表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀の弾丸なんてない  作者: 裃 左右
第一章 日常と背中合わせに分かつモノ
11/23

第10話 願望と言う名のギロチン

そのうち、気付くようになった。

 

一人だけ、違った。

 

他の同級生はおそるおそる話しかけてきて、へんな距離があるのに。

気持ちの悪い気遣いをしてくるのに。

 

この娘だけは、ずっと最初からいつも傍にいて。

 いつも当たり前のように話しかけてきた。

 

私は訊いた。


「なんで、いつもいるの?」

「――え?」

「なんで傍にいるの?」


 その娘は当たり前のように言った。


「カナが電話してくれたんじゃない」

「なにが?」

「……一番最初に」


 そうだ。

 思い出した。


 私は、だれかに。


 彼が死んだのを見ながらも。

 呆然としながらも。


 だれかにケータイで連絡していた。

 でも、だれに?


「私を呼んでくれたでしょう」


 私が。

 ……私が?


 そんなはずはない。


「それにさ」


 そんなことがあっていいはずがない。


「そんなことがなかったとしても」


 私は他のだれもがどうでもよくて。

 そんな、私は世界を憎んでいたはずだ。


「そばにいたよ」


 だから――。

 それはあってはいけないんだ。


「だって、私たち」


 もう。


「私たち、友達だから」


 ……ああ。

 やっぱり、そうなんだ。

 そのときに、気付いてしまったのだ。


 私の視界の端で佇む、私は。

 にじんで、目の前が歪んでいるその先にいる私は。


 すぐそこにいる私は。


 きっと……。

 ――完全に、そうなんだ、と。

 私は自覚してしまった。



 *



「樋口カナはさ、気付いちゃったんだよ」

「なにを?」

「好きな人が死んだら自分も死にたいって思う。 ぼくはよくわからないけど、それが自然なこと。 でもさ、もしもそれだけじゃなくなったら?」

「……私にわかるように言ってくれる?」

「うん、ハミは好きな人が死んだら自分も死にたいって思うはずだ、って考えなんだよね」

「まぁ、ね。多分だけど、ね。 ……私が自殺なんてありえないと思うけど」

「でもさ、死のう死のうって思っているうちに、もしも傍にすごく優しくしてくれる人がいて、それが自分をとてもわかってくれる人だったとしたら、こう思ってしまうかもしれないよね」


 そう、それはひどい話だった。

 あってはならないこと、だった。


「……生きていたいって」

「……ありえない、本当に好きな人が死んだならそれはありえない」

「ハミはそうだよね。 でも、あらゆる可能性はあったんだよ、不変の感情なんてこの世にない。 少なくとも、生きている限りは。彼女は生きていたからそう思ってしまった」

「……なにそれ?」

「生きていたい、とはちょっと違うかもしれない。 学校にいたいって思ったのかもしれないし、卒業まで一緒に過ごしたいって思ったのかもしれない。 少しでもここにいたいって思ったのかも。 とにかく、彼女はここに未練を作ってしまった」

「だから、幽霊に?」

「まぁ、そういうようなことかな。 あれはきっと、具現化された未練だ。 宿主がかなえられなかった可能性を、叶えようとする現象なんだよ」

「……なにそれ、好きな人が死んだくせになに言ってんの。意味わかんない!」

「……ハミ」

「好きなんでしょ、好きだったんでしょ。 それが本当の気持ちだったんなら、さっさと死ねばよかったじゃない、なに? 未練っておかしいでしょ? 本当に好きなら……」

「だから、彼女は死を選んだんだと思う」


 人間の感情は、気持ちは不変じゃない。

 恋愛感情なんて、結局は一時のものでしかない。

 でも、彼女はそれが許せなかった。


「……好きだった気持ちを、嘘にしてしまうようで、そんな自分が許せなかったんだよ」


 彼女は、他の自殺者と同様に、もう一人の自分が見えていた。

 ドッペルゲンガー、つまり悪霊たる二重身が見えていた。


 二重身の存在は、それを見た人間に死をもたらす。

 生きようとした人間の叶えられなかった可能性を、叶えようとする。

 生きることを選んだ人間の叶えれれなかった可能性、それは死だ。


 彼女の話と総合して推測は確信となった。

 彼女はそのことを、自分の好きだった相手の死の時に学んだんだ。


「だから、嬉しかったろうね。死ねるってさ」

「……だから、トオくんの言ってる意味がわかんないって」

「それで彼女は自分が死ぬのを待つことになったんだ、とても楽しみにね。 でも、なぜか彼女の二重身はすぐには彼女を殺さなかった」

「…………」

「それがなぜかはぼくはわからない、何かが他の人とは違ったのかもしれない。 とにかく二重身は彼女を殺さなかった。 それが意図せずに死までの猶予期間になったんだ」


 その猶予期間が悲劇を招いた。

 死を見つめながら、過ごしていく穏やかな日常。

 周囲に奇異の目に晒されることもあったろう、けど、彼女の言を借りれば、お節介な人間が彼女の周りにいた。


「その人物は、彼女を、彼女の気持ちを変えてしまったんだよ」


 その人が誰かは知らない。

 けど、その人はきっと優しくて暖かくて。

 でも、鈍感な人間だったんだろう。


「ハミはさ、ずっと一緒に過ごしたい人っている? 暖かさをくれる人」

「……よくわからないよ」

「ぼくも。 なんかそういうのもよくわからない。 でも、そういうものがあったら幸せな気持ちになれるのかもとは思う」


 彼女も、そう思ったんだろう。

 そう思ってしまったんだろう。


 彼女が生きようとすれば、二重身は死をもたらし。

 彼女が死のうとすれば、二重身は生きようとする。

 最終的に、どちらにも傾きうる心だったからこそ、二重身は動かなかった。


 だから、本物の彼女は飛び降りた。

 自らの中にある、未練に気付いたから。


 人と触れると暖かい。人のぬくもりはそれを教えてくれる。

 でも、教えた当の本人は知らないだろう。


 そのぬくもりを知ったときから、触れられない部分の冷たさがより際立つことに。

暖かさから離れたときの、凍えるような寒ささえも。

その感覚すら、罪深く感じたに違いない。


「……じゃあさ、隣のクラスの目撃情報はなに? 屋上から本人が飛び降りたなら、それはおかしいよね」

「ハミはさっきの彼女を幽霊だと言ったね。 でも、違うんだ。 少なくとも、他の人にとっては違った」

「どういうこと?」

「さっきの彼女は、本人が死ぬ前からいた。 ハミも言っていたよね……最初から知っていたって」

「まあね、美味しそうじゃなかったから放っておいたけど。 事件が起きる前から、あれはいた気がするよ」

「そう、彼女はずっとあの場にいた。 あれは幽霊ではなく、二重身」


 そうつまり彼女は、二重身の方の彼女。

 ドッペルゲンガーは、本人の代わりに教室にいた。いつもと変わらぬように。

 なぜなら、本人が死を選んだから。

 代わりに、彼女はもう一つの可能性を叶えようとした。


「教室でクラスメートと教員に目撃されていたのは、二重身の彼女だったんだよ。本物の樋口カナよりも気薄なもう一人の彼女」


 だから、辻褄の合わない証言が発生した。

 本人が教室にいたのに、屋上から飛び降りた影が映った理由。

 それは、本人がもう一人いたと言うだけのことだった。


「たぶんきっとね、樋口カナが最終的に自殺を決意したのはそれだったと思うよ」

「……なにがさ?」

「自分の二重身がさ、毎日教室に行って授業を一緒に受けてる。 自分が屋上に行って、自分を殺すチャンスを与えてもそうしてる」


 だから、彼女は知った。

 自分で死ぬしかないんだって。

 だから、彼女は決意した。

 自分の存在はとても許せるものじゃない、殺さなきゃ、と。


 なんて、ひどいルールだ。

 生きようとすれば、二重身は自分を殺す。すなわち、自殺だ。

 死のうとすれば、当然ながら自分を殺すことになる。

 二重身を見たものは、強く生き死にを強く意識することで、強制的に死を選ばされる。


 なにより、彼女にとって残酷なのは、本当は死にたいだけじゃないんだって、自分には生きていたい気持ちもあるんだって、不幸なことにそう気付いてしまったから。

 自覚せずに、生きる方向に気持ちが向けば、そんなことを悩まずに、これからの人生を強く生きられたろうに。二重身は自分の選択を、強制的に自覚させてしまった。


「人間が生きていられるのはね、ハミ。 自分がどれだけ恥知らずで、好き勝手に気分で物事をコロコロ都合良く解釈しているような生き物なのか、それを知らずにいられるからなんだよ、それに気付けば死ぬしかない。 殺すしかない。だってそんな生き物、存在するってだけで気分が悪いだろ?」


 自分が友達や恋人が死んでも、当たり前のように生きていける。

 人間はそんな自分に気付きたくないから、助けてやれたんじゃないかって悔やむ。悔やんでいると言うことを言い訳にして、自分を許してる。


 ああ、ぼくはすごく悲しんでる。平気なんかじゃないんだ。別に平然と生きてるわけじゃないんだ。って。


 こんなに悲しんでいるんだから、自分は最低な人間なんかじゃない。

 ……だから、生きていていいんだって。傲慢にもそう思う。


「以上が、樋口カナの飛び降りにおける大層でもなんでもないことの真相……だよ」


 死にたいなら死ねばいい。

 生きたいなら生きればいい。


 そう言う人はいる。

 でも、そう考えること自体許されない人もいる。許さない人もいる。


 死にたくても、生きていくしかない人もいる。

 生きたいけど、死ぬしかない人もいる。


 彼女が、樋口カナが間違っていたのかどうかは、ぼくにはどうしようもなくわからない。

 とりあえずわかるのは、彼女にとっての生きたいと言う気持ちと死にたいと言う気持ちはイコールで繋がっていたと言う事実と――……彼女が生きていてくれたら、今のぼくは嬉しかったろうと言う、そんな矛盾した答えだけだった。



 *



この事件はある男子生徒の死から始まった。

 

それは嘘ではない。

彼の死が全ての、きっかけだった。


 遠野の見解も所長の言にも間違いはない、事件の一部を見ればそれは事実であり真実。

 だが全体から見れば、彼の死から全ては始まり、全ては終わっていき、まだ事件は解決していない。

 それは死という名の数多くの人生の終わりで。

 始まりは、混沌と言う名の始まりだった。


その存在を知覚したことで感染する病。

ドッペルゲンガー。


 だが、問題は誰がその男子生徒の死を始まりへと選んだのか。


 これを仕組んだのが誰なのか、と言うことだ。


 俺にとって、形のないものはなんの意味も持たない。

 刀を通して伝わる物こそ、刃を透して見える物こそが全てだからだ。

 

人の心にはそんな確かさなどない。

 

すぐに揺れ動き、また不変などありえず、劣化し色褪せる。

 ならば、いっそ刹那に価値を求めればいい。

 

一瞬の手応え、喜び、満たされているという実感。

 生に対する飢えを満たすモノ、それも結局は永久でないのは間違いない。

 

……だが、それでも。

 

俺はそれを求めずにはいられないし、それがそういうモノだと知っている。

 結局の所、人は他者にありもしない永遠を求めるか、自己の生に零の瞬間と言う欲望を見いだすしか出来ないのだから。

 

ならば、俺は後者の生き方を望む。

 

他者に期待し裏切られ、また他者に相対する自分に期待し裏切られる。それを繰り返すよりは余程、高きへと望めるモノだと思うのだ。

 

熱の伝わらない幻と。

 肉眼にすら透さない想いに。

 ――意味を見いだす人間は世になにを求めるのだろう。

 

人はそれを、幻想と。

 もしくは幻の影、幻影と呼ぶ。

 儚い、人の夢だ。

 

そうわかっているくせに、人はいったいなにをしているのだろう。

 裏切られるとわかっているから儚いんだろうに。

 

人間は自分達で儚いとそう名付けている癖に、諦めようとしない。

 俺はそれを横目で見るように歩く。

 だが、視界に入れどそんなことは関係ない。

 

もう、そんなこととは関係なく俺の次の獲物は決まっているからだ。

 

それはこれを始めた何者か。

 

ソイツなら……もう少し、この乾きを癒してくれるのかもしれない。

 ただそれまでは、惰眠を貪っていよう。

 

猟犬として、獣として狩に出るその日まで。

 いつか、野に解き放たれるその日まで。



 *



 ぼくらは学校を出て、校門の前で立ち止まった。

 ハミがぼくに聞く。


「で、今日も事務所寄るの?」

「うん……新しい情報も手に入ったしね」

「へえ、伝えに行くの?」

「うん」

「意味ないよ、そんなの。どうせどこからも依頼もないし、だいたいお金入らないんだから誰も動かないよ」


それは確かにその通りだ、昨日もそうだったし。


「……だけど、それでも行くよ。知った以上は言うのが義務だからさ」

「義務って言い訳を使うの? 自分から知った癖に今さら義務もなんもないよね」

「まあね、それは確かにそうなんだけどさ、放ってはおけないじゃない」

「……遠野はさ」

「ん?」

「嘘は嫌いだとか、隠し事は嫌いだとか、誤魔化しはしたくないとか言う癖に、嘘つきだし本音は隠すし言い訳して誤魔化してばかりだよね」


 ハミはそう呟くように言う。


 それが不満なのではなく、ただ事実を述べただけと言うかのように。

 確かに、ぼくはずっと嘘をついたり誤魔化したりばかりしている。それはもちろん今回だけに限ったものではないんだけど。


 ぼくはそれから真正面から答えない。


「……そうじゃない人間はあまりいないよ、ハミ。だいたいの人間は大方そんなものだろ?」


 そうじゃない人間も世の中には残念ながらいる。

 全く嘘をつかない人間なんていない、なんて言うのは嘘だ。誤魔化さない人間はいない、なんて言うのはそれ自体が誤魔化しだ。


 人間はそんなことをしなくても生きていける、ひどく残酷なことに。

 でも、ぼくは……。


「ぼくは普通の人間なんだよ、ハミ。 有難いことにね。 普通人間は弱いし、嘘をつくし誤魔化すし、言い訳するんだよ。 しかも、普通の人間はそれが普通だと思っているんだ。だからぼくは普通の人間なんだよ」


 だから、嘘をついていもいい、とまで言わない。

普通の人間には、それが許されるとは言わない。


「それでも、ぼくは嘘が嫌いだ。 憎んですらいる。 だから言うよ、真実、ぼくはこのままにはしておきたくないんだ。 ……この幸福な結末(ハッピーエンド)なんてありえない戯けた悲喜劇を」

「意味わかんないよ、馬鹿」

「ごめん、ぼくもよくわかんないで言ってる」

「……このお節介」

「知ってるよ、ついでに鈍感で無神経なんだろ」

「……胸張って言うな、自己中。 いっそ死んじゃえ」


 ひどいこと言うな、と思ったけどその通りだから。だから、なにも言い返せなかった。

 鈍感さと無神経さは生きていくのに必要な能力だろうけど、それを恥じる程度の神経は残しておきたい。


 ハミにこんな窮屈でみじめな想いをさせてるのは、完全にぼくの自己中心的な行動によるものだから。


「……私は行かないから」

「うん、わかってるよ」


 ハミは自分から事務所には行きたがらない。


「だからぼくが行く」


 だから、ハミに仕事があるときはぼくが伝える。ぼくが連れて行く、ぼくが一緒に行く。

 ぼくが事務所にいるのはたぶん、結局の所、その程度の理由なんだと思う。


 ハミがいるから、ぼくが事務所との仲介をする。


 ぼくの存在意義はその程度のものなんだろう。ぼくが不満なのは、ぼくの存在意義がその程度のものだからだ。


 ハミはぼくを見る、ひどく冷めた目で。


「そう、じゃあ勝手にすれば」


 そうハミは言い放ち、歩いて行った。

 ぼくはその背中に「また明日」と声をかける。


 ……なんか随分とハミ機嫌悪いな。


 今日は特に悪いけど、最近基本的に機嫌悪いことが多いかな。


 心当たり……は、一応ないんだけど。

 単純にぼくのことが嫌いなのかもしれない。ほら、行動がいちいち気に入らないとか、なんかなよなよしててムカツクとか。


 ……さすがにそうだったら傷つくなぁ。

 でも、そんなことを気にしていても仕方ないので。


 とりあえず、ぼくは。まぁ、ハミは放っておいて事務所に向かうことにした。

 心配じゃなかったわけじゃない。

 気にしていなかったわけでもない。


 でも、ぼくはハミを放っておくことにした。

 それがぼくのハミへの付き合い方というものだったから。



 *



 遠くから二人を見る影。

 背後に手を回して、後ろでに手を組み、ソレは二人を見ていた。


 その口元は笑みを形作るも、緩めていると言うよりは歪んでいる、そんな印象だった。

 ……歪んだ笑み。


 笑みを浮かべる口元とは裏腹に、目には喜びよりも、深い闇色の憎しみと刃のような狂気が宿っていた。


「駄目だなぁ、遠野は。せっかくわたしが二回も忠告したのに……」


 より深く、笑みを形づくる。

 より深く、歪ませる。


「軋呑ハミに近づくなんて」


 なのにその姿はどこか希薄だった。

 本当に目の前に存在するのかと、目撃者がいればそう目を凝らしただろう。


 ヘタをすれば目に入っても、気が付くことすらないかもしれない。

 だが、間違いなくソレはそこにいた。


「これはちょっと、罰を与えないと駄目かな。だって、わたしのこと無視しすぎだもん。遠野は、さ」


 手をゆっくりと前に出す。


 次第にその手は変貌し。ゆっくりと……。


「ああ、もちろん。あの女も生かしてはおかないけど」


 かぎ爪のように長く鋭い爪と。

 獣のように毛深くごつごつした腕へと。

 その……姿を変えた。


「駄目だよ、軋呑。 遠野はわたしがずっと……」


 手の先を、その鋭い爪の切っ先をそっと舌で舐める。

 自然と舌の肉はうっすらと裂け、その傷口からは血液が滴る。真っ赤なソレは爪へ、手の甲と伝わりその獣の腕に染みていく。


「目を付けていたんだから」


 その舌は爪に付着した血を拭い、喉はそれを味わうように飲み込んだ。

 舌が傷ついても、どれだけ深い傷を作っても、ソレは爪をなめ回す。

 獲物の血を味わうまでの、僅かな一時の慰みとして。



 *



「あなたがいなければ、気が付かなかったのに」


 そうなら、私はずっと気付かずに。

 この日常を憎んで、それでもここで生きていけたのに。


 でも、私は気付いてしまったのだ。

 私は死にたくない。


 友達と笑っていたいし。

 両親とは喧嘩しても、暮らしていたいし。

 まだ、やりたいことも夢もあるし。

 なによりも、この娘と一緒に居たいんだって。


 あれは私だった。


 私の望みを叶える。

 私の望みを実行する。 


 私自身に間違いはなかった。


 きっと今頃私は、昼休みを自分の教室で過ごしているに違いない。


 楽しく過ごしているに違いない。


 その望みを叶えてくれてるに違いない。


 そう、あたしは彼のそばに行くことじゃなくて、同じように逝くことじゃなくて。

 当たり前の日常の方を望んでいた、そこで生きていたかった。


 私なんか死んでしまえ。

 私の幸せを願う私なんか、死んでしまえ。


「私はアンタを許さない」


 私は向き直り。

 町を見下ろす。

 私が生きたかった、町。

 行きたかった、日常。


 背後から聞こえる、彼女の声。

 叫ぶように、制止する声。

 私は振り向いて、最後に言った。


「アスカ」


 彼女のその姿はなぜか、一生懸命で。

 ……なぜか、にじんでいて。

 どこかで見たことがあって。


 でも、決定的に間違っていて。

 懐かしかったけど。


「ありがとね」


 なによりも嬉しかった。

 彼もこんな気分だったのだろうか。


 私は世界に背中を向けて。

 そう、今まで自分が在った『日常』という世界に背を向けて。


 その作り物の舞台から、飛び降りた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ