罪
太陽から神族が降りて来なくなった後、神は急に一柱しかいなくなったわけではない。最後に残ったのは、五柱の神と六人の守護者たちだった。守護者というのは文字通り、神の側近で神を心身ともに護る役目を担い、「神」ではない一般の神族から選ばれる。
守護者も太陽から降りて来た以上、人間にとっては神族である。しかし神と一般の神族には明確な違いがあった。
いくつかの術を、先天的に使えるかどうかだ。
まず、太陽から降りてきた者は、両親のもとで十歳まで育てられる。十歳の誕生日を迎えると、神の前で術を使えるかどうかを試される。
その術の最たるものが、自分の命を体外に取り出せるかどうかだ。命を外に出せると、それは水晶のように見える。命宝と呼ばれるその玉は、選ばれた神にしか取り出せない。色は命の持ち主によって違う。
命宝を使える者は、治める側の神だ。神界に入り、政を行う。使えない者は、一般の神族として人間とともに暮らすか、神界で神に仕えるかを選べる。神に仕える場合は、命宝を取り出してもらって神に預ける。命宝を預けるということは、寿命が身体の外にあるようなものだ。肉体はゆっくりゆっくり年を取るが、そうそう病気にはかからないし、よほどの大けがでない限り死ぬことも無い。
今現在、神官として働いている人間たちも、命宝を神に預けている。そうすることで、彼らの寿命も通常の人間の約十倍となるのだ。
次の違いは、繁殖の仕方。
選ばれた、治める側の神は、分裂することで子どもを生すが、一般の神族にはこの能力が備わっていない。従って、一般の神族は愛し合い、太陽に祈ることで子どもを授かることになる。祈りの期間は百日。毎日休むことなく太陽に祈るのだ。祈りが太陽に通じれば、百日後に赤子が降りてくる。
太陽から降りてくる神族の中から、選ばれし神となるのはおよそ百人に一人だが、それを選り分けている者の正体は判らない。太陽そのものかもしれないし、いまだ太陽に住んでいる姿を現さない何者かかもしれない。しかし、そこは問題ではなかった。
問題は、どれだけ神たちが祈ろうとも太陽から仲間が降りて来なくなったことだ。分裂の術が使えなくなるということは無かったものの、少しずつ確実に神族の数は減っていった。そして代わりとでもいうように、神たちに造られた人間が独自に繁殖を始めた。人形だったはずの彼らは、神の息吹を与えられたことで命を得て生活するようになったのだ。神々は、滅んでいくことを覚悟した。だが、元々の寿命は長い生き物だ。そう簡単には絶滅しない。時間には猶予があったので、神々は人間たちに知恵を与えた。神を頼って生きている人間たちが、自分たちがいなくなっても困らないように。人間界に降りては道徳を説いた。
争いごとを好まない神たちの考えを人間たちはよく引き継ぎ、大きな戦は起こったことが無い。このまま穏やかに絶滅していくなら悪くないと、神族は思っていたのだ。
この時点では。
事件が起こったのは、今からおよそ五百年前。平和な日々の中、一柱の神が前触れなく斃れた。しかもそれは自然死ではなかった。年若い女神は、自ら命を絶ったのだ。亡くなった時の状況から、自殺であることは間違いなかった。直筆の遺書もあった。そこには、叶わぬ恋の辛さと悔しさ、惨めさが短めに綴られていた。
愛するひとがいる。けれども愛するひとには別に愛するひとがいて、この想いは生涯叶わない。叶えたい。けれども愛し合う二人の邪魔はしたくない。想いを告げても相手にされないことが怖い。このまま永い寿命を生きていく中で、彼らの姿を見続けるのが辛い。そういった内容だった。
女神の死に、ほかの神や守護者たちは嘆き悲しんだ。その嘆きは人間にも伝わり、人間も嘆き、やがてその嘆きは世界を覆うほどのものになった。
人々の涙は何日も流れ続け、それが今日、神関が浮かんでいる海になったとも言われている。
神たちの涙は枯れ果てた。特に長老だった神の落ち込みようはひどく、そのことで彼はひどく臆病になった。
遺った神々のすべてを把握しようとしだしたのである。一挙手一投足、趣味嗜好、いつ誰とどこでなにを話したのかさえ、すべての報告を聞かないと不安定になった。
事件が起こる前までは、神々はよく人間界に降りていた。人々と会話をし、願いを聞き、知恵を与え、交流することで平和を保っていた。特に斃れた女神は人間が好きで、よく遊びに行っていた。絶滅を覚悟してからは毎日のように行っていたのだ。長老は、そこで誰かに懸想したのだと決めつけた。神や守護者の中に意中の相手がいるのならば、叶わぬ恋であるはずがないからだ。何故なら、神からの求愛を断る不敬の者などいない。人間という、種族が違うものを愛したからこそ失恋したのだと長老は言った。
長老は神々に人間界に降りることを禁じ、その日なにをするか、どこでするか、誰と会うか、なにを口にし、いつ休むか、なにを考えて過ごすかまで管理し始めた。同じ神族である守護者たちに見張りの真似事までさせた。
これには他の神々も辟易した。長老の心情を慮りながらも、徐々に疲れていった。一方で、人間たちも突然人間界に降りてこなくなった神を心配し、世界は不満と不安に満ちてきた。しかしそれでも長老は、神々を自分の目が届くところに置きたがった。庭の散歩すらも許可がいるようになり、逆らえば罰を与えるようになり、段々と神界の空気が淀んでいく。引きずられるように、人間界でも小競り合いが多くなっていった。
長老の疑心暗鬼は、留まるところを知らなかった。
ある日突然、亡くなった女神は神々か守護者の中の誰かに殺されたと言い始めたのだ。前日までは人間の中から女神の懸想相手を探せと喚いていたのに、急にやはり彼女が自殺などするはずがない、殺されたのだと喚き始めた。その翌日には、やはり人間の中から相手を探せと語気を強めた。完全に乱心していると、誰もが思った。いるはずのない犯人探しが始まり、もともと淀んでいた空気はさらに淀み、もう元の色を忘れてしまっているかのようだった。
長老は、誰の言葉も聞かなかった。誰かが犯人などいないと言えば庇いだてする気かと怒鳴られ、落ち着けと言えば何故そんなに冷酷なのか、殺したのはお前なのかと罵られた。
六人の守護者たちは、頭を抱えていた。幼い時から武道を学び、人道を学び、神々を護ってきたのは彼ら守護者たちだ。神々の平和な日々は、彼らがいなければ有り得ないものだった。いつも穏やかに感謝の言葉を述べていた長老が、今は目をぎらつかせて毎日誰かを人殺し呼ばわりする。聞くに堪えなかった。
彼らは女神が自ら命を絶った時、自分たちも陰では大声で泣きながら、それでも神々を支えようと献身的に尽くしてきた。そんな彼らを、他の神はもちろん長老も信用してくれていると思っていた。信じてきた。それなのに、長老はもう誰の言葉にも耳を貸さない。憤りは湧いて来ず、あるのは深い悲しみと徒労感だった。
そんな日々がどれほど続いたころか。やがて立ち上がったのは、守護者の中でも一番若い女性だった。彼女は言った。
「わたしが犯人として名乗り出ます」
もちろん、他の守護者は止めた。そんなことをしても一時しのぎにしかならない。命を無駄にする気か。一人が犯人となれば、気付かなかった他の者も咎を負い、下手をすれば共犯となる。考え直せと。
そのすべてに、いいえ、と彼女は答えた。
女神が斃れた時のことを、長老は悲しみのあまりによく覚えていない。それならば、他の守護者は全員が神と一緒にいたことにし、自分だけに空白の時間があると思わせるのは容易い。ましてや、斃れた女神専任の守護者は自分だった。今の長老が必要としているのは怒りや悲しみをぶつける相手であって、真実ではないのだ。自分は守護者になって一番日が浅い。そのことも説得材料の一つになるだろうと、彼女は言った。
そこまで聞いて、それまで沈黙していた神の一柱が立ち上がり、頭を下げた。治める側の神が他の者に頭を下げるなど、前代未聞だ。しかし一柱が頭を下げると、他の二柱もそれに倣った。
神々は言った。
――頼む。
どうか長老を鎮めてくれ。守護者として我々を、ひいてはこの世界を救ってくれ。
もう耐えられないのだと泣く神に、どうしてこうなったのかと嘆く神に、申し訳ないと詫びる神に、女性守護者は穏やかにうなずいた。
ここまでの状況になっても、誰一人として長老を弑そうとは思わなかった。そんな考えは浮かんですらこなかった。それがこの世界を開拓した神々の成果でもあったし、異常性でもあった。平等性などどこにも無かった。
長老に名乗り出る前に、提案があると女性守護者は言った。
これからもこの世界の人間たちを治めていく為に、神と人間との橋渡しをする役目を置いたらどうかと。神はもう、長いこと人間界に降りていない。人々の中には、神を見たことがない者もいる。もしかしたら存在を信じていない者もいるかもしれない。それでは駄目だ。
同じものを信じ、尊敬することできっと連帯感が生まれ、争いごとの抑止力になる。しかし今更になって急に神が人間界に降りたところで、人々は敬意を払わないだろう。今まで何をしていたのかと牙を剥く者もいるかもしれない。ひとはうつろいやすいものだから。ならば、神は陰から力を行使する立場となり、人間の思いを聞く役目は人間がした方が良い。その為に、まずは五人の守護者のうち一人を人間として人間の村に送り込み、これを最初の橋渡しとする。守護者が人間から話を聞き、さらに神が守護者から話を聞いて願いを叶えれば、きっと少しずつでも神の尊厳は回復する。
三柱の神々は、この守護者の提案を快く聞き入れた。提案に感心したというよりは、この守護者の最期の願いになるであろうという思いやりからだ。
これが、今日まで続く巫女制度が誕生した経緯である。
そうしてこののち、この女性守護者は犯人として名乗り出た。そして誰もが予想した通り、処刑された。命宝を、粉々に砕かれて。
この世界で唯一の処刑の記録。それがこの女性であり――シロの婚約者である。たった一人、シロが愛した、共に生きていこうと誓った相手だ。
女性を処刑した後、長老はまるで気が済んだと言わんばかりに静かに息を引き取った。老衰だった。シロの婚約者の遺体は同胞たちから厚く葬られ、英雄扱いまでされた。
しかしシロは知っている。
あれは、ただの生贄だ。
神々は待っていたのだ。誰かが自ら生贄となると言い出すことを。そして彼らは知っていたのだ。長老の命の期限が迫っていることを。
一時しのぎではなかった。とりあえずここをしのいでしまえば、遅からず長老の寿命が尽きることを神々は知っていた。彼らはただ待っていたのだ。生贄が現れることを。自分たちはなにもせずに。
そうしてシロは、復讐鬼となった。
単純と言えば、あまりにも単純な動機。しかしシロにとっては十分すぎる動機。
もちろん、神々にも言い分はあった。太陽から赤子の姿で降りてきた自分たちを、長老が暖かく育ててくれたこと。その長老の死期が迫り、せめて心穏やかに最期を迎えさせてやりたかったこと。あのまま放っておけば、長老はきっと、今度は人間たちに荒ぶる感情の矛先を向けたであろうこと。
そのすべてが、シロにとってはどうでもよかった。知ったことではなかった。
ただ、シロは彼女を失った。
だから、見殺しにしたすべての者を手に掛けた。
それだけが現実だった。




