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「俺だけが全部覚えている~三年分の搾取を、事実だけで清算する~」  作者: ジキルぅ
第六章「新しい記録」

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第81話「遠き友への返信、あるいは手紙という名の記録」

封筒が届いたのは、午前中だった。

郵便受けから取り出した時、消印を確認した。

地方の消印だった。

差出人の欄を見た。

「高梨誠一」

筆跡を照合した。

〇・一秒だった。

「高梨さんです」蓮は陽菜に言った。

「手紙ですか」陽菜が来た。

「はい」

「電話でもメールでもなく」

「はい」

蓮は封筒を手に取った。

重みがあった。

便箋が何枚か入っている重みだった。

高梨らしかった。

電話で済む話を、あえて手紙にする理由がある。

それだけの内容だということだった。

蓮はそっと開けた。

高梨の文字が、便箋の上に並んでいた。

力強かった。

でも丁寧だった。

「高梨さんの文字には」蓮は声に出して言った。「その人の体温が記録されている」

「体温が?」陽菜は言った。

「筆圧という名の意志です。デジタルデータには記録されない情報が、手書きの文字には入っています。速さ、力のかかり方、インクのにじみ方。全部が、書いた人間の状態を示しています」

陽菜は封筒を見た。

「高梨さんは今、どんな状態ですか」

蓮は封筒の文字を見た。

「安定しています。でも、緊張感があります。何かに集中している時の文字です」

「読みましょう」

蓮は便箋を広げた。

「篠原くんへ」という書き出しだった。

蓮は読んだ。

高梨の近況が書いてあった。

地方の地検での仕事。

古い建設談合の疑惑。

証拠が揃わなくて難航している捜査。

しかし先週、一つの糸口が見つかったということが書いてあった。

その糸口の内容を、高梨は丁寧に説明していた。

蓮は読んだ。

止まった。

「どうしましたか」陽菜が言った。

「この帳簿のコピー」蓮は言った。「以前、オムニ・データの案件を整理していた時に、関係ない書類として分類したものです」

「覚えているんですか」

「全部覚えています。当時は帝都物産との接点を探していたので、建設業の帳簿は優先度が低かった。でも、捨てずに整理して、高梨さんへの引き継ぎ資料に入れていました」

陽菜は手紙を見た。

「その帳簿が、今回の証拠になった」

「なりそうです。高梨さんが別の情報と照合したところ、一致する部分が出てきたということです」

陽菜はしばらく手紙を見た。

蓮は続きを読んだ。

「君の記録が、今ここで誰かを救っている。君の仕事は間違っていなかった」

という一文があった。

蓮は少し止まった。

もう一度読んだ。

「君の仕事は間違っていなかった」

三年前、段ボール一つで会社を出た日のことを思った。

あの時、俺の仕事は無駄だったのかと思った。

記録し続けることに意味があるのかと思った。

高梨が今日、答えを送ってきていた。

「蓮さん」陽菜が言った。

「はい」

「大丈夫ですか」

「はい」蓮は答えた。「感動しています」

陽菜は少し目を細めた。

「感動、という言葉が出るようになりましたね」

「最近、言葉が増えています」

「それはいいことです」

蓮は手紙の最後を読んだ。

「追伸。君の近況も、いつか聞かせてほしい。地方は静かで、東京が遠い」

蓮は便箋を置いた。

「返事を書きます」

「メールではなく」

「手紙で」

陽菜は少し間を置いた。

「なぜ手紙ですか」

「高梨さんが手紙で送ってきたからです。同じ媒体で返すことが、相手への敬意だと思います」

「他に理由はありますか」

蓮は少し考えた。

「メールは瞬時に届きます。手紙は数日かかります。その数日の間、高梨さんは返信を待ちます。待つことが、つながっている証拠です。俺も、高梨さんからの返信を待ちます。その待ち時間が、俺たちの間にある記録です」

陽菜はそれを聞いた。

「……素敵ですね」陽菜は言った。

「そうですか」

「手紙という媒体を選ぶ理由として、これ以上のものはないと思います」

夕方、蓮はデスクに向かった。

白い便箋を出した。

万年筆を手に取った。

書こうとした。

止まった。

何を書けばいいか、考えた。

仕事のことは書ける。

Margin Notesの案件の状況。依頼が増えていること。老人の家系図を復元した話。

でも高梨は「近況を聞かせてほしい」と書いていた。

近況、というのは仕事のことだけではないはずだった。

蓮は少し間を置いた。

個人的な近況を、文章で誰かに伝えたことがあったか。

なかった。

ノートに記録することはあった。

でも、誰かに向けて書いたことはなかった。

「陽菜さん」蓮は言った。

「はい」

「手紙に、仕事以外のことを書くのは、どう書けばいいですか」

陽菜は少し笑った。

「起きたことを、そのまま書けばいいです」

「起きたこと」

「日記に書くのと同じです。ただ、相手がいる日記」

蓮はペンを持った。

書き始めた。

「拝啓、高梨様」

書いた。

「お手紙、確かに受け取りました」

「地方での捜査、難航していると聞き、心配していました」

「帳簿が役に立てたのであれば、記録し続けた意味がありました」

「こちらは、Margin Notesという会社を立ち上げ、記録の復元の仕事を始めています」

「先日、百年前の往復書簡を復元しました。二十四年間、待ち続けた記録でした」

「記録は待つことができると、その時に知りました」

書いた。

それから少し止まった。

高梨の「近況」への問いに、まだ答えていなかった。

仕事のことは書いた。

でも、高梨が聞きたいのは、仕事だけではないと思った。

蓮はペンを動かした。

「一つだけ、報告があります」

「私は今、陽菜さんと共に、誰かの孤独を終わらせるための記録を続けています」

「陽菜さんというのは、瀬川商事の瀬川陽菜さんです。高梨さんにもお会いいただいたことがあります」

「彼女は計算が得意で、俺は記録が得意です。二人で一つの仕事をしています」

書いて、止まった。

もう少し、書こうかと思った。

でも、高梨には、これだけで伝わると思った。

「次に上京された際には、ぜひMargin Notesにお越しください。陽菜さんが淹れるコーヒーは、今の俺の最優先フォルダに入っています」

「敬具」

「篠原蓮」

書き終えた。

便箋を折った。

封筒に入れた。

封をした。

「書けましたか」陽菜が言った。

「書けました」

「見せてもらえますか」

「高梨さんへの手紙なので」蓮は少し間を置いた。「最後の一行だけ教えます」

「なんですか」

「陽菜さんが淹れるコーヒーは、今の俺の最優先フォルダに入っていると書きました」

陽菜はしばらく蓮を見た。

「……高梨さんへの手紙に、そんなことを書いたんですか」

「近況の報告として」

「報告として」

「はい」

陽菜は少し赤くなった。

「それは、高梨さんにすぐわかりますね」

「はい。高梨さんは鋭い人なので」

「わかりましたよ」陽菜は言った。「では、投函しに行きましょう」

夕暮れの道だった。

二人で歩いた。

ポストは事務所から五分のところにあった。

蓮は封筒を持っていた。

「重みがありますね、手紙は」陽菜が言った。

「便箋二枚分です。でも、二枚以上の重みがあります」

「何の重みですか」

「高梨さんへの感謝です。それと、近況を伝えたいという気持ちです。その二つが入っています」

陽菜は少し蓮を見た。

「以前のあなたは、手紙を書かなかったですね」

「書く相手がいませんでした」

「今はいる」

「はい」

ポストの前に来た。

蓮は封筒を確認した。

宛先。差出人。切手。

全部揃っていた。

投函口に入れた。

落ちる音がした。

小さな音だった。

【記録:202X年4月吉日 17:58】

手紙を送付。

分類:個人的な通信。

返信が届くまでの時間:推定七十二時間。

その時間を待つことが、今は苦ではない。

二人は立ち止まっていた。

夕暮れの光が、道に影を作っていた。

蓮の影と、陽菜の影が、並んで伸びていた。

「帰りましょう」陽菜が言った。

「はい」

歩き始めた。

影も、一緒に動いた。

二人の影が、同じ方向を向いていた。


第81話 了 


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