の前に、ぼく言う人がいるんだから。


「あー、あとですね。 味噌汁なんですけど、インスタントのを買っておきました」


 不満そうに「えー」とぼやく、巫月所長。

 この人は、インスタントは、不味いと言う思い込みが強い。


「袋が三種類入っていまして、具と味噌が分かれています。 具はネギとワカメですね」

「……ネギはどうすればいい」

「とって置いてください、たぶん誰かが使いますから。余った場合、ぼくが戻してチャーハンの具にでも使います」


 そう、実は巫月所長。ネギが嫌いでした。

 なので、きちんと分けて食べられる味噌汁の素を買ってきた訳で。

 って言うか、意外と子供みたいな好みと言うか、嫌いな野菜が多かったりする。代表例はピーマンとシメジ。キノコ汁はアウトです、食べません。


「となると実はワカメのみになるわけか」

「それは仕方ないでしょう」


 汁物に入れる具のことを、所長は『実』と呼ぶ。やや、おっさん臭い。

まあ、不満があるのなら好き嫌いを直せばいい。少なくともネギとお麩くらいは増やせる。


「いっそ、キミが毎朝作りにきてくれればいいと思うんだが?」

「ぼくは所長の嫁かなんかですか」


 学校に行く前に朝食を作って食べてから行けと。

どういう高校生活だよ、なぜかすごく不健全な気がする。ついでに昼食の分でも作らされるのか、いやお弁当を作って欲しいといわれる気がする。

 ……単純にぼくが所長の母親っぽい気がしてきた。


「……キミが私の嫁か。 …………じゃ、それでいいから作ってくれないか」

「すごく妥協された感があるんですが」


 めちゃくちゃ失礼だ。

 その苦渋の選択みたいな顔をやめて欲しい。


「キミの作った味噌汁が毎日飲みたい」

「センスの古いプロポーズ見たくなってますが」

「正直、あまり美味しくはないんだが」

「本気で妥協されてた!?」

「いや、やはり毎日は勘弁して欲しい」

「しかも、一方的にキャンセルされた!?」


 次の瞬間には楽しそうに笑い出した所長を見て、自分がからかわれていたことを知る。

 ……さすが所長、攻撃を受けてから反撃に移るまでの間隔が短いな。

 と、変な感心の仕方をしてしまった。


「まあ、でもあれですよね。 その案を本気で採用する場合、ぼくは泊まった方が早そうですね」

「……確かにな、だが珍しいことでもないだろう」

「そうなんですけどね」


 泊まりがけで仕事をすることも実際ある。

 夜間に動くことが多いわけだし、頻繁ではないけど少なくはないのだ。

 ここに住んでしまえば、いろいろ楽かもしれない。


「というより、そもそもわざわざここで夕食を作って持って帰るよりはここで食べたほうが早くないか」

「そうなんですよね」


 でも、それをすると本格的に自分がここで住み始める気がする。夕飯食べて片付けた後、帰ること面倒なこと面倒なこと。

 いや、別に泊まりでいいちゃいいんだけどね、家賃や光熱費と言う生活上の一番の問題点が消えるし。

 だが、なぜかな。それをすると生存上の一番の問題点が悪化する気がする。


「って言うかそれ、二十四時間臨戦態勢ですよね。 勤務時間二十四時間ですか?」


 常に職場にいる生活って……。

 いや、泊り込みの仕事だって世の中には数多くあるわけだけど。


「まあ、手当ぐらい出せると思うが?」

「とてもものすごくかなり惹かれますね」


 でも、止めておこう。その方がいいとぼくの本能が言っている。

 たぶん、今以上に死亡から始まる立てちゃいけないフラグ的なにかを、乱立する羽目になる。

特にハミがそれでいい顔するとは思えない。必ず面倒なことになると断言できる。

 ……やめておこう。少なくとも、今は。

 

 今後はわからないけども。


「んじゃ、まあ、ぼく帰るんで。戸締り気をつけてくださいね」

「なにも、ここには入ってこないよ。 でも、ありがとう。……キミも気をつけてな」

「ええ、じゃまた」


 そう返答して、ぼくは事務所を出る。

 気をつけて、たってなにがいると言うわけでもあるまいし。

 最近、この辺も前と比べれば平和なものだろう、確かに色々あるけど。

 ……こちら側にも、向こう側にもきちんと元締めみたいのがいるわけだしな。そうそうトラブルなんて、突如として舞い込んで来るわけがない。

 なんてぼくはこの時、思っていたわけで。


 自分が今、対面しているトラブルでさえ、現実を侵食する怪異だと言っても、所詮はただのドッペルゲンガー。

見た人間を殺すだけのものにしか過ぎない、そう考えていたわけで。

少なくとも、もう一人の自分、二重身を見ることになるまでは危険なんてそうそう訪れることはない、とそう根拠もなく確信していた。


 ――そんな保証は誰もしてくれなかったのに。

 ぼくはそんなことを考えるよりも、薄暗い中、軋むぼろぼろの階段を降りていくのに必死だった。



 *



 自分は今のところ安全だ。

 例え、その線の上ぎりぎりだったとしても、自分は安全ラインの内側にいる。

 

 その考えが間違いだと知るのに、たいして時間は要らなかった。

 事務所から離れて、五分も必要としなかった。

 なにかを見たわけでも、聞いたわけでもない。なにかに襲われたわけでもない。

 街中に充満する獣の臭い、唐突にぼくはそれを感じた。

 どこまで歩いてもまとわり付いてくる、その臭い。


 ――異臭からぼくは異常を知った。

 ただ、どこにいても獣の臭いがする。ただそれだけのことで、ぼくは自分が日常から切り離された状況にあるとなぜか実感してしまった。


 ぼくは夜の道を歩く。

 あちこちに街灯があるといっても、影が、なにかが潜むことの出来る闇が消えてなくなるわけではない。

 ゴミ箱の影、止めてるある車の影、建物と建物の隙間、むしろ、明かりがあるが故に、その影は強調される。その存在感が明確となる。

 影は影でしかないはずなのに、影の本体である物体そのものよりも、光があるが故に強調される。


 影は光があるが故に、闇であるのにもかかわらず()確となる。

 影と言う、物体としてありもしないものがその存在を主張し始める。

 ぼくが感じ始めたのはまずはそこからだった。

 

 あくまで、そこが先だった。

 気が付くといつのまにか――いた。


 荒い息遣い。

 今か今かと、急き立てる双眸。

 その牙を突きたて、肉を食み生き血を啜らんとする獣。

 そこらじゅうの影と言う影に奴らは潜んでいた。

 

 それは……犬。

 何の変哲もない、日常見ることがなんら不可思議でない存在。

 それが、自分の行く先々、潜むことの出来る隙間、あらゆる至る所の影と言う影に、ぼくが向かおうとする場所に先んじて現れていた。


「おいおいおい」


 ありえないわけではない。

 一つ一つを見れば、野犬が街の中で見かけることは多くはないが、ありえないことではない。影に隠れるかのよういることも、稀にはそう、あるのだろう。

 

 だが、この数はなんだ。

 日常の中にありえそうな出来事が、数を重ねるだけで異常になる。

 そりゃ、怪談にはありがちだけどね。実際、なってみるとろくなもんじゃない。


 犬、はそれ自体が凶器だ。その辺の人間にナイフを持たせるよりも、十分すぎるほど脅威になりえる。

 常に凶器のその切っ先を、背中に向けられている。

 ――そんな感覚。


 抵抗? ばかばかしい。

 ぼくと言う人間は、ぼくと言う個人は、たかだか犬畜生が一匹二匹いるだけで殺せる程度の命だ。十数匹いれば、過剰すぎるほどの戦力だ。

 こいつらが襲い掛かってくれば、ぼくはいつでも死ねる。


 実際にぼくのような状況で、こうして住宅街の中にある公園に差し掛かれば、「そんな馬鹿な死に様はありえない」などと、そんな日常と言う妄想にしがみつける余裕は消し飛ぶ。


昼間は子供達が無邪気に遊んでいるようなその空間で、ブランコや象の造形をしたすべり台などの遊具に並ぶかのように、辺り一面に奴らがいた。


 十、二十、三十、無数に存在する影。

 その四足にて這う影すべてが、光る二つの目を獲物である自分に向けている。

 唸るでもなく、威嚇するでもなく。


 その荒い息遣いのまま、ただ自分を見つめる。その視線を感じながら、歩き続ける。

 可能なら、すぐにでも走り出したい。叫びながら逃げ出したい。


 だが、そんなことは愚の骨頂だ。獣相手に走って逃げ出すなんて、追いかけてきてくれ と言うようなものだろう。足はどう考えても向こうのほうが早い。

 だが、ぼくはそんな状況でも恐怖心に捕らわれ、その心のままに叫びだす……なんてことはない。


 理由は簡単なことだ、恐怖心に捕らわれることが怖いからだ。

 闇を恐れること、死を恐れること、そんな恐怖よりもそれに捕らわれてしまい身動きできずにいることのほうが怖い。叫びだしてそのまま逃げ出してしまうほうが怖い。


 僕は死ぬことよりも、怖がることの方が怖いのだ。

 それに比べれば、死ぬことなんて何一つ問題じゃない。


 そう、ぼくは――臆病な人間なのだった。

 だからこそ、ぼくは勇気を振り絞るのではなく、恐怖心で恐怖心を振り切る。

 想像して欲しい、自分が恐怖心に捕らわれ、その心のままに行動してしまう姿を。

 

 この世にあるなによりも、恐ろしいとは思わないだろうか。


 自分が恐怖に飲み込まれること。

 それに比べれば、生きたまま犬の群れに食い殺されることなどたいした恐怖じゃない。

 

 より強い恐怖を知ることで、それに満たないものに対して耐性を得る。

人間は、最悪を知っていれば、「こんな目にあうくらいなら」と痛みを伴う死を恐れずに生きることが出来る。


 この世で一番の恐怖は、恐怖に捕らわれてしまうことだ。あとはたいしたことはない。


 ただ死ぬか、狂うか、取り返しが付かないだけだ。

 結果を知るころには事実上、死んでいる。別にたいしたことではない。


 だから、今、ぼくの背後にぴたりとついてくる獣がいたとしても。

 それはただ命を脅かしてくるだけ、怖いだけだ。


 決して、抗えない恐怖ではない。


 その数が増えようが、同じ。


 刃物を向けられていたのが、拳銃に、機関銃に、大砲に、ミサイルに、順に変わったところで結果は同じだ。

 刃物でぼくは十分死ねる、それが拳銃に変わろうがなにに変わろうが、同じ死ぬならその恐怖は大して変わらない。


 刃物より拳銃のほうが恐ろしい?

 機関銃や大砲のほうが怖い?


 なにを馬鹿なことを、人間は素手で殴られる程度で死ねるんだ。打ち所が悪かったなんて、馬鹿な理由で。


 そうは言ってもぼくは、臆病なので。

 後ろに今、どれだけの犬がぴたりと背後を付いてきているのかなどと、確かめることは出来なかった。


 背後になにがいるか確認するのは、それは恐怖心ではなく、勇気や好奇心などと言ったぼくいには不要な成分の領分なのだから。

 なんとなく、ぼくは呟いた。


「どうも最近、最後の一線ぎりぎりで生きている気がするなぁ」


 返答はない。

 そりゃそうだ、これは独り言なんだから。

 ぼくに出来るのは、音を立てないよう転ばないように、慎重に静かに歩みを止めずにいることぐらいだった。


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